我儘と確信をsonnig

 町を歩いてると、ナツメは手錠を掛けられた。警官は、太った、両耳たぶにほくろのある男だった。

「銃刀法違反で逮捕する」

「なんでだよ」

「その腰のものはなんだ」

「刀だけどさ、ダメならこの国に入る前にいってくれないかな。入国審査のときも俺これ腰につけてたし、これで捕まるんなら、その時にダメデスヨって言ってくれなかったあいつのせいだろ」

「法は法だ」

「やかましい」

 というわけだった。ナツメはすぐに留置施設に送られた。

 とても汚れて、もともとは白かったんだろうが、今では灰色になっている廊下だった。時折奥の方からがしゃがしゃという音が聞こえる。ふたりの歩く高い足音はとても響いた。

 ナツメの刀は没収された。前に歩く男に聞くと、地下の保管庫に入れられるらしい。ナツメはうつむきながらそれを聞いた。彼は今手錠を掛けられ、さらにその手錠は縄で、腰とつながれている。動かせるのは足だけだった。

 ナツメを案内したのは三十代の男だった。男は、手錠を掛けられたナツメをうしろに従え、とてもゆっくりした速度で歩いた。あまりにも遅かったので、ナツメはちょいちょい立ち止まらなくてはならなかった。

「俺はさあ」男が口を開いた。「毎朝、まだ誰も起きていない早朝街に出て、からすを打ち落とすことを趣味にしてるんだ。あいつら街にいっぱいいるからさ」

 ナツメは背中を丸めて、手錠をガチャガチャ鳴らしていた。目の下が痒かったから掻こうとしていたのだった。……けれど、どうしても顔に手が届かなかった。

「それとさあ、ここにいるやつら。ここから出たやつらや、牢獄に流されたやつら。そいつらの服脱がしてみな。全員あざだらけだから。誰がやったと思う?」

 男は立ち止まった。話を聞いていなかったナツメは、急に立ちどまったその男の背中に頭をぶつけた。

 驚いて、ナツメが顔をあげた瞬間、男はナツメのみぞおちに拳を入れようとした。ナツメは咄嗟に、少し体を伸ばしたあとこぶしを下にさげて、男の拳を手錠で上から叩いた。それによって方向を変えられた男の拳は、ナツメの硬い腹筋に当った。

 ナツメはそのまま少し屈んみ、その反動で飛び上がって、手首にスナップを利かせて、手の甲で男の顎を叩いた。

 ナツメが着地するのと同時に、男はくずおれた。

「何だ、急に?」

 ナツメは言って、倒れた男を見下ろした。


 数秒たってようやく、自分の失態に気づいた。これでは確実、銃刀法違反関係なしに牢獄行きである。ため息をつきつつも、ナツメはそつなく男の腰を器用に漁って、あるだけの鍵を自分の服の中に隠した。

 その後、足で男を揺さぶって起こそうとしているときに、ナツメは他の警官に見つかり、即留置され、そのまま息もつかせず有罪判決。懲役六年が言い渡された。牢獄へと送られるのだった。


 牢獄生活が始まって、ナツメはすぐに名をあげた。彼が送られたのは、弥哀やんい刑務所といって、人里離れた、広大に拡がる小麦畑の、そのまた先にあったが、そこにいる罪びとたちの中には、手の付けられないほど気性が荒い者も少なくなく、新入りの懲役囚は問答無用でそういう荒くれものに痛めつけられるのが決まりとなっている。けれども、ナツメはそんな彼らを逆に痛めつけたのだ。

 その度に喧嘩を起こした両方とも独房に入れられるのだが、あまりにナツメの噂が広まりすぎたせいで、出てきた途端に、話を聞いて気になった馬鹿な誰かが、あるいは神経がうずいて我慢できなくなった誰かが、ナツメに挑んだ。そしてそれに対してナツメも、独房に入れられるのを忘れた様子で、楽しそうに返り討ちにするので、いよいよ彼は独房では済まなくなり、ついには地下牢に入れられることになった。ここでは食事以外何も与えられない。一度ここに入れられたら、最低三週間はここに閉じ込められることになる。ナツメは、マジかー……、と言って、その後警官に舌をペロリと出してウインクしたが、許してはもらえなかった。


