第7話 これはデートですか?

とある放課後。


「それじゃあラスト、インターバルやるよ!」

「はい!」

部長のかけ声に、部員全員が声を上げて呼応する。


「いきます!」

「ファイト!」

定められたコースを全速力で走る部員たち。先日の全校集会の件があって以降、俺たち陸上部はさらに本腰を入れて練習に打ち込むようになった。学園側から成長を期待され、優遇措置まで与えられたんだ、当然といえば当然だろう。


「いきます!」

「ファイト!」

もちろん俺も例外ではない。かけ声とともにスタートすると、フルスピードでコースを駆ける。ゴールしたら小休止して、再び自分の番が来たら全速力で走る。それがインターバルというメニューだ。


「いきます!」

「ファイト!」

一際大きなかけ声がグラウンドに響き渡る。コースのほうに視線をやると、期待のホープが脱兎のごとく疾走するのを認めた。更衣室の件で文句たらたらな香澄も、練習には誰よりも真剣に取り組んでいた。彼女はそのまま快調にダッシュし、なんの弊害もなくいつも通りにゴールする──誰もがそう思っていた。


「はぁ、はぁ、はぁ……っ!!!???」


ゴール寸前でのことだった。突然、香澄は体制を崩し、その場に倒れ込んだ。


「香澄……!!!」

その光景を目撃した部員たちが、急いで香澄の元へ駆け寄っていった。

「おい香澄、大丈夫か……!?」

俺は切迫したありさまで香澄に尋ね、彼女の様子をうかがう。

「……っててて。あ、俊センパイ」

「あ、じゃねぇよ、大丈夫なのか香澄!?」

鬼気迫る俺とは対照的に、香澄はどこかのほほんとしていた。

「そんなに慌てなくても平気ですよ! 転びそうになったけど、なんとか受け身を取ったので」

「そ、そうか……。ケガとか、してないか?」

「はい! ちょっとったくらいで、大きなケガはしてませんよ」

「そうか、よかった……」

どうやら香澄は無事だったようで、俺は安堵から大きく息を吐いた。


「センパイ、心配してくれたんですね」

「当たり前だろ! お前の身になにかあったら、平静ではいられないからな」

「センパイ……そこまでボクのこと、愛してくれてるんですね」

「愛して、って……! これは、先輩として、後輩の身を案じただけだっ」

「ふふ、センパイったら、照れちゃってかわいいですね~」

「こら、先輩をからかうんじゃないっ」

緊張の一幕から一転、俺たちは普段通りに会話を交わしていた。


「久我、大丈夫か?」

そこへ部長がやってくる。

「あ、はい、大丈夫です。どこもひねったりしてません」

「そうか、それはよかった……」

部長も、俺と同様に安堵した。エースが故障したとなれば、部長としては気が気でないだろう。トップに立つ人間というのも、なかなか大変なものだ。


「はい、ケガはなかったんですけど……」

すると香澄は、申し訳なさそうに切り出した。

「こっちはもう、ダメになっちゃったみたいです」

香澄が目をやった先──彼女の手には、スパイクが握られていた。

「……あ! このスパイク、壊れてるじゃんか!」

「はい、どうやらさっきの転倒の原因は、スパイクの故障だったみたいです」

そう言って香澄は、スパイクの裏側を示してくる。見るに、滑り止めの部分が外れてしまっているのが確認できる。

「そうか……。久我、今日はもう練習終了だ。そのありさまじゃ、練習なんてできないからな」

部長は事態を呑み込むと、香澄に対してそう告げた。妥当な判断だろう。

「はい、わかりました……」

香澄は不服そうだが、受け入れるしかあるまい。


「しかしマズいな……今日はいいとしても、今後の練習に参加できないのは困る」

すると部長は、深刻そうにそうつぶやいた。

「久我、明日中にスパイクを買うことはできるか?」

「へ……? はい、できますけど」

「そうか。幸い、明日は学校も部活もない。急ですまないんだが、明後日の練習に間に合うよう、明日中になんとかしといてくれ」

「わかりました……」

部長の言葉に、香澄はあっけらかんとした返事をする。まあ、部長の言ってることも正しいが、香澄にとっては急だからな、仕方がないか。


「そうだ。八十崎、お前も付いて行ってやれ」

「……はい?」

「どうせお前も明日はヒマだろう? なら、先輩として後輩のサポートをしてやってくれ」

「え、ちょっと……!」

「じゃあな」とでも言うかのようにその場を後にする部長に、俺は反論することすらできなかった。


