すべてが駅になる (上)

 ヒーリング・ミュージックを遮って、イヤホンからキャビン・アテンダントのアナウンスが流れてきた。もうじき東京国際空港に着陸するようだ。私は腕に目をやって時刻を確認した。私の視線を察知した途端、時計の針が猛烈な勢いで回転し、翌日の14時で停止した。出発前に同僚から借りた腕時計は、持ち主が文字盤を見た時だけ正確な時刻を知らせるスペイン製の怠け者だった。


 第2ターミナルに降りると、ボスの知人で今回のクライアントである日本人が待っていた。のっぺりとした茹で卵のような禿頭とくとうに、糊のきいた黒いスーツを着た痩身の男。口元には薄ら笑いを浮かべているが、その顔は客商売おもてなしの表情とは程遠い。オーグメントを施した男の鋭い眼光が、私を射抜いた。男は私から視線を逸らすことなく、行き交う人を器用に避けて私の下へと歩いてきた。


「この度はミラージュ・ペルソナ・サービスをご利用いただき誠にありがとうございます。現地コーディネーターの三島です」


 私はいつものように極めて事務的に、しかし営業用の明るいトーンで男に話しかけた。


 客の要望に合わせて客先まで赴くことはこれまでにもあったが、今回は珍しく生身での出張だった。クライアントが知人ということもあって、生身でも問題ないとボスが判断したのだ。


 ただし、私は偽名を使っていた。また、出張前に顔を日本人風に整形し、できるだけ足取りが掴めないように用心していた。喉にもオーグメントを施して、声も仮初めの特徴量スペクトラムに調整している。


 とはいえ、ボスからは折角だから観光してこいなどと、お気楽な調子で出張を命じられていた。私はボスの命令通り、パスポートの手数料からキャリーケースの代金まで全部経費で落として、既に半分くらい観光気分で極東の島国までやってきたのだった。


「遠いところ、わざわざ足をお運びいただきありがとうございます。長旅ご苦労様でした。横浜市交通局の真賀田と申します」


 真賀田はすぐに私を横浜市が管轄する市営バスの乗り場まで案内した。空港の外では重たい雨が降っている。無人のリムジンバスは私と真賀田を乗せると、すぐに横浜へ向けて自動運転を始めた。


ミラージュ御社の社長には、大学院の都市開発の講義でお会いしましてね。構造物自らが構造物を維持、修繕、改築していく自律型建築の構想と、プロトタイプとなるAIについて発表されていまして。いたく感動したのを覚えています」


「真賀田様も自律型建築のAIについて開発を?」


「まさか。私は技術者ではありませんよ」


 真賀田はネクタイの位置を直した。


「自律型建築といえども、市が管理する分野の一つに過ぎない。都市は住む者の意図に沿って企画プロデュースされるべきだ。そうでしょう?」


 リムジンバスの窓外に、横浜市を形成するブロックの群れが見えてきた。均一なブロック単位で建物が建築される自律型建築を用いた町並みは、どこも決まって同じ景色を見せる。巨大な3Dプリンタに接続された建築資材は、予め登録されたレイアウトのパターンに応じた建材を吐き出す。そして、それらをクレーンなどの無人重機が組み立てていき、人の手によらずに都市を「開発」していくのだ。


「今回の案件ですが、できれば交通局我々ミラージュ御社の間のみで進めていきたいのです」


「それは急にどうしてですか?」


 事前に見た資料には、横浜駅の工事プロジェクトを指揮する統括マネージャーのペルソナを所望する旨が書かれていた。これまでにもマネージャークラスのペルソナを取引してきた実績もあって、私は何の変哲も無い普通の案件だと考えていた。せいぜい、横浜市と鉄道各社の利害関係を調整するために、強力な交渉力が求められる程度だと。


「最初にご相談した時と事情が変わってしまいましてね。喫緊の課題は、いかにして横浜駅を止めるかという点なのです」


「横浜駅を止める?」


 リムジンバスがバス停のある横浜駅に近づくと、真賀田は私にICカードを渡した。日本で使われている交通系ICカード、スイカだった。


「これを身に着けておいてください。横浜市民は生体認証で自動改札を通過できますが、市外の人間には適用されませんので」


 真賀田の言葉の意味はすぐに理解できた。停車したリムジンバスから降りると、バス停のすぐ傍に自動改札の列が迫り出していたからだ。雨に打たれるのも忘れて、私はしばし呆然としていた。眼球をスキャンして改札を通過した真賀田に続いて、私もスイカをかざして横浜駅構内へと入った。


