第22話 毒か薬か劇薬か
葵ねぇと突然の再会を果たした翌日、俺はある場所へ向かっていた。
道中で気持ちばかりの花を買い、電車に乗る。
冷房の効いた箱に揺られること数分、ネオ秋葉原駅で下車した。
電気街とは逆方面の出口を
白き
言わずもがな、ここは水蓮寺グループ──つまりはみどりちゃんの家だ──が経営する病院だ。実は、あの三人はこの病院に入院している。まあ、葵ねぇが退院した今となっては「入院していた」のほうが正確だが、みどりちゃんや香澄もあの日以来ここで生活している。搬送された経緯はわからないが、おそらくみどりちゃんのご家族が働きかけたのだろう。ともあれ、葵ねぇがお世話になったことには変わりない。そこで今日は、みどりちゃんに直接お礼を言いにやって来たという運びだ。
正直、みどりちゃんの顔を見るのも気後れするが、義は尽くさねばならない。
……葵ねぇは、学園祭のことを覚えていないと言っていたが、みどりちゃんはどうなのだろうか? そもそも、みどりちゃんは元気なのだろうか?
薄暗い心持ちのまま、病院へ足を踏み入れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
受付を済ませると、最上階へ通された。そこはまるで超高級ホテルのような格式だった。来るのは二度目だが、相変わらず慣れない。
案内された病室の前で、深呼吸をする。重たく感じる右手でドアをノックすると、名乗ってもいないのに「どうぞ」という声が返ってきた。もう一度、呼吸を整えてから、真っ黒なドアをゆっくりと引いた。
「失礼します」
病室に入ると、すぐにみどりちゃんの姿を見つけることができた。突然の訪問にもかかわらず、まったく驚いた様子はない。
「久しぶり」
「お久しぶり、です……」
声をかけるも、目を逸らされてしまった。部屋を見回すと、ベッドにヘッドホンがあるのを認めた。音楽でも聞いていたのだろうか。
「これ、つまらないものだけど」
そう言って、道中で購入した小さな花を手渡す。
「あ、ありがとうございます」
瞬間、みどりちゃんが危うくそれを落としてしまいそうになった。すんでのところで彼女がキャッチする。
「だ、大丈夫?」
「は、はいっ。その、すみません……」
おどおどした瞳で、花に視線を落とすみどりちゃん。今日の彼女は、会話も挙動もなんだかぎこちなく感じる。
「体調はどう?」
もしかしたらまだ優れないのかもしれない。
「身体はまったく問題ありません。
「そっか……」
その言葉とは正反対に、左腕にぐるぐる巻きにされた包帯が痛々しさを主張していた。
「その、俊くんはお変わりないですか?」
「俺? 俺は大丈夫だけど」
「そうですか」
みどりちゃんがホッと胸を撫で下ろす。
「それで、今日はどうなされたのですか? 私の顔を見に来てくださったんでしょうか?」
「あ、えっと、お礼を言いに」
「お礼?」
みどりちゃんが小首を傾げた。
「葵ねぇがこの病院でお世話になったから、そのお礼を言わなきゃと思って。昨日、退院したんだけど、おかげさまで元気になったよ。本当にありがとう」
「そうでしたか」
みどりちゃんはさほど興味を示していない。
「私のお見舞いではありませんでしたか。ちょっと残念です」
「いや、もちろんみどりちゃんの心配も……!」
そこで言葉に詰まった俺に、みどりちゃんが微笑を向ける。
「すみません、意地悪が過ぎましたね」
なんだか懐かしい気分だ。学園祭直前のみどりちゃんと談笑しているみたいで。だんだんと、彼女のぎこちなさが薄まっているように思えた。
「それはそうと、ずいぶんと夏休みを満喫されているみたいですね」
脈絡のないセリフに、一瞬、疑問符が浮かんだ。
「そう、かな……?」
ぶっちゃけ思い当たる節がない。なにせ、誰かさんたちのせいでこちとらナーバスな夏休みを迎えているからな。
「お友達と一緒にゲームやお勉強なんて、私にはいまだ一度きりの経験ですから。とっても羨ましいです」
……そうか、俺が紅の家に通っていることを言っているのか。