「………………」

為す術もないといった状況に、俺は沈黙するしかなかった。そして、恐る恐る後ろを振り返ると、案の定、そこにはかつてないほどに瞳をキラキラさせてたたずむ後輩が一人。


「センパイ! 明日はボクとデートですね!!!!!」


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


午前10時31分──俺はスマホに表示された時刻を確認する。

「そろそろか……」

俺はそうひとりごつと、玄関に向かい、私服用のスニーカーに足を通す。


「それじゃあ葵ねぇ、いってきまーす」

リビングで家事をしている葵ねぇに聞こえるよう、声を張って告げる。

すると、俺の声に反応したのか、リビングのほうから足音が近づいてきたかと思うと、


「俊ちゃん、本当に大丈夫?」

と葵ねぇが心配そうな表情で尋ねてきた。


「大丈夫だって。友達と遊ぶだけだから」

「うぅ……お姉ちゃん心配だわ。相手は男の子なのよね?」

「う、うん、そうだよ。部活の友達」

嘘である。相手は男子ではなく香澄である。しかし、俺はそのことを葵ねぇには伏せていた。理由くらいわかるはずだ。わかってくれ。


「うぅぅぅぅぅ……やっぱり、お姉ちゃんも付いて行ってあげようか?」

「大丈夫だって! 男連中で遊ぶだけだから」

それでも心配が絶えない葵ねぇをなだめるように俺は言った。


「それじゃあ、行ってくるね」

「うん……。なにかあったら、すぐお姉ちゃんを呼んでね!」

「はいはい」と俺は視線で答えると、家を後にした。と同時に、周囲をキョロキョロする。


「……よし、香澄はいないようだな」

今日の待ち合わせ場所は駅前だ。なんでも、「そっちのほうがデートっぽいから」らしい(香澄談)。とはいえ香澄のことだ、耐えきれなくて我が家の前で待ち伏せしているかもしれない。もしそれで葵ねぇと顔を合わせたら今生の終わりだ……そう危惧していたが、どうやら杞憂に終わってくれたらしい。


それならいつまでもここにいるわけにはいかない。俺は待ち合わせ場所を目指して歩を進めた。




「10時46分か……」

駅前までもう少しというところで、俺は時間を確認する。待ち合わせは11時だから、余裕で間に合いそうだ。相手はあの香澄だとはいえ、まあ女の子であることに変わりはない。男としてレディーを待たせるわけにはいかないだろう。先に到着して、10分ほど待つことにしよう……そう思っていたときだった。


「あ! 俊センパイ、こっちですよ!!!」


突然、聞き慣れた声が俺の耳を打った。驚きながらに声のしたほうを見ると、くだんの人物が大きく手を振りながらこちらに走ってくるのを認めた。


「センパイ、おはようございます!!!!!」

「か、香澄……! お前もう着いてたのか!?」

「はい! ボクはとっくの昔からいましたよ」

「す、すまん、俺のほうが先に着いてなきゃいけないのに。その、どんくらい待ってたんだ?」

「うーん……8時頃にはもういたかな? でもでも、センパイに会えるのが楽しみすぎて待ち時間なんて一瞬でした!」

「8時って……3時間も待ってたってことか!?」

「あ、でもでも、気にしないでください。ボクも今、着いたところですから」

「嘘吐くな」

「えへへ、このセリフ、一度言ってみたかったんですよね~」

香澄は楽しそうに笑っている。もし本当に3時間も待っていたとしたら、相当退屈だったろうに。そもそもなんでそんなに早くに来たんだ? 理由はわからないが香澄ならやりかねないな。


「……」

「どうしたんですかセンパイ、ぼうっとしちゃって」

「うん? あぁ、いや、その……お前の私服姿、久々に見たなって」

今日の香澄はもちろん私服だ。だが、香澄の私服姿なんてめったに見ないもんだから、なんというか、普段とのギャップにいろいろと意識せざるをえない。


「あ……もしかして、ボクに見惚みとれちゃいましたか! ふふっ、頑張ってオシャレした甲斐がありました~」

「お、おう……まあ、似合ってると思うぞ」


実際、今日の香澄の私服は彼女によく似合っていた。黄色い花柄のワンピースは健康的な香澄の魅力を引き立てているし、ミニスカートからは制服とはまた違った女の子らしさが感じられる。正直、俺も女の子の私服姿を見慣れているわけではないから、ちょっぴり照れてしまっている。まさか香澄相手にこんなになるとはな……。