 地下牢には先客がいた。

「お前、いつから入ってるんだ?」

「うへへ」

 となりの住人は下品に笑った。部屋に入る前、扉の明かり窓から少し覗いたが、彼は顔の見えないほど髪の伸びた、がりがりに痩せた男だった。

「お前、いつから入ってるんだ?」

「うへへ」

「お前、いつから入ってるんだ?」

「うへへ」

「……」ナツメは黙り込んだ。すると、

「……三か月前」

 男は答えた。

「答えられんのかよ」

「えへへ、中で人殺してよ。やっちまったな、ふたつの意味で」

「馬鹿か?」

「後悔、後悔。えへへ」

 隣人はまったく悪びれる風なく言った。ナツメは会話を続けた。

「なあ、宇宙の外って、どうなってると思う?」

「別の宇宙があるんじゃねえか?」

「あははは」

 となりの彼はドフトエススキーと名乗った。とてもいいにくい名前で、本人すら教える際に二回噛んだほどだった。ナツメは自分の名を「マッティア・コスタ・ナツメだ」とはきはきと噛まずに言った。ふたりは壁をはさんで会話した。そして沈黙した。二時間ほど経って、ナツメの腹が鳴りだすと同時に、昼食がやってきた。


 扉の下方中央にある、猫用みたいな小さな扉からトレイが入ってきた。ナツメがそれを受け取ると、外から男の悲鳴が聞こえてきた。ギヤアアア、といった風だ。

「指が……! 指があ!」

 扉の外はてんやわんやとなった。ドフトが何かしたのだ。ドフトの部屋が開けられ、中に看守が入ると、彼はドフトを何かの棒で、叱った。ナツメが食事を終えるくらいに、お叱りも終わった。

「痛え。血の味がするぜ」

 ドフトは明らかに滑舌を失っていた。

「食事は?」

 ナツメが聞く。

「持ってかれた」

「何がしたいんだ」

「……分からない」

 ナツメは毎日、ちゃんと与えられた分食事をして、残りの時間は瞑想か筋トレなどをしていた。が、ドフトに至っては、たまたま寝ているときに食事が与えられればいいが、そうでないときは必ず伸びてきた手にちょっかいをかけようとした。そして、彼に捕まえられないように必死に逃げた手を見て、げらげら笑うのだった。


 二週間経った頃、ナツメは品行方正に免じて、地下から出してもらえることになった。


 休憩時間、中庭でナツメがベンチに座って日光浴をしていると、白い髭を鼻の下に薄くつけた、筋肉隆々の屈強なお爺さんがとなりに座った。

「若いの、あんた旅人じゃろ」

「はい! 自分! ナツメといいます」

「あふぉふぉ」と老人は笑った。「わしはチロルじゃ」

 ナツメの差し出した手にチロルも応じた。握手を済まして、ナツメが口を開いた。

「で、どうしたんだ、爺さん。俺に何か用か?」

「外に出たいとは思わんか?」

「出たい出たい。六年なんすよ」

「……まだ小学生なのか」

「あ、いや、懲役が六年っす」ナツメは両手の人差指をチロルに向けた。「今めっちゃ恥ずかしい間違いした?」

「年の功で教えておくが、人を指ささん方が良い」

「はい」ナツメは指を丸める。「どうやって出るんですか?」

 チロルはナツメに説明した。それはナツメの多大な協力を必要とする話だった。

「それってさ、俺を生贄にしてあんただけ逃げることできるよな」

 ナツメが言うと、チロルはポケットから、くるぶしくらいの大きさの銀色の玉と、ボタンのひとつついたリモコンを出した。

「なんだこれ?」

 ナツメが言うと、チロルはリモコンのボタンを押した。すると、銀色の玉の全方向から、無数の針が突き出た。数秒経つと針はおさまった。ナツメも押してみた。するとまた針がでた。

「これをどうするんだ?」

 ナツメが聞くと、チロルはそれをつまんで、口にふくんだ。そして飲み込んだ。

「……大丈夫か?」

 ナツメが聞いた。

 チロルの顔はみるみる青ざめていった。彼は指を口の中につっこみ、中で押し込もうとしているようだった。段々と体が痙攣するようになってきて、心配になったナツメが慌てて背中をたたいてやると、チロルは玉を吐きだした。ぜいぜい息をして、落ち着くとまた玉をつまんで飲み込もうとした。

「おいおいおいおい、もういいよ爺さん。俺が飲み込ましてあげるから」

 チロルは涙目になって首を横に振った。

「油取ってきてやるな」

 ナツメが言うと、チロルは嫌がるように首を振り続けた。けれどもナツメは気にせずに、油を取りに走った。

 油を纏わせて、ようやく玉を飲み込ませた。チロルは飲み込み終わった後、何度も何度も嗚咽して、吐きだしそうになったが、ナツメが、「吐きだしちゃうと、また飲み込まないといけなくなるから頑張れ、頑張って耐えろ!」と励ますので、吐きだすことはしなかった。


