第10話 わたしの十四年は

 薄皮一枚で繋がっているとはいえ、アサキの頭部は身体と完全に切断されたも同然であった。


 だが、滅ぼしてどうするつもりであるのか、ナディアは。

 朽ちさせることにより、アサキの存在を神の段階へと昇華させようとでもいうのだろうか。

 それともあるのはただ反逆への怒り、抹消してすべてやり直そうということか。


 首を切断されたわけであり、普通ならば生きているはずがないというのに、そんなアサキへと黒いアサキの攻撃はまだ続く。

 今度は、左手首がクラフトごと切り落とされていた。両断されたクラフトが、小さく爆発して粉々になった。


 魔力の制御だけでなく具現化させた魔道着を維持する役割も持つアイテムが破壊されたことで、アサキの変身が解除された。

 ティアードブラウスに、膝丈タータンチェックのプリーツスカートという姿へと戻っていた。


 両手を失い、そして首がほぼ切断されて薄皮一枚で繋がっているという状態で、アサキは反応素子の嵐の中を揺らぎ浮かんでいる。

 なんとも無残な姿である。

 もしそれが死んでいるというのであれば。または、かろうじて生きているにせよすべて砕かれた絶望の中に心を置いているのであれば。


 ぴくり、腕が動いた。

 ぴくり、身体が震える。


 アサキは、まだ死んではいなかった。


 死んでいないどころではない。

 絶望の中に、アサキの心はなかったのである。


 首をほぼ両断されているというのに、頬がぴくりと痙攣している。

 鮮血を飛ばしていた切断面から、いつしかしゅうしゅうと蒸気が吹き出していた。魔力が霧状になって体内から溢れ出ているのだ。

 切断された右腕も、左手首も同様だった。

 魔力の霧が固まって、アサキの首が繋がっていた。

 魔力の霧が固まって、切り落とされた左右の腕が復元されていく。


「窮地に、いよいよ神たる片鱗を見せ始めたというわけだ」


 アサキと同じ顔をした黒い髪と魔道着の少女、人工知能ナディアは、いやらしい笑みを浮かべた。


「ちが、う……神、なんかじゃ、ない……」


 まだ声こそ掠れているが、アサキの首は完全に繋がっていた。

 左右の腕も、指の先まで完全に再生されていた。

 右手を喉に当て、ぜいはあと息をしながらアサキは、黒いアサキへと毅然とした顔を向けた。


「わたしは、人間だ」


 ここでそれをいってどうなる。とも思ったが、いわずにいられなかった。

 黒いアサキは笑うだけであったが。


「そのような怪物じみた人間が、どこにいる。神の座を否定するならば、単なる合成生物キマイラが転造で陽子式を再現されただけの、やはり化け物だろう」

「関係ない。人間とは、人が人を思いやれる心だ!」

「神であれ人であれ!」


 黒いアサキ、人工知能ナディアが叫ぶと同時に何条もの光が走った。


 ぐ、

 アサキの苦悶の表情、呻き声。

 三本、四本、細い光の槍に胴体を貫かれていた。


 アサキと同じ顔をした黒髪の少女、人工知能ナディアは、反応素子の嵐の中を浮かびながら嘲笑を赤い魔法使いへと向ける。


「わたしはナディア。ほぼ宇宙創成からの1700億年を存在し、なお現存する唯一の、つまりは神ともいえる者である。時の流れにおいてはこの瞬間に生まれたばかりといえるお前が、どう勝とうというのか。共に神になろうと差し伸べる我が手を……」


