第03話 カズミと治奈 vs 至垂シュヴァルツ

 蹴り破った扉を踏み付けて、カズミとあきらはるが肩を並べている。


「やっぱり、生きていやがったか……」


 カズミは、取り出した二本のナイフを両手に握りながら、目の前にいるシロクマほどもあろうかという巨大な蜘蛛を睨み付けた。


「いや、間違いなく死んでいたのだが」


 だれとくゆうの顔に、意地の悪い笑みが浮かんだ。


「なにいってやがんだ」


 カズミは、ふんと鼻を鳴らした。

 元々、自分だけの世界で言葉をまくしたてる至垂である。会話の噛み合わないことが多く、まともに取り合っても神経をすり減らすだけだから。


 カズミは腰を低く落とし、身構える。

 隣の治奈も戦闘態勢だ。半歩引いて、カズミを援護するような斜め後ろに立って、両手に槍の柄を握った。


りようどうさきくんは?」


 至垂が尋ねるが、


「てめえらごときに、出る幕じゃねえとよ」


 カズミは、すっぱり吐き捨てた。


 すっぱり、ではあったが嘘である。

 アサキは疲労の蓄積に倒れてしまい、昏々と眠り続けるアサキを置いて、治奈と二人でここへきたのだ。

 至垂の死体がなくなっていたその理由を確かめるために、巨体を移動させたと思われる地面の跡を辿って。

 生きているなら倒すため。

 最悪、殺すため。

 アサキは追わなくていいといっていたが、そうもいかないからだ。

 神になりたいのだからこの宇宙を滅ぼすことはないだろう、とアサキは少し楽観論だったが、もし仮に自暴自棄にでもなったならばなにをするか分からないではないか。


 だから、ここへきたのである。

 朦朧とした意識の中で一緒に行きたがるアサキをヴァイスに任せて、カズミと治奈の二人で。

 どちらにしても、ヴァイスはアサキを守ることしか関心なく、アサキを置いていく以上は自分も残っていただろうが。


 カズミは、扉を踏みながら視線をさっと左から右へ走らせた。

 大きな部屋の真ん中には、巨蜘蛛の姿。背から生えるは至垂の身体に顔だ。

 三方壁際には黒服の三人、アインス、ツヴァイ、ドライ。顔がまったく同じなので、カズミには自分たちで名付けておきながらも誰か誰だかさっぱりであったが。


「親分は?」


 目を細めて油断なきよう視線を素早く走らせながら、カズミはぼそりと尋ねた。黒い衣装の少女、シュヴァルツのことを。


「ここだよ」


 その声にカズミは視線を上げ、驚きに肩を微かに震わせた。

 至垂の身体の上にはたった今まで至垂の顔が乗っていたのに、そこにシュヴァルツの顔があったのである。


「どうなってんだよ……うわっ!」


 驚き叫ぶカズミ。

 巨体が突然、地響きを立てて突進してきたのである。


「くそ」


 カズミと治奈は咄嗟に左右に散って、かろうじて突進をやり過ごす。

 だが巨蜘蛛は異常な素早さでくるり身体を回転させると再び、治奈へと狙いを付けて飛び掛かった。


 治奈は、今度は逃げず、両手に握り構えた槍を、


「うおおおりゃ!」


 雄叫びと共に、突き出した。


 ぶんと唸りを上げて、先端が巨蜘蛛の胴体を貫いた……かに見えたが、そうなる寸前に中足で穂先を振り払われてしまう。

 巨蜘蛛の反撃を、頭を低くしてかわすと、ほとんど同時に蜘蛛の背から至垂が握る長剣を振り下ろす。

 がちり、長剣を槍の柄で受けると、治奈はさっと後ろへ跳躍して距離を取った。


「逃さない」


 シュヴァルツの声だ。六本の足を素早く動かして、巨蜘蛛は距離を詰めようと治奈へと迫る。


 だがこれは、治奈の仕掛けた罠だった。


 治奈へと突進する巨蜘蛛へと、なにかが急降下していた。

 青い魔道着の魔法使い、カズミだ。


「地獄に行きやがれ!」


 二本のナイフを束ねて、叩き付けるように振り下ろした。

 だが、せっかくの連係による奇襲も通用しなかった。

 至垂の寝かせた長剣に、こともなげに受け止められていたのである。


「てめえ、至垂か? 黒いやつか? どっちだ!」


 巨蜘蛛の背上に着地したカズミは、奇襲には失敗したが勢いそのまま長剣をナイフで押し込みながら怒鳴った。


 なお、黒いやつとはシュヴァルツのことだ。そう呼ばないのは、自分たちの中で勝手に名付けただけだからだ。


「どちらでもある」


 短い返答の声。

 二人の声が混じっているが、口調からすると至垂の意思であろうか。


「いつまでという期限はともかく、仮想世界の破壊までは利害が一致したんでな。戦線協定を結び、お前らを滅ぼすことにしたわけだ」


 内容から、こちらはシュヴァルツの意思ということだろうか。


「お前ら雑魚を生かしておいても、もうこの至垂徳柳にとってなんの差し障りもない。だが、令堂和咲の心の支えとしては、これほど邪魔な存在はないからな」


 また至垂の意思か。

 それを聞いた途端カズミが激高した。


「抜かしやがれ!」


