カーテンヤンキー
「……ずっとこうなんですか?」
エクラは内心の呆れを隠して、威厳のあるように、全く驚いても、戸惑ってもないように見せるのに全力だった。
「ええそうなんです」
彼女は依頼人だった。四十六歳の主婦。エクラがこの仕事を始めて最初の客で、おそらく最後の客になる。エクラはそう思った。こんな依頼が来るのならやってられない。
「どうするんですか」
色がうしろから囁いた。その声音はどうも面白がっているようだった。いつもなら誰よりも戸惑うし、自分が関係ない時でもエクラに助けを求める目をして見て来るような人間であるのに。
エクラはため息をついて、そらしていた目をもう一度上げ、対象を見た。そこには、カーテンにくるまって出てこなくなった、依頼人の息子がいるのだった。
三日前。
「ちょっと、呼ばれたから大学行ってくるな」
エクラはそう言って、勢いよくホテルを出た。女子大生は好きである。高校生みたいにエクラに対して理想をもったりしないから、面倒くさいことも少ないし、お金を持っているし、何も考えてないし、大人と違って過度に子供として見てはこないし、世間体もない。
用もない大学の食堂に座って待った。
「……君が山中くん?」
「こんにちは。チャラちゃんだよね。エクラでいいよ」
「そうですか、そうですか」
ふたりはショッピングモールで出会ったのだった。と言っても、エクラがナンパしたようなものだった。色と一緒に古くなった靴を買い替えに来ていたエクラが、色を放ったらかしてチャラに声を掛け、そこから靴の事なんか忘れたようにチャラと歩いたのだった。その時に、再び大学出会うことを決めた。靴は、悪くないのを色が勝手に選んで買っておいた。
ふたりは昼食を買いに立った。エクラはカツカレーを買い、チャラはサラダ定食を買った。
「なんじゃそりゃ」
「サラダ定食だよ」
「へー、御飯とみそ汁とサラダ、それで正解なの?」
「正解だよ! じゃあ……いただきます」
「いただきます」
ふたりは食事をはじめた。カレーとサラダを一口ずつ分け合った。サラダは冷たくておいしかった。
一方、色は、エクラが出て行ったあとやる事もないので街へ繰り出した。この街はガラス製品で有名なので、ガラス工場を見てみようと思った。一人で出歩くことはあんまりしないし、不安も感じたけれど、私がどうなってもエクラさんのせいだ、と胸の中で訴えてホテルを出たのだった。
飴細工屋の前に学生が数人、しゃがんで飴をしゃぶっている。彼らは学生服を着崩し、顔に入れ墨なんかいれたりして色が道を聞くには難しい人種だ。この街はそういう学生が割と多かった。
何か飲み物を買おうとコンビニエンスストアに入り、お馴染みのジュースから見たことないものまである商品を眺めて、そのなかから甘いレモンの紅茶にしようと手をのばすと、うしろから女学生に声を掛けられた。
「えー、あんた絶対こっちにした方がいいよ」
その女学生は髪を染めて、化粧の濃く、手に持った携帯電話には大量のストラップがぶら下がっていた。彼女は短すぎるスカートを手の甲ではたきながら、
「レモンティーっておいしくなくない?」
と言った。
「うーん、そんなことないと思いますけど……どれがおすすめですか」
「これっしょ」
彼女はマスカットミルクを選んだ。
「……牛乳か」
「え! 牛乳嫌いなん?」
「嫌いじゃないですけど、気分じゃないっていうか。すっきりしたのにします」
色はそう言ってレモンティーを取った。
「そんなん言ってっから、貧乳のままなんよ」
「まっ、まだそんな年齢じゃないですから。これからですから」
「そっか~? 何歳?」
「……十三です」
「じゃあ遅いよ! その頃にはもうあたしなんか」
色は選んだ紅茶だけを買って店を出た。
「ありがとうございました」
突き放すように言った。それで別れようと思ったが、せっかくだから工場までの道も聞こうと思いなおした。
「すみません。このへんガラス工場で有名だと思うんですけど、行き道わかりますか?」
「あんなところ行ったってなんにもないよ。それにひとりで行くにはちょっと危ないところだし。ヤンキーとかもっと馬鹿な男どもいるし。あたしがついて行ってやれればいんだけどさ、もう塾に行かなきゃなんないんだわ」
「ひとりで大丈夫ですよ。これでも旅には慣れてますから」
色は工場地までの道を教わった。
「ありがとうございます。あの、名前を教えてもらっていいですか、せっかく仲良くなったので」
「マブ。株式マブ。あんたは?」
「無花果色です。今日は本当にありがとうございました」
「丁寧な奴だな。またね、色ちゃん」
道もわかったことで、色は工場を見に歩きはじめたのだった。
