二
廃れてしまった山村はすでに時間から切り離されかけていた。それでも、毎日訪れる夜が映し出す星の位置が移り変わることだけがその村に時間の存在を今も与えている。
もしも、この村が永遠の雲に覆われてしまったら、それこそ、何もない、時間さえもない、無の場所になってしまうだろう。
ある夜に雪が静かに降ってきた。空は曇っていて星は全く見えない。大きな牡丹雪がどこまでも。見上げれば雲に吸い込まれてしまいそうなくらい。
また朝が来て、太陽が昇っても、まだ雪は残っていた。もしかしたら、そこは素晴らしい景色があったかもしれないけれど、誰も訪れないからそんな事は存在しないのと同じ。何にも記録されないし、どこにも伝わらない。
その廃村から少し離れたところにある村には一日に四本、バスが来ていた。昔は鉄道がもっと山奥まで通っていたらしく、そこには車輛が保存されるという噂を聞くが、人々は誰もそれを見たことはなかった。バスはその奥までは通っていない。
もう、この村もいつ廃村になってもおかしくないぐらいである。一応、人は住んでいるが時とともに街に出て行ってしまい、今では十数人が残るだけである。観光客なんてものは一度たりとも来た事がない。
彼は僅かな数しかないバスを乗り継いでここまで来たのだろう。村の人たちはどうしてこんな所にこんな人が来たのか分からなかった。ここにそんな珍しいものがあるわけでもない。ただ、窓からちらちらと彼の様子を窺うだけだった。
しばらく彼は村を歩き回って、建物の写真を撮っていた。それから、草が鬱蒼と茂るかつて存在した鉄道の線路跡を辿り、山奥に消えていった。
「ついていないな」彼は呟いた。
空はダークグレィの雲が広がっている。もう少しすれば雨が降るだろう。雨具はもちろん持ってきているが、雨に降られたら、帰りが大変になる。
少し息が切れたので、手持ちの飲み物を飲んだ。軽く息を吐いてから再び歩き出す。道には、所々には枕木やレールが残っていた。それも彼は写真を撮る。
もっと先に歩けば、今度はトンネルがあった。彼の記憶が正しければ、トンネルを抜ければそこに目的のものがあるはずである。
時刻はまだ十一時。
彼はいくつかのトンネルを抜けた。トンネルは一つではなかった。ここで初めて地図を見る。もう、ずっと前の地図だ。今まで通ってきたトンネルの数は覚えていたので、それを参考に地図の線を追った。自分の予想が当たれば、あと十五分ぐらい歩けば着くだろう。
どんどん寒くなってきた。まさか、トンネルを抜ければ雪が降っているのではないだろうか?
彼の予想通りに何度目かの長いトンネルを抜けた瞬間、案の定、雪が十センチほど積もっていた。そして、少し遠くに廃れた車庫が二つ見えた。レールも残っている。ホームの跡らしきものもある。走って近づく。車庫のドアが開いていたので、覗いてみたけれど何もなかった。もう片方は少しだけ開いているが、中が見えるほどではない。なので、彼は隙間に手を差し込んで開けてみた。ドアの木は、すでに腐敗が始まっている。
藍色の列車がそこに置かれていた。横には、作業用のホームみたいなものがある。もしかしたら、中に入れるかもしれない。彼は錆びついた階段をそっと上がる。そして、やっぱり錆びついているドアに触れた。ここはかなりの手ごたえがあったが、なんとか開いた。一歩、入ってみる。ギイと嫌な音がしたが、一度だけだった。いくら歩いても出ない。中は埃だらけだったが、ずっと使われていないにしてはきれいな方だと彼は思う。服が汚れるのを分かっていてシートに座った。そして、荷物を置いた。
時計を見る。二時間近く歩いたことになっていた。
もう、昼ごろなので弁当を広げた。降りた駅で買った駅弁である。それを三十分ぐらいかけてのんびりと食べた。だいぶ疲れたので、しばらく休むことにする。
夕刻に目が覚めた。気がつけばまた寝ていたみたいだった。でも、今日はここで野宿の予定だから寝過ごすという心配はない。トイレに行きたくなったので、列車から降りて近くの草むらでした。その時に気がついたが、天気は徐々に良くなっている。これだと、綺麗に星が見えるかもしれないと僅かに希望をもった。
数時間、彼はすることがなかったので、列車の中でボーっとしていた。ふと、この列車の事を、昔は汽車と呼んでいた事を思い出した。
二十二時。沢山の星が瞬いていた。彼は車外に出る。蒼い星が最初に目に留まった。少し暗いが特徴的な青色だった。でも、寒かったので、すぐに車内に戻る。暖房も何もないが、外よりは格段に温かい。そこで眠ろうと思っても、寝れなかった。昼間に寝すぎたのかもしれない。
深夜零時を少し過ぎた頃、遠くから汽笛というかクラクションというか、そんな感じの音がした。それからしばらく経った後に、エンジンの音が聞こえた。近づいている気がした。ヘリコプターか?
彼は外に出る。やっぱり寒い。でも、それは今の問題じゃない。
そこで彼が見たものは、彼の記憶とイコールで結ばれたものだった。
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