Virtual Live

「そろそろ時間だ」


 トーンの低い重りのような同僚の声が、私の意識を現実に引き戻した。ミーティングだ。私は自分の腕に目をやって時刻を確認した。鮮やかな青赤緑のトリコロールを施した文字盤には断食月ラマダーンを示す記号だけが浮かんでいる。時刻は分からない。皮膚の筋電場を動力にする生体腕時計は、アゼルバイジャンのバザールで買った土産物だった。


 クライアントが指定したVRバーチャル・リアリティルームにはワンタイムパスワードが設定されており、ミーティングが始まる直前までログインすることができないようになっていた。メッセンジャーを確認すると、僅か3分間だけ有効なパスワードが送られてきていた。


 急いでパスワードを入力すると、装着していたヘッドマウント・ディスプレイに人工的な植栽に囲まれた小さなテラスが現れた。現在ではデジタル・アーカイブかVR上にしか存在しない、趣味の良いフランス式の庭園。辺りを見回すと、淡いパステルカラーのガーデンパラソルの影の下に、同僚と一人の少女が立っていた。私は慌てている様子を隠すために、ゆっくりと二人に近寄った。


「この度はミラージュ・ペルソナ・サービスをご利用いただき誠にありがとうございます。ご用件をどうぞ」


 私はヘッドセットマイクに向かっていつものように極めて事務的に、しかし営業用の明るいトーンで話しかけた。


 客の要望に合わせてVRルームでのミーティングをセッティングしてはいるが、ログインしているのはアプリがデフォルトで用意した低負荷のアバターだった。ヘッドマウント・ディスプレイ越しの客の前には、ボスが3分で作ったミラージュ会社のロゴ入りTシャツを着て、安っぽさと野暮ったさを醸し出すアバターが映っているはずだ。


 ただし、そのアバターも客が警戒心を抱かない程度にあえて整形されている。そして、音声も当たり障りない没個性的な声に調律されていた。


 今の私はVR用の環境センサの前で、久しぶりに直立不動のポーズを取っていた。普段であれば、だらけた業務態度でもアバターが自動的に畏まったカスタマーサービスを演じてくれる気楽なオフィスなのだが、今回ばかりは仕方がない。同僚と共にモーションキャプチャーに身を委ねる。


「そんな緊張しないでリラックスして。ここにアクセスしているのは私たちだけだから」


 少女の目が花壇の上を舞う蝶の姿を追った。細部まで現実を忠実に再現したVRに、どれだけの計算資源が使われているか想像することは難しい。しかし、こうした高級なプライベート空間をオンラインで扱えるということは、少女が上流階級アッパークラスに属することを意味していた。


「ありがとうございます、ユキノさん。まずはご用件をお伺いしましょう」


 茶髪にピンクのメッシュを入れた少女は、ボーダーのゴス・パンクに黒いパーカーを今風に着こなしている。巷で話題の人気バーチャル・ストリーマー「ユキノ」と酷似したアバターに彼女と同じ名前。いわゆるフォロワーなりきりだった。


 バーチャル・ストリーマーはアバターを介してライブ配信を行うエンターテイナーの総称で、一種のマルチタレントである。皮肉なことに、不快に感じる人が少ない最大公約数的な存在として、現実の人間よりもアバターの外見は重視されている。ニュースのアナウンサーも討論番組の司会も、今では誰も彼もアバターの皮を被っているくらいである。


 一世紀前は身体中にモーションキャプチャーのセンサを付けてアバターの皮を被っていたが、今では表情認識と動作認識の技術の進歩で、環境センサが映像を自動的にアバターにすり替えてくれる。見栄えの良いアバターさえ用意できれば、誰でも簡単にバーチャル・ストリーマーになれる時代になったわけだ。


 しかし、それでもバーチャル・ストリーマーの人気には雲泥の差が見られる。結局、アバターを演じる人物がエンターテイナーとしてポンコツではファンは寄り付かない。今もバーチャル・ストリーマーとして生き残っている人々は、人気になる要素を外面も内面も兼ね備えていると言えた。


 それにしても、フォロワーなりきりになるため金に物を言わせてオーダーメイドで「ユキノ」に似たアバターをわざわざ用意してきたとすれば、いけ好かない輩もいたものだ。ドレスコードがあった時代であれば、彼女の格好は歓迎されなかったに違いない。しかし、よほど自分に自信があるのか、庭園とのちぐはぐな雰囲気を少女が気にしている様子はなかった。


ミラージュそっちに依頼したのは、秘密をちゃんと守るって聞いたからなんだけど。本当に絶対に大丈夫って約束して」


「はい。ミラージュ弊社のセキュリティは国際規格に準拠しております。指定された機密情報が漏洩することはありません」


 同僚のアバターが抑揚の無い音声で答えた。対話用のAIが自動的に応答したようだった。少女は一瞬、眉をひそめてこちらを振り返った。


「貴方はどう?」


 訝しげな少女の問いに、私は同僚よりも幾分マシな声色で答えた。


「顧客情報も依頼内容もすべて機密情報に属します。ご安心ください。お客様のご希望通り『秘密』を厳守いたします」


 うちは老舗でも大手でもない、ボスを含めて3人のしがないペルソナ・ディーラーだ。顧客の要望に合わせてAIの人格を仕入れて売り捌く。AIよりまともな人格の客が金を落としてくれれば有り難いが、往々にしてこの手の商売は詐欺師と軽犯罪と面倒事のオンパレードだった。


