風は遠くからも吹いて 二話

 祖父のいる病院まではバスで向かう。数年ぶりに乗る地元のバスだった。

 バスは病院前で停まり、絵美は真っ直ぐ病院のロビーを目指す。母に着く時間を伝えてはいたが見当たらない。仕方がないので受付で名前と見舞いに来たことを告げて祖父の病室を調べてもらうか、母を呼び出して貰うかしようとしていた。

 「絵美!」後ろから母の声。「忙しいのにごめんね」

 「ううん。おじいちゃんは!?」

 「今のところ落ち着いてる。喋れないけど……」

 「そっか……」

 母に案内されて病院内を歩いていく。祖父がいるのは高度治療室と言うところだった。

 「おじいちゃん、大丈夫!?」思わず彼女は声に出してしまった。

 祖父は処置は終えたもののちゃんと喋る事が出来る状況ではなかった。久しぶりに孫の顔を見て、少し笑った表情をするのが精一杯だった。だが、彼はたった一人の孫の姿を見て動こうとする。

 「無理に動かなくて大丈夫……」

 ベッドに垂れている皺だらけの手を孫が握る。無言のまま握り返そうとしたがその力はびっくりするほど弱かった。

 その手元を一度視線をやってから、またすぐに顔を見る。

 医者とも話をして、今は落ち着いているけれどもそんなに安心できる状況ではないと説明を受けた。夜も誰かはついていた方が良いということで今晩は母が一緒にいることになり、絵美は実家に向かった。家にはほとんど寝たきりに近い状態の祖母がいるので、そちらはそちらで介護をしないといけない。

 「じいさんは、だいじょうぶかの」祖母は祖父の容態を絵美に訊く

 「落ち着いてきていたから、多分大丈夫だと思う。でも、念のためにお母さんが一晩ついてることになった」

 「そうか……おたがい、としをとってしまったからなあ」

 「まだまだ大丈夫だって」

 「それでも、もうひとりでは、もう無理だし」

 「あたしも、母さんもいるじゃん」

 祖母はそこで笑って、黙った。絵美が二人分の晩御飯を作って食べ、軽く掃除を済ませた。

 寝床は別にあったが、何か不安で祖母のそばに彼女は布団を敷いて寝る事にした。

 「えみ、そら、とぶんだって?」寝る前に突然、祖母が訊いてくる。

 「え……、聞いたんだ。あたしが飛ぶんじゃないけど。みんなで飛行機作って飛ばす」

 「みたいなあ」

 「もしかしたらテレビに映るかも」

 「また、みせて」

 「うん」

 彼女が人力飛行機を作っている事を祖母が知っていることに思わず驚いた。ちょっと嬉しいような恥ずかしいような。祖父の方が知っているのかどうか気になった。知っていたとしてもそれを聞けるような状況ではないし──。そんな事を考えながら、眠りにつく。

 「おやすみ」

 「おやすみなさい」


 日の出前に電話が鳴って絵美は飛び起きた。思わずスマホを手にとったが、鳴っているのが固定電話だと気がついて受話器を取りに居間に走り、受話器を取る。

 「絵美か、すぐにおばあちゃんと病院に来れる? おじいちゃんの車でいいから」母からだった。

 すぐ行くと電話を切って、祖母を抱えて助手席に乗せて病院まで急ぐ。

 「うんてんも、するんやな」

 「できるようになったよ。飛行機飛ばすのに車でみんなで行くしね」

 病院の面会入り口に車を入れて、先に祖母を先に降ろした。迎えの看護師さんが丁度出てきたところだった。

 「お嬢さん、早かったですね。だいぶ飛ばしました?」

 「そんな事ないですよ。あの祖父は?」

 「まだですが、危ない状態です。車停めたらすぐに病室まで」

 早朝で道が空いていたから早かったのだろう。彼女は駐車場に車を停めて、走って病室に向かう。

 ほのかに灯りがついた無機質な廊下の中で一番、明るかったのが祖父の病室だった。その前でゆっくりとドアを開ける。

 「無理なさらないで下さい……」 

 「おじいさん、だいじょうぶや──」

 先生と祖母の声が聞こえてくる。

 「どうですか?」絵美が中に入っていく。「まだ──」

 その声と重なるように機械の音が鳴った。孫の声は間に合ったかは分からない。

 小さい頃からの思い出が脳裏に蘇りながら彼女はその場に立ち尽くす。

 大学に行けと言ったのも、免許を取れと言ったのも、祖父だった。


 だから、せめて──。

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