 怒鳴り足を激しく踏み鳴らすと、二本のナイフを小さく放り上げ、掴み取ってくるくる回し、あらためて柄をぎゅっと握った。


「差し障りがあるか、ねえか! ……アフテウェングアタッケヴァイゼルム」


 小声で素早く呪文を唱えると、足元に五芒星の魔法陣が浮かぶ。

 魔法陣は青白く輝き出す。


「これを受けても、まだそんな余裕をぶっこいてられるのか!」


 カズミの全身が、魔法陣同様に青白く輝いた。


「超魔法! ポリサ・ラツィオ!」


 叫びながら床を蹴った。

 高く跳躍しながらくるりと前転、天井を蹴ると巨蜘蛛へと急降下。

 カズミの身体が増えていた。二人、五人、七人、身体がぼやけぶるぶる震えながら分裂していた。

 先ほど、アサキが至垂を圧倒した技である。

 舐められてたまるか、そう思いあえて同じ技を使ったのだ。


 七人のカズミが急降下し、一つの雄叫びのもと十四のナイフが振り下ろされた。


 そして、一人のカズミが腕を掴まれていた。

 至垂? シュヴァルツ? の左手にぎゅうっと強く右腕を。


「ぐ」


 痛みに、カズミが顔を歪める。

 蜘蛛の背中へと着地したと同時に、身体をよじって掴まれた腕を振り払おうとする。

 だが至垂が……融合しているため「至垂シュヴァルツ」とでも名付けた方が的確か。至垂シュヴァルツが、離さなかった。離さないばかりか、カズミの腕をさらにぎゅいとねじ上げた。


「うあ!」


 ナイフが落ちた。


 べぎりという不快な音と、カズミの絶叫が響くのは、ほとんど同時だった。


 カズミの右肘が、本来は曲がらない方向に曲がっていた。

 へし折られ、直角に曲がっていた。


 それでも左のナイフで切り付けたのは、さすがと胆力を褒めるべきなのだろうが、当然そのような攻撃が通じるはずもなかった。

 通じはしなかったが、そのため至垂シュヴァルツの締め上げが僅か緩んで、今度こそカズミは身を捻って逃れ、蜘蛛の背から転がり落ちた。


 だがしかし、落ちた瞬間に踏まれていた。

 巨大な蜘蛛の前足に体重を掛けられて、また、ぼぎべぎと骨の折れる音が響いた。


「なにか、勘違いしていたのかな? 令堂和咲の強さを、さも自分の強さであるかのように」


 至垂シュヴァルツの現在の顔は、至垂徳柳だ。

 その顔には、苦笑と嘲笑の混じった、いずれにせよ質の悪い笑みが浮かんでいる。


 至垂シュヴァルツは、踏み付けていた蜘蛛の前足を持ち上げると、


「滅びろ」


 再び落とした。


 いや、落とそうとしたところへ、


「これ以上はっ!」


 治奈が巨蜘蛛へと飛び込みながら、前足へと槍を突き出した。

 だが穂先がまるで立たずにつるり滑って、飛び込もうとした勢いで巨蜘蛛の胴にぶつかって、ぐっと呻く。


 結局、治奈はいないも同じで友を守ることが出来ず、巨蜘蛛の巨大な足はカズミの身体へと落とされたのである。


 べぎり、また骨の砕ける音が響いた。

 大きな骨は、もうすべて折れているのではないか。そんなぐしゃぐしゃに潰れているカズミの身体を、蜘蛛は前足で掴み放り投げた。


「死ね!」


 朦朧とした表情の、受け身の姿勢もなにもなく重力に引かれて落ちるカズミの身体を、長剣の刃が断っていた。

 ガツッと固い音は、背骨が砕かれたものであろうか。

 カズミは、もう悲鳴すらも上げず、ただ床に落ちて転がっただけであった。

 胴体が、深く横一文字に切断されている。おそらく背骨も断たれて薄皮一枚で繋がっている状態だ。

 無理に立ち上がろうものなら上下の半身が別れ別れになるだろうし、そもそも立ち上がることなど不可能だろう。


「に……げろ、はる……な」


 ごぼり 

 大量の血がカズミの口から溢れてこぼれた。


 至垂シュヴァルツ一体に対して二人で挑んだというのに、まるで歯が立たなかったのである。

 会心の超魔法が児戯同然に扱われたのである。

 さらには、なお三人の黒服がいる。

 普通に考えて、治奈一人で勝ち目があろうはずがない。

 逃げて、アサキやヴァイスに助けを求めるしかない。


 だが、治奈は逃げなかった。

 槍を構えたまま、逃げなかった。

 く、

 と躊躇いがちに呻くと、意を決した表情で跳んだ。

 巨蜘蛛の背、白銀の魔道着を着た至垂シュヴァルツの上半身へと、槍の柄を振り下ろした。


 攻撃のためではない。

 受けさせて、鍔迫り合いの体勢に持っていくためである。


 逃げはしなかった。

 治奈は、逃げはしなかったが……


 小さく開く彼女の口、そこから発せられた言葉は、


「うちらの負けじゃ」


 降参宣言であった。


 重症のカズミを連れては逃げられない。

 そう判断したためかは分からないが、とにかく治奈は敗北を認めたのである。

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