インターミッション2 惑星アフロディーテの憂鬱 その4

 白髪の男はエヴァンズと言った。

 陸軍の軍人としてつとめあげた退役少将で、主に装備開発や調達畑で仕事をしてきた男だった。


「このグランドシーホテルはもともとは亡命してきた帝国貴族の館だったんだ……」

 彼はうつむいて話し始めた。

 当時、惑星アフロディーテはすでにリゾート惑星として開発されつつあったが、政治的な亡命者などが土地を購入して家をたてる貴族たちが集まる惑星でもあったそうだ。


 そんな中、帝国貴族のランサローテ子爵がこの小高い山の上にある土地を買い、この瀟洒な館を建てたのだった。その時このエヴァンズはまだ若い陸軍将校で少尉に任官したばかりだったそうだ。


 亡命者の中でも重要な情報を提供した者には保護プログラムが適用される。

 とくにランサローテ子爵は、六大選帝公のヴァッレ・ダオスタの参謀部につとめていたため、かなり重要な情報を共和国にもたらしたらしい。


 ランサローテ子爵は30代で、亡命途中に他の家族とはぐれ当時、帝国で画家を目指そうと美術系の帝国の高等学校に入ろうとしていた1人娘のロッテだけを連れてこの地に逃げてきたのだった。やがて合流するかもしれない妻と息子のために財産を使ってこの館を建てた。

 エヴァンズは当時その保護プログラムの一環で子爵の警護についていたのだった。


 1人娘のロッテがやがて成長し19歳となったとき、そしてエヴァンズが大尉に任官しこの地を離れようという時、事件が起こった。ランサローテ子爵襲撃事件である。


「……わ、私は……その事件が起きたときロッテと一緒にいたんだ……」

 

 涼井は黙って彼の話を聞いていた。

 あふれでる後悔。エヴァンズはこの地を離れる時、ロッテと一緒にいたという。そこには何らかの抒情的な話があったのだろうが、責任者不在で部下たちも気が緩んでいたのだろうか。襲撃者たちは館に侵入し、ランサローテ子爵の暗殺に成功した。


 子爵は拳銃で頭部を撃ち抜かれ正面入り口の前で死んでいた。

 このことは事件になりエヴァンズも責められることとなった。彼自身が事件を起こしたわけではなかったので軍法会議にかけられることはなかったが、失意のうちに後方部隊を転々とすることになった。


「ふむ……」

 涼井は眼鏡を知らず知らずのうちに触った。

 その後ランサローテ館は、共和国の資産家に売られホテルとして開業することとなった。あの絵画はランサローテ子爵の娘、ロッテを描いたものだったらしい。


 しかしそのロッテも40代半ばのころに襲撃され死んだという話だった。

 エヴァンズはそこまで話すと頭を抱え無言になった。

 涼井はそっと彼の部屋から出た。


 廊下を歩くうち、涼井は今日あったことを思い出していた。

 

 突然の停電。

 倒れたオリビア。

 老婆に変貌する絵画。

 謎の足音。


「できすぎではないか?」

 涼井はある思いを秘めて階下に向かった。

 そしてあることを確認した。

「……話をしないといけないな……1on1でね」

 何かが起きたとき、1対1で話して問題の解決を図る。地球の管理職としての考え方だった。


 カウンターで倒れていたオリビアはかなり回復したとのことで、使用人のための仮眠室に移っていた。特に何か体調に変化はないとのことだったが、数時間後に医療チームが宇宙軍の短艇に乗ってこのホテル付近に降下、やってくるという手はずになっていた。


