第02話 グラティア・ヴァーグナー

 数年の時が流れて、西暦3826年のことである。

 地球における文明の歴史、人類の科学史に、さらなる大きな変化、さらなる大きな発展がもたらされたのは。


 宇宙空間全域に、あまねく存在しているエーテルという物質がある。

 それを超量子コンピュータの伝導媒体に利用しようという、発案開発者以外には誰も理解出来ない高度な技術が実装されたのだ。


 その開発者とは、またも赤毛のドイツ人女性グラティア・ヴァーグナー。

 実装されたそれは、超次元量子コンピュータと名付けられた。


 エーテルとは本来、宇宙空間に満ちていると考えられていた架空の物質だ。

 現代科学の黎明期である二千年前に、実証実験により存在が否定されている。

 別にそれが覆されたわけではない。

 近い概念の物質を、真空中から見つけ出して、その実用に成功したというだけだ。


 とはいえ、宇宙学、宇宙感、宇宙哲学が覆されたことに変わりはなく、しかもそれをやってのけたのは一介のコンピュータ設計者。


 それだけではない。

 彼女は、さらに応用技術を考え出した。

 宇宙、という無限に等しい空間を、そのままコンピューティングのメモリー空間として利用出来るようにしてしまったのである。


 これが、どれだけのことであるか。

 何故、これほどの快挙を、若い女性が成し遂げることが出来たのか。


 夢があるから。


 インタビューを受けるたびに、グラティア・ヴァーグナーはそう語った。


 赤毛のドイツ人女性、グラティア・ヴァーグナーには、常に公言しているある夢があり、それが仕事に全精力を打ち込むための活力源であった。

 その夢の内容がまた、変わり者である彼女をますます変わり者たらしめるのだが。


 原子、陽子、時間、という物理シミュレートを、現実世界以上に精細緻密に施した、現実世界以上にリアルな、仮想世界を作ること。

 その世界の中での人間から、有用な情報を得て学ぶこと。


 人間的コンピューティング技術の一つにAIがあり、既に限界に近い進化を遂げていたが、それとはまったく別のアプローチといえよう。

 別もなにも、仮想空間内に物理が完全再現されるのならば、現実世界においてAIなどほとんど不要になる。単純な電子計算用途として、残ればよい。


 グラティア・ヴァーグナーが現実以上の仮想にて期待しているのは、仮想空間内部において本物の人間を作ること。

 仮想世界の、時の流れを加速させ、現実世界を追い抜き、得られたシミュレーション結果を現実世界へとフィードバックさせる。


 もたらされるもの、科学にとどまらないだろう。

 様々な条件下により発生する様々な思考、思想を学ぶこともまた、人間の魂としての豊かさをより一歩進めることが出来るはずだ。


 ドライに実益面だけを考えても、さらに技術が進歩すれば現実世界の人間を仮想世界へ送り込むことが出来るかも知れない。

 資源を争う愚かから解放されるし、不知の病の者も仮想世界でならば生きることが出来るではないか。


 仮想、現実、双方を物心豊かに発展させ、人類が一つの方向を向けるようになったならば、次の課題ステージは宇宙延命であろう。

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