「どうしてこんなところに改札が……」


「横浜駅が自己増殖するようになったからですよ」


「はい?」


 私は横浜駅に起きていることを理解しかねていたが、真賀田は至って真面目な調子で語り始めた。


「半年前、私の部下の新藤という男が最新の工事計画を担当することになりました。これまで横浜駅の工事は遅れがちで、新しいアプローチが求められていました」


 新藤は横浜駅に新しい自律型建築のAIを適用することを提案した。提案は承認され、横浜駅は新藤自ら作成したAIによって自律型建築に生まれ変わった。当初、自律化した横浜駅は順調に工事を進めていたという。だが、3ヶ月ほど経過すると、横浜駅は計画外の拡張工事を始めたのだった。


「最初は何の事もない、改札口の拡張でした。横浜駅はターミナル駅ですから、改札口が増えたところで誰も疑問に思わなかった。しかし、自動改札を境界とする駅の拡張は次第にエスカレートしていった。今ではこれです」


 真賀田はタブレット端末に1枚の写真を映した。そこには横浜駅と繋がった空中歩廊ペデストリアン・デッキを張り巡らされた駅ビルが映っていた。横浜市を覆う自律型建築とは大きく趣が異なる、どこか調和を欠いた無秩序な構造物に思えた。


「一晩のうちにこれだけの工事が施工されています。歩道橋と違って空中歩廊ペデストリアン・デッキは道路の付属物とは見做されないため、今のところ県警も手出しできていませんが」


 いや、先に警察に届け出るべきなのではないかと思ったが、私の言葉は喉まで出かかって止まった。要するに、真賀田はこの案件を大事おおごとにしたくないということだろう。


「横浜駅は既に周辺の駅ビルである横浜スカイビルとビブレ横浜を取り込んでおり、近隣住民に何らかの……被害が及ぶ危険もあります」


 私は写真を目にしてようやく、今回の出張が途方もないハズレくじだと気付いた。横浜駅に導入された自律型建築のAIが暴走して、勝手に駅を拡張しているというのが事実だとすれば、確かに横浜駅を止めなければならないだろう。誰だって最初にそう考える。


 しかし、横浜駅の工事はそのものが大規模だった。真賀田の話では、横浜市も鉄道各社もそれぞれ独自の工事計画を持っており、工事計画の全体像は把握していない。工事計画を調整できるのは横浜駅そのものしかいないのだ。つまり、どこまで工事が進み、あるいはどこで止まれば正常な動作と言えるのか、誰にも分からないということだった。


「新藤様はこの事態をどれくらい把握していますか?」


 大勢の乗客が生み出す足音の波が、私の声をかき消した。乗客たちが横浜駅の異変に気付いている様子はない。今までずっと、横浜駅は工事を続けてきた。19世紀末から276年以上、横浜駅の工事が止まった日は無かった。夜更けに鉄道が止まったら、密かに工事は進められてきた。普段の乗客は工事の痕跡に気付かない。今更、誰が横浜駅の工事を不審に思うだろうか。


 私は声を張り上げて、先程と同じことを尋ねた。


「新藤はあらゆる手段を使って、横浜駅とコミュニケーションを取ろうと努力したようです。しかし、彼は先月、遺書を残して自殺しました。現在、担当者は不在で引き継ぎも行われていません」


 ガラス張りのエレベーターで地下に潜っていくと、急に辺りの照明が無くなり、周囲が暗闇に包まれた。真賀田はペンライトを取り出して、闇の中にかざした。照らし出された先にはコンクリートの壁と自動改札の列が並んでいる。どう見ても無意味な構造物にしか見えない。得体の知れない空間に私が戸惑っているのにも構わず、真賀田はエレベーターから降りて闇の中に立った。


「線路はありませんが、地下にも拡張工事は及んでいます。横浜駅によって、横浜駅周辺は入場が制限された『エキナカ』に改築されているのです。このままでは横浜駅が横浜市西区、いや全市を『エキナカ』に変えてしまうのも時間の問題でしょう」


「そんな無茶苦茶な……」


「横浜駅は外部からのコントロールを受け付けません。あらゆる妨害に対して、まるで防衛本能でも持っているかのように対応しています。物理的に破壊しても、そこを優先的に修復しているようなのです」


 暗闇から踵を返し、真賀田と私は再びエレベーターで通常の駅構内へと戻った。


 会話の途中、私達は大時計、ガス灯の模型、鉄道警察隊の交番前を次々に通り過ぎていった。バス停から随分と歩いてきているような気がするが、ずっと地下にいるせいで距離感が掴めない。しかし、真賀田は迷路のような駅構内の構造が頭に入っているらしく、歩調を乱すことなく進んでいく。


