風は遠くからも吹いて 四話

 「お疲れ様です。まりなん先輩、いますか」絵美は控えめに入り口から顔だけ出して聞いた。

 彼女が来るのは数週間ぶりだったが、それも日常になっていた。

 「多分、学生課に行ってる」

 「ありがとう、そっち行ってくるわ」

 「なあ、えみちん」

 「何?」

 「最近、大丈夫?」

 「大丈夫」

 彼女は顔を出してすぐに行ってしまった。別に戻ってくるのを待てば良いのに、わざわざ向かうあたりに嫌な予感が作業場の面々に走った。

 「キヨから聞いた、こっちにえみちんが向かってるって」茉莉奈は学生課の前で待っていた。

 「ありがとうございます。あの、実は──」

 「辞める?」察していたかのようにさらっときく。

 「ああ、あ、はい……すみませんが、さすがに参加がもうできそうになくて」

 「やっぱりそうかあ……。別に名前だけも残しておいてもいいんじゃない。そうしたらいつでも戻ってこれるし」

 「でも、さすがに部費も払えなくて作業にも来れないのに、そういうのは申し訳ないです」

 「気にしないでいいのに。滞納している人もいっぱいいるし」

 「でも……」

 「真面目だなあ」

 そこで絵美は苦笑いをした。

 「まあ、分かった。落ち着いたら、いつでも戻ってきていいからね」

 「はい、ありがとうございます」

 作業場に戻ってから絵美は空いていたダンボールに自分がクラブに置いていたツナギやちょっとした道具をまとめる。

 「えー、作業中にすみません。緊急でミーティングします。部室でやりますので集まって下さい」

 その茉莉奈の呼び掛けにあっというまに

 「内容は察している人もいるかもしれませんが、絵美の退部についてです。先程、話を聞いてこれから先も参加が厳しくて部費も払える見込みがなく退部希望と言う事です。絵美からも一言、話せる?」

 「大丈夫です。忙しいところ時間作ってもらってすみません。事情はさっきの話の通りです。祖父が亡くなった後、実家に状況が悪くなりどうしてもバイトや実家の手伝いをやらないといけなくなったので、続けられなくなりました。茉莉奈先輩からも引き留められたのですが、名前だけ置いてて戦力に数えるかどうかで迷わせても申し訳ないので……。あとそれに奏恵にはあたしからスカイランナーズに誘ったのに、こんな事になってすみません。一緒にプラットホームに登れないのは本当に悔しいので、もし、実家含めて安定するようになれば戻ってきますので、もし、皆さんがいいと言ってもらえるのであれば、作業場や部室に来させてくれたらと思います。今までありがとうございました」

 一通り、話し切った彼女と他の部員からも涙が落ちる。いつか、琵琶湖の水になるかもしれない涙だった。


 その日の夜、奏恵は絵美を駅ビルにあるカフェに誘った。二人ともブラックコーヒーを注文して言葉少なではあるものの部員同士として最後の時間を過ごした。

 「……ありがとう。奏恵と飛行機作れて楽しかった」

 「そんな、今日が最後みたいなのやめてよ。いつでも戻ってきていいんだから」

 「うん」

 そこから他愛もない思い出話に花を咲かせた。スカイランナーズの新歓で知り合って、絵美の勢いに任せて二人で入部した事。

 「奏恵がテレビに映るの楽しみにしてるから」

 「まあここでテレビに出れても、何にも繋がらないとは思うけど」

 「でも、何かあるか分からないやん。スタッフと仲良くなれたら、縁もあるかもしれんし」

 「……そうだね」

 奏恵は元々女優になりたかった夢を諦めていた。それが突然、テレビに出れるチャンスがあるかもしれないという理由で入部した。そんなに甘くはない事は分かっているけれども、少しでもまた機会があるなら、こんな形で挑戦してもいいと思っている。もう演技をしてでは、舞台やテレビには映れないのだから。そんな事情の一部始終を話した事があるのも部内で絵美だけだった。

 「いつでも待ってるから!!」よく通る奏恵の声は人が多い改札前でもよく聞こえる。

 その声に何人かの通行人が彼女の方を振り向いた。

 絵美は笑顔で手を振って応える。

 「ありがとう!」

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