 次の日の休憩中、ナツメはバリボンを挑発するような目付きで眺め、かかってきたバリボンを滅多打ちにした。一発で地下牢行きになった。

 看守に連れられて階段をおり、牢までの廊下を歩いた。そして、監視カメラの真下、死角になる空間に来たとき、ナツメは看守の警棒を奪って、看守を壁に押さえつけ、口の中に警棒をつっこんだ。

「おい、房の鍵はどこにある?」

「あひゃおひょひょえをほ」

「あ?」ナツメは看守を睨む。「何言ってんだよ? ちゃんと喋れ」

 看守は必死に口にささった警棒を指さして言った。「をえひゃひゃええあひ」

「ああ、そうか」ナツメは警棒を抜く。「房の鍵は?」

「こ、ここまでくる間に監視室があっただろ。そ、そこだよ」

 ナツメは警棒を振って、看守の顎をうち眠らせた。そして彼の腰についた鍵をとった。ナツメを入れる部屋の鍵一つしかなかった。ドフトの分も必要なのだ。

 看守から帽子と上着を乱暴にぎ取ると、監視カメラを一瞥して、気合を入れるとスムーズに走り出した。監視室は階段の上、廊下に向かって全面ガラス張り。その中は机やパソコン、テレビ画面、他大量の書類で散らかっている。

 監視室に辿りつくと、ナツメと看守の見えなくなった監視画面を不思議そうに見つめる監視員がいた。ナツメは棚に下半身がかくれるように立ち、横顔だけを見せてガラス扉を叩いた。

 違和感をおぼえていた監視員はすぐに飛んできた。そして扉を開けるやいなや、ナツメに気絶させられた。


 ナツメは鍵をとって、地下牢までおりていった。明かり窓からのぞくと、ドフトは隅っこで眠りこけていた。ドアを開けてドフトのところまでいくと、蹴って起こしてやった。ドフトは目を覚ますと、おっ、来たか、と言ってずんずん歩いていった。彼も作戦をチロルから聞かされていたみたいだった。

 この後の流れは、混乱に乗じてチロルが通気口を通って囚人の食事を作る調理場に降り、そこから看守役人用の廊下を渡って表の出入り口から外へ出る。ナツメとドフトはその間、暴れて出来るだけ混乱を大きくし、表の方ではない、裏側にあるかくし扉をチロルが開けるまで待って、開き次第そこから逃げる、というのである。


 ドフトは先に行ってしまった。恐らく暴れたいだけ暴れだすだろう。ナツメは、自分も上へ行こうと歩いたが、その道中、廊下にアンクレットが落ちてるのを見つけた。彼はそれをポケットに入れ、階段をのぼり地上に出た。


 作戦は上手くいき、ナツメたちは外に出た。ナツメはボタンをチロルに返した。三人は近くの酒場にむかい、そこに停まってる車をそれぞれ奪って別々に分かれるのだった。


 ナツメは刀を失ってしまった。今までの旅で一番の損失だ。これまであの愛刀だけは手放すことがなかったのである。

 失意の中、彼はダサい車を運転した。夕焼けに赤く染まった小麦畑を、長々と走った。


 空が半分夜になって、同時に遠くに街が見えてきた道中、ナツメは古物屋を見つけた。彼は車を止めて、中に入った。ラフレシアみたいな帽子をかぶった太った男の経営するその店は、そんな店主の口をくちゃくちゃ鳴らす音と、七、八個かけてある様々な時計のバラバラな針の音と、気だるげなラジオパーソナリティーの声が合わさって、さらに煙っぽい空気に満ちていた。

