第13話 疑惑の足音

「──ここです」

みどりちゃんが歩みを止めた。つられて俺も立ち止まる。ふと、顔を上げて彼女の目線の先を追いかけた。

「ここは……ネオ・アキバランド?」

ネオ・アキバランド──ネオ・アキバ駅から徒歩5分のところにある巨大な遊園地だ。都心に位置しながら本格的なアトラクションを有した大規模な施設で、連日大盛況な超人気レジャーランドだ。


遡ること20分前。

「……なら、お金じゃなくて、その……俊くんの時間を、私にくださいませんか……?」

「え……?」

「あっ、その、すみません! 変な言い方して。えっと、つまりですね……もしお時間あれば、午後も私と遊んでいただきたいな……と思いまして」

「ああ、そういうこと。俺は予定もないし、大丈夫だよ」

「ほ、本当ですか! じゃあ、その、私……行ってみたいところがあって──」


という流れで現在に至る。まさか行きたい場所が遊園地だったとは思ってもいなかったが。

「それじゃあ、入りましょうか」

みどりちゃんは言うと、入場ゲートの方へ足を進めた。ふと、俺はあることに気づく。

「あれ、入場券買ってないよね?」

臆面もなく進むみどりちゃんに俺は声をかけた。ここは遊園地なので、入場するにはもちろん入場券が必要だ。だけど俺たちはまだチケットを買っていない。このままゲートに向かっても弾かれるだけだろう。

「大丈夫です」

しかし、そんな俺の懸念を余所よそに、みどりちゃんはきっぱりと言ってみせた。どういうことだ? 首をかしげていると、とうとうゲートに到着した。

「入場券をお見せください」

案の定、スタッフさんに声をかけられた。やっぱり買ってないんじゃないか……そう思って引き返そうとした途端、

「……これで」

みどりちゃんはバッグからカード?のようなものを取り出し、スタッフさんに見せた。すると、

「はっ……! 左様でしたか。申し訳ございませんでした、どうぞお入りください……!」

スタッフさんは突然仰々しく言うと、あっさりと俺たちを中に入れてくれた。

「……みどりちゃん、今のはいったい……?」

ゲートを通過したあたりで俺は尋ねる。

「いえ、特に気にすることはありませんよ」

しかし、みどりちゃんははぐらかして答えてくれない。なんだったんだろう……。もしかして年間パスポートみたいなものか?

「そ、それよりも俊くん、今は遊園地を楽しみましょう」

俺の疑問を遮るようにみどりちゃんは言う。そして大胆にも、俺の右手を取ってこう告げたのである。

「今の私たちは……その、か、カップルなんですから」


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


みどりちゃんに手を引かれ真っ先に向かったのはジェットコースター……ではなく、おみやげやグッズなどが揃うショップだった。

「えっと……なにか買いたいものでもあるの?」

俺は彼女の真意がわからず尋ねた。おみやげを買いたい気持ちはわかるが、そういうのって帰り際に買うものじゃないのか?

「は、はい。その、アトラクションに乗る前に、買っておきたいなと思いまして……」

みどりちゃんは控えめながらもはっきりと答えると、ショップ内を見渡した。もしかして早く買わないと売り切れてしまうグッズがあるのだろうか? 勘繰ってる俺を尻目に、みどりちゃんはどんどんと奥の方へ進んでいく。

「わぁ……これとか素敵です」

やがてみどりちゃんはあるグッズの前で足を止めた。後ろを付いていた俺も立ち止まり、商品棚に目を向ける。

「これは……Tシャツだね」

そこに陳列されていたのは、ネオ・アキバランドのマスコットキャラクターがプリントされたTシャツだった。とはいっても売り切れ御免な超人気商品というわけでもなさそうだったから、呆気に取られてしまう。

