すべてが駅になる (下)
私と真賀田は新藤の部屋を後にして、横浜駅の暴走を食い止める方法を探るべく、再び横浜駅に行くことにした。
「横浜駅は今、新藤が独自に作ったフレームワークで動いている。誰も保守できない状態だ。これを直すのにどれくらいかかる?」
「申し訳ありませんが、今の段階では分かりかねます。複数のペルソナが協力して動いているみたいですし、見積もりの規模は想像できないです」
私が正直に答えると、真賀田は大きな溜息をついた。
無人タクシーはワイパーを使わない。ずぶ濡れの窓からは外の様子は分からない。いつの間にか横浜駅の北西に位置する銀行のビルに到着し、そして昨日と同じように自動改札の列に並んだ。私にとってはただの自動改札でも、真賀田にとっては恐怖の対象になりつつあるようだった。
「ここにも自動改札が増えている。先週までは無かったのに。今から、社長に来てもらうことはできないですか? 彼女と話がしたい。彼女なら解決策を見つけられるはずです」
「いや、そう言われましても……」
真賀田の焦る気持ちはよく分かる。このままでは横浜が、もしかすると日本が横浜駅だらけになってしまう。だが、まだ解決策を見つけられるだけの情報は揃っていなかった。雨脚が強くなってきたので、私達は自動改札を通って駅の地下へと降りた。
「どうにかして、横浜駅の動作状況を知る方法があればいいんですけど……ログがどこかに出力されているとか」
「横浜駅自体にアクセスできれば、ログを見つけられますか?」
「恐らく、できると思います」
私の答えを聞くと、真賀田は駅長室に向かった。真賀田が駅長室の扉の前で自分の身分と私の入室について述べると、すぐに扉は開いた。駅長室では三毛猫が一匹だけ、どっしりとした年代物の樫材のデスクに乗っかっている。他に生き物は存在しない。猫は私を胡乱な者でも見るような目つきで睨み、机の脇にあったキャットタワーに登った。
「駅長。横浜駅のログを出してもらえますか」
真賀田が猫に向かって言うと、駅長と呼ばれた猫は艷やかな女の声を発した。
「どのようなログですか?」
「横浜駅はノードという単位で動作しているようです。きっとノード別の建築ログがあると思うんですが……」
「なるほど。少々お待ちください」
猫は接客用の単なるアンドロイドのようだ。何故、駅長をわざわざ猫のアンドロイドにしているのか、理由は不明だ。だが、日本にも理由の分からない風習は多々ある。大した理由でもないのかも知れないし、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
「こちらがログです。外部には漏らさないようにお気をつけください」
真賀田が眼球のオーグメントの接続を切ったことを確認すると、猫が机の上をポンポンと前足で叩いた。すると樫材の机の木目模様が回転して消え去り、表面がディスプレイとなってログデータを映し出した。私はノードの活動が活発になっている深夜帯のデータに目を通した。
「ノードにはユニークな名前とIDが割り当てられていて……クイーンという名前のノードに、最高の
「クイーン……?」
「クイーンが横浜駅のリーダーで、学習した情報が重複した時には、クイーンの学習結果が優先されるということです」
「それは今回の事態とどのような関係が?」
真賀田が厳しい目で私を見た。
「クイーンをどうにか止められれば、横浜駅全体を止めることになるんじゃないかと」
「そうであれば、今すぐクイーンを止めてください」
「無駄ですよ」
真賀田の要求に対して、猫の駅長が欠伸混じりに答えた。
「何故ですか」
「クイーンを止めることは、私も試してみたのです」
猫の駅長は机を降りて床に置かれたキャットボウルの前に歩いていった。小さな歩みに応じて、ピンと立った尻尾が左右に揺れる。
「すべてのノードを同時に停止することはできませんでした。自律動作が完全に停止しないようになっていましたから。ですが、個別にノードを止めることはできたのです。そこで、
稲妻の閃光が駅長室の窓に瞬いた。続いて雷鳴が響くと、猫の駅長は驚いたように毛を逆立てて机の下に潜り込んでしまった。
