きつね、本を買いに街へ出る

キム

きつね、本を買いに街へ出る

 本山らのは、都会の賑わいが届かない山奥の一軒家に、父と母と三人で暮らしていた。

「ちょっと、らのちゃん! 街に行くならちゃんと耳と尻尾を隠してから行くんですよ!」

「わかってます、母様! それでは、行って参ります!」

(耳を隠して、尻尾はスカートの中に……よしっ! これで大丈夫!)

 頭を触って耳がないことを確認し、背中の方へと目をやって尻尾がしっかりと隠れていることを確認すると、眼鏡の位置を整えたらのは元気よく街へと駆けていった。


 子宝に恵まれない夫婦の元へと一匹の狐がやってきてから一年が経った。

 なんとその狐は人に化けることができたので、夫婦は彼女が狐であることを承知の上で自分たちの子供として育てた。子は「らの」と名付けられた。

 らのは本が大好きな狐だった。狐の頃から人が山奥に捨てた本を読んでいるうちに、活字が好きになったらしい。

 そんな彼女のために、両親はあまり多くはないが小遣いや本を与え、好きに本を読ませているのだった。


 らのが家を出てから一時間ほど駆けたり歩いたりを繰り返していると、ようやく街の風貌が見渡せるところまで来た。

「ようやく半分……街への道のりは遠いですが、これもいい運動ですので」

 そう言って自分を奮い立たせると、らのはそれからさらに一時間ほどかけて、街に向かって歩いて行った。


 街へとやってきたらのは、目に映る立派な建物には目もくれずに目的の書店へと向かった。

 今日は大好きな作家の新刊が発売される日。この日のためにらのは、両親から貰っていたお小遣いをコツコツと貯めてきたのだ。他のお店に入って使うお金などは持ち合わせていない。


 ようやく書店にたどり着き店内に入ると、心地の良い冷房が効いていた。

 大胆に露出された彼女の胸元や肩周り、そして太ももを、機械的な風が撫でていく。

(はわ〜、生き返ります〜)

 途中休憩を挟みながらとはいえ、都合二時間は歩いていたのだ。人である彼女の体もそれなりに火照ってしまっていた。

(さて、のんびりと涼んでいる時間すら惜しいです。早く本を買ってお家に帰りましょう)

 らのは両親が手作りしてくれた巾着を握りしめて、新刊が並ぶ棚へと向かった。

 新刊コーナーで目的の本を見つけたらのは、思わずその場でにやにやとした。

(ああ、待ち遠しかった。やっとお目にかかることができた。すぐに買って読んであげますからね……!)

 手に取った本に心の中で語りかけ、レジへと向かおうとした時だった。

「……?」

 歳は十歳くらいだろうか。らのの隣に立っていた男の子が、思いつめた表情で新刊が並ぶ棚を見つめていた。

(どうしたのでしょうか……買いたい本が置いてなかったのかな)

 そんな男の子の姿を横目に見ながら新刊コーナーから立ち去ったらのは、レジに並びながらもその様子から目が離せずにいた。

 そして男の子が本棚へと手を伸ばし、本を一冊手に取った。

 ――そのとき。


「あっ……!」


 男の子は辺りに誰もいないことを確認すると、本を服の中へと隠した。

「すみません、列抜けるのでどうぞ」

 後ろに並んでいた人へと順番を譲り、らのはレジ待ちの列から抜けると、早足で男の子に近づいた。


 本を服の中に抱えたまま店の入り口へと向かう男の子を、らのはなるべく驚かさないようにそっと肩を掴んで捕まえてた。

 それでも男の子は驚いてしまい、「ひうっ!」と小さく声を上げてしまう。

「ねえ、ボク。何かいけないことをしてないかな?」

 らのは男の子に優しく話しかけた。

 万引きは、もちろん犯罪である。しかしこんなに幼い子をいきなり警察や店員に突き出すのも気が引けてしまった。何よりも、「本好きに悪い人はいない」と言って本を買い与えてくれる両親を、らのは信じたかった。

「ちょっとこっちに来てもらえる?」

 そうしてらのは男の子の肩を抱いたまま、人気ひとけのない本棚の方へと連れて行った。


「とりあえず、そのお腹に隠している本を出そうか」

 辺りに誰もいないことを確認してからなるべく穏やかに言ったつもりだったが、男の子は今にも泣き出しそうな表情で、涙をこらえながらこくんと頷いた。

 それからTシャツを捲り、隠していた本を取り出す。偶然にもそれは、だった。

「あ、あの……ごめっ、ごめんな、さ……っ」

 盗もうとした本をらのへと差し出すと、男の子はついに泣き出してしまった。

「謝るってことは、自分が悪いことをしたってわかってるんだね?」

「んぐっ……う、うん……あの、ごめんなさい」

 なおも謝り続ける男の子と目線の高さを合わせるため、らのは膝を折ってしゃがむ。

「あのね、お姉ちゃんは警察やお店の人じゃないから、ボクを捕まえるとかっていうのはしないよ」

 らのがそう言うと、男の子はようやくらのと目を合わせた。

 そしてらのはその目をしっかりと捕まえて、「でもね」と言葉を続ける。

「本を盗むということを、お姉ちゃんは見過ごせないな。ねえ、どうして本を盗もうとしたの?」

 らのは男の子に優しく問いかける。

「んとね……本がね、欲しかったんです。でもね、お小遣いが足りなくてね……それで」

「それで、お金を払わずに持って帰っちゃおうとしたんだ」

「……ごめんなさい」

 男の子は重ね重ね、らのに謝り続けた。

「そっか。ボクは本が好きなんだね。でも、謝るのはお姉ちゃんにじゃないよ。お店の人や本を書いてる人にはもちろんだけど、本を作ったり運んだりしてくれてる人にも謝らなくちゃいけないの。なんでだかわかる?」