「新藤様の遺書には何が書かれていましたか?」


「遺書には工事の継続と成功を祈るとだけ書かれていました。しかし、彼は横浜駅に関する重要な資料をいくつか消去してしまった。全く、無責任な……」


 すれ違う乗客を避けて、真賀田は忌々しげに呟いた。部下の死よりも工事を気にしている点からして、真賀田はあまり良い上司ではなかったに違いない。


交通局我々は二つのプランを考えました。一つは横浜駅のAIに別のAIを上書きすること。もう一つは横浜駅と対話可能なAIを通じて工事を制御すること。どちらのプランでもミラージュ御社の協力が不可欠です。ではよろしく」


 真賀田は西口駅前ビルに食い込んだ自動改札から外に出ていってしまった。取り残された私は仕方なく、『エキナカ』に統合されてしまったビブレ横浜から、すぐ隣の三つ星ホテルへと歩を進めた。


 横浜駅が工事の末に日本全土を覆い尽くしてしまうという、ナンセンスな小説が書かれたこともあったらしい。だが、事態は小説のシナリオに迫っている。とにかくどうにかして横浜駅を止めなければいけない。だが、解決に必要な情報を知っているはずの新藤という男は死んでいる。


 とりあえず無事に日本に到着してクライアントと接触したことだけボスに伝えて、私はベッドに入った。外では雨が降り続いている。きっと今夜も横浜駅は鉄道が止まり、人々が寝静まったタイミングを見計らって勝手な工事を進めるのだろう。私はなかなか寝付けなかった。


 翌日も雨は続いていた。私と真賀田は新藤の使っていたコンドミニアムを訪れた。遺族の同意を得て、新藤の死後、部屋にはクリーニング業者以外に誰も入れていないという。


「いらっしゃいませ」


 どこからともなく機械音声が響き、私たちの入室と同時に照明を点灯させた。中を見渡すと、部屋はまさに独り身の男のそれと言えた。着替えや雑誌が床に散らばって雑然としているが、冷蔵庫にはボトル・ウォーター以外に何も入っていない。真賀田と手分けして調べてみたが、新藤のコンソール以外に有益な情報源は無さそうだった。


「コンソールにアクセス」


「新藤様ご本人以外のアクセスは禁止されています」


 私の命令に機械音声がにべもなく答えた。私は仕方なく自分のタブレット端末を取り出すとコンソールに接続した。タブレット端末からミラージュ会社にいる同僚に連絡する。向こうは夜中のはずだが、きっと起きているはずだ。


「おい、いいところなのに……なんだ?」


 同僚の愛想のない声がスピーカーから流れた。


「ロックされたコンソールにアクセスしたいんだけど、お願い」


「どこの」


「横浜市交通局の職員だった人がプライベートで使ってたんだけど」


 同僚はそこまで聞くと何も言わずに作業にとりかかった。個人が私用しているコンソールであれば、それ以上の情報は不要のようだった。数十秒後、コンソールに接続されたディスプレイに「ようこそ」という文字列とともにトップ画面が表示された。


「繋いでおくか?」


「ありがとう。そのままにしておいて」


 同僚との回線を接続したまま、私はコンソールに保存されたファイルを漁った。


「これは……新藤が消去した資料だ。確認してみてください」


 真賀田が指差したファイルを開くと、そこには新藤が作ったと思しき自律型建築のAIの設計が書かれていた。


「分散型……学習フレームワーク……『レッドマジック』?」


 同僚にもファイルを送信して確認してもらう。


「色々な論文を参考にしてるな。でも、だいぶ古いアーキテクチャかな」


「どんなAIなの?」


「複数のノードが並列して周囲の環境を学習して、自律的に建築を行うみたいだ。定期的にノードが同期して、学習の経過を共有する仕組みになってる。それと、成績の悪いノードを置き換える仕組みもある」


 複数のノード? ノードが同期? 何が何だか分からない。もう少し噛み砕いた説明にはならないのだろうか。私が一般人向けの説明を求めると、スピーカーからエナジードリンクの缶を開けるプシュッという音が漏れ聞こえた。


「要するに、こいつらはスポーツチームみたいなものなんだ。いつもはそれぞれ勝手に練習してるけど、チームプレイのために一緒に練習することもある。そうやって、チーム全体としてまとまりを持って行動するんだ。つまり、チーム横浜駅っていうペルソナ群だってこと。横浜駅のペルソナは一つじゃないんだ」


 同僚はエナジードリンクを飲みながら、掻い摘んで設計の概要について話した。ペルソナが一つではないということは、簡単には別のAIに置き換えることができないということだった。真賀田が話したプランA、別のAIで上書きするという案はボツになりそうだった。


「では原因は? 何故、横浜駅は暴走を?」


 真賀田が前に乗り出した。同僚の背後からスポーツ中継の歓声が聞こえてくる。試合は佳境のようだ。


「それはそっちで調べてくれ。こんな資料一つじゃ何も分からない」


 同僚が通信を切断すると、部屋には不気味な静寂が戻ってきた。

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