「あ、あの、俊くん……!」

呆然としている俺に、みどりちゃんが一際大きな声で言った。

「よかったら、このTシャツ、買いませんか……?」

それは想定外の提案だった。

「えっと……それって、俺もこれを買うってこと?」

「は、はいっ。その、二人でここに遊びにきた記念、といいますか……」

「そっか……」

俺は悩んだ。正直、このTシャツに惹かれるポイントはない。わざわざお金を払ってでも買いたいとは思わない。でも、みどりちゃんが記念に欲しいというのなら付き合ってあげるべきか……。

「も、もちろんお金は私が払います」

躊躇う俺の心中を見透かしたかのように、みどりちゃんはそう言った。

「いやいや、そんな気にすることはないって。俺も買うからさ」

そんなみどりちゃんのセリフを打ち消すように、つい購入宣言を口走った。

「いえ、その、実はここのポイントがたくさん溜まっていて、二人分のTシャツも実質タダで買えちゃうんです」

みどりちゃんはカードのようなものを見せて言った。

「ポイントの有効期限ももうすぐで……。このまま使わないともったいないので、どうか、私に払わせていただけませんか?」

その様子はまさに切実といった感じだった。

「えっと……ポイントのことはよくわからないけど、本当に平気?」

「大丈夫です。俊くんが気にすることなんてなにもありません」

みどりちゃんは力強くそう言うと、

「それでは、お会計済ませてきちゃいますね」

二人分のTシャツを手に、レジの方へ向かってしまった。慌てて声をかけようとするも、あっという間にみどりちゃんの背中が消えてしまった。

「うーむ……」

なんか、さっきからみどりちゃんのご相伴に預かってばかりじゃないか? ここまで俺は一銭も払ってないぞ。いくらみどりちゃんからのお誘いとはいえ、これはダメだろう。次からはちゃんと俺も……

「お待たせしました」

思案していると、みどりちゃんが小走りで駆け寄ってきた。

「全然待ってないよ」

「そ、そうでしたか」

みどりちゃんはなぜかうつむきがちに言った。さっきまで普通に会話していたのに、どうしたのだろうか?

「あの、俊くん……。度々の提案で、本当に恐縮なのですが……」

するとゆっくりと顔を上げ、もじもじしながら口を開いた。

「このTシャツ、二人で着ませんか?」




トイレの鏡を見ながら、ため息めいたものを吐く。

「まさか、こんなことになるとは……」

コスプレ喫茶でも発したようなセリフを、意図せず再び口にした。鏡と向き合い軽く身だしなみをチェックすると、トイレを後にした。出口から数秒歩いたところで、自分とまったく同じTシャツを着た女の子に声をかける。

「お待たせ、みどりちゃん」

「あ、俊くん! いえ、私もちょうど着替え終わったところですから」

長袖のシャツから水色のTシャツへと装いを変えたみどりちゃんは、先程までより上機嫌のようだった。いつの間にかリストバンドまでしている。

「えへへ……おそろい、ですね」

「……そ、そうだね」

みどりちゃんの発言に、なんとか抑えていた羞恥心が再び顔を出した。今の俺たちは、俗に言うペアルックの状況だ。おそろいのTシャツに身を包んでいる姿は、さぞかしラブラブなカップルに見えるだろう。まさか自分がペアルックなんてする日が来るとは……人生なにがあるのかわからないな。

「それじゃあ、次の目的地に向かいましょうか」

俺が一人途方に暮れていると、みどりちゃんに右手を引かれた。その様子に少しドキドキしながらも、ようやくアトラクションに乗れる──そう思っていた俺の期待は、再びあらぬ方向へ着地した。


「え……?」

みどりちゃんが言う次の目的地。それは、

「この、プリクラというものを、撮ってみたいのですが……」

ネオ・アキバランドの一角にあるゲームセンターエリア。そこに並ぶ数台のプリクラを前に、みどりちゃんは言ったのである。

「私、実はプリクラというものに触れたことがなくて。その、もしよろしければ、俊くんと撮ってみたいな、なんて……」

みどりちゃんはもじもじしながら、上目遣いで俺を見る。

いや、俺だってプリクラなんて滅多に撮らない。でもそれはいい。問題はそこじゃない。俺を躊躇わせている最大の要因はこの格好だ。おそろいのTシャツを着た男女が仲良くプリクラを撮る。これはもうまさしくカップルの所業だ。もし誰かに見つかって勘違いでもされたら、恥ずかしいなんて感情じゃ済まないぞ。