言われた通りの方向に歩くと工場通りに出た。右も左も硝子工場である。空気の流れによって時おり涼しい風が抜けるかと思えば、もやもやした熱気がまた来る。色は、ここに来て特に何をしようとも考えていなかったので、右を見て左を見て、とりあえず歩いた。
ある工場で、男が木の台に座って、赤く熟れた硝子の実に息を吹き溜め、丸く回しているのがちょうど見えた。いわゆる硝子で何かを作る時にやるやつだ、と思って見ながら歩いていると、色は誰かにぶつかって、その場に腰を落とした。
「すみません」
色が咄嗟に立ち上がり謝ると、
「すみませんじゃねえよ!」
クレシェンド的に声を張りあげ、相手は怒鳴った。十代の、髪を金色に染めた青年だった。平日の昼間であるのにもかかわらず、着崩した制服姿でこんな所を歩いている。怒鳴られた色は肩をすくめて小さくなった。
「おい、なにぶつかってんだよ、アマァ」
青年は色の胸ぐらをつかんだ。清潔なブラウスのボタンがプチンと外れて落ちた。そのまま落下するボタンは、何にも抵抗されることなく地面に落ちるかと思われたが、色のひざ下あたりに来たとき、ピタリとその動きを止めた。色にはボタンが急に宙に浮いたように見えた。
「テ、テメェ誰だよ」
標的を変えた青年は、色を放して、彼のとなりに立つ背の高い男に怒鳴った。色が視線を移すと、そこにはナツメが立っていた。
「ナツメさん!」
色は驚いて言った。宙に浮いたように見えたボタンは、実はナツメが抜いた刀の先端で受け止めたものであった。青年は色とナツメが知り合いだったことに多少ひるんだが、すぐさま気を取り直してナツメを怒鳴りたてた。それに対してナツメは、
「久しぶり、色ちゃん。もしかして、まだあのどうしようもない男と一緒にいる?」
と、手首の動きでボタンを色のところまで飛ばして言った。
「エクラさんのとこですか」
「そう、あの女たらし」
それに対し、色は頷いた。
「それはいい。仲良くしなよ、彼は、最後守ってくれる人だから」
「そんなことエクラさんに言ったら絶対喧嘩になりますから、本人の前では……」
「死んでも言いたくないね。彼を誉める言葉なんて」
ナツメはそう言って刀の先を青年の目の前に移した。青年は、一瞬間に訪れた命の危機に腰を落とした。
「か弱い少女にいちゃもんつけて、何がしたいんだ。色ちゃんの目の前、容赦するが、そんな気持ちはさらさらない。斬られたくなかったら、君の、家の、中の、君の、部屋の、窓とカーテンの間にでも隠れて、一生そこで身を隠しておくんだな」
ナツメはそう言い放って刀を収めた。青年は、うしろに腰を擦ってさがり、十分ナツメから離れると、立ち上がって走って逃げた。
「ありがとうございました」
「ひとりで歩くと危ないからね。ああ、色ちゃん。永遠の窓って知らない?」
色が首を振って、知らないですと言うと、ナツメは手を振って去った。硝子工場を見ても楽しめないことを知った色も、それを機にホテルへ戻った。
部屋にもどった時、エクラが何やらノートに書き物をしていた。という事は恐らく、何かの思い付きを形にしようと、構成しているんだろう。できた、と起き上がったエクラに色が尋ねると彼は、
「俺は相談屋をすることにした」
と言った。彼が言うには、依頼人から相談を受け、それを解決する、という仕事らしい。彼が大学に遊びに行って、そこで女の子から「私ね~、○○で悩み相談したんだ」と聞き、より詳しく聞くと、それにお金を払ったらしい。相談を聞くだけでお金を稼げる商売、さらに解決なんてしたら,噂になって儲けるに違いない、とエクラは考えたそうだ。
「できますかね~?」
「俺に出来ない事は無い。そうだっただろう」
色は黙って彼の自信満々な様子を見ていた。今回も上手くいく気はしなかった。
次の日、エクラは『エクラ相談室』という看板を、せっかくだからとガラス細工で拵えてもらい、その完成を待つ間、電話番号を作ったり、インターネットサイトを作ったりした。ホテルの宿泊日数を二週間延期してもらい、事務所にする許可を得た。彼はそれだけ仕上げるのに、新車が買えるほどのお金を使った。こんなことをするために与えられているわけではないのに、よくもこう躊躇もなく使えるものだと、色は半ばあきらめたような視線を彼に送ったが、それを受けてなお彼の目は輝いていた。
その日の夜、さっそくサイトに一件、メールがきたのだった。しかしそれは依頼ではなく、『エクラ相談室』とは何なのか? という、質問だった。色がそれに丁寧に答えると、
「それでは、お話ししたい事がありますので、明日伺います」
