第6話 あるいはこれを平和と呼ぶのかもしれない

キュイィィィィィィィーーーーーン!!!!!


………………。


ガガガガガガガガガガッッッッッッッ!!!!!


…………。


ズゴゴゴゴゴゴゴォォォーーー!!!!!


……。


カンカンカンカンカン!!!!!


「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」


時刻は午前6時27分。俺は不快極まりない騒音によって目を覚ました。


「誰だよこんな朝早くに! 日曜大工は日曜日の午前10時からって憲法に書いてあるだろ!」


俺は心地よい睡眠を阻害されたことに腹を立てながら、カーテンを開けて窓から近所の様子をうかがう。子持ちのパパさんが家族のために張り切ってDIYなんかしてた日にはここからスナイプしてやろうか。


すると、騒音の主はすぐに判明した。窓の外を見た瞬間に現場が視界に入ってきたからだ。どうやら隣の家が工事をしているらしい。隣の家といっても紅の家ではなく、相模家とは反対側に位置する一戸建てが「安全第一」と書かれたカバーのようなもので丸々覆われていた。一体全体どうしてこんな早朝からガチの工事なんてしてるんだよ。新手のパリピか?


「ちっ、イライラするな……」

俺は工事音をうとましく思いながらも、カーテンを閉じて再びベッドにインした。睡眠を邪魔されることほどムカつくものはないよな? 俺にはまだ30分の睡眠権がある。これは憲法で保障された正当な権利だ。残された睡眠時間で叩き起こされたぶんを取り戻そう。




ギゴォォォォォォォォォォーーー!!!!!


…………。


ブゥゥゥゥゥーーーーーーーン!!!!!


……。


ドンドンドンドンドンドンドン!!!!!


「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」


ダメだ。うるさすぎて眠れない。おかげで完全に目が覚めてしまった。ついでに心も冷めた。ったく、朝から鬱陶しい気分にしてくれるぜ。後でお隣さんに文句を言いに行こう。


しょうがないから俺は、少し早いが登校の準備をすることにした。この騒音のせいで葵ねぇも困っているかもしれない。さっさと着替えてリビングに向かおう。


キュイィィィィィィィーーーーーン!!!!!


工事音に包まれながらYシャツに腕を通す。どうやらまだまだ終わる気配はなさそうだ。


シュンクンダイスキーーーーーッッッ!!!!!


今のは工事音じゃないよな!?


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「ふっふふっふふ~ん♪」

「葵ねぇ、なんだかご機嫌だね」

「当然よ。久しぶりに俊ちゃんと一緒に登校できるんだもの、嬉しくてお姉ちゃん溶けちゃいそう♪」

そう言って葵ねぇは俺の腕に絡みついてきた。

「ちょっ、葵ねぇ、登校中はあんまり密着しちゃダメだって……! 他の生徒に見られたら恥ずかしいんだから」

「あら、恥ずかしいなんてことないわ。結婚式のときだって、たくさんの人に見られるわけなんだし、今のうちからお姉ちゃんたちのラブラブっぷりをアピールしていきましょう♪」

