インターミッション2 惑星アフロディーテの憂鬱 その3

「大丈夫ですか?」 

 涼井が声をかけると手元の小さな光で照らされたオリビアはぴくりと動いた。

 

「失礼……」

 肩のあたりに触れると、どうやら息はしているようだった。

 

「何かあったのか?」

 男の声がした。

 逆行でよく見えないが、カフェテリアのほうから長身の人物がやってくる。

 手元の端末のライトをつけていた。


「ホテル従業員の女性が倒れているようです」

「呼吸はしているかね? 脈は確かめたか?」

  

 男が言う。

「ふむ……もう一度見てみましょうか」


 あらためて手首の脈をとる。

 医療従事者ではないのでよくわからないが、定期的にぴくぴくと動いている。

 肩も上下し息はしているようだった。


「従業員のネームプレートの裏に血液型など書いているはずだ、見たか?」

「ネームプレートに?」

 

 涼井は眉をひそめたが、オリビアのネームプレートを取り外し、裏側をみた。

 何も書いてはいなかった。


「何も書いていないが……」

 その時、ふたたび灯りがついた。

 東側のカフェテリアからぞろぞろと人が出てきて照明を見上げている。


 声をかけてきた男はいなかった。別の従業員を探しにいったのだろうか。


「提督! ご無事で?」

 陸戦隊の曹長が使用人通用口から出てきた。


「あぁ……ただ女性が倒れている。長身の男と出会わなかったか?」

「え? いや見ていませんね……あ、いまの照明は部下がつけたはずですぜ」

「ふむ……?」


「うぅー……ん」

 オリビアが眉をしかめ、目をあけていた。


「曹長、何か脳の病気だといけないので医者を呼べるか?」

「衛生班に連絡してみやす」


 曹長がテキパキと指示を出す。


「大丈夫ですか?」

 涼井が話しかけるとオリヴィアが頷いた。


「すみません……倒れていたようですね」

「何があったのですか?」

「それが……」

 オリビアがうつむく。


「何か幻覚でも見たのかもしれない……と思うのですが、ここに飾られていた絵が……突如として年をとり老婆となり……その老婆は、どんなに私が逃げようとしてもにらみつけてくるのです」

「絵画が?」

 

 涼井は眉をひそめた。

「まさか……」


 涼井はぎょっとした。

 冷たい目をした老婆と目があったのだ。

 

 その絵画は相変わらずカウンターの背後の壁に埋め込まれていた。

 構図もほとんど同じだ。

 しかし年齢不詳だった彼女にはいつのまにか皺が刻まれ、髪は白くなり、そして微笑んでいた顔は恨みがましい表情に変化し、そしてその冷たい視線がこちらを見つめていた。まさしく絵画が老婆となっていたのだ。


「うわっ!」

「ひっ!」


 カフェテリアから出てきた客が異様な絵画の変貌に気付き声をあげる。


「曹長、とにかくこの絵画を覆い隠し、規制線を張ってくれないか」

「わかりやした……それにしても不気味な絵ですな」

 曹長もどことなく落ち着かなさそうだった。


「衛生班はどうかな?」

「連絡しやしたが……いま季節外れの豪雨のせいか、このホテルへの道の途中で土砂崩れがいくつか起きているようで……」

「土砂崩れ?」


 そういえば先ほどから窓を叩く雨の音が断続的に鳴り響いていた。

「近隣部隊の地上車両ではこのホテルに接近できなくなっているのと、土砂崩れに巻き込まれた人がいるようで、その捜索で手一杯だそうで……海軍か宇宙軍にも要請してみやす」


 惑星アフロディーテは休養のためのリゾート惑星だ。 

 そのため宇宙艦隊が常駐しているわけでもなく、駐屯している兵士もどちらかというと定年直前だったりと、他の惑星よりは手薄だ。


 とにもかくも宇宙港にいる医療チームの手があけば短艇で向かうという話になった。その間、オリビアは上着で作った担架で空いていた客室に運び込んだ。

 その間に絵画の周辺には規制線を張り、近寄りづらいようにした。

 ホテルの客たちはその老婆に変貌した絵画をながめながらひそひそと小声で話をしている。


 何だかんだと21時近くなってしまったが、涼井は食事をとっていなかったのでカフェテリアに頼んでサンドイッチを用意してもらった。サンドイッチの入った包みを持って部屋に帰る途中にまたしても停電だ。


「やれやれ……」

 涼井は手元の端末のライトをつける。


 その時、今度は男の声でヒャァー!というような悲鳴が聞こえた。

「どうしました?」

 

 涼井は声をかけながらライトでそちらのほうを照らした。

 昼間に込み入った話をしている時、そして部屋を出た見かけた白髪の男が腰を抜かしたような姿勢で尻もちをついている。


「どうしたんですか?」

 涼井はゆっくりと近寄った。 

 男の顔は恐怖で青ざめている。


「あの絵……生きているぞ!」

「生きている?」

 涼井はゆっくりと男に近づいた。

 男は涼井にしがみついてきた。


「生きているとはどういうことですか?」

「あの絵……私が……私がどんなに移動しても視線を向けてくるんだ。あの絵は……」

「そんなバカな……何はともあれ、歩けますか? お送りしますよ」

「す、すまない……」


 涼井は男に肩を貸し暗闇の中を歩き始めた。

 階段を上り、3階に向かう。男の部屋はもう少し先だ。


 まだ停電したままで、かつ雨が窓を叩いている様子は変わっていない。

 非常に暗かった。このホテルはレトロを売りにしているだけに照明がなくなると真っ暗になる。涼井が使っている手元の端末のライトもあくまで手元を照らすためのものであって、光は弱弱しかった。


 その時、何者かの気配を背後に感じた。 

 男に肩を貸しているためうまく振り向けない。


 気のせいかと思って涼井は自分の部屋を通り過ぎて男の部屋に向かう。

 しかし、背後からどうも何かが近づいてくる気配がする。


 足音のようなものがするのだ。

「どなたですか?」

 涼井は何とか体勢を変えて振り向きライトを向けた。しかし誰もいない。

 明らかに足音らしきものがしたにも関わらず。


「こっこれは何かね!」

 男が怯えた声を出した。


「いや何か雨のせいでしょう」

「ま、まさか……」

「まさか?」


 涼井は男の顔を見た。

 手元のライトで間接的に照らされた男の顔は蒼白だった。


「……誰かいると思いましたが、いないようです。部屋までお送りします」


 涼井が歩くと、明らかに背後でまた足音のようなものがする。

 偶然でも雨音でもなさそうだった。

 しかしいまは確かめるすべがない。


 涼井は男を部屋に送り届けた。

 しかし彼の怯え方が尋常ではないので、部屋の非常灯をつけ、ダイニングに座らせると彼の話を聞くことにした。彼の話はこのホテルにまつわる意外な内容だった。

 



 

 


 


 

 

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