んでも やっぱり あなた
男はカフェのテラス座席で、紅茶をベリービスケットと一緒に食べていた。晴れた日はいつもこうやって外へ出て過ごす時間を作るようにしている。今日は一段とご機嫌な天気だった。血が清潔に、軽く流れるような日柄で、そんな好天気に誘われたのか、偶然そこで古い友人に出会った。
「久しぶりじゃねえか」
現れた友人である彼はそう言って目の前に座った。
「おお、久しぶり。何年ぶりかな」
男は返した。友人は男の前に並んだ紅茶と、ベリービスケットを見て、女の子みたいな昼食だと笑った。それに対して男が返した。
「結局この組み合わせに返っちまうんだ。他のどんなもの食べてみても、結局この組み合わせ。紅茶とベリービスケットはぎゅうぎゅうに紐でくくられてるんだ」
「そんなことよりさ、最近どうなんだよ。上手くやってっか?」
「ぼちぼちだね」
「女は?」
「ああ、今も家にいるよ」
「おお、そうか。そりゃあよかった。何だかお前にはそれが出来ないような気がしててさ。それならよかった。それも同棲か。かわいい子なのか? どこで出会った。話してくれよ」
「通勤中だな、会社に向かって町を歩いてて……」
男の話した内容はこうだった。
ある日、通勤中、町中である女の子を見かけた。彼女は魚のようにすいすい人ごみの中を泳いで行ってしまった。男は気になったので彼女を追いかけた。見かけては見失い、見かけては見失いを続けていたが、彼女はある店のまえで立ちどまった。それはパン屋さんだった。パン屋の窓から見える並んだパンを、姿勢をよくして見つめていたのだ。それで彼はパン屋に入り、パンを買ってあげるとそれを与えた。彼女はとても喜んで食べた。口の周りをベロで拭ってうれしそうに笑った。男はそれに満足して、会社に行こうとしたのだが、やはり思いは断ち切れず、振り返って、まだ同じ場所に立っていたその子を連れて家に帰ったのだった。
「彼女はいつも静かに家で待っていてくれるんだ。そして僕がご飯を作ってやると喜んでがつがつ食べる。お風呂はとても嫌がるけれど、寝るときは一緒だよ。それと、彼女は僕と遊ぶのが大好きなんだ。僕がつかれてなきゃ、家にかえってたっぷり遊んであげる。今日もそうするつもりだよ」
「へ……へぇ」
「君はどうなんだ。大切な人がいるのかい」
「俺は……ちょっと用事を思い出したから。うん、仕事に戻るよ」
「そうか、それは悪かった、長々話しちゃってさ。頑張ってな」
「おう」
と言って友人は帰っていった。取り残された男は、おかわりした紅茶をゆっくり飲み、ベリービスケットをかじった。そしておいしそうに微笑むのだった。
………
「情熱的な話ですね」
色はエクラの耳元に、うしろの男に聞こえないように話しかけた。
「今の話か?」
ふたりは男と友人の話している隣のテーブルに座っていた。
「そうですよ。今の話」
色は話に聞き入っていたのだろう。いたく興奮気味にエクラに言った。しかしエクラは冷静に答えた。
「お前、あれは完全に少女監禁の話だぞ」
「え……っ!」
色はピンっと背筋を伸ばした。対照的に、エクラはその間もずっと背もたれにもたれ、足を組んで座っていた。手を伸ばしてカップを取ると、輪切りのレモンの浮かんだ紅茶を啜る。
「……ホントに?」
「ああ。十中八九」
その時、うしろで男が立ちあがって帰る支度をはじめた。
「どうする?」
クッキーを口に放り込んで、意地悪そうにエクラが聞いた。色は迷った末、ついていってみる、と答えた。
「付いて行ってどうするんだよ」
「助けなきゃいけない女の子かもしれないでしょ」
「まあ、可愛かったら男を殺してでも助けるが、監禁ってのは簡単な問題じゃないぜ」
「それでも、ここまで話を聞いたらもう放っとけない」
ようやくエクラも立ち上がった。そして道のさきで、ちょうど角を曲がった男をふたりは追いかけていった。