「いや結婚なんてしないからっ」

「ふふっ、心配ご無用よ俊ちゃん。この通り、婚姻届ならお姉ちゃんが常に控えているから、俊ちゃんが大人になったら一緒に届け出に行きましょうね♪」

「いやなんでそんなの持ってるの!?」

葵ねぇの手には婚姻届が3枚もあり、そのすべてに俺と葵ねぇの名前が記入されていた。しかもご丁寧に印鑑までちゃんと捺印されている。もちろん俺が書いたわけではない。


「ほら、まわりの人たちにすごく見られてるよ。誤解されたら困るから、早く離れて……!」

俺は再度、葵ねぇに対して注意を発する。

「もう、俊ちゃんったら変に恥ずかしがっちゃって。二人きりでデートするときはいつも俊ちゃんから腕を貸してくれるのに」

「いや、それは俺がなにを言っても葵ねぇが腕を借りパクしてくるから、仕方なく諦めているだけだよ。あとデートなんかしてない」

「今日の俊ちゃんは素直じゃないのね。もしかして思春期?」

葵ねぇは頬を膨らませる。

「思春期の衝動を抑えきれなくなったら、いつでもお姉ちゃんに言ってね。お姉ちゃんがこのカラダで全部受け止めてあげるから♪」

「朝からなにを言ってるんですかねぇ!?」

今日もエンジン全開の葵ねぇに、俺は思わずため息をいた。

「俊ちゃん? ため息なんて吐いて……やっぱり今日は元気ないみたいね」

そんな俺の様子を見て、葵ねぇが心配そうに顔をうかがってきた。

「げ、元気がないわけじゃないよ。ちょっと疲れてるだけで」

不意に葵ねぇが顔を近づけてくるもんだから、俺は不覚にもドキッとしてしまう。相手は実の姉なのに……。

「ううん、いつもより俊ちゃんの目が1mm閉じているんだもの、きっと本調子じゃないはずよ」

たしかに、「なんでそんなことわかるの!?」とツッコむ元気が湧かないぐらいには今日は低速運転だ。


「うっ……やっぱ葵ねぇにはお見通しか」

「当然よ。俊ちゃんが生まれてからずっと側にいるんだもの、お姉ちゃんには隠し事なんてできないわ」

えっへん、と胸を張る葵ねぇ。豊満な胸がさらに誇張されておる。

「いや……今日は寝不足で、コンディションが万全じゃないんだ」

「やっぱり、今朝の工事音のせいで、満足に眠れなかったのね?」

「うん。葵ねぇは大丈夫だった?」

「お姉ちゃんなら、あの時間にはもう起きてたから大丈夫よ。でも、あの工事音のせいで俊ちゃんの寝顔が見れなかったのが許せないわね」

「怒るベクトルが違うような……」

「俊ちゃん、もし本当に辛かったら、お家でぐっすり休んでいたほうがいいと思うわ。お姉ちゃんが付きっ切りで全部お世話してあげるから」

「いやいや、わざわざ休むほどじゃないって! それに俺一人ならまだしも、葵ねぇまで一緒に休むのはマズいし」

「学園側がどう思おうが関係ないわ。そんな些末さまつなことよりも、お姉ちゃんにとっては俊ちゃんのほうがずっとずっと大切だもの」

葵ねぇは真剣な眼差しで俺を見る。どうやら本気のようだ。しかし、さすがに葵ねぇをサボタージュさせるわけにはいかない。


「あぁ……でも、工事はまだ続いてるだろうし、家にいても落ち着かないと思うな。逆にノイローゼになりそう」

「うーん……たしかに俊ちゃんの言う通りかもね。お隣さんが急に引っ越しちゃって、話し合おうにも誰に言えばいいのかわからないし」

「そういうこと。学園に行けば気は晴れるだろうしね」

うんうんとうなずく葵ねぇ。どうやら怠業たいぎょうは回避できたようだ。


「ふふっ、俊ちゃんは偉いわね。お姉ちゃんが褒めてあげる」

すると突然、葵ねぇは俺の頭に手を添えると、


「よしよし。毎日頑張って、偉いわね俊ちゃん……よしよし」

と言ってそのまま頭を撫でてきた。


「ちょっ……葵ねぇ、ストップ! 抱きつかれるより恥ずかしいから!」

「遠慮なんてしなくていいわ。お姉ちゃんだって、いつも俊ちゃんから元気を充電させてもらってるんだもの。今日はお姉ちゃんが、俊ちゃんを元気にしてあげる番よ。ほら、なでなで、なでなで……」

俺がどんなに抵抗しても、葵ねぇはなでなでの手を止めない。登校中に公衆の面前で実の姉に頭を撫でられるとか、恥死量オーバーだって……!


