第2話
領地視察から戻ってくると、もう晩餐の間の方は賑やかな気配がしていた。
「お帰りなさいませ。もう皆さまお揃いでございます」
「わざと遅れた訳ではない」
「存じております。他意がある時はこの様な微妙な時間ではなく堂々と遅れて帰られますし、御髪も乱れる事なく、却って整っておりますし」
「急いて晩餐に向かいたいのだが?」
「大変失礼致しました」
文句ついでに余り知られたくない事まで暴露されそうな執事の言を遮る。
ハットとステッキを預けて晩餐の間に入ると、遅れて申し訳ありません、と主催である父母に告げて自分の席に着席した。
「遅れるにも程があるぞ、アルバート。ミスター・ナリタ、私の二番目の不肖の息子、アルバートだ。滞在中はこれが貴方のサポートをする。良しなに使って欲しい」
「イエス、マイロード。初めまして、ハジメ・ナリタと申します」
父に頷き、こちらの方を向いて挨拶をしたのは、黒髪の少年の様な顔立ちの男性だった。
こちらを見つめる瞳が、黒瑪瑙くろめのうの様に美しい。
「アルバート・ジェラルドだ、よろしく」
軽く会釈し、挨拶は終わったとばかり隣の貴婦人達と話し始める。
黒瑪瑙の青年は気にする事もなく、両隣から聞かれた事を喋り、また主催からの質問にも卒なく答えている様だった。
アルバートは貴婦人達との中身のない会話を楽しんでいる振りをして黒瑪瑙を観察する。
(完璧とまではいかないが、クイーンズ・イングリッシュだな。片言でなくて上々。テーブルマナーは完璧だからその他の所作も大丈夫だろう。まぁ、連れて歩く分には差し障りない。少し食が細いか?)
メインを半分しか食べずにフォークを置いていた。その後のパイも少し食べて残している。まぁ、晩餐の料理は数も多いし食べれなくても問題はないのだか。
身体が小さそうなので胃袋も小さいという事だろう、後で料理長に申し伝えるよう執事に言わなければ。両親はそういう心遣いは皆無な人間なので必然、アルバートにそういう役回りが回って来る。長男は両親よりもさらに夢の住人なので論外だ。今日も晩餐を欠席している。
デザートを終え、女性達が居間へ喫茶に行った所でワインが回ってきた。
目の前の黒瑪瑙は一口飲んだだけで顔を赤くし出した。
(飲めんな)
父は構わず、煙草は? と聞いている。いいえ、やらないので。申し訳ありません。と断っている様子が緩慢になってきた。
そして、とろりとした瞳になった時、アルバートは失礼、と席を立った。
「父上、少し彼と明日の予定に関して話をしたいので、席を外してもよろしいでしょうか」
突然の申し出に少し驚いた顔をした父だったが、ああ、構わんよ、若者同士語り合いなさい。と許可を出した。
きょとんとした顔の黒瑪瑙に、こちらへ、と促すと足取りはしっかりとしたまま、窓際のチェアまで付いてきた。
少し庭を見て話す風にしてガーデンへと続く窓を少し開けてやる。
オータムに入りかけの風は冷たくなってはいたが、酔った身体には丁度良いだろう。
「ありがとうございます、マイロード」
アルバートの心遣いに気付いたのだろう、魅惑的な瞳を細めて柔和に礼を言ってきた。
「俺は爵位持ちではないよ。アルバートだ。アルと呼んでくれて構わない」
砕けた物言いに少し目を見張ったものの、また柔らかく微笑んで、重ね重ねありがとうございます、ミスターアルバート。とテナーにも満たないアルトの声で言った。
「さて、大変失礼だが、君の名前をもう一度教えて貰えるかい? 事前に聞いては居たが上手く発音出来ないんだ」
黒瑪瑙は頷いてゆっくりと言った。
「はじめ、なりた と申します」
「ハジュメ」
「はじめ」
「ハジュミ?」
「ふふっ」
拳を口に当てて思わず、と言った笑みは男性のアルバートから見ても凄まじい破壊力だった。アルバートはチッと心の中で舌打ちをする。背後の気配が変わったからだ。
(風を受けれる様に座らせたのが仇になった…不味い)
黒瑪瑙の破壊的な笑顔を見た輩がもう噂立てている。アルバートはさりげなくチェアをずらして黒瑪瑙を見えない様にした。
「笑ってくれるな、貴方の国の言葉は発音しにくい。愛称は無いのか?」
肩をすくめておどけた様に言うと、失礼しました、ミスター。と律儀に謝って、そうですね、とまた口元に拳を当てた。
