第35話 決戦

我が家の前で、三つの憎悪が対峙している。

最悪だ。

逃げ場を失った。


「お前ら、よくも私と俊ちゃんのはじめてを台無しにしてくれたな」

「テメェこそ、年老いた身体でセンパイを汚そうとしやがって」

「俊くんのはじめては私のものです。あなたたちのようなアバズレが、気安く彼の貞操を語るな」

殺意が、まるで電撃のようにピリピリと痛い。

「私たちのバージンロードを邪魔するなんていい度胸じゃない。そのむなしい努力に免じて、一瞬で片付けてあげる」

葵ねぇが、ゆっくりとそれを引き抜く。彼女の右手にあるもの、それはれっきとした日本刀だった。んなもん、いつの間に手に入れたんだよ……!

「ははっ、いいですねそういう単純なの。嫌いじゃない。でもさ、テメェらごときがボクに勝てると本気で思ってるのか?」

住宅街とは無縁な轟音が、鼓膜をつんざいた。チェーンソーだ。香澄が、チェーンソーを怒鳴らせている。どうしてお前がそんなもの持ってるんだ……!

「いい加減、あなたたちにはうんざりしていたところです。もう結構でしょう、ほうむってしまって。さようなら、みなさん」

みどりちゃんがなにかを構える。あれは……

「……火炎放射器」

茶助がつぶやく。火炎放射器だって? 火炎放射器なんて実在すんのかよ!? ソイツはもう、兵器だぞ!

「とっとと始めましょう。あなたたちの死体が見たくて仕方がない」

「へへっ、バラバラになんのはテメェらだ。切り刻んでやるよ」

「ここであなたたちの火葬まで済ませてあげます。次に会うのは、そのブサイクな面が骨と化したときですね」

三人が凶器を構える。

──夕日が沈んだ。

夜が訪れるのと同時に、全員が叫んだ。


「「「死ね!!!!!!!!!!!!!!!」」」


平凡な風景が、戦場と化した。

「俊、逃げるわよ」

紅が言う。

「こんなところで傍観してたら、巻き添えを食っておしまいよ」

「でもどうやって」

「ウチの敷地から逃げましょう」

彼女が足早に歩を動かす。俺と茶助も、なるべく足音を立てないようにして後に続いた。

「今日という今日は絶対に殺す! どれだけ命乞いされようが、必ずその手足を引き千切ちぎる!」

香澄の怒号が響き渡る。

「殺せ♪ 殺せ♪ 殺せ♪ 俊ちゃんに害をなす女は一人残らず駆除しましょう♪」

「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」

一帯が炎の赤に包まれる。熱気がこっちにまで伝わってくる。

「こら、余所見よそみしない。このどさくさを利用しない手はないんだから」

紅にならい、小さな柵を乗り越える。右足が痛むが、ここは我慢だ。

「さあ、走るわよ」

全員が相模家の敷地に移動すると、紅が声高らかに言った。

「俊くんを横取りしようとする悪い女は燃やしてしまいましょう」

その瞬間、俺たちの真ん前を火炎が横切った。続けてみどりちゃんが姿を現す。

彼女はボロボロだった。肌がところどころ赤黒い。服も、いつもの彼女からは想像もできないほど不潔だ。注視すれば、紅も疲弊しているのがわかる。二人はかなり激しく争ったようだ。