 だからこそ、ミラージュ私達は顧客に満足してもらえるように誠心誠意、営業している。情報が多少漏れても困らないなどと言って、終業後にバーで仕事の内容をベラベラ喋って酒の肴にするのは、プロのペルソナ・ディーラーではない。私達はプロなのだから、顧客の情報は常に完璧に安全なのだ。


「……じゃあ、私の正体、絶対にバラさないでね」


 少女は仕方なくといった調子で、市民IDと紹介状のパスコードを送ってきた。手元の端末が解読した紹介状の内容をディスプレイに吐き出す。


 紹介状には以前取引したAI中毒マニアの神経外科医の名前が載っていた。市民IDの問い合わせ結果を確認すると、少女の職業欄には自営業、(バーチャル・ストリーマー)と書かれている。私が顔を上げると、同僚の顔と目が合った。


 バーチャル・ストリーマーは自分の正体を隠すためにアバターを活用しているが、アバターには当然、著作権などの諸権利が認められる。そっくりなアバターを用いてバーチャル・ストリーマーを騙る「なりすまし」は違法であり、本人確認のためアバター自体に署名情報が付与されることも少なくない。


 人気バーチャル・ストリーマーであれば「なりすまし」を防止するため、署名情報を登録するのは一種のマナーのようなものだった。同僚は無言で自分の前にいる少女から署名情報を照会した。結果は、眼前の少女が本物の「ユキノ」であることを証明していた。


「言ったでしょ。私の正体をバラさないでって」


 唖然としている同僚に少女が釘を刺すように言った。もし彼女の正体をバラしたら、即座に私達の仕業だと判明するだろう。そんな馬鹿げたことはできなかった。それよりも、何故ユキノがミラージュ私達に依頼に来たのかが問題だった。


「失礼いたしました。『なりすまし』行為は違法ですので、予め確認させていただきました」


 私が頭を下げると、少女は不満げに小さく溜息をついた。


「つかぬ事をお伺いしますが、何故ユキノの正体が貴方であると知らせるようなミーティングを……?」


「だって、信用してもらえないと思ったから。未成年だし……」


 少女の社会的に未熟で無垢な反応に、私は少しだけ同情した。こちらは営利目的で動いているのだから、客がどのような態度を取っても文句は言わない。たとえ違法な「なりすまし」であっても、金づるになると思えば黙っているのがミラージュ私達の利点でもあった。


「信用しますよ。アバターの署名情報が本物ということは、間違いなく本物のユキノさんですから」


「確かにアバターこれは本物だけど、もう本物のユキノはいない」


 私のアバターの作り笑いエモーションにも、少女は本物のユキノらしからぬ、どこか陰のある調子で答えた。


「と、仰っしゃりますと……?」


「姉さんは死んだの」


 テラスに降り注ぐ陽光が、薄雲に遮られて揺らめいた。


 ユキノは既に亡くなっており、現在、ユキノのアバターを操っているのは彼女の親類に過ぎない。それはユキノのファンにとって全く受け入れ難い事実だろう。応援してきたのが全くの別人なのだから。しかし、真正のアバターが用いられている以上、この事実を知っているのはユキノの所有するプライベートなVRルームにいる私達だけだった。


「最初は楽しかった。人気者の気分を味わえて。でも、段々辛くなってきたの。死んだ姉をずっと思い出し続けることが」


 ユキノの姿を借りた少女は伏し目がちに語った。ユキノはほとんど毎日、長時間にわたってライブ配信を行っていた。それを引き継ぐということは、自分の人生を捨ててユキノになりきるということだった。


「だから決めたの。もうユキノになるのは止めようって。ペルソナを使って、代わりに姉さんを生かし続ければいいって」


 私を含めたユキノのファンたちを騙してきたことは構わないのかと、私の中の道義心が吠えたが、その叫びは胸の奥へと消えていった。ここで少女に説教を垂れても一銭の得にもならない。まずは彼女の希望をより具体的に聞き出すことが先決だった。


「それは……ご愁傷様です。これからご相談を進める上で、もしかすると辛いことをお聞きすることになるかも知れませんが、よろしいでしょうか」


 少女が小さく頷いた。普段のライブであればユキノが見せることはない、少し怯えたような強張った表情だった。その顔を見て、私は会話している相手がユキノ本人ではないと確信した。


「ユキノを生かし続けるということは、つまりお姉様の……ユキノと同等のAIが必要ということでしょうか」


「そう。姉さんのAIがユキノを続ければいい。そうすれば、誰も困らないでしょ?」


 これからもユキノのファンを騙し続けることになるほうが困るように思えるが、細かいことを気にしても仕方ない。これだけはっきりとした希望を持つ客はなかなかいない。要するに、手間が省けるし、ビジネスとして美味しい。


