ヴァンパイア・スレイヤー
日本に移住した姉の息子、つまり甥にあたる子から相談を受けたのは私が来日する直前だった。甥は学校で流行っているオンラインゲームで嫌がらせを受けているという。子供同士の他愛もない冗談なら見過ごせるが、どうやら問題はそこまで単純でもないらしい。仕事を終えて
「叔母ちゃん? 久しぶり」
流暢な英語が聞こえた方向を振り返ると、しばらく見ないうちに成長した甥の姿があった。見たところ、年頃なのに身体はオーグメントをインプラントしていないようだ。
「お母さんから聞いたよ。仕事だったのに、無理言ってごめんなさい。わざわざ来てくれてありがとう」
「気にしないで。ちょっと日本を観光していきたいと思ってたし」
私は甥に手を引かれて東京の下町に繰り出した。観光地以外の建物は、どこもかしこも均一なブロックを組み合わせただけの自律型建築が建ち並ぶ。良く言えば調和のとれた、悪く言えば無機質な町並みが続いている。歴史的遺産として古びた町並みを保存している国々とは対照的だ。地震大国の日本が町並みにまで注意を払っている余裕はなく、建物一棟だけでも遺しておくのが精一杯ということなのかも知れない。
車幅の広い国道に出ると無人タクシーに混じって、筋骨たくましい人力車夫が小洒落た人力車に客を乗せているのが見えた。
「そういえば横浜の中華街にも人力車があったけど、乗ってなかったな」
「それじゃ乗ろうよ」
私と甥はすぐ人力車に乗り込んだ。人力車夫はアスリート・ボディの民生アンドロイドで、真の意味で疲れ知らずだった。人力車に揺られながら、「レトロな風情」とやらが残る門前仲町の観光スポットを回る。途中、伊能忠敬住宅跡という石碑を通り過ぎたが、やはり当時の建物は残っていない。伊能忠敬が何者なのかは知らないが、「ご維新」前の将軍とか忍者の頭領とか。そんなところだろう。
人力車は浅草や中華街などの限られた観光地にしかいなかったのに、アンドロイドが普及してから他の観光地にも現れ始めた、新規の風習なのだと甥は説明した。人力で観光スポットを回る乗り物と言うと、ニューヨークの自転車タクシーがあった。そちらは市の管理が徹底されたせいで全滅してしまった。人力車のような方法で伝統を残すのが日本らしさなのかも知れない。
一通り観光スポットを巡っているうちに昼時になったので、純和風の
「それで相談なんだけど……」
深川めしをつつきながら、甥が切り出した。
「えっと、何のゲームだっけ?」
「SBB、Stranger Become Brave、邦題は『なろうオンライン』ってゲーム。自分自身で
MMOとは多人数オンラインゲームということか。古き良き時代から末永く遊ばれてきた伝統的ゲームの一種。でも邦題はもう少し考え直したほうが良さそうだ。語感がダサい。
「それで、ゲームで何があったの?」
「最近、変なヤツにPKされるんだよね。本っ当にイラつく」
甥は香物を噛み締めながら言った。
「それってゲーム内のルールに従ってやってるだけじゃなくて?」
「最初はそうだと思ったんだ。だけど、ずっと付きまとわれてるっていうか……同じヤツに何度も狙われるんだよ。PKしたら懸賞金がついて、他のプレイヤーにも賞金首として狙われるのに。学校の誰かが僕を狙って嫌がらせしてると思うんだよね」
甥はタブレット端末を取り出して、ゲームのクライアントを呼び出した。甥の『冒険者』を操っているペルソナのアイコンが画面に表示される。甥がアイコンをタッチすると、薄暗い洞窟を探索中の『冒険者』が中央に現れた。頭に生々しい魚の被り物をして、
「何これ」
「え? カワイイでしょ」
「いや、顔見えないじゃん。というか前も見えないでしょ、これ」
「イベントで限定配布された兜。超レアなんだ。
どこからどう見ても兜ではない。どちらかと言うとラブクラフトの小作品に出てきそうな風貌だ。頭を狙われたらどうなるんだろう。私の疑問を察知したのか、洞窟に巣食う
「
「へえ」
「この画面ってライブ配信してる?」
「ううん。この洞窟を探索してるって知ってるのは周囲のプレイヤーだけだよ」
その時、洞窟の奥から黒い霧が吹き出し始めた。魚頭の周囲にも霧が立ち込める。何やら危険な予感がする。
「あいつだ」
「あいつ?」
「PK」
直後、洞窟の奥から大量のコウモリの群れが飛び出してきた。端末の画面が黒い翼に埋め尽くされる。
「ここはヤバい。撤退させないと」
急いで深川めしを完食すると、甥は
甥には悪いが、私は面白半分で画面を見ていた。折角だからPKも見ておきたい。やがてコウモリの群れの中から、雪を欺く白い肌に漆黒のドレスを纏った女が徐に歩み出てきた。妖艶な肢体からは、しかし生気が感じられず、その美貌は凍てつくような笑みに覆われている。
いわゆる
『会いたかった……。何度でもね……』
そう言って
「もう、最悪なんだけど」
甥は不貞腐れたように呟いたが、魚頭は怖めず臆せずといった様子だ。使い込まれて血に塗れた
「なんだ。逃げちゃうのかぁ」
私にとっては残念だが、その行動は当初の甥の目論見通りだと言えた。狭い洞窟で戦うのに適した装備とは言え、相手は得体の知れない魔術を使い、コウモリを操る
洞窟の外に出ると、待っていたとばかりに魔犬の群れが魚頭に牙を剥いた。先回りされていたようだ。それでも魚頭は洞窟に引き返すと、入り口付近の細道を利用して、一匹ずつ誘き寄せた魔犬を念入りに撲殺していく。ふと思ったのだが、物凄く嫌な戦い方をしているのはこいつのほうなのでは……?