「わあ……! センパイに褒められた! やった~、センパイ大好き!!!」

そう言って香澄は、いつものように俺の腕をホールドしてくる。

「ちょっ……恥ずかしいだろ、あんまりがっつくなって」

「え~、いいじゃないですか、デートなんだし。さ、早く行きましょう!」

「わかった、わかったからっ」

そしていつものように香澄に振り回される。しかしなんだろう、いつもは感じないこの気持ちが、今日は悪くないかもだなんて言ってる気がした。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「よし、着いたな」

俺たちは今日のメインであるスポーツショップに到着した。今日やってきた駅前は大規模なショッピングモールとなっており、種々雑多な店が所狭しと並んでいる。この店もそのひとつで、広い店内にはおよそすべてのスポーツ用品が揃っている。


「それじゃあ、入るか」

「はい!」

そう言って俺たちは店内に入ると、真っ先に陸上競技用のスパイクが陳列されているコーナーを目指した。


「やっぱこの店は品揃え豊富だなー。こんだけあると迷っちまいそうだ」

「センパイ、ボクこれに決めました!」

「はやっ! お前なあ、大事なスパイクなんだから、もっとじっくり選んだほうが……」

「大丈夫です。これがビビっときたので!」

「マジかよ……」

コーナーに着いてからものの1分で、香澄は購入するスパイクを決めたらしい。俺としてはもっと慎重に選んでほしいところだが、本人はもう買う気満々なので口出しはしないでおくか。天才のフィーリングは俺にはよくわからんしな。


「センパイは、新しいスパイク買わなくていいんですか?」

「俺か? 俺のはまだ使えるから、新しく買う必要はないかな」

「そうですか? あ、これとかセンパイに似合いそうです!」

「うん? お、これは今使ってるやつの新モデルだな! カッケーなぁ」

「あー、でもセンパイ、26.5cmは売り切れみたいです」

「そうか、さすがに人気みたいだな……うん?」

香澄のヤツ、どうして俺の靴のサイズなんか知ってんだ? 前に話したっけか?


「それじゃあセンパイ、ここはもう用済みなので、さっさと買って他のお店に……あっ」

そう言って香澄はレジに向かう道中で、とあるコーナーに目を止めた。

「センパイ、ちょっと寄ってもいいですか?」

「ん? ああ、いいけど……」

俺が返事をすると、香澄はためらいもなく商品棚に近づいていった。でもこのコーナーって……


「香澄、野球でもするのか?」

そう、ここは野球用品のコーナーだった。俺は野球とは縁遠い人間だが、香澄は好きなんだろうか? でもそんなの聞いたことないな。

「いえ、ちょっと興味があって……」

香澄は俺の言葉にはさして反応を示さず、真剣な眼差しでバットを見ていた。スパイクを選ぶときよりも真剣だった。

「これとかいいかも……」

香澄はぶつぶつとなにかをつぶやくと、陳列されたバットのひとつに手をかけた。そして次の瞬間──


ブォォォォォン!!! シュッッッッッ!!!


香澄はその場で思いっ切りバットを振ったのであった。


「ちょっ、香澄、なにやってんだ! 危ないだろ!」

俺でもコントロールにてこずる金属バットを、華奢きゃしゃな右腕だけで軽々と振り回している。この光景……前にも見たことあるな。段々とフラッシュバックしてくる恐怖に色を失っていると、


「……でも、これじゃあまだ足りないか」

香澄は再びぼそぼそとつぶやくと、バットを元の場所に戻した。


「すみませんセンパイ、余計な時間取っちゃって。ささ、早く買っちゃいましょうか!」

怖気おじけづいている俺を、香澄は猶予も与えずレジまで引っ張っていった。今のはいったいなんだったんだ……。訳もわからないままに、俺たちはスポーツショップを発った。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「センパイ、ボクお腹空いてきました~」

