第7話
「オイお前ら!サッサと退け!俺は議員だぞ!アルバート=ハート様だぞ!俺はここで終わって良い男じゃないんだ!道を開けろ愚民どもぉ!」
極限状態で、人間は本性を現す。それが手に取るように解る事案がコレだろう。後で無事救助された皆がコレを思い出し、いったいどんな顔をするだろうか?
彼の態度は目に余った。救命ボートを一人で占有すべく、
「ナァ、全く、死ぬ前だってのに凄まじい跡の濁しようだ。ナァ、この場合彼は立つ鳥というより、絶つ、否、絶たれる鳥。なんだがな。ナァ。」
彼は避難誘導の列から離れた場所に居た。闇夜に紛れ、列からの目視は可能性として低いだろう。
「ナァ、お嬢さん達の目の前で脳みそをぶちまける。なんて、好みじゃないんだがな。ナァ。」
そう言って照準を議員の頭に定める。
「さようならだ。アルバート氏。死に恥をさらしな。」
引き金を引こうとした瞬間。救命ボートを吊ってあるロープから閃光が見えた。
パシュン
次の瞬間。弾丸が放たれた。が、
「消えた?イヤ、アレは……。」
ソドレーがスコープ越しに見た光景は驚くべきものだった。
救命ボートのロープが片方だけ切れ、宙ぶらりんになっていた。
乗ろうとしていた議員は落ちた……。という事も無く、丁度ソドレーの撃った弾が彼のスーツにめり込み、船に彼を固定していた。
「ナァ、放っておけば死んだのに…。余計な事をしたって事か……。ナァ……、辞めるか。この仕事。」
この瞬間。世界的に驚異的な殺し屋が一人。死んだ。
「何が起きた?」
アベツェーは開いた口が塞がらなかった。
彼の目の前に居た議員がボートに乗った瞬間。ボートを吊るロープの爆弾を爆破した。
成功した。計算上、そのまま滑り落ち、海に叩き付けられ死亡。の筈だった。
「オイ!そこの!誰でもいい俺を助けろ!」
生きていた。着ていたスーツが何故か船に引っ掛かり、辛うじて生きていた。
「先生!大丈夫ですかい⁉ホラ捕まって下さい!」
そう言ってクルーが手を伸ばし、議員の手を掴む。次の瞬間。
ザッパーン!
救命ボートが黒い海の闇に沈んでいった。
『………将来の夢。もう一度考えてみようかな?』
ここに、最高の殺し屋がまた一人、死んだ。
「全く、何故俺がこんなすし詰めにされねばならんのだ?」
最早隠すことを完全に忘れ、『アルバート議員』では無く『ただのアルバート=ハート』として振る舞い始めたアルバート。救命ボートの数が足りず、他の客と一緒に乗せられているのだが、悪態が酷い。
『ホント、何でこの男。今まで干されなかったのかしら?』
一二三は同じボートに乗り、彼を狙っていた。先程からの悪態の連発に他の客は辟易していた。
最早アルバートを狙う殺し屋は彼女只一人。彼女とアルバートの一騎討ちである。
彼女は改めてバッグの中の針に手をやる。距離は幾ばくかある。文字通り救命ボートはギリギリまで乗客を乗せている。
難易度は当初の予定より大幅に上がっている。が、それでも彼女は諦めなかった。
『この男を確実に、殺す。』
冷静に、苛烈に、冷酷に、彼女はアルバートに自然に近づいて行った。
「オイお前ら!サッサと場所を開けろ。もっと詰めろ!邪魔だ!」
アルバートはそう言って人を家に散らかったガラクタのように肘や腕で退かしていく、それに押された周囲の人間はまた周囲を押し………
「キャ」
ザバァ
ボートの端に乗っていた女の子を海に突き落とす結果となった。
「大変だ!子どもが海に落ちた!」
どこかで男が叫ぶ。
「誰か!ウチの子を助けて!」
近くに居た親と思しき女が叫ぶ。しかし、水には入ろうとしない。
「無理だ。暗くて見えない。誰か!明かりを持っていないか⁉」
「泳げる奴?誰か助けて!」
ボート内は騒然としていく。
『チャンス。この隙に殺しに……。』
一二三は針を固く握り、流れるような動きでアルバートに近付く。
「五月蝿いぞ!子どもが落ちたくらいで騒ぐな!」
その騒乱を鎮めたのは、否、表現としては凍り付かせたのは、アルバートだった。
『マズッ』
彼女の動きが止まる。
「この海だ。運が悪かったと思って諦めろ。さぁ、私を早く陸へと戻せ。」
その言葉に静寂が狂乱に変わる。
「ふざけるな!子どもを何だと思ってるんだ」
「人殺し!」
「お前にいくら払ったと思ってるんだ!!」
罵詈雑言が響く。ここで一二三は気付いた。殺しに気を取られていたが、衝撃の事態が起こっていた。
『誰も、助けに行ってない?』
そう、彼女の周囲には罵詈雑言を投げつける乗客。更には持ち物のハンカチや時計を投げる者もいた。
しかし、人が多い。もし、女の子を助けに行った輩が居るのなら人は少なくて良い筈なのに、人が一杯居る。
「もしかして、女の子が未だ救助されていない?」
水にぬれた女の子もそれを助けた勇者も見えない。つまり、女の子は未だ海の中。
『どうする?アタシ。』
彼女の心は揺れていた。この罵詈雑言の中。物も投げられていて、暗くて隣の人の顔も見えない。この状況ならあっという間にアルバートを殺せる。
しかし、そんな事をしている間に女の子の生存率はどんどん下がっていく。
『このクソ共が!!』
ザバン!