「おいおいどこ向いてんだよ。そんなに死にたいならとっとと死ねよ!」

香澄が、みどりちゃんめがけてチェーンソーを振り下ろした。

「チッ、本当に邪魔だなどいつもこいつも!」

それをかわしたみどりちゃんが反撃しようとした瞬間、数本のナイフが飛来した。

「邪魔者はお前たちでしょう。黙って私と俊ちゃんの恋を応援してなさいよ」

葵ねぇが刀を突き出す。それがみどりちゃんの頬をかする。

「ああ、こんな面倒で不愉快なことになるなら、もっと早くに殺しておくべきだった!」

背後から攻撃してきた香澄に刀を振る葵ねぇ。チェーンソーと日本刀が激突する。

「殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺す!!!」

凄まじい金属音の中でも、香澄の声がはっきりと聞こえる。

「今よ!」

紅の号令を皮切りに、俺たち三人は走り出した。

「あ、待ってくださいよセンパイ! ボクがこいつらを蹴散らすとこ、刮目かつもくしてくださいよ!」

香澄だ。

彼女は葵ねぇを蹴飛ばすと、一目散にこちらに走ってきた。

「ヤバい、こっち来た!」

あんな、チェーンソーを振り回すような人間に捕まったら、一巻の終わりだ。

必死に両足を動かすも、香澄との距離は見る間に縮んでいく。チェーンソーの爆音が、死神の笑い声のようにすら思える。

「くっ、こうなったら……」

「あっ、おい茶助、どこ行くんだよ!?」

茶助がいきなり進路を変える。

「センパーイ!」

お構いなしに香澄が突進してくる。マズい、このままじゃ……!

「ええい!」

そのとき、茶助の声がした。エンジン音と一緒に。

「茶助!?」

「ぐぬぬぬぬぬ!!!」

香澄のチェーンソーを、茶助が原付バイクで受け止めている。バイクを立てた状態でアクセルを踏み、タイヤの回転でチェーンソーに対抗している。

「お前、なにやってるんだよ!」

「ご心配には及びませんよ。こう見えても僕、原付の免許を取得しているので」

「いや、そういう問題じゃ……!」

「ピザーヤのバイクですから、耐久力も申し分ありません!」

それでも、バイクが押され気味なのは明白だった。

「今のうちに逃げてください!」

「行くわよ俊」

「でもっ」

「じゃないと、死ぬのはアンタよ」

唇を噛む。

「俊君!」

茶助が叫ぶ。はじめて見た。アイツのあんな表情は。

「すまない、茶助!」

俺は叫びながら、一歩を踏み出す。

「平気よ。いくらアイツらでも、無関係な人間を殺すなんてことはしないでしょう」

紅の一言に、少しだけ心が軽くなる。

「それより問題なのは──」


「俊くんは私のものだぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

「俊ちゃんは私のものだっっっっっ!!!!!!!」


目の前で、みどりちゃんと葵ねぇが矛を交える。クソッ、先回りされたか。

「私以外が俊くんを求めるなんて不愉快だ! 俊くんは私だけのものだ。身の程をわきまえろ」

みどりちゃんが、まるでチャンバラのように火炎放射器を振り回す。

「ほざくな。なんの根拠があって、俊ちゃんを私物化しているんだ。俊ちゃんは私の弟だぞ。血縁という絶対に侵せない繋がりが、私と俊ちゃんを結んでいる。それは強くて、太くて、濃厚で、だからお前ら他人が介入する余地なんて皆無だ」

暴れる炎を回避して、葵ねぇが一気に距離を詰める。

「死ねよ」

空気を突き破るように、鋭い一撃を繰り出す葵ねぇ。

「フッ」

みどりちゃんが不敵な笑みを浮かべた。

焼死ぬのはお前だ」

恐るべきことに、彼女が左手に握っていたのは二本目のバーナーだった。みどりちゃんは躊躇うことなく火炎を放射する。ゼロ距離から発射される超高温の熱。さすがの葵ねぇでも、これは本当に……!

「だいたい、他の女が俊くんの名前を呼ぶことすら気に食わない。俊くんとしゃべるな。俊くんの声を耳に入れるな。俊くんを視界に映すな。俊くんと同じ空間に存在するな」

みどりちゃんはそれでも火を放射し続ける。それどころか、さらに火力が増している気がする。夜空の星をかすめるように、火の粉がパチパチと弾けて飛んだ。

「ご臨終」

「あ、葵ねぇ……」

刹那、爆発音とともに黒煙が立ち上った。

「俊ちゃんが、お姉ちゃんの名前を呼んでくれた……♡」

そこに立っていたのは、右半身をただれさせた葵ねぇだった。

「貴様……!」

見ると、火炎放射器のバーナーが一本、消え失せていた。まさか、葵ねぇが破壊したのか?

「俊ちゃんが応援してくれてる♡ 俊ちゃんが私の勝利を願ってくれてる♡ はぁ……なんて素敵な夫婦愛でしょう♡」

グロテスクな見た目とは裏腹に、恍惚的こうこつてきな声を上げる葵ねぇ。バーサーカー。そんな言葉が頭に浮かんだ。

「俊ちゃん! お姉ちゃん頑張るね! 俊ちゃんのために、たくさん殺すね!!!」

声と同時に、葵ねぇの姿が消えた。

気が付けば彼女は、みどりちゃんの背後に回っていた。

「クソッ……!」

あまりのスピードに、みどりちゃんの反応が遅れる。

のろい」

道端に、赤が飛散した。

「みどりちゃ……!」

肩をつかまれる。

「逃げるわよ」

紅に無理やり手を引かれ、その場から走り出す。

どうしてこんな、こんなむごいことに……!

