最悪の脚本 ~ マッド・スクリプト
教会の鐘の音が
「この度はミラージュ・ペルソナ・サービスをご利用いただき誠にありがとうございます。ご用件をどうぞ」
私はヘッドセットマイクに向かっていつものように極めて事務的に、しかし営業用の明るいトーンで話しかけた。
客の要望に合わせて客先でのミーティングをセッティングしてはいるが、現地にいるのは偽装した
ただし、そのヒューマノイドも客が嫌悪感を抱かない程度にあえて整形されている。そして、音声も聞き取りやすさだけが取り柄の没個性的な声に調律されていた。
今の私はカメラの前で肘掛け付きのゲーミングチェアに腰掛け、空いた手を背中に隠してハンドグリップを弄んでいた。こんな業務態度でもヒューマノイドは自動的に畏まったセールスマンを演じてくれる。体勢だけは気楽なオフィスだ。
「ぅ……ァうっ……おェい……っぐュ……」
『ご足労いただき感謝します。改めて自己紹介を。私が本教会の
「よろしくお願いいたします。
むしろ、
『私のこの醜悪な姿を、貴方の目に晒すプ……失礼、無礼をどうかお許しください。しかし、
うちは老舗でも大手でもない、ボスを含めて3人のしがないペルソナ・ディーラーだ。顧客の要望に合わせてAIの人格を仕入れて売り捌く。AIよりまともな人格の客が金を落としてくれれば有り難いが、往々にしてこの手の商売は詐欺師と軽犯罪と面倒事のオンパレードだった。
だから、通常は暗号化した通信だけで対応しているのに、この
「素晴らしい教会ですね。
『僭越ながら、まずは私の務めを。ミズ・ハーロット』
「何でしょう?」
『悩み、苦しみ、そして罪。安らかな人生を送るためには、そのような心の平穏を乱す
「失礼ですが、こちらは
『いえ、我々、ニュー・ダミアン伝道会は……失礼。挨拶のようなものだと思ってください。どなたの入信も神への感謝と献キ……失礼、献身次第ですから』
先に
「ご用件をお伺いいたします」
『既に申し上げている通り、信者の助言者となるペルソナが必要なのです』
勿論、ネガティブな性格を用意することは可能だし、需要もあった。「物質主義」にひた走る「仕事中毒」のAIも、見方を変えれば優秀なオーグメント・セールス担当者になれる(「最新の
結局、
『私の姿に対して、多くの人々は深い哀れみの感情を抱きます。彼らの感情は、他のナノマシン拒絶症患者に対しても同様でしょう。しかし同時に、強烈な生理的嫌悪感を抱くことも変えられぬ事実』
『ニュー・ダミアン伝道会の信者の多くは、保守的な
少し大袈裟な表現だが、彼の言葉には一理あった。経済格差は確かに大きくなっている。
「勿論、分かりますとも、
『そうした中で弱者に対する見方も変わっているのです。19世紀の単純労働の時代には肉体的弱者が、20世紀の知識労働の時代には知的弱者が、そして21世紀の感情労働の時代には精神的弱者が救いを必要としてきました。では、現在はどうでしょう。お分かりになりますか?』
私はハンドグリップを強く握り締めた。知るかよ。私は社会史の講義なんて取っていない。
『……遺伝的弱者ですよ』
『正常な肉体、知能、精神を、健全に生まれ持っていても免れられぬ不変の不条理。生まれた瞬間から
話が長い上に重い。今夜は少しハイペースで呑まねばならないだろう。
「素晴らしい志ですね、
『かつて最も重要な哲学的問いは何故、我々には意識が備わっているのかというものでした。しかし、今ではペルソナの開発によって
それが何故、我々には遺伝子が備わっているのかというものなのです。教会には遺伝子操作設備も備えていますが、それらは一時的な癒やしを与えるに過ぎません。遺伝子がもたらす悩み、苦しみ、そして罪に救いをもたらす者こそ、現代の救世主と言えるでしょう』
「はい、
『この問いに答えられるペルソナです。いいですか、ミズ・ハーロット。ペルソナは
馬鹿げた陰謀論だった。ペルソナの社会侵略? 偉大なる祖国? カルトの誇大妄想もここまで来ると病気だ。それだけペルソナを危険視するなら、ペルソナを買って使うほうがちょっとおかしかないか?
しかし、私だってディーラーだ。よろしい。ならば私も問おう。汝が我を招きしカスタマーか。その覚悟を。
「ご希望の性格に一致したペルソナをご用意できます。恐らく、唯一その問いにも答えられるペルソナです」
『本当ですか! 素晴らしい!』
「ただし、そのペルソナは自身を生身の官僚、しかも自然保護と環境問題を担当する
『それは……』
「
『勿論。条件に不満はありません。この出会いを神に感謝します』
神のみぞ知る。それが運命と言うものだった。
***
「で、そのニュー・ダミアン伝道会はどうなったんだ?」
ボスがカクテル・グラスを揺らしながら聞いてくる。眩いピンクに染めた巻き毛と、あどけない少女のような表情からは、ペルソナ・ディーラーの社長どころか
『☆☆☆ ニュースをお伝えします ☆☆☆』
壁に埋め込まれたディスプレイの映像が、アイドルのライブ中継にニュースの字幕を被せる。
『本日、連邦捜査局はマサチューセッツ州を拠点とする宗教団体、ニュー・ダミアン伝道会の所有する教会を家宅捜索し、
「あははっ。何これ。タイムリーすぎでしょ」
ボスは紅潮した横顔を笑みで満たした。
『教会の地下室からは
同僚が端末でニュースの詳細を検索しながら眼鏡を押し上げた。
「ひどいな、これ。ターゲットは小型の
「闘技場の真似事か?」
ニュースの画像には互いに骨を砕き、耳と指を噛み切り、目や舌を抉り、殺し合いの最後には信者に踏み付けられて死んだ、
『担当捜査官は会見で、教会に所属するAIのアドバイザーが信者を教唆し、意図的に人間よりも遺伝子的に下等な
「あ、ちょっと! 大丈夫か?」
ガラスの破砕音に驚き、ボスが私に声をかける。私は震える手で、グラスを握り込んで砕いていた。
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