「俊ちゃん……辛いときや苦しいときは、いつでもお姉ちゃんが優しく抱きしめてあげるからね。とびっきりの愛で、ぎゅーって、包み込んであげるからね」

「お、俺ももう子どもじゃないんだし、そのくらい自分でなんとかできるから……!」

口ではそう言いつつも、俺は内心、葵ねぇの優しさに包容されていた。さっきまで感じていたイライラも、気づけばどこかに消えていた。昔からそうだ。葵ねぇは過保護なところがあるけど、俺はいつだってその優しさに守られてきたんだ。


「あら……どうしたの俊ちゃん、にこにこなんてしちゃって」

「べ、別になんでもないよ」

俺は葵ねぇに悟られるのが恥ずかしくて、そっぽを向く。どうやら俺は思春期真っ只中らしい。

「あ、もしかしてお姉ちゃんに惚れ直しちゃったのかな? ふふっ、いいのよ、遠慮しないでお姉ちゃんにいっぱい甘えても♪」

「いやそんなことないから。ていうか、いつまで俺と密着してるのっ? もう学園に着くんだから、そろそろ離れて」

「うーん? お姉ちゃんは、永遠に俊ちゃんと一緒よ♪」


てなわけで学園に到着。葵ねぇのおかげで鬱憤は吹き飛んだし、今日も頑張れそうだ。そう思いながら校門を抜けたあたりで、葵ねぇが口を切った。


「ごめんね俊ちゃん、今日は教室まで一緒に行ってあげられないの」

葵ねぇは申し訳なさそう……というか、残念そうな表情だった。

「同じクラスじゃないんだし、むしろそれが普通だから平気だけど……なにか用事?」

葵ねぇは、俺と登校するときはいつも教室まで付いてくる。だからこういったケースは稀で、俺はなんとなく気になって理由を訊いた。


「ほら、今日は全校集会があるじゃない? それで……」

「ああ、そっか、そういうことね」

俺は「全校集会」というワードだけですべてを察した。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「えー、新学期が始まって一ヶ月ほどが経ちましたが……」

教師が全校生徒に向かって話をしている。相変わらず退屈な時間だ。こんなのに30分も時間を食われるくらいなら、アニメを見ていたほうがよっぽど有意義だと思うんだが。

「……これで話は終わります。続いて、学生会長から連絡です」

長かった教師の話が終わり、それと入れ替わるように学生会長が登壇する。すると、先程まで沈黙に染まっていた体育館が、少しだけざわつくのを感じた。

「あ、会長がお話されるみたいよ」

「ホント、いつ見ても綺麗よね~」

「俺もあんな女性とお近づきになりてぇ」

「無理無理、あんたみたいな男じゃいくら手を伸ばしたって高嶺の花よ」

学生会長を慕う声の数々。そんな憧憬しょうけいの眼差しを背に、会長は壇上に立ちマイクに手をかけると、話を始めた。


「みなさん、おはようございます。学生会長の八十崎 葵です」


そう、そうなのだ。なにを隠そう、我が学園の学生会長はあの葵ねぇなのだ。通常、3年生がこの時期まで会長を務めることはないのだが、葵ねぇはその圧倒的なカリスマと学園側からの信任により、例外的に現役で指揮をっているのだ。


「会長、今日も大変麗しいですね」

「あぁ、立てば芍薬とはまさにこのことだな」

「一度でいいから会長とデートしてみてぇな」

「こら貴様、会長に対して不敬だぞ。それ以上の暴言は許さんっ」


そこかしこから羨望の声が湧いている。葵ねぇがどれほどの存在なのかはもはや説明不要だろう。男女問わず憧れの的で、ついには「会長ファンクラブ」なるものも誕生したくらいだ。加えて教師陣からも一目置かれている。先日、見回り中の教師からお咎めなしだったのも、葵ねぇに対する厚い信頼があったからだろう。


「来月には学園祭が控えています。みなさん、充実した思い出を……」

全校生徒を前にしておくすることなく快弁を振るう葵ねぇ。ふと、葵ねぇと目が合った気がした。……いや、間違いない、葵ねぇは俺のことを見ている。今日だけに限らず、今までも全校生徒の中から俺を見つけ出しては、俺に対してだけしゃべっているような感覚すらあった。……って、さすがに自意識過剰か。そんなことあるはずもない。