「余計なことは考えるな」

紅が目を合わせずに言う。

「アタシとこのまま逃げるのよ」

その言葉が、なぜか胸にしこりを生んだ。なんか、紅らしくない……?


「ヒャッホウ!!!!!!!」


不意に、夜の住宅街に不釣り合いな愉快な声がこだました。

「センパーイ、お待たせしました!!!!!!!」

声の在り処は、空だった。

「なっ……!!!???」

自分の目を疑った。

遥か上空に、香澄がいたからだ。

チェーンソーに乗って。

こちらに落下しながら。

「危ない!!!」

咄嗟に紅に身体を引かれ、香澄のダイブを間一髪で免れる。轟音と一緒に、アスファルトがえぐれる。

「ふう、やっと追いつきました」

何事もなかったように笑顔を向ける香澄。

「センパイってば、急に逃げ出しちゃうんですもん、びっくりしましたよ! もう、そんなにボクと遊びたいなら、言ってくれればいいのに」

「言葉の意味がわからないな」

「だーかーら、またボクと追いかけっこしたかったんでしょ? ボクとイチャイチャしたかったんですよね? センパイの心なんて、ボクにはお見通しなんですから」

チェーンソーをかついで、香澄がこちらに接近してくる。

茶助が突破されたのか? アイツは無事なのか?

そんな不安で思考が埋め尽くされる。

「さあセンパイ、デートの続きをしましょう! 邪魔者がいない二人だけの世界で、ラブラブなカップルがイチャイチャするんです。これぞまさにラブアンドピース。人類が最も幸せになる結末ですね!!!」

「……戯言ざれごとだ」

口からするりと、胸中が漏れた。

「お前の言葉は全部、荒唐無稽な戯言だ。いい加減に理解しろ。俺とお前は、カップルじゃない」

「あ?」

直後、香澄の首が90度に曲がった。あまりに直角に曲がったもんだから、アイツの首が折れたのかと錯覚した。

「センパイ、いつからそんなにバカになっちゃったんですか? ボクとセンパイが世界一の夫婦だってことは、歴史の教科書にも載ってる一般常識ですよ。そんな赤ん坊ですらわかることを忘れちゃうなんて……あ、もしかしてわざとですか!? ボクにぶたれたいから、わざと反抗してるんですか? もう、欲しがりだな。家に帰ったら、たっぷりと愛を与えてあげますから♡ その代わり、ボクのこともたくさん犯してくださいよ!」

「だからそれが戯言だって言ってんだろ! バカなのはお前だ。いつまでも飽きもせずに、妄言を重ねて。……いや、言葉だけじゃない。結局、お前を愚鈍ぐどんたらしめてるのはその思考回路だ! 俺は、お前のその狂った思考を否定──」


ドガァァァァァァァン!!!!!!!!!!


なにが起きたのか、わからなかった。

気が付いたら、身体が塀に埋まっていた。

「ぐはっっっ!!!!!」

「俊!!!」

頭部が熱い。潰れそうなほど背中が痛い。視界が不明瞭だ。抗おうとも、まぶたが勝手に落ちる。

「寝るな」

頭をつかまれ、もう一度塀に叩きつけられる。

「ちょっと野放しにしすぎたな。だいぶ悪い色に染まってる」

香澄は俺の首根っこを握ると、そのまま高く掲げた。俺の身体が宙にある。

「ねえセンパイ。ボクはね、一度たりとも間違ったことがないんです。ボクは常に正しいんです。だから、ボクの言葉が正義だ。ボクの愛が真理だ。いくら恋人であろうと、それだけは否定できない。否定させない。だって、愛する妻を悲しませるのは、この世で一番の悪だから」

再三、意味不明な理屈を唱えたかと思えば、俺の肩に凶器が添えられた。彼女が電源を入れれば、俺の肩は一瞬で終わるだろう。

「クソッ……やむをえないか。こうなったらアタシが」

紅の声がした。やめろ。やめてくれ。お前はさっさと逃げるんだ。茶助と一緒に、逃げてくれ……!

