ドッグスタ -dog star-

 エクラと色は、席に着いた。まだステージには幕が降ろされ、会場も暗かった。

「天才犬ジョン。ですって」色が手もとのポスターを見ながら言った。「飼い主の男の子も一緒に出てくるらしいです。写真もその男の子と写ってる。可愛い男の子ですよ」

「また視力が悪くなるぜ」

 エクラは色からポスターを取り上げた。

 そしてふたりは黙って上演を待った。


「えー、いよいよ、天才犬ジョンのパフォーマンスショーを始めます。では登場していただきましょう。ジョンと、飼い主のパブロフ!」

 会場は期待と緊張の拍手に包まれた。ステージでは幕が上げられ、袖から気取った犬と、ぎこちなく歩く少年が現れた。

 犬のジョンは出てきてすぐお座りをして、背筋の伸びた格好で客の拍手を浴びたが、飼い主の男の子、パブロフの方はフラフラと落ち着きがなく、口も半分開いていてだらしがなかった。

「ジョンの方がしっかりしてるんじゃないですか?」

 色がエクラの耳元で楽しそうな声で言った。彼女は椅子のうえで、体をバウンドさせてみていた。ステージを見るのが、幼少以来初めてなのだった。

「ああ」とエクラは答えた。「お前よりもな」


 次々とジョンの特技が披露された。

 計算が得意。——女の人が大きな紙に「2+4=」と書いた紙をかかげた。するとジョンは、0から9まで描かれた紙が散らばってる中から、6を選び出して、それをくわえて女の人の前まで運んだ。すると、拍手が起こった。今度は「8-3=」ジョンは5の紙を運んだ。「5+9=」ジョンは1を運んで、そのつぎに4を運んだ。会場からは惜しみない拍手が送られた。

 間違い探しが得意。——舞台上に大きな絵が二枚、右と左に敷かれた。本当に大きな絵。舞台いっぱいに敷かれた。ジョンはそのうえを駆け回った。右を見て左を見て。エクラたちはそんなジョンの様子を上から見下ろした。そしてジョンが間違い箇所に近づくと息をのんで見守った。そして驚いたことに、ジョンは右の絵の間違いの上に立って「ヴァン」と吠えた。会場からは感嘆の声が漏れ響いた。その後次々ジョンは間違いを指摘。結果、全部で五個ある間違いをすべて見つけたのだった。会場からは惜しみない拍手が送られた。

 記憶が得意。——ジョンの前に、大掛かりな金庫が用意された。木製の金庫だった。その中にジョンのご飯がいれられた。司会の女性は、お座りをして大人しく待つジョンの目の前で、金庫をしめた。そしてこれまた木製の、大きなダイヤルをギコギコまわした。右に二回、左に四回、右に三回、左の六回、右に五回、左に一回。これとまったく同じ手順でダイヤルを回せば金庫が開く。司会の女性はそう説明した。「よし!」と彼女が言うと、ジョンはダイヤルの前まで歩いて、そして、手を使って器用にダイヤルを回した。とても丁寧にゆっくり回した。あまり力が足りないのだろう。しかし、右に二回、左に四回、右に三回、左の六回、右に五回、左に一回。見てる観客の側もあいまいだった。が、ジョンは、まちがえずにダイヤルを回して金庫を開けた。そして、ご飯にありついた。会場からは惜しみない拍手が送られた。


 ……けれども。会場はそんなジョンの天才っぷりに見惚れつつも、もう一つのところにも目がいって、時折そっちの方がより笑いを取ったりした。それは飼い主のパブロフ君だった。

 彼はジョンが色々な特技を披露する中、どことなくフラフラして、司会の女性から手伝いの指示があっても、どこか抜けた行動をとった。その立ち姿から歩き方から、何を聞かれても「ホーー……」と筒から風が漏れるような答えしかしないのも、愛らしかった。

 エクラも色も、このショーはとても満足した。帰り道、ふたりは特に面白かったところや、自分が注目していたところなどを話して、盛り上がった。

「パブロフくん。もっと近くで見たかったなー」

 色は夕焼けの空に顔を向けながらそう呟いた。

「そっちかよ」

 エクラは笑いながら言った。ふたりは道中、ジョンとパブロフの載った新聞が売ってあるのを見つけて、買って帰ったのだった。


……


 ステージを終えたジョンは、パブロフに首輪の紐を持たれながら、楽屋へ帰った。テクテクと小気味よく歩くジョンのうしろから、やはりぎこちない足取りでパブロフが歩いてついて行くのだった。

 そして、楽屋に入って扉が閉まった瞬間だった。

「ああー……疲れたあ」

 と言って、犬のジョンが立ちあがった。そして、

「おい!」

 と言ってパブロフに背中を示した。するとパブロフは、不安定な足取りでジョンに近づき、不器用な指で、ジョンの背中をつまんで、それをスライドさせた。

 シャーーー、と音が鳴った。

 スライドされたのはチャックだった。背中がぱっくり開いて、中から出てきたのは男の子だった。額に汗をかいて、出てくると、大きく伸びをした。

「ふー、暑い暑い。ドッグフードなんて食わせんなよ、なあ」

 とパブロフの方を向いて言って、そのあと彼は、

「ああ、ごめんごめん」

 と言って、パブロフの背後に回り、また、シャーーーと音をたてた。背中がぱっくり開いた男の子パブロフの中からは、白い小型犬が出てきた。

「さあ、帰ろう」

 ジョンから出てきた男の子はそう言うと、パブロフから出てきた犬に首輪をつけ、誰にも見つからないように裏口から外に出るのだった。

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