【登記簿】ヘルメス・トレーディング社登記

 ヘルメス・トレーディング社が中立惑星であるミードに登記されたのは丁度、共和国の大統領が交代した年だった。

 長年共和国を支えた大統領エドワルドは、時には強引な手を使い、リベラルな有権者には嫌われていた。一方で共和国の英雄スズハルをうまく支え、ついに帝国との間で平和条約であるリオハ条約を結ぶことができた点は評価されてもいた。


 新しい大統領はリベラルなオスカル。

 30代半ばと、涼井と近い年齢でありながら労働党の党首だった。

 彼は保守的な服装をしていたエドワルドと違い、カジュアルな服装で連日ニュースで情熱的に喋っていた。

 

 そのニュースが流れている中、惑星ミードには再び武装商船ドーントレーダーが現れた。もちろん武装商船ドーントレーダーは偽装船殻を装着した共和国の偵察艦なのだが、所属は偽装企業であったペルセウス・トレーディングではなく、ヘルメス・トレーディングとなっていた。


 武装商船ドーントレーダーからは中肉中背で姿勢の良い黒髪の中年男性と、同じく黒髪の何やら威厳のある少女、などがぞろぞろと降りてきた、と後に惑星ミードの宇宙港の職員は語ったという。


 その男性……涼井はヘルメス・トレーディング社の役員として中立惑星ミードにやってきていた。惑星ミードは一種の租税回避地タックス・ヘイブンだ。法人税は条件を満たせば10%。

 国際金融の惑星でもあり、開拓宙域だけではなく、共和国、帝国、ロストフ連邦などの様々な国の大使たちが行きかう中立惑星でもあった。


 そしてこの世界の銀河商事もこの惑星ミードが本社となっている。

 涼井はこの惑星にヘルメス・トレーディング社の登記にやってきたのだった。手続き上は、惑星ミードにヘルメス・トレーディング社を設立した段階ではまだペルセウス・トレーディングなどとの資本関係はないのだが、それは段階的に進めるつもりだった。


 ペルセウス・トレーディングの社長のグレッグは本格的に惑星ミードへの移住をすることとなり、グレッグがヘルメス・トレーディング社の代表として名前を連ねた。株式は実質的には宇宙軍がコントロールしているのでいわゆる雇われ社長の立場だ。


 惑星ミードは租税回避地でもあるし国際金融の街でもあるので、富裕層が済むエリアもあり高級な住宅街も広がっている。惑星ゼウスとほぼ同じサイズのミードは、実は若干恒星から遠いのだが、赤道付近の気候を巨大な人工雲によって調整していた。この、地上から見るとどこまでも続くように見える質量ともに巨大な雲と、その隙間から見える小さいが暖かな恒星の光は惑星ミードのの名物だった。

 

 共和国は中立惑星ミードには比較的冷淡であまり進出もしていなかったため、涼井は走り回って登記を進めた。もちろん富裕層の引っ越しや企業の移転など日常茶飯事ではあるが、資本金として使うために1億共和国ドルを現地で作った法人口座に一度移転させた時は、さすがに銀行職員が一瞬固まっていた。


 この資本金はもちろん工作費用として確保した宇宙軍の予算から出ているのだが、書類上はわからないように協力者や軍需企業などを経由していた。


 ヘルメス・トレーディング社はオフィス区画の丘の上にある、見晴らしは良く広いが、比較的低めの目立ちにくい位置にあるビルの最上階を全て借りた。屋上には最悪短艇が降りることができる。隣は自然公園だ。


 社員という名目にはなっているが、共和国の陸戦隊員や憲兵がそのあたりの地形に紛れて警戒することができるようになっている。

 オフィスのフロアの下の階も別の会社の名義で借りたが、こちらには数名の陸戦隊員が警戒のために出入りするだけでほぼ無人だ。


 まだ施工もされておらず、ばたばたと業者が出入りする中、会議室に椅子だけを運び込んだ。涼井はそこにいる面々を見回す。グレッグには悪いが席を外してもらった。


「さて、これからはどうするのかしら?」

 黒髪の威厳のある少女……帝国皇帝リリザは共和国風のスーツを身に着け髪の毛を黒に染めていた。


「なんだか新鮮で面白いな?」

 こちらは髪を金色に染めたミッテルライン公爵カルヴァドス。


「いや本当に帝国の大貴族の方々に何かあったらどうすれば良いのか……」

 汗をふきふき当惑しているのが開拓宙域深部の探査から戻ってきた憲兵隊のロブ中佐。


「最近、眼鏡のくぃっがないんですけどぉ……」こちらは副官のリリヤ。


 涼井はこのメンバーでヘルメス・トレーディング社を本格的に銀河商事に対抗していくつもりだった。

 

 帝国においてはトスカナ公爵が一時的に皇帝代理をつとめ、共和国では主席幕僚バークが宇宙艦隊司令長官の代理をつとめている。

 表向きは帝国と共和国はかなり大規模な親善訓練を行うと対外的に発表しており、数万隻の艦隊がアルテミス宙域で会合している。

 指揮しているのは共和国のロアルド提督と、帝国貴族のヴォベールという伯爵だ。

 そこに皇帝リリザと宇宙艦隊司令長官である涼井も出席しているという体裁で抜け出してきたのだ。


 こうして作ることができた期日は3週間。

 この世界では登記自体はすぐに行われるようなので、この期日を殆どこの偽装企業のために使うことができる。


 涼井は好奇心のこもった視線を向ける面々に構想を話し始めた。


 

 

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