 ナツメは、地下牢前で拾ったアンクレットを差し出して言った。

「これ売りたいんだが」

「ヨーヨーヨーヨー、見せてみろヨー」

「これです。アンクレットだと思うけどさ。どんくらいの金になるもんなの?」

「エーーー、おお!」

「おっ?」

「七万!」

「結構高い」

 ナツメは七万とそのアンクレットとを交換した。そして店主に絡まれる前にさっさと店を出た。


 ナツメは街に入った。彼は酒だけ飲んで、早いことこの国を出ようと考えていた。すっかり夜になった。電灯のピカピカする摩天楼の中を車が走る。

 ナツメは適当なところで、車を寄せて止めた。すると急に後部座席の扉が開いて、人が乗り込んできた。

「ありがとうございます」

 背後から聞こえたのは、女の子の声だった。

「なんだ、なんだ? 急に乗ってきて」

「急でしたか? ……確かに急ですね。すみません。でも止まってくれたことには本当に感謝します。全然、どの車も止まってくれなかったので」

「別にあんたの為に止めたつもりはないけど。俺はここで降りて、それから酒の飲めるところを探したかっただけだ」

「ええ! ずっと手を挙げてたじゃないですか。その目の前に止まって、そんなこと言われても。って感じですよ」

「手を挙げてたのか?」

「はい。手を挙げて、親指をあげていました。せっかくなのでもう諦めて連れて行ってください」

「連れて行く?」

「はい。私家出してきたんです。どこか遠いところに連れて行ってください」

「ん」

 とナツメは短く返事をして、車を発進させた。適当にぐるぐる回って、適当なところで降ろしてやろうと考えた。丁度同じところに帰ってきてもいい。夜はまだ長い、ちょっとくらい寄り道してもいいだろう。


 女の子はフィオナと名乗った。父子家庭なのだが、警部補であるそんな父親は、一人娘である彼女のことを放ったらかしにしている、と彼女は説明した。だから家を出てきたのだとも。

 川に沿ってできた、土手の上の舗装された道を走っていた。十時をすぎたころ、フィオナが、「晩ごはんにするから車を止めて」と言った。


 下におりられたらおりて欲しい、との要望だったので、下に降りる坂道を、ナツメは待って少しのあいだ車を走らせた。そしてあらわれた坂道をおりた。車から出ると、川から風が吹くのが、よく感じられた。

「組み立てるから手伝って」

 フィオナが言った。彼女は大きなリュックサックから何やら引っ張り出してきて、組み立て始めた。ナツメも言われるがままに手伝った。完成したのは、火とフライパン、簡易的なキッチンだった。

「お酒もあるから」

 フィオナが言うと、ナツメは跳んで喜んだ。

「そんなにお酒が飲みたいんですか? そんなにいいものなんですか」

「当たり前だろ」

 ふたりは火の前に座った。フィオナが熱したフライパンに油を敷いた。彼女はオムレツをつくると言った。

 パチパチと十分に熱された油に、卵を割って入れる。

「まずは強い火で卵を一気に温める、と同時に一気に混ぜる。固めるのと同時に混ぜるのです」彼女は説明した。「端っこの部分を真ん中にもってくるように。それで少し火からフライパンを離す。まあ、弱火にするってことです。そこでまたゆっくり温める。今はまだどろどろの状態ですが、少し固くなったように見えたらまた少し混ぜて、また置く、それで固まってきたらまた混ぜましょう。ああ、忘れてました。塩と胡椒をかけて下さい。満遍なく。胡椒に関してはほんのちょっとでいいです。もう少し温めましょうかね。私は固めの方がいいんです。では、裏返しますよ。……よし! それであとは待つ。もう十秒ほどでできるでしょうか。こんな感じです。こうやって作るんですよ。ちょっとでも目を離すと失敗しますから」

 フィオナはできあがったフィオナ製オムレツを皿に乗せた。

「オムレツ以外、何の飾りもない寂しいものですが」

 フィオナはお箸で半分に切って、半分をナツメに与えた。ナツメはそれをつまんで口に運ぶ。

「卵の味しかしねえぞ」

「それがいいんです。それが一番おいしい」

「ふーん」

 食事を終えたふたりは、小さなキッチンを片付けた。

 ふたりは並んで空を見上げた。ひっつきそうなほど星が沢山見えた。小さな月も強く輝いていた。フィオナが注いだ酒を、ナツメは受け取った。そして少し口をつけて、

「うえ~……」と舌をだした。「俺、酒飲めないんだった」

「は?」

 フィオナは酒瓶をリュックに仕舞った。そしてナツメからコップを返してもらい、中身を捨てて、水で洗った。


「ちょっと小便行ってくる」

 とナツメが立ちあがった。

「はーい」

 とフィオナは眠たげな、気勢のない声で返事をした。

 ナツメはフラフラと歩いてその場を離れる。フィオナから見えない、高い草の壁の影に立ってズボンの紐を緩めたとき、壁のむこうからフィオナの悲鳴が聞こえた。


 慌てて小便をして、その後、走って戻ると、チェロくらい大きな鎌を持った男が、フィオナを襲おうとにじり寄っていた。ナツメは二人の間に入った。そして正面から男を見た。目の前の男、それは今日別れたばかりのドフトエススキーだった。ナツメは驚いて声をあげた。