「あれは別に、大したイベントでもないし」
「では、そんな些末な出来事すら共有できていない私は、俊くんにとって取るに足らない存在なのですね」
「いや、誰もそんなこと言ってないからっ」
俺のフォローに、みどりちゃんが再び微笑む。
「それに、お姉様がいなくとも、俊くんは十分生活できているように思えますよ」
「え……?」
最初はその言葉の真意がわからなかった。けれど、彼女の黒くて深い瞳から、なにを言いたいのかは察しがついた。
それにしても、ずいぶんと知ったような口を利くんだな。まるで俺の生活を見聞きしているみたいに。
「あのさ、みどりちゃん」
俺は口火を切った。胸の奥でわだかまっているものを
「みどりちゃんは、学園祭でのことを覚えてる?」
俺は単刀直入に訊いた。葵ねぇのようにはぐらかされては、事態は停滞したままだ。
病室が、長い沈黙に支配された。記憶をたどっているのか、はたまた言い逃れる術を考えているのか。みどりちゃんは窓の外を見たままだ。
非現実的ともいえるほどの無音が続く。このまま口を結ぶつもりだろうか。痺れを切らし、彼女を
「立ち話もなんですし、どうぞお座りになってください」
到底予想もしていなかった言葉に、俺は呆気にとられた。しかし、ここでひるんではいけないと思い、俺は無言で近くのイスにかけた。
「すみませんでした」
突然、みどりちゃんが口にする。俺が慌てて視線を向けると、彼女は自身の指先に目を落としていた。
「あの日のことは、鮮明に覚えています。私が俊くんにしたことも、最後にどんな結末を迎えたのかも」
みどりちゃんは、
「その……どうして、あんなことをしたの?」
それでも俺は、
「それは……俊くんも、薄々わかっているのではありませんか?」
核心を突いた質問に、しかしみどりちゃんは平然と答えた。
「というよりも、あれだけ必死にアピールしたのに伝わっていないとなると、かなりショックなんですが……」
みどりちゃんがはにかんだ様子で言った。
たしかに、みどりちゃんを含めあの三人がどうしてあんなことをしたのかは、自分でもわかっているつもりだ。俺に対する好意ゆえだと。でも俺が聞きたいのはそういうことではなくて……うまく言葉が出ない。
「俊くんが聞きたいのは、『どうしてあんなことをしたのか?』ではなくて、『どうしてあんな方法を選んだのか?』ではないのですか?」
頭を悩ます俺に、他でもないみどりちゃんが糸を垂らした。
「そうか……そうだよ。他に方法はいくらでもあったのに、どうしてあんな過激なアプローチをしたの?」
ひらめきを得た反動で、思っていたことが口を衝いて出た。
みどりちゃんはなぜか嘆息すると、困ったような表情で言った。
「それを聞くのは無粋というものですよ。女の子の恋愛事情に口出しするようなものですから」
「……はぐらかすの?」
やや強気で尋ねると、みどりちゃんは逃げるように視線を窓の外にやった。やはり肝心なことは教えてくれないか……そう思い始めたとき。
「不器用、なんでしょうね」
みどりちゃんはそれだけを言い残した。答えになっているのかいないのか曖昧なセリフに、考え込んでしまう。
「ただ、もしかしたら」
すると、みどりちゃんが二の句を告げる。
「私のやりかたは、間違っていたのかもしれません」
なんだか奈落に落とされた気分だ。どんな言葉を耳にしても、モヤモヤは薄黒いままだ。わかりきったことを聞かされても、光を見出すことはできない。
「そっか……」
俺は、意味もなくそう反応することしかできなかった。
「その、教えてくれてありがとう。正直に言ってくれるとは、思ってなかったから」
我ながら、なんとも虚無な言葉が出たものだ。そろそろ幕引きだろう。これ以上は、中身のない会話が続くだけだ。
「あ、あの……!」
立ち上がろうとしたその瞬間、みどりちゃんに呼び止められる。久方ぶりに目が合った。
「私、は……俊くんと、その、対等でありたいと、今でも、思っていますから」
言葉の意味はわからなかった。ただ、なにかを伝えようと必死になっていることは読み取れた。
「だから、その……」