「それでは、ここで学生会から連絡があります」

すると、葵ねぇは少し表情を硬くしてそう切り出した。重大な話でもするんだろうか。


「当学園では部活動が盛んで、特に運動部の活躍には目を見張るものがあります。そこで学園側は、部活動のさらなる発展のために手厚いサポートを施していくこととしました」

体育館中から「おぉー」という歓声が聞こえる。俺としては現状でも十分満足だが、そういうことならご相伴にあずかりたいところだ。


「具体的には、近年目覚ましい成長を遂げ、今後優秀な成績を収めることが期待される陸上部については、男女それぞれに専用の更衣室を設けようと思います」

「……え」


思いも寄らぬ言葉に、俺は思わず声を漏らしてしまった。


「ですが、施設の関係上、まだ十分整備された部屋を提供できないため、男子については1階、女子については3階に、それぞれ臨時の更衣室を設けたいと思います」


葵ねぇは何食わぬ顔で続ける。俺は正直理解できなかった。どうして陸上部なんだ? たしかに香澄が入部したことで、ウチの部は確実にレベルアップしていくだろう。でも、それはこれからの話で、今までパッとした成果を挙げてきたわけではない。むしろ他に強豪な部活だってある。それなのにどうしてウチの部が……?


「私からは以上です。ご清聴ありがとうございました」

状況を呑み込みきれていない俺を置き去りにするかのように、葵ねぇは降壇した。いったいどういう思惑なんだ……? 依然として疑問は拭えないが、学生会の決定なら従うしかない。モヤモヤした気持ちを抱いたまま、俺は体育館を後にした。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


キーンコーンカーンコーン


「俊ちゃん、お昼ごはんにしましょう♪」

「俊センパイ、一緒にお昼食べましょう!!!」


昼休みのチャイムが鳴ると同時に、教室のドアが勢いよく開かれた。誰の仕業かは言うまでもない。二人は教室中に響くほどの声で俺を名指すと、ためらいもなくこちらに向かってきた。


「はい俊ちゃん、今日のお弁当よ。お姉ちゃんがあーんしてあげるから、二人きりで食べましょう♪」

「センパイ、ここじゃ他の女の手垢まみれできたならしいので、ボクと一緒に屋上に行きましょう!」

そう言って葵ねぇと香澄は俺の腕を取り合う。どこかで見たことある光景だ。第4話で星に祈った俺の純情を返してほしい。


「はぁ……今日も騒がしいわね」

「俊君も苦労が絶えませんね」

「傍観してないで助けてくれよっ」

俺から距離を取る紅と茶助に対して助けを乞う。が、嵐の中を自ら突っ込んでいく愚か者などいない。俺だって逆の立場だったら、わざわざ関わり合いになりたいとは思わん。


「あなた、また湧いたの。本当に鬱陶しい害虫ね。あなたがいると俊ちゃんのごはんが腐ってしまうから、速やかに失せてくれないかしら」

「はぁ? 誰かと思ったらお前か。今はボクとセンパイが愛を育む時間だ、邪魔するなら今度こそ消しますよ」

今日も懲りもせずに互いをののしる二人。


「ふふっ、相変わらず妄言ばかり吐いて、まったく可愛げのない女ね。現実を理解できない能無しの人間を、俊ちゃんが好きになるわけがないでしょう」

「現実逃避しているのはそっちだろう。叶うことのない願望ばかり抱いて、センパイのまわりをうろちょろするのはやめろ」

「私は俊ちゃんの姉なのだから、俊ちゃんのお世話をするのは当然でしょう。あなたは俊ちゃんにとって何物でもないのだから、大人しく自分の存在をわきまえていなさい」

「姉であるからこそセンパイと結ばれることはできないって、何度言ったらわかるんですかね。お前に時間を浪費するくらいなら、ボクと愛を育んでいたほうがよっぽど俊センパイにとって有意義だ」