 その言葉は、疲労に弱々しくもなびく前髪の中から強い眼光を光らせるアサキに遮られていた。


「確かに、わたしが生きてきたのは……永遠の中の、たったの十四年だ……」


 幾本もの光の槍に身を貫かれながらもアサキは顔を上げ、その鋭い眼光で黒い魔道着の少女を睨み、そして叫ぶ。


「でも! ……わたしの、この十四年は、あなたの何千億年なんかに、負けてない!」


 風が爆発した。

 アサキの、意思の風が。

 強い気持ちが。未来を信じる気持ちが。

 爆発し、風と化して、その瞬間に身を貫いている光の槍がことごとく粉々に砕けていた。砕けて、塵と化して風に消えた。


 黒髪の少女は、アサキの叫びを受けて嘲笑の笑みをより歪めた。


「証明、してみなよ」


 右手に剣を下げながら、ゆっくりとアサキへ近付いていく。


「神になろうと差し伸べた手を、汚れた泥の手ではねたのだから。言葉の重みを、証明してみなよ」


 ゆっくりと、黒い魔道着ナディアが迫る。迫り、ぐっと右手の剣を強く握り締める。


 その勢いに押されて、アサキは息を切らせながら一歩退いた。


 と、指がなにか硬いものに触れた。

 再生したばかりの指先に。

 その硬いものは、上着のポケットの中にあった。

 アサキは、そっと手を入れてみる。


「ウメちゃん……」


 唇が動いただけといった微かな声で、アサキは亡き友の名を呼んだ。

 ポケットから引き抜いた手には、真紅のリストフォンが握られていた。

 仮想世界の中でヴァイスタと戦う日々を送っていた頃、アサキの特異な魔法力をより効果的に発揮出来るように特注されたものである。


 このリストフォン型クラフトをみちおうが奪い、超魔道着姿へと変身し、そしてアサキと戦った。

 自滅に近い死を遂げることになった彼女から返して貰ったものだが、アサキは自分が強くなることにまったく興味がなく、でも捨てることも出来ずにずっと持ち続けていたのだ。


 その真紅のリストフォン型クラフトを、アサキは今、躊躇うことなく左腕に装着していた。

 今ならば、自分を信じられるから。

 時として強さを求めることも必要なのは分かるが、自分はずっと拒絶し続けてきた。でも今は、なんであろうとも自分は自分なのだということが分かったから。

 みんなが気付かせてくれたから。

 だから……


 静かに両腕を上げると、リストフォン型クラフトの側面スイッチを押し込んだ。


「変身!」


 真っ白な光に、すべてが溶けていた。

 溶ける中に浮かぶのは、アサキのシルエットだ。


 着ているものがすべて弾けて消えると、光が無数の細い糸と化して束なって、少女の小柄な身体を包み込んでいく。


 舞台照明を操作したかのようにすうっと光が弱まると、そこに浮かぶのは真紅の布に全身を包まれた、赤毛の少女の姿である。

 爪先部分の布が裂けると裏地も真紅、裏返しになってするするめくれ上がっていく。太もも半ばまでめくれて、スパッツを履いているのと変わらない見た目になっていた。


 頭上に浮かんで回っている金属の塊が勢いよく弾けて分かれ、肩に、腕に、胸に、すねに、装甲として次々と装着されていく。


 さらに頭上から、ふわりと袖なしコートが落ちてくる。

 前傾姿勢になった赤毛の少女は、優雅な舞踏のように背後へと腕を立てて袖に腕を通すと、身体を起こした。


 身に着けたものを馴染ませるために、腰を捻りながら右、左、と拳を突き出した。


 アサキのために個別開発された超魔道着を、初めて自身が装着した、その瞬間であった。


 どおん、

 名状し難い脈動感を帯びた魔力が、うねりながら自身体内を駆け巡っているのを認識する。

 すべては、もとから存在する自分の魔力だ。クラフトの制御補助を受けての効率化から心身が研ぎ澄まされ、自身の莫大な魔法力を初めて認識したのである。


「一緒に戦おう、ウメちゃん。みんな」


 怒涛の魔力が龍神と化してぐねぐねうねるその中心で、輝く真紅の魔道着に身を包みながら、アサキは小さく優しいでも毅然とした強い声を発した。


 顔を上げ、黒い魔道着の魔法使いを睨みながら、右手の剣を強く握った。

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