 中身が違っても外見が今までと同じであれば、ユキノがアルゴリズムの集合体にすり替わったことを見破ることは困難だろう。しかし、勘の良いファンがひょんな事から不審を抱き、以前のユキノと今のユキノの会話ログや挙動をチェックする可能性もある。語彙や動作を可能な限り本物に近づけ、熱心なファンの目を掻い潜るためには、本物のユキノの情報が必要だった。


「お姉様の、生前の記録はどのくらいありますか?」


「一応、ユキノより前に使ってたアバターを含めて4年分のアーカイブがあるけど」


「最新の記録はいつですか?」


「2年前」


 2年前? 私は卒倒しそうになった。古過ぎる。というか、直近2年はユキノがユキノではなかったということではないか。私達が見てきた彼女は何だったのか。ユキノのデビューは3年前だから、どちらかと言えばユキノがユキノではなかった期間のほうが長い。ふざけるのも大概にしてほしい。私は呻くのを必死で堪えて、同僚に視線を送った。


 同僚は顎に手を当てて静かに思案している。技術的問題を解消するには彼の意見を聞くしかなかった。私が痺れを切らす前に、同僚は仮想空間にあるはずのない眼鏡を押し上げるような仕草を見せた。


「貴方の記憶からAIを作ったほうが良いかも知れませんね」


「姉さんのAIを? 私の記憶から?」


「ユキノが亡くなった後、2年も彼女になりきっていたんですから。多分、大丈夫でしょう」


「多分って……」


 少女は不安気な表情を浮かべたが、同僚は彼女の変化に気付かないようで、話を続ける。


「2年前の記録では古すぎて、今のユキノとの乖離が大きくなってしまうでしょう。情報のアップデートがない死者の人格メモリアル・ペルソナが、生前の人格と違っていると感じるのはそのためです。だから、定期的な情報のアップデートが必要ということで――」


「だけど、私は姉さんじゃない」


「貴方の想像で構わないんです。例えばこのテラスにお姉様がいるとして、彼女とどんな会話をするか考えてみてください。彼女がどんな反応をするか。想定された会話ダイアログに基づいて、AIを作る。簡単でしょう?」


 同僚がテラスに設置されたプラスチックの椅子を引く真似をした。本当に簡単かどうかは別問題だが、同僚の提案する手法に間違いは無さそうだった。


「でも……姉さんとユキノは違う。ユキノは姉さんと私が一緒に作った人格ペルソナだもの……」


 少女は俯いたまま、ずっと白い石畳を見ている。どうやら彼女は混乱しているようだった。もしかすると、彼女に先に必要なのは心のケアのほうで、ペルソナの注文は後回しのほうが良いのかも知れない。


「ユキノはもう半分、自分なの。自分と会話するなんて、頭が変になる……。ユキノになったこと、ずっと後悔してるのに」


「落ち着いてください。大丈夫です。安心してください」


 私はなんとか少女を宥めようとしたが、型通りの言葉しか出てこなかった。やがて少女はうずくまってしまった。アバターから涙は出てこないが、顔を隠して泣いているように見えた。


「それなら、もう少し別の方法にしてみませんか?」


 同僚が少女の視線まで腰を落として言った。


「別の方法?」


「お姉様を……お姉様だけを再現するんです」



***



「で、ユキノの調子はどう?」


 ボスが書類を整理しながら聞いてくる。眩いピンクに染めた巻き毛と、あどけない少女のような表情からは、ペルソナ・ディーラーの社長どころか堅気かたぎの人間の雰囲気すら感じさせない。コンソールに囲まれた夜更けのオフィスには私とボスの二人しかいなかった。もうすぐ日が変わる。


「いつも通りにライブ配信してますよ。雑談ばっかりですけどね」


「それなら良かった。毎年、この時期になると心配なんだよね」


 ユキノは相変わらず、最新タイトルのゲームをプレイしながらリスナーとしきりに雑談している。しかし、日を跨ぐ直前になって予定通りに、普段よりずっと早めにライブ配信は打ち切られた。


 結局、ユキノは彼女の妹がフォロワーなりきりとなってライブ配信を続けていた。彼女以外に、もはやユキノになりきれる者は存在しなかったからだ。彼女が二代目ユキノであることを知っているのは、本人を除けばミラージュ私達と、あと一人だけだった。


「お姉さんは、アップデートされてる?」


「えぇ。今年もいつも通り」


 メモリアル・センターにアップロードされたユキノのペルソナは、年に一回だけアップデートされる。メモリアル・センターでは多く遺族が、かつての習慣に則って思い思いに故人を偲んだり、故人のペルソナと対話したりできる。


 今日がユキノの命日かどうかは定かではないが、少なくとも彼女の記念日であることは確実だった。今日この日だけ、ユキノの妹が会話だけで生み出した、彼女だけの姉――ユキノの死者の人格メモリアル・ペルソナは、その面影を妹に思い出させるのだった。

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