「あの、俊くん……。やっぱり、恥ずかしい、ですか?」

恥ずかしさが表に出ていたのか、俺の顔を見てみどりちゃんは尋ねた。

「うん……。さすがにペアルックでプリクラは、恥ずかしい……ていうか、もし誰かにバレたら、みどりちゃんにも迷惑がかかるかも」

「それは、どうしてですか?」

「いや、カップルに間違われでもしたら、みどりちゃんも気が気じゃないんじゃないか?」

「……私は、別に構いませんよ。というか、むしろカップルだと思われたほうが、私は、嬉しいです……」

「……え?」

「じゃなきゃ、こんな、おそろいのTシャツなんて、着ませんよ……」

みどりちゃんの思わぬカミングアウトにたじろぐ。冷静に考えてみれば、カップルだと思われたくないなら、ペアルックなんてしないよな……。

「その、そもそも私、お友達と遊園地に来るのがはじめてで……。せっかく俊くんと遊ぶことができたんです、たくさん思い出を作りたいなって……」

「みどりちゃん……」

なんとも儚げなその様子に、目を細めた。

「……わかった。そういうことなら、今日はたくさん思い出を作ろう」

「俊くん……!」

瞳を輝かせ、俺の顔を覗くみどりちゃん。

「ただ、撮った写真は他の人には見せないでほしい。恥ずかしいから」

「はい、もちろんです! もとより独り占めする気でしたから」

それならよかった……のか? とりあえず他人の目にはさらさないみたいなので一安心。

「では早速撮りましょう!」

一段とキラキラして見えるみどりちゃんとともに、筐体きょうたいののれんをくぐった。




「えへへ、えへへへへ……」

プリクラを撮り終え、ベンチで一休み。

「かけがえのない思い出ができちゃいました……。一生大切にします」

隣では、現像したばかりでまだほのかに温かい写真を、みどりちゃんが舐め回すように見ている。

「私たち、まるでラブラブなカップルさんです」

そこには、ぎこちなくも笑顔でピースする俺たちの姿。慣れないプリクラに二人とも四苦八苦していたが、なんだかんだ楽しかったというのが本音だ。みどりちゃんに至っては心の底から嬉しそうで、意気揚々とプリクラをデコっていた。

「俊くん、本当にありがとうございました……!」

うやうやしくお辞儀をするみどりちゃん。

「いや、たかだかプリクラを撮ったくらいでそんなに畏まらないでよっ」

頭を下げる彼女を慌ててなだめる。

「いえ、こうしてなにからなにまで付き合っていただいているのです、感謝してもしきれません」

みどりちゃんはそれでも慎ましく言う。

「それで……せっかく遊園地に来たのです、アトラクションも楽しみたいなと思いまして」

「うん、そうだね」

「やっぱり、俊くんも退屈でしたよね。いきなり買い物やプリクラなんか寄って……」

「いやいや、そんなことはないけどっ」

「ふふっ、お優しいですね俊くんは。あの、私、気になるアトラクションがありまして……」

「ならそこに行ってみようか」

「いいんですか?」

「ここのアトラクションはどれも楽しいから、ハズレはないと思うよ」

「それは楽しみです……!」

俺たちはベンチから腰を離すと、肩を並べてゲームセンターエリアを後にした。


           ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「すごい行列だな……」

ゲームセンターエリアから3分ほど歩くと、みどりちゃんが寄ってみたいというアトラクションに到着した。そこに広がる長蛇の列を前に、俺は愕然とする。

「さすがは大人気アトラクション。これは相当待ちそうだ……」

みどりちゃんが所望していたのは、いわゆる脱出ゲームを模したアトラクションだ。迷宮から脱出するというシンプルなルールだが、難解な謎解きや複雑なギミックがゲームクリアを簡単には許さない仕様になっており、難易度はかなり高めだ。その難攻不落さこそが人気の理由でもある。