「……?」

「一冊の本がお店に並ぶっていうのはね、たくさんの人が一生懸命働いてくれてるからなんだよ。そういう人たちがいてくれて初めて、私たちは本を手に取って読むことができるの。だから本を盗むっていうことは、私たちが本を読めるように頑張ってくれた人たちの気持ちを奪っちゃう、いけないことなの」

 理屈ではなく感情に訴えかけるように諭す。きっと心がまだ成熟しきっていない子にはその方が良いだろう。らのはそう考えた。

「わかったら、もう本を盗んだりしちゃ駄目だよ?」

「はい……わかりました」

 男の子もようやく泣き止み、落ち着きを見せた。

「それじゃあ、本を戻しに行こうか」

 らのは男の子の手を引き、本を戻すために新刊コーナーへと戻った。


 男の子が本をしっかりと棚に戻すのを確認すると、らのはもう一度男の子に注意をする。

「いい? お金がないからって、盗むのはいけないことだからね?」

 男の子は頷いたが、それでもやはり本を欲しそうに見つめている。

「…………ねえ、ちょっとお店の外で待っててもらっていいかな?」

「……? はい、わかりました」

 男の子が店の外へと出て行く姿を見てから、らのは自分が持っていた本を抱えてレジへと向かった。


 しばらくして、本を買い終えたらのが書店から出てきた。

「お待たせしました」

 男の子がちゃんとお店の外で待っていてくれたことに安心する。

「本を買ってきました」

 ガサガサと袋から取り出したのは、らのが今日という日を待ち遠しく感じるくらい楽しみにしていた本。


 そしてそれは、


「これを、あなたにあげます」

 らのはその本を男の子に渡す。

 男の子は何を言われているのかわからないといった様子で、渡された本を受け取った。

「え、でもボク、お金持ってないし……」

「お金はいりません。そのかわり、二度と物を盗むなんて馬鹿な真似はしないこと。本を大切にすること」

 らのは指を折りながら、真剣な顔で男の子にお願いをする。

「それと、もしまたお姉ちゃんと会うことがあったら、その本の感想を聞かせてください」

 そして最後に優しく微笑みながら言うと、男の子は自身が行った過ちを悔いて、それでも優しく接してくれるらのに心を打たれて、感極まって涙が溢れ出てきた。

「……っ!」

 男の子はらののお腹へと顔をうずめると、声を殺して泣いた。

「こーらっ、泣くな男の子!」

 それからしばらくの間、らのは目の前の小さな頭と背中をゆっくりと撫でてあげた。


 男の子が泣き止む頃には陽が沈み始めていた。らのはこれからまた二時間かけて家に帰るため、そろそろ街を出なければならない。

「それでは、またお会いすることがあったら、いっぱいお話ししましょうね」

 そんな約束とも言えないような約束をして歩き出そうとしたが、らのは男の子に呼び止められてしまう。

「あのっ! お姉ちゃん、お名前はなんていうの……?」


「――らの、と。本山らのと申します」


 山奥でひっそりと生活をするらのにとって、両親から与えられた名を誰かに名乗ったのは初めてのことだった。

 初めての、人間の友達。

 初めての、本読み仲間。

 らのにとって、彼はもうそこら辺にいるよようなただの男の子ではなかった。

「らの、お姉ちゃん……らのお姉ちゃん。うんっ、らのお姉ちゃん! 今日はありがとう! 今度会ったら、本のお話をいっぱいしようね!」

「はい! ではでは、さよならの〜!」

 そうして別れの挨拶を交わし、二人は自分の家に向かって歩いて行った。


 陽もすっかり落ちてしまった帰り道。らのは今日一日の出来事について思い返していた。

「あーあ、せっかく街まで下りたのに本を買えなかったのは残念でした」

 もともと一冊分を買うのがやっとのお金しか持ち合わせていなかったため、男の子に本を買うと自分の本は買えなかった。

「まあでも、悪い気分ではないですねっ」

 それでも、一人の男の子が踏みはずそうとした道を正してあげたことに、らのは後悔していなかった。

「しばらくは家にある本を読むことにしましょう」

 そう呟いたらのは家に着くと、隠していた耳と尻尾をぽんっと出してから、ガラガラガラッと引き戸を開けた。

「父様っ! 母様っ! ただ今帰りました!」

 元気よく挨拶すると、夕飯の支度を終えた母が姿を見せる。

「おかえりなさい。あら、らのちゃん。本を買いに行ったんじゃなかったの?」

「ええ、そうだったんですけど少し事情がありまして……聞いてください、母様! 今日ですね――」


 その晩、らのは父と母に今日一日の出来事を楽しそうに話した。

 買いたかった一冊の本よりも、大切な、大切な、一日の思い出を。

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