「では……イチ、と呼んで頂けますか?」
「イチ」
「はい、ミスター」
イチはとても嬉しそうに応じた。
その顔は多分見られてはいない。見られなくてよかったとアルバートは心底思う。
(不味いな、俺に男色の気はないのだが)
その気がないアルバートが見てもぐらっと来る笑顔である。これは非常に不味い。
しかも、イチの事はもう背後で噂になっている。
「イチ」
「はい、ミスター」
「アル」
「はい?」
「この英国での滞在期間だけでいい、俺の事は公式の場以外は愛称で呼ぶんだ」
「ミスター?」
「アル」
「……アル」
「良し、戻るぞ。体調の悪い振りをしてくれ」
「え?」
言うが早いかアルバートはイチを立たし、がっちりと肩を組んだ。戸惑った顔のイチを父の近くまで歩かせる。
「すみません、父上。長旅の疲れが出た様で、休ませた方がよいと思います」
「そうか、こちらに到着して間もなかったのだったな。ゆっくりと休まれよ」
鷹揚に頷いた主催に、ありがとうございます、マイロード、と申し訳なさそうに礼を言うイチを連れてアルバートも会釈し退出した。
部屋を出てしばらく歩き、背後を伺って誰も追ってこない事を確認すると、やっと肩から手を離した。
「驚いただろう、悪かったな」
と歩きながら話しかける。
「いえ、私もだいぶ酔ってしまっていたので、ありがとうございました。ミスター」
「アルだ。普段から言っておかないと咄嗟に出て来なくなる」
「あの、ミスター?」
「アル」
執拗に名前呼びを矯正するアルバートを、イチは戸惑う様に見上げた。
丁度玄関ホールまで戻った所で立ち止まる。
「イチ、我が国の事は良く勉強して来ている様だが、男色という嗜好がある事は知っているか?」
「男、色……?」
少し小首を傾げながら、なぞる様にして言う小桃色の唇は恐ろしく魅惑的だ。
なぞっている言葉がまたいけない。
あの輩達の前でこんな表情を出された日には、目も当てられない状況なるのは必須だ。
アルバートは努めて冷静に一つ、ため息を吐くと、イチの耳元で男と男が……と子供でも分かる様な直接的な言い方で囁いた。
さっと頬を朱に染めたイチの顔を見て、アルバートも頷く。
「一応確認しておくが、イチはそう言う嗜みは有るか?」
「な、無いです」
ぶんっと首を振ったイチにほっとして、分かった、と頷く。
「こちらに居る間は俺が盾となろう。そうでないといつ身包みを剥がされるか分からん」
「え? ミスタ……」
「ア・ル、だ」
「アル様」
「アル」
「……アル」
良し、と頷くと、部屋は二階か? と尋ねる。
ええ、と頷くイチを部屋へ戻る様促す。
「とにかく、明日内輪だがパーティーがある。俺も全面的に協力するから五月蝿い輩を黙らせるぞ」
イチはええ、ともうん、とも言わず困惑した顔で佇んでいた。
「今日はもう遅い、詳しくは明日だ」
「あの」
「君がまだよく分かっていない事は承知しているが、もう直ぐ会を終えた輩がここへ戻って来る。面倒な事になる前に部屋へ戻った方がいい。いいね」
そこまで言えば、イチもはい、と頷いた。
「色々と、ありがとうございました」
「いや、厄介事が嫌いなだけだ」
そう嘯うそぶくと、今度はクスッと笑って優雅な礼を取り、黒瑪瑙の瞳を柔らかく細めて、ありがとうございます、お休みなさい。と言って二階へ上がって行った。
「凄まじい破壊力ですなぁ」
「ああ、流石の俺も、っと、側にいるなら声を掛けろ!」
「いやぁ、こちらに到着した際もお美しい方だとは思っていましたが、笑みを浮かべられると私の様な者でも胸が高まってしまいます。アルバート様、これは事ですね」
「ああ、非常に不味い」
「しかも明日は」
「ドダリー卿が来る」
「守って差し上げねば」
「面倒だがな」
ため息と共に毒づいた主人を片眉を上げて見るが、執事は今回は何も言わなかった。
さて、と首に手を当てながら、面倒だと言った足で晩餐の間に戻っていくからだ。
戻れば待ち構えた蜂達に寄って集って突かれるだろうに。
執事は笑みを浮べ深々、いってらっしゃいませ、と首こうべを垂れた。
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