「結果は……?」
「何も」
「何も、というのは……」
「何も変わりませんでした。クイーンは再生成されて、横浜駅はこれまでと同じ動作に戻りました」
机の影からゆっくりと猫の首がこちらを向いた。その目には、そこはかとない悲しげな表情が浮かんでいた。
同僚は確かに言っていた。成績の悪いノードを置き換える、と。恐らく、クイーンであっても成績が悪ければ別のノードが取って代わるということなのだろう。そうやって、横浜駅は自律型建築として横浜に居座り続けるのだ。私と真賀田は落胆して駅長室を後にした。
「どうすればいいと思いますか?」
外に出ると、真賀田は雨に打たれるのも気にせずに天を仰いだ。
「このまま横浜が……いや、日本が横浜駅になるのを、ただ指を咥えて待っているしかないのでしょうか?」
私は仕方なく、ボスと連絡する段取りを付けるとだけ真賀田に約束した。真賀田は当然だとでも言いたげな態度で、できるだけ早急に対策が必要だと念押しして去っていった。私は気が滅入ったままホテルに戻った。
その夜、私はワインのボトルを空けると、深夜遅くなってからボスとの回線を開いた。向こうは朝だ。
「おはござー」
ボスの明るい声がホテルの部屋に響いた。
「おは……何ですって?」
「最近流行ってるんだよ。おはござって挨拶」
「おはござ……」
「おはござ」
「……ちょっと面倒なことになってまして」
手短に現状を話すと、ボスはいかにも愉快そうに笑った。案件が困難であればあるほど、ボスは愉快そうな調子になる。こちらとしては溜まったものではない状況でも、ボスのポジティブな反応を見ると、何だか大丈夫になったような気がしてくる。だが、だいたいは気の所為だ。いかにボスでも、横浜駅が自己増殖するというイカした案件を簡単には処理できまい。
「まぁ、だいたい状況はわかった」
「どうにかなるとは思いませんけど、どうにかなりませんかね」
「明日……というか、こっちだと今夜か。私から真賀田さんに話してみる」
「本当ですか?」
「多分どうにかなるでしょ」
そう言ってボスは笑いながら回線を切った。ボスとの相談が終わると、私はそのまま酔い潰れて寝てしまった。夢の中で、私は横浜駅が本州を飲み込み、富士山がエスカレーターに覆い尽くされるという惨状を目にして、そして飛び起きた。
朝になって横浜市交通局に出向くと、真賀田は昨日よりもさらに厳しい表情で私を出迎えた。
「どうですか? 社長とのミーティングは」
「これから始めます」
通された会議室で私がタブレット端末を操作すると、すぐにディスプレイにボスの顔が現れた。眩いピンクに染めた巻き毛と、あどけない少女のような表情からは、ペルソナ・ディーラーの社長どころか
「真賀田さん。どうもお世話になっております」
回線が開くのを今か今かと待ちわびていたかのように、弾んだ声がスピーカーから流れてきた。
「ご無沙汰しております。ですが、世間話をしている場合ではありません。恐縮ですが、事態は急を要するものでして――」
「それはこちらも把握しておりますので、どうぞご安心を」
真賀田の差し迫った調子を抑えるように、ボスはゆったりとした口調で述べた。ボスに相談してから半日足らず。本当に解決策があるとは思えないのだが。
「この、『レッドマジック』ですか。なかなか面白い設計ですね。並列処理で深層学習を行うというフレームワークの実装は、かつてはGAFAのような一握りの優秀な技術者を擁する企業しか手にできませんでした。それを個人で実装するというのは、なかなかセンスが良い」
「褒められるようなものではありません。暴走して制御できないような、こんなシステムでは」
「暴走した理由は元々の工事計画のせいでしょう。横浜駅は終わりが無い計画に対して、終わりがない工事を行っているだけです。つまり、人間サイドの問題ですよ」
ボスはそこまで言うと、やれやれと言った様子で首を横に振った。
「しかし、横浜駅には、そうした問題を調整する機能もあったはずです」
「調整した結果が今の状況でしょう。人間のエゴが怪物を生み出してしまった。自ら生み出した怪物に喰われるのも、また運命というものです」
