線路は続くよどこまでも

TEN3

行先


「おい、アンタ。若いのに珍しいな」


 列車が線路に合わせて揺れ、更に合わせて列車内の木製の椅子も揺れ、座っている乗客も揺れる。


 彼女以外の乗客も気にした様子は無く皆の顔色は暗い。列車内には列車が走る音は勿論だが、誰かが鼻をすする音や、呼吸音まで聞こえてくるほどだ。


 そんな中、後ろの席の男が身を乗り出し彼女に話しかけてきた。彼女はその声よりも声から出た加齢臭や酒の匂い、煙草の匂いに負け、頭が男から離れようとする。

 少し不快気に顔が歪みそうになるが力を入れ無表情で耐えた。


「そうですね」


 短くそう答える。そこに愛嬌や愛想は無くただ短く同意する。だが、彼女の性格を考えればそれは当然と言えるもので、彼女を知る者ならば納得するだろう。


 だが男は彼女の事を知らない。

 男は酔っているにもかかわらず少し戸惑いを見せ、返答に困る。このまま返事をしないで話を終わらせるのも良いが、それは逃げたようで嫌だと男の強いプライドが言った。

 男は煙草を常備されている灰皿に押し付けて、会話をする為に必死に脳から言葉を絞り出した。


「アンタ、名前は?」


「……アリスです」


「そうか。俺の名前はダンだ。期間限定だけどよろしくな」


 自己紹介が終わり、同時に会話も途切れる。ダンは少し嫌な汗が額に溜まっているのに気づきそれを乱暴に拭き取った。


 だが自己紹介は大事だ。これで相手との距離が近くとダンは考える。アリスはそんな気も知らず、窓から外の景色も見ないでただ目の前の空虚を眺めていた。


「……プライバシーに踏み入った質問なんだが、なんでこの列車に乗ったんだ?病気か?」


「いえ、違います。……私は、私は貧しい生まれの育ちでした」


 アリスは意外に素直に語り出した。ダンはその事に少し驚くがすぐにアリスの話を聞く。


「……更に体は弱く、病弱で体力を使う仕事をすると直ぐに熱が出たり倒れたりしました」


 ダンは自分の足で固定していた酒を取り一口飲み、聞く。飲んだ理由はアリスの話が重い物だと悟って感情移入しないためか、それともその反対か、はたまた何となくか。自分でも答えは分からない。


「ですが、研究者や学者、教師など頭を使う仕事は学が無い私には無理でした。一日を凌ぐ事が精一杯の状況に私の身体は追い付きませんでした」


 アリスは目線を少し下げる。その表情は辛く苦しい表情に少し歪んでいた。だがアリスの口はそんな気持ちを無視して動き続ける。


「体が少しずつ言う事を聞かなくなっていき、とうとうまともな生活を送れなくなりました」


 ダンは相槌を打ちアリスが話を続けるようにする。


「私は世界を恨み、同時に恐怖しました。世界はこんなにも理不尽で残酷で卑怯なのかと。そして私は世界から逃げ出しここに居るのです」


 ダンは返す言葉に困る。慰めるのは簡単だ。だが、アリスは何故この話をしたのか。自分を慰めるためか?いや違う。過去を清算するためだろう。ここで優しく慰め、下手に安い希望を与えるとアリスの心は本当に壊れてしまうかもしれない。


 アリスの顔は最初見た時と同じ様に無表情だが、今にも壊れてしまいそうな顔になっていた。


「だが、これから俺たちが行く場所も世界が創り出した物だ。俺たちはどう足掻いても世界からは逃げられない」


 ダンがそう言うとアリスの目線は少し下に下がる。

 現実というナイフで身体を滅多刺しにされた気分にアリスは陥り、倒れない様に体重を椅子にでは無く壁に寄りかかる様に重心を変える。


「だが――」


 ダンは酒を一口飲み、その際唇に付着した酒を乱暴に拭き取る。


「それは、俺たちには世界に立ち向かうチャンスが無限に用意されているってことだ。諦めてもいい。世界に絶望してもいい。俺たちには膨大な、無限と呼べる時間が世界から用意されたんだ。その時間で世界に何億回立ち向かって一勝すればいいだけの事よ」


 ダンは酒を飲み口内と喉を潤す。熱くなって続けて喋ったせいかカラカラに乾いていた事に気付かなかった。


「そして、俺たち人類はその一勝を幸せと呼ぶんだ」


 アリスの右目から涙が流れ出た。今までどんなに辛くても流さなかった涙が簡単に流れ出たのだ。その少しの涙はアリスとしての記憶や感情が詰まっている。


 その膨大な量の辛かった思い出が籠もった涙を、後悔を拭き取る様にハンカチで取る。


「……そうですね。今回が駄目でも次が、次があるんですよね」


「あぁ。というか前回は上手くいっていたかもしれないぞ」


「ふふっ。そうですね」


 アリスは少し笑いそれを手で優しく隠した。


 ダンはその笑顔を見て満足そうに笑った。だがダンの風貌からそれは何かを企んでいる様な顔になった。


「到着〜到着〜目的地到着をお知らせします。これから転生〜転生を行いますので駅員の指示に従って行動して下さい〜さい〜」


 男とも女とも取れない不思議な声が列車内に響き渡る。乗客が移動の準備をしだし、静かで穏やかだった列車内は急に慌ただしくなった。


「さぁ、準備しろ。何回目かわからない生まれ変わりだ」


「ええ、そうですね」


 アリスは荷物を持ち移動する。






「私の人生は続きます。えぇ、本当に、――」

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線路は続くよどこまでも TEN3 @tidagh

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