そして例のごとくヒートアップする二人。俺はいつものように仲裁に入る。


「ほ、ほら二人とも、言い合いはそこまでにして、早くごはんにしよう。俺、もうお腹空いたから」

「あっ、ごめんね俊ちゃん。お姉ちゃんがすぐにお弁当の用意してあげるからね」

「えー、センパイ、一緒に屋上に行きましょうよ」

「屋上は面倒くさいからパス。香澄もここで食べようぜ」

「ぐぬぬ……この女と同じ空間っていうのが気に食わないですけど、俊センパイ直々のご指名とあらば、仕方ないですね」

「よし、決まりだな。葵ねぇもそれでいい……ってもう弁当のセッティング完了してるし」

ということで、俺たちは三人で昼食をとることにした。葵ねぇも香澄も、渋々ではあろうがなんだかんだ一緒してくれる。


「はい俊ちゃん、あーん」

「あーんはしないっていつも言ってるでしょ」

「そうだぞ。俊センパイはボクにあーんしたいんだ。さあセンパイ、遠慮なくどうぞ」

「なんで口開けて待ってるんだよ。食べさせる気もまったくないからな」

「あら俊ちゃん、口元にご飯粒が付いちゃってるわよ。ふふっ、かわいい。お姉ちゃんが取ってあげるからね」

「あ……おいお前! なにセンパイの唇に手を触れようとしている! 第一、センパイの顔にご飯粒なんて付いてないだろう!」

「さて、なんのことかしらね。あ、俊ちゃん、お箸の持ち方わかる? こうやってね、箸と箸の間に指を通すようにして……」

「こらぁ! どさくさに紛れてセンパイの手に触るな! 箸の持ち方くらいわかるに決まってるだろう!」

二人と昼休みを過ごすといつもこんな感じだ。持ち前のインベーダー性に拍車が掛かり、全然事態が進展しない。あと香澄がツッコミに回ってるのが地味におかしい。


気のせいだろうか、なぜか後ろの席から羨望?のような視線を感じつつも、なんとか弁当を完食。そこでふと、俺は葵ねぇに訊きたいことがあったのを思い出す。


「あ、そうだ葵ねぇ。今日の全校集会で話してたあれ、どういうことなの?」

俺が何気なく尋ねると、葵ねぇの動きが止まった。


「そうだ……お前、たしか学生会長だったな……」

すると、葵ねぇよりも先に香澄が口を開いた。先程までとは明らかに雰囲気が違う。そして、

「あれはどういうことだ! なにを考えている!」

香澄は突然、声を荒げた。あまりに脈略のないように思われる展開に、俺はひるんだ。


「お、おい香澄、落ち着けよ。そんなに怒るようなことあったか……?」

そうだ、香澄は間違いなく怒っている。しかし、一連のやりとりに香澄を沸騰させるようなことがあっただろうか?


「センパイ……コイツははかったんだ。ボクとセンパイを遠ざけようと、会長の座を悪用したんだ!」

「は……? なに言ってるんだよ……?」

はなはだ突然の発言に、俺はその内容を理解しきれなかった。葵ねぇが会長権限を悪用した? それも、俺と香澄を遠ざけるために……?


「ふふっ、おかしなことを言うのね。それじゃあまるで私が不正を働いたみたいじゃない。学生会長には生徒に対して誠実に仕事を全うする義務があるの。だからあなたが言うようなことは万が一にも起こりえないわ」

葵ねぇが口を開いた。そうだよな、葵ねぇが職権濫用みたいなことするわけないよな。


「嘘を吐くな。陸上部だけ優遇されるなんて、そんな都合のいいことあるか!」

しかし、香澄は納得がいってないようだ。たしかに、職権濫用はないにしても、陸上部だけが手厚く扱われるっていうのはずっと疑問だった。


「陸上部だけ、ということはないわ。これから順次他の部活動にも同様の処遇を与えるもの」

得心のいかない香澄を説くかのように、葵ねぇは答えた。


「白々しい言い訳をするな! おおかた、男女の更衣室を隔離させて、ボクとセンパイが一緒に着替えるのを阻止するつもりなんだろう!」

いや一緒に着替えるつもりなんかねぇよ。


「あまつさえ、ボクが着替えているうちにセンパイをさらって帰るつもりだな! チッ……この間の件で危機感を覚えて、権力を使って潰しにきたというわけか……!」

「あらあら、本当に妄想力豊かな娘ね。設備の関係上、バラバラになってしまっただけよ。というか、男女の更衣室が離れていても特段困ることはないでしょう? みなさんもそう思われませんか?」