「どうする、みどりちゃん。120分待ちって書いてあるけど、列に並ぶ?」

隣に立つみどりちゃんに尋ねる。さすがに2時間待ちともなると相当の根気が必要になるからな……。

「心配なさらずとも大丈夫ですよ」

俺の問いに対してみどりちゃんはそう答えた。それってつまり、「2時間かかってでも列に並ぼう」という意味だろうか。みどりちゃんがそう言うなら俺は構わないが、正直2時間もテンションを維持できる自信がない。きっとみどりちゃんを退屈させてしまうだろう。どうしたものか……。

俺が一人で不安になっていると、ふいにみどりちゃんが列の方へ歩き始めた。最後尾に並ぶのか……そう直感した俺は後に続く。

予想通り列の最後に付いたみどりちゃん。ここからどうやって時間を潰そうか。腕を組み思案していると、前に並ぶ男性にちらっと見られた。もしかして、ペアルックの男女が来たからちょっと邪険にしているのか? その視線に憶測を重ねていると──

「…………」

男性は無言のまま列から離れたのである。あれ、並ぶのやめちゃうのか。まさか俺たちのせいじゃないよな、なんて冗談気味に思いつつ、俺たちは前に詰めた。すると、さらに前に並んでいた男性が横目で俺たちを見た。やっぱりペアルックは目立つのか……そう思っていると、

「…………え」

前に並んでいた男性が列を後にしたのである。再び繰り返された光景に思わずポカンとする。こんな偶然ってあるのか? 空いたスペースにみどりちゃんが進む。俺は一歩遅れて隣に並ぶ。するとあろうことか、とんでもない光景を目の当たりにすることになったのである。

「え……あのっ」

三度、前に並んでいた男性が列から離れたのである。しかも一人だけではない。なんと、前方に列を連ねていた客たちが一斉にその場からはけたのである。

「なんだよこれ……」

思わずそうつぶやいていた。列を後にする大量の客。その数は優に100人を超えるだろう。見るに、そのほとんどが男性で、一人で並んでいた人が多いようだった。時々彼らから視線を受けたが、やはり無言のままどこかへ消えてしまった。

突拍子もない出来事に唖然とする。すると、みどりちゃんは特に気にすることもなく前に進み始めた。彼女の背中に正気を引き戻されると、慌てて後を追いかける。そのままなんの障壁もなく進むと、あっという間にアトラクションの入口に到着してしまった。待ち時間120分がわずか2分で解消した。

「さあ俊くん、入りましょうか」

混乱している俺に対して、みどりちゃんはさも当然のようにそう口にした。みどりちゃんはこの状況を少しも変だと思ってないのだろうか。

「心配なさらずとも大丈夫ですよ」

不意に、先程のみどりちゃんのセリフがフラッシュバックした。まさか、みどりちゃんはこうなることを予想してたのか? ……いや、まさかな。そんなバカげた話、あるわけない。

「楽しみですね」

笑みを浮かべるみどりちゃんとともに、アトラクションに足を踏み入れた。




「ようこそ、『アキバ大迷宮』へ!」

アトラクション入口、スタッフのお姉さんが明るく迎えてくれた。

「お二人は大迷宮を無事脱出することができるのでしょうか!?」

スタッフさんは陽気にアトラクションの説明を始め、一通り言い終えると、

「それではまず、このゲートをくぐっていただきます」

前方にあるゲートを指差した。

「これはなんですか?」

俺は純粋に疑問に思ったことを口にする。

「そちらは金属探知機になっております。お二人は迷宮に迷い込んだ身ですので、お荷物はすべてこちらのロッカーにしまっていただく形になります」

「へぇ……」

随分と本格的なんだな……思わず感心の息が漏れる。世界観を作り込むという意味もあるだろうが、不正を防止するというゲーム性への配慮でもあるのだろう。

「では、彼女さんからこちらにお願いします!」

スタッフさんはみどりちゃんをゲートへ促した。

「は、はいっ」

「彼女さん」と呼ばれて気恥ずかしくなったのか、みどりちゃんは少しうろたえるも、なんなくゲートを通過した。

「それでは彼氏さんも、お願いしますっ」

続いてスタッフさんは俺に声をかけた。ポケットからスマホを取り出し、軽く全身をさすって金属類を身に着けていないのを確認した俺は、迷わずゲートに足を踏み入れた。


ブゥー!