「お前っ!」

「……女ぁ……女ぁ」

 ドフトは口の中でぶつぶつ唱えていた。そして前に立つのがナツメだと気付いて、おぉ~久しぶりぃ……と言った。

 ナツメは三歩移動して、フィオナのリュックのある所まで行き、しゃがんで中からナイフを取り出した。

 ドフトは憤って、震えた声でナツメに話しかけた。

「今日はさぁ……、災難極まりないんよ……。脱獄できたけれどもさ……アンクレットはなくすしぃ、見初めた女には男がいるし……」

「ああ、あのアンクレット。あんたのだったんだ」

「しっ、知ってんのか?」

「すまん。売っちまった」

 ドフトはゴブリと喉を上下させて、唾を飲み込むと、少し後ろに揺らめいた後、目にも止まらぬ速さでナツメにとびかかった。遅れて始動する大鎌を、全身で振り下ろす。ナツメはそれを、ナイフに当てて軌道をずらした。そしてできたドフトの隙を狙って、一気に距離をつめ、ドフトの喉もとを狙ってナイフを振るった。ドフトはそれをよけるのではなく、逆に顔で迎えにいく。ナツメのナイフは頬を切った。ドフトの頬は裂けて、口裂け女のように右頬がひらいた。

 そしてけらけら笑った。ドフトは回れ右するとともに、鎌を振ってナツメを横一文字に薙ぎにかかった。

 ナツメは真上に跳んでそれをかわす。足の下を鎌が通っていった。彼は着地して、その後後ろに跳んでドフトと距離を取った。

 それからふたりは見つめ合った。夜の冷ややかな風が二人の間に流れるあいだも、ふたりは音をたてなかった。

 決着は突然ついた。

 空間を叩き割るような轟音が短く響いた。銃声だった。

 ドフトは胸を赤く染めて、吐血して顔から地面に倒れた。

「うう……うううぅ……うぁうう」

 ついにドフトエススキーはこときれた。彼を撃ったのはナツメでも、もちろんフィオナでもなかった。彼らとは離れたところに徒党を組んで仁王立ちする、土手の上にいる軍団の中心にいる男。彼のかかげたピストルから、煙が夜空へと流されていった。

 男は土手をおりてきた。

「お父さん!」フィオナがその男に駆け寄った。「なんで私の場所がわかったの?」

 フィオナの父親は、抱きついてくる娘を引き剥がして言った。

「お前に、GPSをつけているからだ。その服の襟には超小型カメラもつけてるんだ。俺はいつでも、お前のいる場所を知っている」

「よかったぁ」フィオナが安堵の声音で、再び抱きついた。

 ナツメはただ茫然と見ていた。するとそんなナツメの方を向いて、フィオナの父親が声を掛けた。

「ナツメ君ではないか」

「俺のことを知ってるんですか」

「さっき私のところに指名手配の情報が入った。君のことも載っていたよ、一番目立って!」

「う、うん」

 ナツメはナイフを握り直して、フィオナのほうを見た。

「ナツメ君!」

 フィオナの父親は、そんなナツメの手首を強く握って、ナイフを奪った。そして彼は、ナツメに別なものをつかませた。それは、ナツメの没収された刀であった。よく見ると、フィオナの父親の両耳たぶにほくろがあった。

「これをもって、早いことこの国を出なさい。出さえすればもう追ってはこないだろうから」

「あざーっす」

 ナツメは愛刀を受け取ると、車に乗り込んだ。

「ナツメ君! 君、留置所で山根君から鍵をとっただろ。あれはどこへやった?」

 ナツメは車の窓をあけた。

「ああ~、あれ……ずっと隠し持ってて……刑務所送られて……その中で失くしたな」

 フィオナの父親は息をのんだ。そして、

「マズイ!」

 と大声で叫んで、走り去った。彼は土手の上に立って控える警官たちを連れて、どこかへ急いで向かった。ナツメとフィオナだけがその場に残った。

「じゃ、じゃあ」

 ナツメはそう言って、静かに車の窓をしめた。そして発進させた。

 土手を、南に向かってずっと走ればいい。この国を出られる。ナツメは窓をあけて、のんきに星空に唾を吐きながら、「上を向いて歩こう」をうたって、この国を出ていったのだった。

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