みどりちゃんがもじもじする。先程のぎこちなさが帰ってきたみたいだった。
「私と、お友達になってください!」
「………………え?」
言葉の意味はわかった。でも発言の趣旨がわからなかった。だから思考が鈍化した。
「いや、えっと、だから、私と、お、お友達に……!」
「お、落ち着いてみどりちゃん。いったいどうしたの?」
慌てふためく彼女をなだめる。
「す、すみません」
みどりちゃんは赤面したままうつむいてしまった。
「急に変なこと言うから、ビックリしたよ」
「えっと……変、でしたでしょうか?」
「変っていうか、今更どうしたんだろうって」
深い意味もなく俺が言うと、みどりちゃんはカッと目を見開いた。なぜか、皿の割れるような幻聴が脳内に響いた。
「そ、そんな……」
まるで、地獄でも目にしたかのような表情だった。気のせいか、顔面から血の気が引いているようにも思える。
「今更、友達に戻るなんて、む、無理、ということなんですね」
「み、みどりちゃん?」
彼女は頭を抱え始めた。明らかに様子がおかしい。
「もう、俊くんと仲直りするのは、無理……私、拒絶されたんだ」
「みどりちゃん、どうしたの? しっかりして!」
「私、俊くんに嫌われたんだ」
「みどりちゃん! みどりちゃん!」
「おしまいだ……おしまいだおしまいだおしまいだ。やっぱり私が間違ってたんだ。私は失敗したんだ」
「くっ……どうしちまったんだよ」
みどりちゃんの身体が、わなわなと震えている。その顔はすっかり青ざめていて、細い腕が弱々しく映ってならない。ナースコールを押すべきか?
「あはは……終わり。終わりだ私の人生。俊くんに嫌われたら生きていけない。俊くんが見てくれないのなら、私は死んだも同然。嫌われた。終わった。嫌われた。終わった」
……もしや、みどりちゃんは俺に嫌われたと思い込んでいるのか? それで、こんなパニックに陥っているのか? だとしたらそれは誤解だ。すぐになんとかしないと。
「みどりちゃん、落ち着いて」
彼女の肩をつかむ。
「俺は、みどりちゃんのことを嫌いになってなんかいない」
途端に、身体の震えが止まった。
「だから落ち着くんだ。冷静になって、きちんと話し合おう」
彼女の瞳を覗き込む。
「あ、あ……」
みどりちゃんは、到底信じ難い奇跡を目の当たりにしたかのような形相で、俺の目を見返した。
「さあ、深呼吸しよう」
「は、はい……」
か細い声で返事をすると、みどりちゃんは深呼吸を数回、繰り返した。しばらくすると、顔色も血の気を取り戻した。
「大丈夫?」
「俊くんのおかげで、なんとか……」
「よかった」
安心感からか、吐息が漏れた。
「あの、取り乱してしまい、申し訳ありませんでした。俊くんには、ものすごく迷惑をかけてしまいました……」
うつむいたまま、みどりちゃんが言う。
「気にしないで。きっとまだ万全じゃないんだよ」
「あ、ありがとう、ございます……」
それからしばらくは、お互い口を閉ざしていた。気まずかったからだろう。退室すべきかと思ったが、みどりちゃんを一人にしておくのも心配なので留まっていた。
「あの、それで、さっきの話なんだけど……」
耐え切れなくなって、俺から切り出した。
「友達になろうっていうのは、いったい……?」
みどりちゃんの肩がビクッとした。
「ああ、はじめに言っておくけど、俺はみどりちゃんと友達になりたくないとか、そういうことは思ってないから。ただ、もう友達どうしなのに、どうしてそんな提案をしたのかなって、疑問に思ったというか」
再び彼女がパニックにならないよう、予めフォローを入れる。
みどりちゃんは間を置いてから、言った。
「嬉しいです……俊くんが、私のことをお友達だと言ってくれて」
「え? いや、俺は特別なことは言ってないと思うけど……」
みどりちゃんが笑みをこぼした。
「私は、学園祭の一件で俊くんに嫌われてしまったと思っていました。だから、今でも変わらずお友達だと思っていただけて、すごく、すごく嬉しいんですよ」
「そ、そうなんだ」