すると突然、警告音とともにゲートが赤く点滅した。スタッフさんがすぐに俺の元へ駆け寄る。

「お客様、アクセサリー類は身に着けておられますか?」

「いえ、アクセサリーもなにも、金属類はたしかに全部外したんですけど……」

そもそもアクセサリーなんて初めから身に着けてない。ポケットの中も空だ。なのにどうして引っ掛かったんだ?

「ちょっと失礼しますね」

そう言うとスタッフさんは、俺の体をまさぐり始めた。といっても、俺に心当たりはないしな……探知機の不備なんじゃないのか? 思う俺を余所に、スタッフさんは軽く体を叩いたり、さすったりしている。すると──

「……あ、原因はこれですね」

スタッフさんは背中からなにかをつまみ取り出すと、俺に見せた。

「……なんだこれ?」

スタッフさんの指先には、豆粒大の黒い物体。あまりに小さすぎてゴミかと見誤るほどだ。しかしスタッフさんが試しにゲートにかざすと、再び警告音が鳴った。つまりこの物体は間違いなく金属らしい。いや待て、そもそもこれはなんだよ。なにかの機械か? 機械だとして、なんで俺の背中に? 頭の中を様々な疑問が飛び交う。

「それは私が預かります」

不意に、みどりちゃんが声を上げた。スタッフさんは「そうですか」と言うと、みどりちゃんのロッカーに件の機械を入れた。

「それではお二人とも、無事に脱出できるよう、頑張ってください!」

「行きましょうか、俊くん」

呆然とする俺を連れ去るかのようにみどりちゃんは手を引いた。

「みどりちゃん、今のって……」

「おそらく、なにかの破片でしょう。俊くんが気にすることはありません」

俺の言葉を遮るように、みどりちゃんははっきり言った。そして、

「が、頑張ってここから脱出しましょうっ」

笑顔でそう言うと、迷宮の扉を開いたのである。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ダメ、でしたね……」

アトラクションの出口、みどりちゃんは残念そうに言った。

「さすがに脱出は難しかったね」

「アキバ大迷宮」は惜しくもゲームオーバーに終わった。前半までは順調に進むことができたが、後半以降はギミックに翻弄されてしまいそのまま時間切れ。さすが、難攻不落をうたっているだけのことはあった。

「でも、とっても楽しかったです」

隣を歩くみどりちゃんが満面の笑みで続ける。

「俊くんと二人で冒険なんて、すごく贅沢でした」

「たしかに、こんな機会なかなかないからね」

「でも、その、私が足を引っ張ってしまって……」

「そんなことないよ。みどりちゃんのおかげで謎解きが捗ったし」

「そ、そうでしょうか」

「でも、みどりちゃんが意外と方向音痴だったのは驚いた」

「そ、そのことは忘れてください!」

談笑しながら二人で歩く。次はどのアトラクションに乗ろうか……期待に胸を膨らませていると、

「あ、すみません俊くん。ちょっと、お手洗いに行ってきてもいいですか?」

「うん、いいよ」

「すぐに戻ってくるので、そこのベンチで待っていていただけますか?」

「了解」

みどりちゃんが足早にトイレに向かうのを見届けると、俺は近くのベンチに腰を下ろした。歩きっぱなしで疲労も溜まってたし、少し休憩しよう。ポケットからスマホを取り出し時間を確認しようとすると、