魚頭が魔犬を残らず片付けようとした時、背後から巨大な氷柱の雨が降り注いだ。間一髪、魚頭は氷柱の致命打を避けたが、残っていた魔犬が足に食らいついた。魔犬との連携で最初からその隙を狙っていたのか、洞窟の奥から黒球が再び魚頭を襲う。背中に黒球を浴びた魚頭は体勢を大きく崩し、前のめりに倒れそうになる。
棍棒を突いて体勢を持ち直そうとしたが、魔犬は執拗に食らいついてくる。魚頭はなんとか魔犬を殴り倒し、身を屈めて洞窟の外へと転がり出た。しかし、外では先程の
残念ながら魚頭は死んでしまったようだ。最後まで魚頭の兜は脱げなかった。死体の上に
「何なんだよ……こいつ。邪魔ばっか」
「PKもペルソナの自動操作なんじゃない? 対象の『冒険者』が現れたら追って、ピンチになったら襲ってくるみたいな。ペルソナの思考パターンが分かれば、出てくる前に逃げられるんじゃないかな」
「逃げるなんてできないよ。返り討ちにできないかな」
「……うーん、どうすればいいのか見当もつかないんだけど」
私は困ってしまった。ゲーム内でやられたことなのだから、ゲーム内で解決するのは正しいと思う。しかし、私はこのゲームのシステムに通じているわけではない。どうすればPKを倒せるかなんて分かるはずもない。
「ゲーム内の種族には属性とか特徴があって、それが利点にも弱点にもなるようにできてるの。水棲生物は火に弱いとか。でも、大半の情報は公式には公開されてなくて、プレイヤーが自分で探るようにできてる。弱点さえ探り当てれば、強い相手でもどうにかできるはずなんだよ」
つまり、前もって
私たちは早速、魚頭を復活させると村の教会に赴いて聖水を準備させた。ついでに、ただの水をその場で聖別して聖水を生産できるスキルを持った女神官(甥の学友)も
ゲーム内時間で一日後、つまり夜が訪れると
『馬鹿ね……。そんな薄めた泥水のようなものが効くわけないでしょう……』
まるで効いていない。しかも煽られている。ふざけるな。
銀製の武器。駄目。
教会の敷地内に立て籠もり。駄目
何度トライしても魚頭はPKされてしまう。ここまで来るとPKのほうも相当な執念と言わざるを得ない。しかし、度重なる敗北もただの失敗ではなかった。敵の攻撃の特徴から、私はPKの種族が「吸血鬼」であると見抜いたのだった。甥にとっては馴染みの薄いこの怪物も、ボストンでは今も存在が信じられている
ここまでくれば話は早い。ひたすら吸血鬼の弱点を試してみれば良い。村の畑仕事によってニンニクをかき集めた時には、ついに甥に止めたほうがいいと泣きつかれた。それでも魚頭はニンニクを数珠繋ぎにした
『これだけ何度も会っているのに……貴方は私の名前すら呼んでくれない……どうしてなの……?』
ニンニクを投げつけられた
『私はカミラ……貴方の下僕……』
「カミラ……?」
甥は
「カミラって?」
「前に使ってた『冒険者』なんだけど、呪いを受けちゃってから放置してたんだった……」
つまり、放置された『冒険者』が
それに魚頭のペルソナにも敗れる原因があった。魚頭はひたすら
「まだ吸血鬼を倒す方法はあるんだよね……?」
自宅のVRデバイスでゲームにログインした甥が不安気に尋ねた。まだ手段は残されている。しかし、それは本当に最後の手段だった。敵の攻撃を掻い潜って接近戦に持ち込む必要があるため、大きな危険を伴う。
『貴方なのね……やっと会いに来てくれた……』
「今日こそ終わりにしてやる!」
『フフフ……いいえ、私たちは永遠に結ばれるのよ……』
「くそっ!」
『貴方は私から逃れられないの……』
その時、地中から吸盤の並んだ触手が幾本も現れ、魔犬の足を捕らえた。魔犬の群れは触手に絡め取られ、空中で虚しく足をばたつかせている。
「いあいあ! ふんぐる! ふんぐるー!」
急遽、用意したアカウントで直前に
「でやぁーーー!」
甥の叫びの後、鈍い金属音が辺りに響いた。振り下ろされた剣は身を翻した
「しまっ――」
禍々しい闇の力を纏った
「ぐっ……」
『言ったでしょう……貴方は私から逃れられない……』
いつの間にか魚頭が外れて、素顔が露わになっている。その顔は、
「逃げたことなんて、ない。本当は忘れてなんかいなかった……」
『嘘』
『貴方にも私の呪いを分けてあげる……そうすれば、ずっと一緒……貴方は私のことだけを考えてくれるようになるから……』
氷のように冷たく、しかし豊かで柔らかな
吸血攻撃が来る――
その刹那、甥は隠し持っていた杭を
『いやあああああぁぁぁぁぁ!!』
「やった……のか……?」
甥は剣を地面に突いてなんとか立ち上がると、倒れた
「……カミラ?」
『よう、やく……呼んで、くれた……』
途切れ途切れのか細い声だったが、それは確かに喜びの言葉だった。
『貴方に……私の、ことを……思い、出させる……ために……こんなこと……』
「待って!」
『許、し……』
そこまで言うと、
墓地に吹き込む隙間風が塵を撫で、どこかへと運んだ。私たちの画面の隅には、『ヴァンパイア・スレイヤーの実績を解除しました』という小さなメッセージが、夜が明けるまで表示されていた。
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