「……体調は大丈夫ですか?」

「えぇ……」

 オリビアは使用人室のチェアに座っていた。

 姿勢を正し微笑を浮かべている。


「……このホテルでこれ以上の事件が起こらない前提ですが……」

 涼井は彼女の目を見つめた。

 顔は笑っていたが、目からわずかな怒りが見てとれた。


「これ以上の事件が起こらない前提ですが、私のとある話を聞いていただけますか?」

「……伺いましょう」


 何の話か、とも聞かれなかった。

 涼井は視線を使用人室にかかげられたデジタル絵画のほうに向けた。

 デジタル絵画は壁全体をデジタル処理された部屋でよく使われるのだが、数時間おきに壁の絵画を変更する、地球のパソコンでいうところの壁紙のようなものだった。


 この世界ではこうした映像表示素材は安価なので、本物の絵画よりもはるかに安くそれっぽい雰囲気を作ることができる。


「……最初はただのいたずらだと思いましたがね……」


 涼井はそのデジタル絵画を見つめた。

 やわらかな筆致で絵が描かれた花壇だ。美しい色彩。しかしこれはデジタルで彩色されデジタルで配信される絵画で凹凸は一切ない。


「こちらが移動しても視線を送り続けてくる絵画。この世界の人々・・・・・には理解不能でしょう。そもそも絵画とはこうして凹凸がないものなのですから」

「……」

 オリビアは黙って聞いていた。


「しかし移動しても視線を送ってくる絵画はいわゆるシャドウボックスといわれる技法です。目の部分に微妙な凸面を作ることで目だけが追いかけてきます。絵画や騙し絵が好きな人なら誰でも知っていることです」


 オリビアの表情がわずかに動いた。

「絵が一瞬で切り替わった。あなたはそういった。しかし本当にそうでしょうか。絵が切り替わったのを見ていたのは貴方だけ・・・・ですから」

 オリビアはうつむいた。

 

「これはあくまで想像ですが、真相はこうではありませんか?」

 

 オリビアはホテルのマネージャーだ。ひょっとすると協力者も1人はいた。

 このホテルは自然光を模した照明もなく、外が真っ暗でありさえすれば、レトロな照明を落とすと本当に真っ暗になる。

 

 タイミングを見計らって全館の照明を着る。そしてオリビアは悲鳴をあげ倒れた。

 しかしその時は絵はまだ切り替わっていない。そのままロッテを描いた絵のままだったはずだ。涼井がふらふらこの時間にうろついていたのは計算外だったのだろう。本当に見せたかった人物は別なのではないか。


 そして倒れた彼女に涼井がかけよる。

 明らかに不自然な問答があったのを覚えている。ネームプレートの血液型まで指示して時間稼ぎをしていた人物がいた。


 その間に絵を入れ替えたのだ。


「……絵は硬質ガラスのカバーで保護されています。あの短時間でカバーを外して絵を入れ替えるなんてできるかしら?」オリビアが反問する。

 オリビアの表情は凄絶だった。

 そして挑戦的でもあった。


「もちろん可能です。裏側から入れ替えたのですから」

「……!」


 涼井はさきほど確かめてきた。


 あのカウンターの裏側は使用人たちのスペースとなっていた、曹長たちが泊まっていた使用人室をはじめ、ちょっとした休憩所、食堂まである。もともとは貴族の館だったので、主人や客人が使うスペースと、それとは別に使用人たちの生活スペースが作られており、ホテルスタッフは主に後者を利用するのだ。


 そして絵画の裏にはちょうど倉庫があり、実はそこから絵画を外したりすることが可能になっていた。


「そして私がエヴァンズを運んだ時……背後からの足音。あれもまぁアナログなスピーカーか何かでしょう。あの時、私がいたのは本当に偶然だった。しかしその人物はエヴァンズを狙い撃ちにしたのです」

「……その人物とは?」オリビアが嘲笑を浮かべた。


 涼井はオリビアの目をまっすぐ見た。

「貴方は……ランサローテ子爵の娘、ロッテ……シャルロッテのご親族ではありませんか?」


 オリビアが動揺した。

「……これらの仕掛けはアナログです。アナログなだけにこの世界の人間・・・・・・・にはわからない。しかしあの絵を描いたのは……絵画を学んでいたというシャルロッテ女史本人ではないかと。その絵は二枚。そしてランサローテ子爵の襲撃事件。エヴァンズは怠慢によって子爵襲撃を許した。そのエヴァンズに当時を思い出させ恐怖を味わわせる……そして……」