男は住宅街の中にひっそりとある灰色のアパートの、一階の一番端の部屋に住んでいた。
エクラと色は、彼が入っていくのを見ると、裏にある庭にまわって、彼の部屋のベランダからなかを覗いてみることにしてみた。
「これってさ、犯罪じゃない?」
「いいんだよ、色が追いかけるって言ったんだから、やらなきゃ意味ないだろ」
「ここまでしなくても……」
「いいや、やる。俺はあいつと女の子のする遊びってのが見てみたい」
ベランダの床と手すりのあいだから、少しずつ顔をだしてなかを覗いた。窓のむこうで男はニヤけ面で歩いて、女の子を探している様子だった。
「見つからないのかな。もしかして、逃げられたの?」
「……いや。まだ笑っていやがる。いつもこうなんだろう」
男は奥の部屋に消えていき、また出てきた。そして別の部屋にも。そして見つけられずに、リビングに戻ってきた。リビングには衣服やら布団、紙屑、コンビニで買った弁当のごみ、雑誌、ゴミ袋、買い物かごなど、散らばっていて汚かった。
男はそれらゴミを一つ一つめくって探した。
「そんなところにいないでしょ」
「ああ、ぺったんこになってなけりゃな」
しかし、そこで男はようやく話の女の子を見つけた。弾けるように喜色が浮かび、その子を抱きあげた。そして一心に頬ずりするそれは、茶色い猫だった。
「はあ、よかった」
「うわー、つまんねえの」
エクラがその場を離れようとしたとき、色が悲鳴じみた声をあげた。それにつられてエクラも見てみると、男は、抱きあげた猫を、隅から隅まであますところなく舐めまわしていた。そして猫を床におろすと、そのまま押さえつけて舐めまわした。猫は固まっていた。時折か細い声を出すだけだった。
「どうしよう……」
「なんだこりゃ」
今度男は、猫の口を無理やりこじ開けると、そこに指をつっこんでこねくり回し、それを次は自分の口にふくんで気持ちよさそうにした。そのようなことを、ふたりが見ている間延々と続けるのだった。ふたりはただ茫然と立ちすくんで、見たくないそれを眺めるしかなかった。エクラが引き剥がすまで、色はその場に固まっていた。
翌日、ふたりは再びあのアパートを訪れた。色がエクラに必死に頼んで、猫を脱走させる企画を敢行することになったのだった。
アパートの前の電信柱の陰に隠れて部屋を見張り、男がでたのを確認して実行した。
エクラはポケットから太い針金を出す。それを歯で噛みながら曲げて形を変え、鍵穴にさ差し込んで回してみた。しかし開かなかったのでもう一度形を変え挑戦した。そして、鍵を開けるのに成功したのだった。
扉を開けて中に入る。色が思わず顔を背けるくらい、中は濁った臭気に満ちていた。
「……はやく、猫ちゃんを探そう」
「いた」
奥からエクラが猫を抱いて出てきた。ふたりは猫を外にだして離してあげた。すると猫は、何事もなかったかのように、すんとして、どこかへ歩いて行った。
「よかったね、助かって」
「どうかな」
エクラと色は、この後ホテルに戻り、エクラの自宅に帰る用意をした。家に帰るのは久しぶりの事だった。
………
男は家にかえって猫を探して、膝を落とした。どこを探しても見当たらなかった。帰ってきたときに自室の鍵が開いていたことから不思議には思っていたのだ。そのまま床に倒れた男は、何もすることができずただ時間を過ごした。食欲もでなかったのだ。
どのくらい時間が過ぎたか分からなかった。ボーっとする霞の中のような意識でいた男に、カリカリという音が聞こえてきた。
飛び起きて、音のする窓に目をやると、そこには猫の姿があった。
「ミャーーォ」
と猫は、爪で窓をひっかきながら鳴き声を上げた。窓に駆け寄り開けてやると、猫はするりと中にはいった。男はそんな猫を、すぐに抱きあげるのだった。
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