「それじゃあ始めましょうか」

香澄が、チェーンソーのスイッチに指を乗せる。

「愛の教育を♡♡♡」


肉が引き千切れる音がした。


「あん?」


下半身に血が垂れる。

俺の血ではない。香澄の血だ。




「俊ちゃんは私が守る」


「テメェ!!!!!」

香澄が葵ねぇに反撃する。その衝撃で、俺の身が自由になる。

「あとちょっとのところだったのに!!!!! お前はいつもいつもいつもボクの邪魔ばかりしやがって!!!!! 絶対に殺す!!!!!!!」

「なにがあとちょっとよ。お前には端からチャンスすらない。生後0秒でお前の敗北は決定している。敗者は死ぬのが自然の摂理だ。だから死ね。いや、私が殺す」

目にも留まらぬ速度で、日本刀とチェーンソーが交わる。映画でしか聞いたことのないような剣戟けんげきの音が、あたり一帯に響き渡る。

「俊ちゃん、すぐにお姉ちゃんが助けてあげるからね。あと5秒でコイツを片付けて、お家までおんぶしてあげる」

「ほざけ!!! センパイが帰るのはボクの家だ! ボクたちの愛の巣で、みっちりと教育してやるんだ!!!!!」

わずか2メートル先で繰り広げられる戦争に、身体が怖じ気づいてしまっている。一刻も早く、ここから立ち去るべきなのに。

「俊!」

紅がこちらに走ってくる。手を伸ばしながら。

俺はすがるような思いで、その手に手を伸ばした。

「行きましょう、俊くん」

しかし、俺の手を取ったのは紅ではなかった。

「みどりちゃん……!?」

全身に傷を作ったみどりちゃんが、俺の手を引いて走る。彼女の背中に火炎放射器はなかった。

「さあ、これに乗ってください」

そう言ってみどりちゃんが俺を車に押し込んだ。

「これ、え、運転できるのか!?」

運転席に座る彼女に叫ぶ。

「運転するのはAIです」

みどりちゃんが謎のスイッチを押すと、車は本当に勝手に動き出した。どうなってんだよ。

「このまま一緒に、遠くへ逃げましょう。それが、俊くんにとって最良の選択です」

「なにバカなことぬかしてんだよ! そんなの、俺は賛同できないな」

助手席のドアハンドルを思い切り引く。しかし、ドアはしっかりとロックされていた。

「バカなことではありませんよ」

前方に視線をやりながら、みどりちゃんが言う。

「誰もいない場所で、二人で平和に暮らす。それのなにが、馬鹿げているんですか? 安全に生きたいという欲求は、人間なら誰しもが抱くものですよ」

「誰のせいでこんなことになったと思ってるんだ!? 俺の安全を、平穏を壊したのはいったい誰だ!?」

彼女は遠い目で、過ぎ行く景色を流していた。激昂する俺と、沈黙するみどりちゃん。先程とは真逆の構図の中に、言い知れぬ空白のようなものが存在していた。

「誰のせい、なんでしょうかね」

「なっ……!?」

彼女の無責任な回答に、怒りを覚える。

「──あるいは、誰のせいでもないのかもしれませんね」

なんでだよ。俺は君に腹が立ってしょうがないのに。

なんでそんな、悲しい目で、俺を見るんだよ。

「ですが、もううれう必要はありません。このまま私と俊くんで、邪魔者も、争いも、不幸も悲しみもない楽園を築きましょう」

そっと、みどりちゃんに頬を撫でられる。その手はマメだらけで、いつもの彼女からは想像もできないほど、ごつごつしていた。

「大好きですよ、俊くん」

抱き寄せられる。

オレンジ色の街灯が、彼女のつややかな黒髪を断続的に横切る。

さっきまであれほど血が上っていた心が、どうしてか、静けさを取り戻していた。

「……!!!」

不意に、みどりちゃんが俺から離れた。そしてその一秒後、車が急停止した。衝撃とともに。

「なんだ!?」

慌てて前方を見やると、

「か、香澄!?」

信じ難いことに、香澄が素手で自動車をせきとめていた。

「俊くん、降りてください!!!」

咄嗟にドアから脱出する。

その直後、俺たちの乗っていた車が投げ捨てられる。

爆音。

宙に浮いた車が、真っ二つに切断されて爆発した。あたりに火が走る。