「……負けたわ」

 オリビアが両手をあげた。


「その通りよ。……ただいくつか間違っているわね。1つは老婆になったシャルロッテを描いたのは私。これでも考古学を学んでいるのよ。古い時代の絵具の研究もしているわ」

「なるほど」

「そしてもう1つ……エヴァンズはちょっとした怠慢でランサローテ子爵殺害を招いた。でもたったそれだけ・・・・・・・の責任であそこまで怯えるかしら?」

「……というと?」

「ヴァッレ・ダオスタ公爵の情報を共和国にもたらしたランサローテ子爵を襲撃したのは帝国から潜入した暗殺者。だけどそんなに都合よく警備の担当者がいない時期を狙えるものかしら?」

「……エヴァンズが情報を売った?」

「そうね、少なくともシャルロッテ……祖母はそう解釈していたわ。あの夜、エヴァンズは任地を離れると言ってシャルロッテを連れ出した。長年世話になったシャルロッテも応じた。雰囲気のあるバー、楽しい時間……しかしそれはおぞましい裏切りの産物だったのよ」

「なぜそれを?」

「すべては日記に残されていた。そしてあの絵の件を仕掛けた時、あのエヴァンズの怯えた様子をみて確信したわ。……私ともう1人の協力者によってね」

「……協力者とは?」

「貴方がつれてきた曹長よ」

「……」


「やれやれ全部ばれてしまったんですな」

 曹長が頭をかきかき使用人室に入ってきた。


「オリビアと自分は遠縁でしてね……まシャルロッテも襲撃で死んだというのは都市伝説で天寿をまっとうしていやす。自分はシャルロッテの娘の旦那というわけでさ」

「そうか……」

「ことが元帥閣下にバレちまった以上、これ以上は何をするつもりもありやせん……素直に軍法会議でも何でも受けやす」

「リーガンさん……いや、これはすべて私が」

「いやいや元帥閣下、計画したのは自分でさ。……しかし閣下をお連れしたことによってすべて露見するとは思いやせんでした」


 道理で重要なタイミングで曹長の姿が見えないわけだ。

「あの男が全てをむちゃくちゃにしたのよ……シャルロッテは絵画の道を閉ざされこの館を失い……そしてランサローテ子爵の命を失った……私たちシャルロッテの血族は復讐する義務が……」

「お嬢、ここまでにしときやしょう……」曹長がたしなめた。


 涼井はため息をついた。


「……これは私の想像にすぎない話だよ。エヴァンズは深くショックを受けていた。これ以上何もしないというならば、私の戯言さ」

「……閣下……」

「とにかく私は倒れたホテルのマネージャーの様子を見に来ただけだ。邪魔したな」


 涼井は立ち上がった。

「あ、そうそう……このグランドシーホテルは……事件現場でもあったが、良いホテルだ。また使わせてほしい」

「……わかりました、お待ちしています」オリビアはホテルのマネージャーの顔に戻り深々と頭を下げた。


――数日後、涼井は崖下のプライベートビーチのビーチチェアにねそべり、ぼんやりと海を眺めていた。銀色の光がきらきらと波間に反射してきらめく。


 特に今回の件は報告することもなく、絵画もいつのまにか元のシャルロッテの肖像画に戻っていた。一種の怪談として今回の宿泊客の間では盛り上がっている。


 しかし……涼井にはひとつ気になっていることがあった。

 あずまやガゼボに座って本を読んでいた黒髪の少女。あの後どこをどう探してもこのホテルには宿泊していなかった。曹長に依頼してこのホテルに向かう小道を通った客の映像情報を精査させたがやはり10代の少女はいなかった。


 オリビアによると肖像画のシャルロッテは黒髪だ。

 彼女がちょうどこの惑星にやってきたとき10代の少女だったという。彼女が抱えていた天然素材の本は、絵画の技法に関する本ではなかっただろうか。


「まさかな……」

 涼井はサイドテーブルに置かれたカクテルを1口飲んだ。

 果実の甘さと酸味が蒸留酒をよく引き立てるカクテルだった。どことなく地球のシンガポールを代表するカクテル、シンガポールスリングに似ていた。


 そのカクテルには、後味にはどこかほんのりとした苦みが混じっていたのだった。




 

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