スポーツショップを後にしてからしばらく、香澄が口を開いた。

「そうだな、そろそろ昼飯にでもするか」

時刻は11時45分。ここいらで昼食を済ませるのがちょうどいいだろう。

「香澄、なにか食べたいものでもあるか?」

「え、ボクが選んでいいんですか!? うーん……ならあそこに行きたいです!」

そうして香澄が指差したのは、至って普通の、どこにでもあるファミレスだった。

「え、あそこがいいのか? せっかく駅前まで出たんだし、もっとスペシャルな店でもいいんだぞ?」

「いえ、ボク外食なんてほとんどできないので、ファミレスでも十分特別なんです」

「……わかった。あそこにするか」

香澄の意をんで、二人でファミレスへと足を運んだ。




「ふぁぁぁぁぁ……見てくださいセンパイ! たくさんメニューがありますよ!」

「そりゃあ、ファミレスだからな」

「うぅぅぅ……どれにしようか迷うなぁ」

「俺はベタにチーズインハンバーグだな」

「センパイ、決めるの早いです! いいなぁ、ボクもそれにしようかなぁ……」

店内に入ると、待たずして席に通してもらえた。休日だから混むかと思ったけど、ラッキーだったみたいだ。


「えへへへへ……。センパイと二人きりでご飯……えへへへへ」

ドリンクバーを飲みながら、俺たちは注文した料理が来るのを待っている。

「そんなに頬を緩めるんじゃありません」

「えー、だってだって、センパイと二人きりなんて、部活のとき以外ないんですもん。そりゃ頬だって緩みますよ~」

「言われてみれば、たしかにそうだな……」

昼休みはいつも葵ねぇが来るもんなぁ……内心でそう思っていると、ポケットのスマホが振動するのに気づいた。俺はチラッとスマホの液晶に目をやる。そこには、


通知:308件


という表示とともに、


葵ねぇ:俊ちゃん、お友達と遊ぶの楽しい?

葵ねぇ:なにか困ったことがあったら、すぐにお姉ちゃんを呼んでね

葵ねぇ:いいなぁ、お姉ちゃんも、俊ちゃんとお出かけしたいなぁ

葵ねぇ:……俊ちゃん、忙しいとは思うけど、お返事くらいほしいな

葵ねぇ:俊ちゃん、もしかしてなにかあったのかな?

葵ねぇ:……! 俊ちゃん、今すごく嫌な予感がしたんだけど、大丈夫!?

葵ねぇ:俊ちゃん、やっぱりお姉ちゃん心配だよ……

葵ねぇ;俊ちゃん俊ちゃん俊ちゃん俊ちゃん俊ちゃん……!!


葵ねぇからの大量のメッセージが映し出されていた。別れてからたった2時間しか経ってないのに、この量は異常だ。間違いなく過去最多……。


「……センパイ、どうかしたんですか?」

「……! あぁ、いや、なんでもないよ」

俺は急いでスマホを閉じようとする。

「あ、センパイまたスマホいじってるー。もう、今日はボクとデートしてるんですから、控えてくださいよう」

「あぁ、すまん、ちょっと連絡が入っててな」

「……それって、女じゃないですよね?」

瞬間、香澄の声が一気に低くなった。

「お、おう、相手はクラスメイトの男子だから……」

俺は咄嗟に嘘を吐く。葵ねぇからのメッセージだとバレてはいけない……直感でそう思ったからだ。

「……そうですか」

香澄はそれ以上は追及せず、しかしずっと俺を監視するかのように見ていた。俺はまるで蛇に睨まれた蛙のように、身動きひとつとれない。重たい沈黙が流れる。


「お待たせしました、ご注文の料理です」

そこへ、店員が料理を運んできた。


「お! センパイ、料理が来ましたよ! ささ、早く食べましょうっ」

すると香澄は、先程までの様子が嘘みたいに声を明るくした。助かった……。

「そうだな、冷めないうちに食べよう……って、お前なんだよそれ!?」

ホッとしながら、ハンバーグを食べようとナイフに手を伸ばしたときだった。香澄が注文したものに、思わず目を奪われた。


「なにって、カップル専用のデザートですよ」

そう、テーブルで異彩な存在感を放つそれは、ハート型のなにかであり、二つの飲み口が付いたストローが屹立きつりつしているかと思うと、スプーンはひとつしか用意されていないという、“いかにも”なパフェのようなものだった。