「それは……諦めろということですか。貴方を呼んだのは、現状を打破できると三島さんが仰ったからですよ」
真賀田の拳が机を叩いた。恐らく、こうした真賀田の態度に追い詰められて、新藤は自殺に至ったのではなかろうか。何とも言えない気不味い空気の中で、私は温い煎茶をすすり続けた。
「落ち着いてくださいよ、真賀田さん。まだ終わったわけじゃないですから」
そうは言うが、私から見ても戦況は思わしくない。
「残念ながら、横浜駅を止めることは難しいと思われます。破壊工作を行っても、破損箇所から優先して構造物を修繕してしまう。極めて厄介な代物です」
「ではどうしろと?」
ボスは笑みを浮かべたまま、ディスプレイに向けて地図を投影した。横浜市周辺の地図だった。
「横浜駅って、元々は別の場所にあったそうですね。桜木町駅ですか。そこが原点だとか」
「確かにその通りですが、それがどうかしましたか」
「横浜駅と桜木町駅の間には、大した構造物は無いはずですね」
ボスが地図を指差しながら言った。その声色は急に冷徹なものに変わっていた。
「い、いや、弐産グローバル本社があります。それに横浜第一銀行ホール、四菱ビルも」
「無いはずですね!」
「……」
ボスの有無を言わさぬ勢いに、真賀田も黙ってしまった。
「この一帯の区画を潰します」
「それは一体どういうことですか」
真賀田が目をむいた。
「横浜駅から桜木町駅の間には、犠牲になってもらうということです。
「そんな馬鹿な……」
その後も真賀田は必死の形相でボスとあれこれ相談をしていたが、結局、ボスの意見を受け入れる形で折れてしまったようだった。とりあえず今は怪物に始末を付けるほうが優先されたということらしい。新しい技術に犠牲は付きものだ。私はそのように信じることしかできなかった。
ボスの指示で同僚とも回線が繋がり、向こうの時計で丑三つ時まで作業が行われた。ボスと同僚が横浜駅と桜木町駅に何かを仕掛けている間、私はぶらぶらと中華街を彷徨いて紹興酒や土産物を買い漁った。私が帰国の途についたのは3日後だった。
***
「それで、横浜駅はどうなったんですか?」
カクテル・グラスを揺らしながら私はボスに聞いた。帰国後の整形で、私はどこにでもいる平凡なOLに姿を戻していた。場末のバーのカウンターには私とボス、そして同僚の三人しか座っていなかった。
「順調に『エキナカ』を作って、周辺を侵食しているみたいだね」
ボスはすこぶる愉快そうに答えた。
「それじゃ、何の解決にもなってないじゃないですか」
「いやいや、侵食しているのは横浜駅だけじゃないんだよ」
「どういうことですか?」
ボスはタブレット端末で地図アプリを開いた。指定した地域の映像をリアルタイムで表示するモードに切り替え、横浜駅と桜木町駅を含めた地域をディスプレイに表示する。横浜駅から徐々に桜木町駅のほうへと画面が移り変わっていく。すると、横浜駅の自動改札がみなとみらい周辺を境にして、桜木町駅の自動改札と睨み合うようにして並んでいる光景が映し出されていた。
「何ですか、これ。横浜駅の自動改札と桜木町駅の自動改札が、なんか絡まっているみたいに見えますけど」
「だいたい合ってる。こいつらはお互いに自分の駅の自動改札で土地を占有しようとしてる」
「どうしてこんな状態になったんですか?」
「桜木町駅にも横浜駅と同じ『レッドマジック』を入れたんだよ」
ボスはそこまで言って一人で大笑いし始めた。
「桜木町駅も同じ横浜駅だったんだから、同じ工事計画で拡張が始まったんだよ。その結果、横浜駅と桜木町駅は互いに横浜駅周辺で先を争って拡張し合うことになった。今でもお互いの自動改札を破壊し合ってる。破壊された地点が重点的に修復されるから、みなとみらいを境にして互いの領域を分け合う形で落ち着いたんだよ。あの辺りに建物を持っていた人には残念だけど、仕方ないね」
「目には目を、怪物には怪物をってことですか」
「共食いだな」
脱力している私を尻目に、同僚が静かにチェイサーのグラスを傾けた。
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