月華2
「その人なら、つい先日見た」
同じくらいの背丈で、木の棒ように細っこく、ボロボロのマントを羽織った子ども二人に、宿屋の主人は言いました。
このような子どもが二人だけで旅など。宿の客たちの目は一瞬引きつけられましたが、すぐに興味を失い、酒瓶を傾け始めます。けれど、一人だけ違いました。カウンターの近くに座っていた彼は、ずっと注意深く見ていました。
「何日前だったかな。あの遺跡のことを聞いてきた。財宝が眠っているのは本当らしいが、正気で戻った者はいないと教えてやった。しかし、あの男は遺跡に向かったんじゃないかね。あれ以来見ていないよ。ハンターには珍しいガラス眼鏡をかけた男だろう?見たこともない大剣を下げていた」
少女は無言で頷きます。
「待って。追いかけて、そこへ行こうっていうんじゃないだろうね?よしなさい。どんな手練れのハンターも無事には帰って来なかった。あんたらみたいな子どもなんて話のほかだ」
「ああ、そうだ。追いかけるなんてとんでもない。あの遺跡のことで子どもが死んだなんてことになったら、この村の評判はさらにガタ落ちだ」
女房が横から口をはさみ、主人も慌てて言いました。
「もう外も暗いし、今夜はここに泊まりなさいな。そうして朝になったら、この村の人たちにその人のことを聞いて回ればいい。きっと遺跡には寄らないで、都市に行ってしまったに決まってる」
「お金がないんです」
少女がか細い声で答えると、主人の態度が一変しました。
「金のない者に分けてやれる物はここにはひとつもないよ。毛布のひとつ、チーズのひと切れだって余分はない」
少女と少年は、しばらくそこに立ちつくしていました。
やおら、少女の片足が持ち上がり少年のふくらはぎを蹴りました。少年は少しよろめき、体勢を立て直すと、おもむろにマントのフードを外します。主人と女房は少年に釘付けになりました。榛色の柔らかな髪がわずかに乱れて揺れました。
「お願い、します。ひと晩、二人」
カウンターの方を向いている少年の顔は、客たちには見えません。けれど、彼だけは見ていました。長い前髪に瞳は隠れていましたが、薄い桜色の唇が艶に持ち上がる様を。
「……仕方がないな。子どもを追い出したなんて外聞も悪いし。おい、ひと部屋空けてやれ」
「ええ」
女房はいそいそとカウンターを離れ、そのさい二人にテーブルに着くよう促しました。「夕飯、好きなだけお食べ。あとでここの村の名物を持っていくよ」
「お二人さん、どうぞこちらへ。飯は賑やかな方がいい」
この機を逃すものかと、彼は急いでとなりの椅子を引きました。いま見たものは魅了の魔術、彼にはわかりました。偏屈な中年男でさえも籠絡してしまう強力な術が、この汚い少年から発せられたのです。
「人を探しているんだね」
自分の肉料理を子どもたちの前に押しやりながら聞きます。子どもたちは、肉のかたまりを切り分け自分の皿に乗せることに夢中で、彼には目もくれません。
「あそこはいわくつきの遺跡だ。だが、ひと財産儲けるために入って行く者があとを絶たない。どんなに悪い噂が流れていようと。なぜだかわかるかね?財宝は確かにあるからだ。ここの住民は何も知らないようだが。
この遺跡に関する文献は、世界中に散らばっている。私は仕事柄、あらゆる書物に目を通す機会があるのだ。
夜鳴き鳥という名に覚えは?……まあ、浮浪者同然の子どもなら、知らなくてあたりまだな。私の小説は国境を跨ぎ、幾万の人々に読まれているのだが。
君たちは、明日遺跡に入るつもりだろう?」
少女は肉を口に詰め込みながら頷きました。
「では、人探しのついでに宝探しもしてみないか?私の目当ての宝を首尾よく見つけて来てくれたら、今度出す本の報酬の十分の一を差し上げよう。それがどれだけの額か想像もつかないだろうが、こんな安宿ではない立派な宿に二人して何日でも泊まれるくらいは十分にある。興味が出てきたかね?
では、商談に移ろう。私が欲しいのは
正しい方法で冷やし固めてそれを飲めば、人は夢の底へ行ける。時も場所も、この大地からも解き放たれて、好きなものを見ることができる。この世の真実を、深淵を。
此の地の名前も、遺跡に入った者の気がふれるのも、すべて夢と関係している。多分あの遺跡は夢に関する神が祀られているのだ。月華とは夜にしか咲かない麻薬の花だ」
彼は自慢の銀の羽根のついたペンを胸から取り出すと、テーブルに放ってあった羊皮紙にすらすらと花の絵を描きました。
「この花を見つけても手折ってはいけない。花が咲く条件に月光が必要だから、必ずそこから月が見えるはずだ。天井が崩れているところを探せ。そうして、見つけたら夜露がたまっていくのを一晩中見張るのだ。遺跡で眠ってはいけないよ。眠った者はみな気がくるう。
……今までに宝を無事持ち帰った者はいない。だが、君たちならできるね?」
彼は言外に匂わせました。お前たちの正体を知っている。忌まわしい魔術師だいうことを。
それが正しく伝わったのかどうか。少女はただぼんやりとした瞳で、小さく頷くだけでした。
次の夜がちょうど満月でした。日が暮れ始めるころ、二人の子どもはひっそりと宿を出ました。彼はそれを遠くから見ていました。
蔦におおわれた石造りの扉が、不快な音を立てて開いてゆきます。家々にぽつりぽつりと灯がつき始めます。彼は、しんと染み入るような冬風の中、その音に聞き入りました。やがて夜よりも暗い穴がぽっかりと口をあけ、子どもたちの背中は吸い込まれていきました。
気ぐるいの遺跡へいともあっさりと足を踏み入れた少女たちはその後、いくら待っても帰っては来ませんでした。
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