「……え」

ロック画面を見た瞬間、俺の顔色は疑問に歪んだ。見間違いかと思い再び画面を凝視するも、結果は変わらなかった。

「なんで……」

ロック画面に映っていたもの、それは先程みどりちゃんと撮ったプリクラだった。どうやらロック画面の背景にこの写真が設定されているらしい。しかし俺には身に覚えがない。そもそも俺はこの写真を持っていない。後でみどりちゃんからデータをもらう予定だったから、俺のスマホには保存されていないはずなのだ。

「おかしいな……」

不審に思いつつも、とりあえずロックを解除してフォルダを確認してみよう……そう思って暗証番号を入力した。


「暗証番号が違います」


刹那、スマホの画面が振動とともにメッセージを表示した。

「あれ、打ち間違えたか」

もう一度、ゆっくりと暗証番号を入力する。しかし、

「暗証番号が違います」

画面に映し出されたのはまたもエラーメッセージだった。

「……っ!」

焦りながらももう一度、一つずつ番号を確かめるように入力する。しかし、

「暗証番号が違います」

再三のエラーメッセージ。これまで幾度となく入力してきた暗証番号が通用しない。打ち損じは絶対にないはずだ。何回も確認したから。それでもロックが解除されないということは──

「暗証番号が、変えられてる……」

考えられる可能性を自ら口にして、打ちひしがれた。おそらく、俺の知らぬ間に誰かにパスワードを変えられたんだ。自分で変えた覚えはない。そうなると、誰がパスワードを変更したのか……。犯人を突き止めて番号を教えてもらわないと、このスマホが使えなくなってしまう。


「お待たせしました、俊くん」

焦燥しょうそうにまみれる俺の元へみどりちゃんが戻ってきた。

「……どうか、されましたか?」

「いや、なんでもないよ」

慌ててスマホをポケットにしまう。別に隠すことでもないだろうに、俺はなぜか悟られまいと構えていた。

「あ、あの、お茶を買ってきたんです。よかったら、その、飲んでください」

みどりちゃんがペットボトルを差し出す。

「えぇ!? そんな、悪いよ。言ってくれれば俺が買ってきたのにっ」

「い、いえいえ。私が買いたかったから買ったんです。今日はなにからなにまで付き合っていただいているので……」

「そんなことないって」

「本当に、ささやかなお礼ですので、どうか受け取ってください」

みどりちゃんは毅然きぜんとして言う。そこまで言われたら、さすがに断るのも失礼か……。

「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……」

「は、はいっ!」

俺は申し訳なさを声ににじませながら、ペットボトルのキャップを開けた。そのままごくごくと勢いよく喉に通すと、口を離した。

「喉、渇いてらしたんですね」

「あ、ああ、思ったよりカラカラだったかも」

俺の飲みっぷりを見てみどりちゃんはそう思ったのだろう。実際、自分でも気づかないくらい喉が渇いてたみたいだ。それだけ夢中になってたってことか。

「それじゃあ、次はどこへ──」

一休みし、次なるアトラクションを目指すべく立ち上がろうとした瞬間、突然のめまいに襲われる。

「あ、れ……?」

そのままベンチに座り込むと、急に視界がぐらついた。ピントが外れ、目線は錯綜さくそうし、眼前の景色が上下左右に激しく揺れる。まるでガクンガクンと音がするかのように乱れる視界は、やがて俺の意識まで侵食する。正気を保とうにも脳内がおぼろげになり、どんどんと意識が遠のいていく。それに引きずられるかのようにまぶたが重くなり、開閉を繰り返している。この感覚、前にもどこかで──そうか、葵ねぇに拘束された、あの時と一緒だ。ならばこの先は……この深淵の先は──


そこで俺の意識はプツリと切れた。






日が沈み、すっかり暗くなった空は、しかし遊園地のネオンによって依然として騒がしい。そんな喧騒けんそうすら聞こえない静寂の下、少女は冷たい指で少年の頬を撫でる。


「……俊くん。この後も、まだまだ付き合っていただきますね──」

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