雨が降ろうが槍が降ろうが
「たまには休んだらどうだ」
「遅れちゃだめなのか?」
「仕事だからな」
この奇妙な傘――アン・ブレラ――は綺麗とは言い難い部屋で仕事の様子を眺めていた。
真っ黒で無駄に大きく、そして――喋る。口もついていないのに喋り続ける。
冬基は小説家である。
あんまり売れているとは言い難い。というかアルバイトがなければ生活が成り立たない。
だけれど仕事とはよく言ったもので、その姿勢だけは一丁前だ。
真夏だというのにクーラーもつけず、ずっと書き続けている。
アンはその様子をずっと眺めていた。
「俺はな、とにかく書こうと思っているんだ。悩む暇があったら書く。とりあえず書く。とにかく書く」言いながら冬基はキーボードをリズミカルに叩く。
「小説家というのはそういうものなのか?」
「たぶん色んなタイプがいるな。長い間考えてから書く人。とにかく書く人。なにかを伝えたい人。誰かに褒められたい人。それぞれだ」
「ふむ。それで冬基はガンガン書くタイプと」
「おうよ、俺みたいなぺーぺーは書かなきゃ始まらないしな。悩むのは書いてからだ」冬基は豪快に笑った。
そう言う冬基の風貌は重たそうな目にぶら下がるクマ、顔全体の皺はだんだんと深くなってきている。垂れている顎の肉とぽっこりでたお腹は長年の積み重ねだ。
つまりどう見てもぺーぺーという歳ではない。
アンはそれを指摘しないことに決めた。
「まあその気骨はいいな」
「そうか? ありがとよ」
「それで今書いているのはあとどれくらいで完成なんだ?」
「そうだな……一か月半くらいかな」無料で貰った壁掛けのカレンダーをちらりと見た。
強がってはみたものの、やはり売れていないというのは悲しい現実である。
これだけ時間を費やして得るものは僅かなことがほとんどだ。
「一か月半……そんなにかかるものか」
「十年以上同じシリーズを書いている人だっている。本当に好きじゃなきゃ難しい仕事かもな」
「十年以上? ……ほかにも色々見てきたが、仕事というのはどれも大変のようだな」
「そりゃそうだ。苦しまなきゃ仕事じゃねえ。好きと苦しいは別問題」
「そういうものか」
「そういうもんだよ」冬基は声を弾ませた。「例えばこの国で行われる予定の国際スポーツ大会。あれに出る選手はスターだ。でもきっと見えないところで誰もが真似しないような努力をしているんだろうな。俺もそうなりたいもんだ」
アンはこういう人間を見るとふと考えてしまうことがある。
自分に仕事があるとすればそれは雨を防ぐこと。
ずっと昔はそれに対するなんの感情も持ち合わせていなかった。だって傘に生まれたのだから。
でもいろんな人を、そしてこの冬基を見ていると、なんだか別の考えが生まれてくるようだった。
そんな錯覚に陥った。
そしてアンは苦笑する。
ワシは何を考えているのだと。まるで人間みたいだ、と。
途切れた会話に冬基は首だけ振り返る。「どうした? にやにやして。傘のくせに」
「いや……なんでもない。そうだ、そもそも冬基はどうして小説を書いているんだ?」
「うん? どうした藪から棒に。まあアレだな。これがやりたいってことだけはなぜだか決まっていたんだ。それは俺の幸運だったな」
「迷わなかったのか?」
「んー。全くないといえば嘘になるし、正直一度筆を置いたこともあった。だけれどなんだか戻ってきちゃうんだよな。やっぱり書きたくなるんだよ。そういう病気だ」筆じゃなくてキーボードだけどな、と笑った。
そう言うと再び画面に目を向け一心不乱にキーボードを叩いていく。
アンはその様子を見て、今度は子どもを見るような優しい目で笑った。
「病気か……ふむ、そうだな。冬基を見ているとそんな気がしてくるな」
「おう。雨が降ろうが槍が降ろうが、俺はひたすらに、がむしゃらに、しゃかりきに、書き続けるぜ。傘なんか不要かもしれないな」
冬基はアンに対してこの手のジョークをよく言う。
「……確かにそうだな。冬基にワシは不要だ」
「おい、真面目に受け取るなよ――ってあれ?」
アンが――いない。
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