第35話 「隠れメイド」
「……」
「……彩花さん、無言はやめてください……」
「……」
「か、隠れメイドさん! やっぱり似合ってないんじゃ」
「「いえ、坊ちゃまが口下手なだけで大変よくお似合いですので大丈夫です」」
「あ……その、とても、えっと、あー。ええ、お綺麗です。先生」
「ほらー!! なんて言ったらいいかわかんなくてなんとなく褒めてる感じになってるー!!」
もう誰に叫んでいるのかはしらないが、唯子は小さく叫んだ。じゃないとまたお隣さんから壁にドンと来るから。
湯浴みとエステ、着替えをすませて出てきた唯子の圧倒的なお嬢様オーラにどうしよう、ここまでは計算になかったと一瞬めまいのした彩花だったが。
胸がどきどきして止まらない、息を吸うのも苦しい、顔が赤くなっていないか心配すぎて上の空の返事を返してしまえば。唯子が涙目になってしまい、隠れメイドたちに睨まれた。最初とは逆だ。
「あ、彩花さんが。綺麗なわたしが見たいって言ったから恥ずかしいの我慢したのに!」
「なにか先生が恥ずかしがるようなことをしたんですか、お前たち」
「「いえ、たぶんエステが恥ずかしかったのかと」」
「エステする先生……見たかったです」
「「さすがにアウトでしょう」」
「やです!! 彩花さんの……彩花さんの、えっち」
「え……」
全力で拒絶した後、隠れメイドたちのスカートの後ろ小さな子どものように隠れて。照れ隠しのように潤んだ眼で「彩花さんのえっち」と呟いた唯子に、彩花はどうしようもない嬉しさと残念さがこみあげてくるのを感じた。
まず、なぜ嬉しいか。彩花には別に被虐趣味はない。ただ単に、主に裸で行われるエステを見られるのを唯子が恥ずかしがったということは。自分は一応「男」として意識されてきているのではないかということに気付いたからだ。以前は胸が見えそうになろうとも構わなかった唯子が恥ずかしがっている。
そこに喜びを感じたのと、いままでの唯子なら見せてくれただろうにという残念感極まりない感情が芽生えたからである。まあ、唯子は基本的に緩いから見せてくれなくても構わないのだが。
「えっち」という言葉にぴしゃーんと背景に雷でも背負いそうなほどにショックを受けている彩花は無視して。
「隠れメイドさん、ありがとうございました。あ、わたし、五月女唯子といいます! 唯子って呼んでください。それと挨拶おくれてごめんなさい」
「私、一条
「私、一条
「いえ、っていうか椿子さんも桜子さんもとっても和風な美人さんなのでよくお似合いの名前ですね!」
「「……ありがとうございます」」
きらきらと無邪気に目を輝かせながら、緩んだ笑顔で美人は名前も美人! と1人はしゃいでいる唯子に。坊ちゃんの初恋相手、次期奥さま候補筆頭のお相手をするということで入っていた肩の力が一気に抜けた。
顔は素晴らしく美しい、寛容であり些細なことに動じない性格、我儘などもなく坊ちゃんもベタ惚れ。もうこの方が奥さまになってくれればいいんじゃないかと内心ぐったりした椿子と桜子だった。
いままでの次期奥さま候補という名の婚約者候補たちは皆使用人の名前など尋ねなかったし、褒めるどころか耳にも入れたくない。動く奴隷のような存在だと本気で思っているような節があったから、こののほほんとした子どものような女性が婚約者になってくれればいいなと思ったのだ。
「「では我々はまた明日参りますので」」
「あ……、すみません。最後に1つだけ、本当にご迷惑おかけするんですけど」
「「はい?」」
「メイクって……どうやって落としたらいいんですか?」
「「……」」
普段からメイクをしない唯子にとって、これは最難関の問題だった。
思わず生暖かい目になってしまった椿子と桜子は仕方のないことだろう。それから、メイクに関してはどうにも口出しできない周りをうろうろしている彩花をおいて、2人がかりでメイク(笑)を落としてもらった。
そのお礼に唯子特製フルーツタルトとグレープフルーツの紅茶を出したら、最初は遠慮していたものの。「これ以上食べたらドレス着れなくなっちゃうかもしれません」と真顔で冗談なのか本気なのかを言った唯子に根負けして食べてくれた隠れメイドの2人だった。
「「それでは唯子様、フルーツタルトごちそうさまでした。また明日もメイクとドレスアップを行いに来るのでどうぞよろしくお願いします」」
「こちらこそよろしくお願いします!」
「じゃあ先生、ぼくも2人と一緒に帰りますね。なんて言ったって隠れメイドですから」
「見つかっちゃまずいんですね! わかりました、ばれないようにこっそり帰ってください!」
玄関でひそひそと話している唯子と屈んでいる彩花を見た、大荷物を抱えた桜子と椿子は。絶対ばれるし、そもそも隠れているのは他の婚約者候補からであって民間人からではないと言いたくなるのをぐっと我慢して、唯子の気を引きたいがために彩花が言った「隠れメイド」の任を全うするのだった。
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