葵ねぇは教室にいたクラスメイトたちに尋ねた。彼女たちは葵ねぇに肯定するように首を縦に振る。


「そうでしょう。これは私の一存ではありません、学園の総意なのです。だからあなたの発言はただの妄言よ」

香澄を、というよりかは一人の生徒を説き伏せるように葵ねぇは言った。


「くそっ、卑怯なことばかりしやがって……! やっぱりあのとき、始末しておくんだった!」

対して香澄は憤りが冷める気配がない。むしろさっきよりも目が血走っている。このままだとマズくないか……。


「あら、そろそろ昼休みが終わるみたいね。それじゃあ俊ちゃん、お姉ちゃんは教室に戻るわね」

葵ねぇは時計に目をやると、立ち上がって俺にそう告げた。

「帰りも迎えに来てあげるからね♪」

「あ、うん……」

時限爆弾が不発に終わったような安心感からか、俺は間抜けな返事をしてしまう。そのまま葵ねぇは後ろを振り返ることなく教室を後にした。


「このっ、逃げやがって!」

香澄は怒りを抑えきれないのか、とんでもない力で拳を握りしめている。


「ま、まあ香澄、しばらくは様子見してみないか? 更衣室が離れたって、なにも変わらないかもしれないし」

俺はそんな彼女をなだめるように言った。


「……俊センパイがそう言うなら、今日のところは見逃しておきましょう。それに、ボクたちの赤い糸はこれしきのことでは断ち切れませんし」

香澄はものすごく渋々といった感じで怒りをさやに納めた。


「センパイ、なでなでしてください」

「……へ?」

「ボクの頭を撫でてください」

「いや、え?」

すると、いきなり香澄はそう言った。いきなりすぎて理解が追いつかない。

「ボクを褒めてください。そしたら今日はアイツに手をかけません」

「……本当か?」

「本当です」

「うーん……なら、いいか」

なにがいいのか自分でもよくわからんが、ここは香澄の言う通りにしておこう。また火花を散らされても困る。


「……これでいいか?」

俺は香澄の頭を撫でてやった。

「はい! バッチリです! うふふ、センパイの手、気持ちいいなぁ」

さっきまでの怒りはどこへやら、香澄はすっかりご満悦のようで、にこにこしながら俺の手に自分の手を重ねている。なぜか再び、後ろの席から羨望の眼差しを感じたが、気のせいだろう。


「それじゃあセンパイ、ボクは戻りますね! 今日は部活がないですけど、一緒に帰りましょうね!」

そう告げて香澄は元気よく教室を飛び出した。まったく、本当に台風のようなヤツである。


「……俊、アンタは本当に災いしかもたらさないわね」

「まさに火種ですね……」

「お、お前ら、どうして助けてくれなかったんだよぉ」

一部始終を離れて見ていた紅と茶助が、ほとぼりが冷めたのを確認して話しかけてきた。

「あんな面倒事、誰が巻き込まれたいなんて思うのかしら。潰し合いなら二人だけでやってほしいわね」

「潰し合いというか、ケンカというか……どちらにせよ、難儀でしたね俊君」

「ああ、まったくだ……」

俺は体内の物をすべて吐き出すようにうなだれた。

「……で、アンタ帰りどうすんの? あの二人が迎えに来るらしいじゃない」

「はっ……!」

盲点だった。

「もし帰り道であの二人が顔を合わせたら……大変どころじゃなさそうですね」

「確実に死ぬわよ、俊」

「…………」

よし、今日はなんとしてでも一人で帰ろう。あの二人を再び交わらせるわけにはいかない。




そうして放課後。紅がなんとか葵ねぇを言いくるめ、茶助が魂の自転車二人乗りで俺を家に送り届けてくれたおかげで、命からがら帰ってくることができた。途中、香澄が自転車に追いつきそうになるというびっくり展開もあったが、無事だ。後日、二人には礼をしないとな。


帰宅した頃には隣家の工事は終わっていたようだ。正直、それどころではなかったから気づかなかったけど。




……そう、このときはまだ気づいてなかったんだ。これはまだまだ序の口に過ぎないということを。

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