四話その2 懇願する少年と拒むくノ一

「お願いします!」

「嫌」

「お願いします!」

「駄目」

「お願いします!」

「止めて」


 夕陽も落ち切る寸前という薄暗い部屋で、アイラに向かって土下座をする少年と、その土下座に困惑しながら少年の申し出を頑なに断るくノ一と、その様子を触手の瞳で眺めながら落胆する怪物という、異様な光景が広がっていた。

「ねぇ、いいかしら?」

「なんですか」

「いや、まず頭を上げなさい」

「はい」

 話にならないから、とため息交じりに言い捨てられたシグは何食わぬ顔で頭を上げ、嫌そうな顔をするアイラが口を開いた。

「あのね、色々言いたいことはあるんだけど、まずは、なんで初対面の私に、しかも自分で言うのも何だけどいきなり殺しに来た相手に対して、そんなこと頼めるの?」

「えーっと、貴女が強いと思ったから?」

「あー⋯⋯なんでこんなに⋯⋯はぁぁ⋯⋯」

 さっきよりも大きいため息をつかれた。

 グラウすらも何も言ってくれず、シグは二人の顔を交互に、よく分からないという風に見やって首を傾げるのでアイラは若干怒気を纏い、グラウはぷつんと堪忍袋の緒を切った。

『オイ、シグ! テメェコノ女ガ俺達ヲ殺シニ掛カッテ来タノ覚エテンダロォ!?』

「う、うん」

『ジャアナンデコイツニ関ワロウトシテンダ!』

「だって、強い人に教わればもっと強くなれるから」

『オマ、ダカラッテ相手ヲ選ベ、コノ馬鹿!』

 自らの身体から生える触手と口論をする少年に憐みの感情すら覚えるが、頭を振って放心状態から戻ったアイラは二人の会話を遮って、自分とシグの話に戻る。

「⋯⋯おほん。話を戻すけど、なんでそんなに強くなりたいって思うの?」

「もっと迷宮の奥に進めるから、です」

 その言葉にあまりいい顔を浮かべなかったアイラ。それどころか、少し嫌悪感を示すように、眉間に皺を刻んで視線を外す。

「迷宮、ね⋯⋯大金や名誉が目的?」

 半ば吐き捨てるような言い方に疑問を覚えるが、何食わぬ顔で顔を横に振って否定するシグは、自分の目的を彼女に告げた。

「いいえ。迷宮の奥、最深部というか、あそこの底には何があるのかが知りたいんです」

「迷宮の、底?」

『⋯⋯⋯』

 訝しげな顔をして、シグの解答に疑問符をつけるアイラに、シグは「はい」と答えてその理由を添える。

「ボク、なんというか昔の記憶、半年前から昔の記憶がなくって」

「は?」

 シグは自分が記憶喪失だと言う旨を述べると、アイラは素っ頓狂な声を上げて振り向いた。

 その様子に姿勢を反らしつつも、シグはなんだか楽しそうに語る。

 「家にあった置手紙にあった『迷宮へ』って文字を読んでから、なんというか、『ここに行かなきゃ』って思ったんです」

「⋯⋯あぁ、そう」

 思い出に浸る様に視線を落とし、落ち着いた口調とは裏腹に熱意をもってつらつらと語るシグを横目に一瞥し、組んだ脚の上で頬杖を付くアイラは途轍もなく不機嫌であった。

 その様子に気付いて嬉しそうに語っていたシグは口を閉じ、おずおずとアイラに訊ねた。

「あの、ボク何か気に障るようなこと言っちゃいましたか⋯⋯?」

「別に、好き好んであんな場所に行く人間の気持ちはわからないなと思っただけよ」

「あんな場所って、迷宮のことですか?」

 彼女は吐き捨てる様に肯定する。

「そうよ。それ以外に何があるのよ」

 その言葉に言い返そうとするが、言葉が思い浮かばず苦い顔をして黙り込むシグを一瞥し、そっぽを向くアイラ。


「迷宮なんて、無くなってしまえばいいのよ⋯⋯」


 小さく、低く呟いた彼女は、迷宮と言うものを心から憎んでいる。

 そう確信出来るほど、彼女の言葉にはそれだけの意思が感じられた。

「そう、ですか」

「分かったらもう帰りなさい。そしてもう関わらないようにすること」

 掌を振ってシグに出ていくように言うアイラだが、シグはそれでも、また頭を下げて懇願した。


「帰りません。貴女が稽古を付けてくれるというまでボクは帰れません!」