「お前、なんでそんなもん頼んでんだよっ」

「それは、センパイと一緒に食べるためですけど」

「他にもデザートはたくさんあっただろっ?」

「でも、これはカップルしか食べられないんですよ。なら、せっかくなんだし、食べてみたいと思いませんか?」

「いやそもそも俺たちはカップルじゃないだろ」

「……はっ! センパイはボクたちのこと、夫婦だと思ってくれてるんですね! もうセンパイ、さすがに気が早いですって~!」

「ニホンゴ、ワカリマスカ?」

相変わらず猪突猛進な香澄に、俺は閉口するしかなかった。


「はいセンパイ、あ~ん」

そして香澄はパフェをすくうと、スプーンをこちらに差し出してきた。ご丁寧に、スプーンまでハート型だ。

「いらんわ、そんな恥ずかしいもん」

「恥ずかしくなんてないですよ。だってボクたちはカップルなんですから」

「急に冷静な口調になるな」

「でもセンパイ、センパイが食べてくれないと、このパフェ食べきれないんですよね」

「じゃあなんで頼んだんだよ!」

「いいんですかセンパイ、残しちゃっても。お店の人に申し訳なくないですか?」

「くっ……たしかに、注文しておいて残すわけにはいかないな」

「ですよね! それじゃあ一緒に食べましょう!」

「っ……仕方ない、俺も手伝ってやる。ただし、あ~んはしない。自分で食べる」

「ぶぅ……センパイってば、無粋なんですから」

「なぜ俺が悪いみたいになっとる!?」

「でもストローはこれしかないので、文句なしですよ」

「ジュースは香澄だけで飲みなさい」

「え~、飲み切れるわけないじゃないですか! それにこのジュース、センパイが好きなリンゴ味ですよ。きっとセンパイも気に入ると思います」

「む……そうなのか、それは少し気になるな」

「ほらほら、飲んでみてください」

香澄がパフェの入ったグラスをこちらに寄せてくる。

「どれどれ……」

俺は特に警戒することもなく、興味本位でストローに口を付けてジュースを飲む。そのときだった。

「ごくごくごくごく……ん、このジュースおいしいですね」

「……って香澄、なにやってる!?」

「なにって、ボクもジュースを飲んでたんですよ」

「そんな軽々しく言うなよっ。これじゃあまるで『カップル飲み』みたいじゃねぇか!」

そう、俺は期せずして、「1本のストローで香澄と一緒にジュースを飲む」というプレイをしてしまったのである。

「えへへー、作戦大成功ですね!」

「ちくしょう、俺はハメられたのか……!?」

「ぱくぱくぱく……ふぅ、ごちそうさまでした」

見ると、香澄は平気でパフェを平らげていた。

「センパイ、これでまたボクたちはラブラブになれましたね!」

「俺の心はもうずぶずぶだ……」


そんなこんなで波乱のランチタイムは幕を閉じたのであった。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


午後も、俺たちはいろいろな場所に立ち寄った。


「センパイ、この服似合いますかね~?」

服屋で香澄の試着ショーに付き合ったり、


「やったー、これでボクの4連勝ですね!」

ゲーセンでボコボコにされたり、


「センパイ、このドーナツおいしいですねぇ」

食べ歩きなんかもしたりした。


「あ、そうだセンパイ、写真撮りましょうよ! せっかくのデートなんですし、記念です!」

そう言って香澄は例のごとく俺の腕をホールドしてくる。

「しょうがないなぁ……ま、思い出に撮っておくか」

俺はスマホを取り出し、カメラを立ち上げる。香澄はこのご時世にスマホを持ってない希少種なので、俺が撮ってやる。

「うーん、自撮りなんてしたことないから、上手くいかんな」

「ボクたちのラブラブっぷりが収まれば、それでいいですよっ」

「んじゃ、撮るぞ」

パシャリ──シャッターボタンを押す。

「わあ、とってもよく撮れてます!」

「成功だな。今度現像して、香澄にやるよ」

「ありがとうございます! えへへ、宝物が増えちゃったな~!」

香澄は心底嬉しそうだ。


「っと……もうこんな時間か」

俺は写真を撮りがてら、スマホの時計に目をやった。気づけば空はすっかりオレンジ色だ。どうやら長いこと遊んでいたらしい。


「香澄、そろそろいい時間だし、今日はこのへんにしとくか」

俺は尋ねながら、香澄のほうに振り返る。


「………………」

すると香澄は、うつむいて黙りこくっていた。

「香澄……? どうかしたのか?」

俺はそんな彼女の様子が気になって、声をかける。


「……センパイ」

ふと、顔を上げた香澄と、目が合った。その瞳は夕景を閉じ込めていてとても綺麗で、でもほのかに潤沢を帯びているような気がして。


「センパイ、あの……」

今まで見たことがない香澄の表情に、俺はすっかり魅入みいっていた。そして、時計の針が永遠を刻んでいるような空の下で、彼女は二の句を紡いだ。


「これからボクの家に、行きませんか……?」

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