と、返信が来た。エクラにそれを教えると、胸をはって、俺のアイデアが外れるわけがない、と誇らしげに言った。
そして次の日の夕方、仕事終わりに依頼人が来たのであった。依頼人は女性であり、四十代に見えた。彼女の依頼内容はこうであった。
彼女には十七歳、高校二年になる息子がいる。その息子と言うのが、高校に入って突然ぐれだし、学校では暴れるやら、他校の生徒と喧嘩をするやら、教師たちも手をつけられないほどで、母である彼女も手を持て余していた。とは言っても母親である彼女の事、そんなことは心配で、よくよく物思いの種になってしまうとはいえ、息子が元気であればそれでよく、この派手な反抗期も有り余るエネルギーゆえだと考え、彼が落ち着くまでそれ程手をかけようとも思っていなかった。
しかしである。昨日から、突然部屋から出てこないというのである。それどころか部屋に入ってみると、電気を消した真っ暗な部屋の中はひっそりとしており、彼がどこにいるのか探してみると、なんとカーテンにくるまっていたのだという。話しかけても揺すっても反応せず、それに関してはさしもの母親も途方にくれたというのであった。
「うーん……」
エクラは顎に手を置いて考えた。そして黙考ののち、
「分かりました」と言い続けて「それを、パピッと解決して差し上げましょう」
と言った。
「明日の朝お宅に伺いますので、ご自宅で待っていてください」
そして彼女から住所を聞いて、そのときは依頼人を返してしまったのだった。
「……どうだった」
「どうだったもなにも、話を聞いただけじゃないですか」
「ちげぇよ、決め台詞」
「パピッと、ですか。いいんじゃないですか。ただその後の、して差し上げましょう、がくどいですね。決め台詞としてすっきりしない感じ」
「なるほど」
そう言ってエクラは部屋の中をぐるぐる歩き回り、決め台詞について考え巡らすのだった。
次の日の朝、エクラの目の下には大きくクマができていた。
「見つかりましたか、カーテンにくるまる症状」
エクラはただ首を横に振った。昨夜は徹夜で依頼人の息子の謎の行動について当たれるだけ当たったのだった。結果は明らかだった。
教えられた住所にいくと、昨日の女性が迎えてくれた。
「どうですか息子さんは」
「昨日ご説明したまま、何も変かありません」
そう言った彼女の開けた扉から、部屋に入ったエクラと色は、カーテンにくるまった青年を見た。
「……ずっとこうなんですか?」
エクラは内心の呆れを隠して、威厳のあるように、全く驚いても、戸惑ってもないように見せるのに全力だった。
「ええそうなんです」
彼女は依頼人だった。四十六歳の主婦。エクラがこの仕事を始めて最初の客で、おそらく最後の客になる。エクラはそう思った。こんな依頼が来るのならやってられない。
「どうするんですか」
色がうしろから囁いた。その声音はどうも面白がっているようだった。いつもなら誰よりも戸惑うし、自分が関係ない時でもエクラに助けを求める目をして見て来るような人間であるのに。
エクラはため息をついて、そらしていた目をもう一度上げ、そして口を開いた。
「これは……カーテンヤンキー症ですね」
「カーテン……ヤンキー症?」
依頼人が反復する。
「ええ、そうです。青年期に反骨心をあらわにし、そのなかでいき過ぎたその精神が引き起こす病気です。彼は、いわばさなぎの状態なんです。キャベツの葉っぱを闇雲に食い散らかす期間は終わったのです。この後彼は、またカーテンから出てくるでしょう。そのときにどんな姿になって現れるか……それは私にもわかりませんが」
「よくある、病気なんですか?」
「ええ、よくありますよ。それに一時的ですから、お気になさらずに」
そう聞いて、依頼人は胸を撫で下ろした。
「そう聞いて安心しました。カーテンヤンキー症。そうなんですね、そう言われれば納得しますね。キャベツを食い散らかす。たしかに」
と言って、彼女は少し微笑んだようにも見える表情を浮かべた。そして、エクラに深々と礼をした。
「いいえ、そんな。たいそうに礼をしてもらう必要はない。知ってることを話しただけですから」
エクラは、出来るだけ依頼人との会話を早く切り上げ、撤収しようと必死だった。そしてようやく解放された時になって、
「もうこんな仕事は一生やらねえ」「意味わからねえよ、何でカーテンにくるまってんだよあいつ」「変な人間もいるもんだな、なあ色」
と散々愚痴や文句を言ったあげく、部屋に帰るとすぐさま荷造りをして、二週間分むだになった宿泊代を払って、この街を出たのであった。
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