彼女は迷いなど無く、即決したかの如く、暗い海に飛び込んでいった。
もし、他の善意の勇者が海に投げ出された女の子を救おうとしていたなら、彼女の仕事は成功していただろう。
そんなことしなくても、女の子を無視して殺せば成功していただろう。しかし、彼女には矜持があった。
『『死ぬ理由も無い女の子見殺しにして、議員を殺した。』なんて、絶対に誇れない。アタシは、例え殺し屋失格でも、殺し屋として死んでも、絶対にアタシとして、アタシは生きる!!』
毒針の入ったバッグから防水のライトを取り出し、バッグを捨てる。これでもう、殺しは出来ない。
彼女は殺し屋として死に、海へと沈んでいった。
『何処?何処よ?』
海へと潜り、ライトを海中に照らして落ちた子どもを探す。
『!!見つけた!』
ライトに照らされる布の影を捉えた。溺れているが、動いている。未だ生きている!
彼女は服の抵抗を振り切って近付き、子どもをがっちりと捕まえた。
『OK!浮上する!』
級に掴まれ抵抗する女の子をなだめ、彼女は海面に上がっていった。
「誰か!助けて!溺れた人がいる!ボートに引き上げて!!」
海に沈んだ殺し屋は死に、子どもを助けた英雄が浮き上がって来た。
「ナァ!オイ!誰か!ロープを持って……。ナァ!これに掴まれ!」
自分の乗っていたボートとは違うボートからスーツの袖が飛んできた。
どうやら、自分の着ていたものを投げて寄越してくれたようだ。
「ガホ!アリ がとう。 この子を早く引き揚げて!」
恐怖と水で死にかけている女の子を、スーツを投げてくれた金髪の紳士に託す。
「OK!ナァ!ホラ!もう大丈夫だ。サァ、君も上がって来てくれ。」
そう言って彼は女の子を抱えながら促す。
「ウッ!」
足が攣った。運動に適していない服で、準備運動も無しに飛び込んだのが祟ったのだろう。
『ヤバ、声が……』
救助に力を使い果たして声を出す力も残った腕と足で這い上がるだけの力も無い。
『殺し屋が人助けして、挙句自分が死ぬとか……。何の冗談かしら?』
力を失い、海面に引き込まれそうになりながら、そんな事を考えていた。
ガッ!
水面に浮いていた手を、もの凄い力で掴まれた。
そのまま救命ボートに引きずり込まれていく。
「ハァ!ハァ、ハァ!大丈夫?お姉さん!?」
学生服の少年が私を引っ張っていた。
「あ、あ、ありが、とう。」
「おぉ、大丈夫か!ナァ。すまないお嬢さん。そして有り難う少年。お陰で誰も死なずに死んだ!」
金髪の男はそう言ってこちらに駆け寄ってきた。
「おぉおぉぉぉおぉ!!」
拍手と歓声がボートのあちこちから聞こえる。
「良くやったぞ金髪の!」
「学生さん!お手柄だ。」
「お嬢さん、有難う!」
三人の殺し屋。それが今、あろうことか人々から喝采を浴びていた。
しかも、『人助けをして。』である。
「ナァ、ハハハ。人助け。か。悪くないな。ナァ。」
「ヘェ、こういうのもアリかな?」
「ゼぇ、ゲホ、ゲホ!次は人を助ける仕事にしようかな?」
ここに、三人の殺し屋は依頼を失敗し、三人の殺し屋は死に、三人の英雄が生まれた。
翌日の朝刊の見出しは各社以下のようなものだった。
「豪華客船 沈没す」
「三人の勇者 お手柄」
「アルバート議員主催のパーティー 炎上」
「乱心した議員の本性」
「アルバート氏 子ども見殺しにする」
その日のSNSにて
「船上の三人 ナイス!」
「こういう事できるってカッコいいよね。」
「明るい話題。しかして暗い話題も一緒」
「あの議員。確か自己犠牲とか言ってなかった?」
「全ての人を死なすために私は頑張っていきますww」
「あんなのが議員やってんの!?」
「命捧げますwwwww」
「もう、アイツオワコンじゃね?」
その後、前二件を含めた不祥事にてアルバート=ハートが失脚したことは言うまでも無い。
警察からは献金についての取り調べを受け、市民からは信頼を失い、後援会の後ろ盾も失い、彼にはもう、返上する汚名さえなくなった。
彼は結局、生物としての命を長らえこそした。が、『政治家としての生命』『社会的生き物としての生命』の二つを失って死んだ。
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