月華3

 街の外れの森の奥に瀟洒な屋敷がひとつ、ぽつんと建っています。街の人々からは「鳥籠邸」と呼ばれています。かの有名な大作家、夜鳴き鳥の住まいなのです。そこに現れたみすぼらしい子ども二人に、作家の娘は困惑しました。


「父はひと月ほど前に亡くなりました。夢が淵の名もない村の遺跡の入り口で死んでいたそうです。お話の材料を探すためにほうぼうを旅する父でした。きっとその村にも、何か興味の惹かれるものがあったのでしょう。

 宿屋の主人によると、二週間ほど滞在していたとのこと。最後の何日間かは、使いに出した者が帰って来ないと、ずっと言っていたそうです。もしかして、あなたたちがそうなのですか?」


 少女は頷くと、ポケットから小瓶を取り出しました。


「月華の夜露です。頼まれていたものです。約束のお金をもらいにきました」

「月華の夜露ですって?月華とは、どんなものなのかご存知なの?」


 少女は小さく畳まれた羊皮紙を取り出して見せました。その絵を見ると娘は席を立ち、一冊の本を持って戻って来ました。


「これをご覧になって。字は読める?」


 少女は頷き、娘が指し示したページの挿し絵と文を見ました。それは、月華の絵と夜露の取り扱いについてのページ


「これは小説です。お話、すべて作りごとなの」


 本を閉じたその表紙には、作者の名前が、夜鳴き鳥の文字がありました。


「それなのに、本物の夜露がここにあるなんて。

 父は悩んでいました。いくつもの依頼を抱える売れっ子作家なのですが、最近とんと筆が進まないのです。もし本当に夢を超える薬があったら、幻視できたらどんなに良いか……。思いつめていたのかもしれません。

 父の死ぬ前日に、配達夫が宿屋に一冊の本を届けたそうです。それは父の書いた最新作でした。父ほどの作家にもなると、小さな村にも新刊は行き渡ります。宿に泊まる客が暇つぶしに、父の本をねだることが多いからです。その本を手に取って、父は長いこと動かなかったそうです。

 次のあさ遺跡の石扉が開いているのを村人が発見したのです。父は少し足を踏み入れたところで息絶えていたそうな。

 きっと、帰らない使いに痺れを切らして、自分で夜露を取りに行こうとしたのね。その日が満月でないことも忘れて」


 娘はそこで、つと顔を上げました。


「あなたたちは、ひと月もの間どこにいたのですか?父から依頼を受けた夜に夜露を手に入れていたのなら、どうしてすぐに帰って来なかったのです?」

「私たちがこの雫を手に入れたのは、昨夜です。

 私たちは、他の冒険家たちと同じように睡魔に負けてしまった。遺跡の中で眠ってしまった。

 そして、目を覚まして奥まで行きました。天井の一部にぽっかりと穴の空いた洞窟にその花はありました。穴からは真っ直ぐに満月の光が射し込み、花を濡らしていました。

 たくさん寝てすっかり元気になっていた私たちは、夜通しそれを見張りました。確かに雫が少しずつ、花びらに溜まっていきました。それで、朝になったら雫を集めて、すぐにここに来たんです。宿屋を覗いたけど、おじさんはどこにもいなかった。でも、夜鳴き鳥の屋敷といえば、このあたりでは有名ですから、すぐにわかりました」

「あなたたちだけ、どうしてくるわずにいられたの?ひと月も眠り続けて、なぜ生きているの?」


 その問いには答えずに、少女はテーブルに置いた小瓶を見つめました。


「この雫は、あなたにも入り用ですか?」

「いいえ、私は……」

「じゃあ、お金と一緒にこれも私にください」

「それはあんまりですわ。謝礼と品物両方を持って行ってしまうなんて、まるで私たちの払い損ではないですか」


 こうしましょう、と娘は言いました。

 この小説に書かれた通りの製法でキャンディを作ってあなたに渡します。お金も差し上げます。かわりに、その対価を私に支払ってください。遺跡を出るまでの冒険譚を包み隠さず私に話してください。雫が固まるまでの時間で、ちょうど話し終えることができるのではないかしら。簡単でしょう?

そのかわり、正直に全部話してくださいね。

少女はじっと娘を見つめたあとに、小さく頷きました。

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