「私、俊くんに嫌われるのは、絶対にイヤですから」
みどりちゃんが、胸に両手を当てて言った。
「……たしかに、あの一件で俺たちが疎遠になったのは間違いないと思う。でも俺は、これまで通りみどりちゃんと友達でありたいと思っているし、嫌いには、なってないから」
言いながら、「どうして彼女のことを嫌いになっていないのだろう?」と疑問に思った。みどりちゃんに限った話ではない。あれだけ酷いことをされて、距離を置いているのも事実だけど、なぜだか彼女たちを嫌うことはなかった。元の関係に戻りたいとすら思っている。まあそのせいで、胸の内がモヤモヤしているんだが。
「そう、でしたか。そのお言葉が聞けただけで、私は救われた心地がします」
今日何度目かの静寂。しかし、今度は不思議と不快感を感じなかった。
「その、それじゃあ、えっと……私は、今まで通り、『俊くん』とお呼びしても、い、いいのですか?」
たどたどしい口調で、みどりちゃんが尋ねる。今度は出会った頃の彼女を見ているようだ。
「うん、もちろん」
「……!」
みどりちゃんの頬が上気する。
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
内定をもらった就活生のごとく、頭を下げるみどりちゃん。
「そ、そんなに頭を振らないほうが……って、鼻血出てるよみどりちゃん!」
「ふぇ……はわわわ、すみません! すみません!」
「いや鼻に包帯を巻いても止まらないから!」
そんなこんなで、みどりちゃんとの再会はてんやわんやだった。それでも彼女と話すことができてよかったと思う。少しは視界が晴れた気がした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
調子を取り戻したみどりちゃんと談笑を交わすこと数十分、ぼちぼちと日暮れが迫っていた。
「それじゃあ、俺はそろそろ」
イスから立ち上がる。
「あ……もうこんな時間でしたか」
みどりちゃんが窓の向こうを見て言う。
「楽しい時間が過ぎるのはあっという間ですね」
「そうだね。俺もつい時間を忘れちゃったよ」
「……もっと、俊くんとお話したかったのにな」
「うん? なんか言った?」
「い、いえ、なにも」
「そっか」
帰り支度を済ませ、みどりちゃんに向き直る。
「じゃあ、みどりちゃん、俺は帰るね」
「はい、き、今日は、本当にありがとうございましたっ。お気を付けて」
「うん。みどりちゃんも、お大事に」
彼女に背を向け、病室のドアに手をかける。当然のように家路をたどろうとした、その瞬間だった。
「俊くん」
みどりちゃんの声が、室内に響いた。
つられて振り返る。みどりちゃんは、見舞いの花を両手に広げ、それをじっと眺めていた。
「これはただの独り言ですし、私にとっては本当に微々たることなのですが」
彼女はそう前置きした。その声は、低くて芯のあるものだった。
「久我 香澄が、どうやらこの病院から脱走したそうです」
「え……!?」
自分の耳を疑った。というより、言っている意味がわからなかった。
「それって、どういう……?」
「そのままの意味です。彼女は病院から消えました。それもずいぶんと前に」
「は……?」
本当に、訳がわからなかった。病院から脱走って、何事だよ……。
「独り言は以上です。俊くん、くれぐれもお気を付けくださいね」
「う、うん……。教えてくれてありがとう」
呆然としたまま、俺は病室を後にした。思考がぐちゃぐちゃになって、足が止まる。
香澄のヤツ、なに考えてるんだよ……。
名状し難い感情に襲われ、その場に立ち尽くす。せっかくみどりちゃんと仲直りできたと思ったのに、最後の最後でアンニュイになるとは……。
しかし、話を聞いた以上は、無視するわけにもいかないだろう。それに、いずれは香澄とも決着をつけねばならない。
……明日、アイツの家に行ってみるか。
腹を決め、誰もいない広大な通路を一人、歩み始めた。
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