第11話 甲斐

 帰路、甲斐に宿泊した折、建は独りごちた。


      新治 筑波を過ぎて

      幾夜か寝つる


 父に命じられた任務をようやくにして成し遂げ、あとは帰るのみであるのだが、建の足は重かった。それは単に連戦の疲れからのみくるものではなかった。それとはまた別のあるものがあった。倭へ帰ることへの恐れが、建のうちに芽生えていた。

 出雲よりの帰還のさいには、なお疑念に苛まれつつも、建の心ははやった。父王に対し、出雲建の伝えたことの真偽を質し、出雲建の認識が、誤解であることを確かめたかった。また、弟橘比売の健やかな姿を確かめたくもあった。

 心のどこかで、出雲建ほどの聡明な男が、父王の言葉を取り違えるはずはない、ということを分かっていながらも、なお一縷の望みに賭ける思いであったのだ。

 だが、淡い期待は帰国後すぐにして打ち砕かれた。建を見る父王の眼には、失望がありありと浮かんでいたからだ。そして、東征の命。

 東征の道は、西方のそれに比して、はるかに難儀なものであった。

 さほどの時が過ぎたわけでもないのに、建は幾十をも年を重ねたような気がしていた。

 ふと見ると、近くにかがり火を焚く一人の老人があった。土地の者で、建たち一行を迎え入れた老人だ。

 建が目を向けると、老人は微笑し、歌を返した。


    日日(かが)並べて

    夜には九夜(ここのよ) 日には十日を


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