「……」

 眉をしかめるアイラ。蟀谷を押さえながら首を降り、どう追い返せばいいのかと頭を捻り、少し棘のある言い方でシグに訊ねる。

「お願いするのはいいけど、貴方の下げる頭にはどれだけの価値があるのかしら?」

「っ……、それは……」

 思わず黙ってしまったシグ。

 それを見てこれで終わると確信していたアイラにシグは半ば食い下がるように苦し紛れの回答を示した。


「価値は、怪物と一緒になった体の調査、です!」

『ハァッ!?』


 随分と悩んだのか若干言い回しがこんがらがっていた。

 勿論何も知らないグラウは触手でシグに突っ掛かるが、シグはそれでも諦めていないようで無理やり抑えていた。


 アイラは目を点にして間の向けた顔をシグに向けていたが、次第にやれやれと諦めながら首を振る。

「わかった。顔を上げなさい」

「え、じゃあ」

「うん、やってあげるよ。君の稽古」

 その言葉に、シグは破顔して飛び上がる。


「や、やったぁぁあああ!!」

『オイ、待テヨ!』


 嬉しそうに喜ぶシグと意味が分からないと怒り散らすグラウ。正反対の態度をする一塊の二人を眺めているとなんだか可笑しくなって小さく失笑するアイラだった。

「それじゃあ、明日やるから。明日の朝、東の廃墟の町に来なさい」

「はいっ、わかりました!」

『俺ノ意見ハ無ェノカヨ! ナァッ!』

 吠えるグラウを無視して二人は頷く。


『俺ノ話ヲ聞ケェェェエエエエエエエ!!!!』




 ◇




「それじゃあ、ボクたちは帰ります」

 ドアノブに手をかけ振り向いたシグが嬉しそうに言う。

「送っていこうか?」

「いえ、そんなに距離もないので一人で大丈夫です。それにグラウもいるし」

『フンッ』

 未だに不機嫌そうにしているグラウにたははと乾いた笑いを溢すシグに、ほんの少し申し訳なさそうな顔をするアイラ。

「わかった。気を付けてね」

「はい、さようなら!」

 そう言うと彼は早足にアイラの家を出ていった。


 途端に静かになったアイラの部屋。彼女は一つ息を吐いてゆっくりと椅子に座ってもたれ掛かり、天井を見上げて彼らの事を思い返す。


 変な子だったなぁ。

 まさか自分の首を条件に出すとは。


 あの年なら黙って逃げるか感情的になって怒り出すかと思っていたら、存外交渉と言う手段に転じてきたのが意外だった。


 そうやってシグとグラウを今後どうしようかと悩んでいると、突然部屋に入り口の影から人が表れた。

「……何」

「いいや? なんか面白い事してるなって」

 アイラはあえて其方には向かず、まっすぐ壁を見つめながら出てきた男と話す。

「あの子、シグって言ってたねぇ」

「……」

「ちゃんと教育してあげないとオレ困っちゃうな」

「そんなの知らない」

 どんんどんと小さくなっていくシグを窓から眺めながら、会話とも言えない質問返答に男はやれやれと首を振るが、すぐに持ち直して言葉を続ける。

「あいつ、鍛えたらどれぐらい強くなりそう?」

「身体状況が普通じゃない。だから予測できない」

 そう言いながらアイラは迷宮での出来事を思い返す。

 最初に奇襲を仕掛けた時。彼、彼らの片方の、あの時動いていた黒い方、グラウとやらは危険察知能力が高いのか、瞬時に此方に向いて迎撃、ないし攻撃をいなしていた。


 それだけならまだしも、此方の攻撃をあろうことか素手で受け止め、なんのダメージも受けていなかったことだ。

 確実に掌を貫通して小太刀が刺さっていたというのに、少年の素顔を見せここに立っていた時には出血はおろか傷口さえも閉じ切っていて、彼は平然としていた。

「怪物と混ざり合った人間、その存在価値はどれほどだろうね」

 笑みを浮かべる男の視線の先は遠く、彼の瞳は落ちていく夕焼けのように深く、沈んでいった。


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