「遅くなってごめんね、俊ちゃん」

折れた日本刀を捨て、葵ねぇが言う。

「お前、よくもセンパイを略奪しようとしたな」

香澄が、血走った目でみどりちゃんを睨む。

「本当にしつこい」

苛立ちを吐き捨てるみどりちゃん。

再び、三人が対峙した。

さびれた公園で、火の熱を浴びながら、三人が睨み合う。全員、武器を持っていなかった。

「クソが!」

香澄が叫んだのと同時に、三人が走り出した。

「テメェらはどうして、ボクの邪魔ばっかりするんだよ! もう諦めて、ボクにセンパイを寄越よこせよ!」

「諦められるわけがないでしょう! 俊ちゃんは、私の唯一の存在なの。他の誰にも、渡したくないの!」

「俊くんを……俊くんを一番欲しているのは私だ! 私は俊くんと結ばれたい。俊くんと結ばれて、ただ幸せになりたいだけなんだよ!」

三人が、素手で殴り合う。今にも泣き出しそうな顔で。

「俊……!!!!!」

紅が、青ざめた顔で俺の元へ走ってきた。

「無事だったのね! 本当によかった……!」

両肩を力強くつかまれる。そんなに握られたら、痛いだろ。

「さあ、あんな女たちは放っておいて、さっさと逃げるわよ! 今度こそ、アタシとアンタで──」

「どうして」

紅に引っ張られても、俺は動く気が起きなかった。

「どうして、こんなことになったんだろうな」

「幸せになりたいのはボクだって一緒だ! どん底の地獄なんて、もうまっぴらなんだよ!」

「それはただのエゴイズムよ! 私だって俊ちゃんに救われた。俊ちゃんのおかげで生きようと思えた。だったら今度は、俊ちゃんを幸せにしてあげなきゃいけないの!」

「エゴイズムでいいじゃないですか。恋なんて、所詮そんなものでしょう? 私は私の意思で、俊くんに恋をしたんです!」

三人が、裸の心で殴り合う。そんなに殴ったら、痛いだろ。殴られるほうも。殴るほうも。

「俊、どうしたの!? さっさとこの場から立ち去るわよ!」

紅に無理やり立たされる。それでも足は、動かなかった。

「あなたたちのエゴイズムこそが、俊ちゃんを不幸にしているの! 俊ちゃんを幸せにできるのは、私だけなの! だからお願い、私に俊ちゃんをちょうだい!!!」

「あなたたちに、俊くんを愛する資格なんてない! 傷つけるような愛し方しかできないあなたたちには……!!!」

「そんなのしょうがないだろ!!! 他人の愛し方なんて、誰からも教わってないんだから!!!!!!!」


──あるいは、誰のせいでもないのかもしれませんね


そうか。

そうだったのか。

彼女たちは、知らなかったんだ。他者を愛するということを。無知だから、自分なりの方法でしか、愛を表現できなかった。

でもそれって、悪いことなのか? 無知であることは、罪なのか?

俺は彼女たちの猟奇的りょうきてきな言動の被害者だ。それは今でも変わらない。

でもきっと、それだけじゃないんだ。

彼女たちもまた、なにかにさいなまれ、なにかに傷つけられ、なにかに心をむしばまれた、被害者なんだ。だから、屈折した方法でしか、愛を表現できなかった。


「ちょっ、俊、どこ行くのよ!?」

俺は駆け出した。

さっきまで動かなかった足が、嘘みたいに軽い。

でもたぶん、その先は栄光の楽園なんかじゃない。きっと暗くて、痛くて、暗い、彼女たちにとっての地獄だ。

我ながら、本当に本当に本当にバカだと思う。

それでも、助け出したいと思ってしまったから。

もうこれ以上、彼女たちに、痛い思いをさせたくないと、感じてしまったから。


「俊ちゃんと結ばれるのは私だ!!!」

「俊くんと結ばれるのは私だ!!!」

「俊センパイと結ばれるのはボクだ!!!」


「みんな、やめるんだ!!!!!」


三人の間に、割って入る。

全員の腕が、寸前で止まる。


「もう、傷つけあうのはやめよう」


──俺が彼女たちを救うんだ。

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