第15話 至垂徳柳は恐怖におののく

 なんという悲痛な叫びであろうか。

 自分の脳味噌をぐちゃぐちゃにかき回すかのように、狂った、激しく、悲しい……

 がぼがぼと、喉の中の血を沸騰させ、噴き出しながら、赤毛の少女アサキは叫び続けた。

 壁に串刺されたまま、叫び続けた。


 涙が流れていた。

 赤い……血の涙が、流れていた。


「どう、して……どうして、こんな……こんな」


 わたしの、せいだ……

 全部、わたしの、せいだ。

 修一くん、直美さんを、守れなかったのは。


 でも、でもまさか、ここまでするだなんて、思わなかったんだ。

 悪人であろうとも、キマイラであろうとも、わたしと同じで、心は人間なんだから。そう心の奥では思っていたから。


 こんなことになると、分かっていたならば、

 人間なんかじゃないと、分かっていたならば……


 そもそも、わたし、オルトヴァイスタなどという言葉に、まったく現実感を持っていなかった。まったく興味がなかった。

 そのことをめぐって、ウメちゃんや校長、既にたくさんの人たちが死んでいるというのに。


 甘かったんだ。

 話せばきっと分かる、そう思っていた。


 現在にしても、わたしが耐えればいいだけだ、そう思っていた。


 その結果が、これだ。

 目の前の……


 修一くん……

 直美さん……


 全部、わたしのせいだ。


 ごめんなさい。

 ごめんなさい。


 わたしの……

 わたしのせいで……


 口を大きく開き、吠えていた。

 がぼりがぼりと、喉に溜まった血を噴き出しながら。壁に磔にされながら、赤毛の少女は吠え、魂を吐き出していた。


「いいねえ、心地よい響きだ」


 白銀の魔法使い至垂は、我を忘れて叫んでいるアサキの、顔を、頬を、ぬるりなで上げた。


 アサキの魂の震えは、まったく収まることはない。

 なおも叫び続けた。

 目を潰され、両腕を切り落とされ、胸を貫かれているというのに、そんな痛みなど、まったく感じてなどいなかった。

 あるのはただ後悔と、至垂への恨み。

 ただそれだけだった。


「わーわー叫ぶ、生きた壁掛けか。うん、悪くないねえ」


 にやりと、至垂はいやらしい笑みを浮かべた。

 と、その視線が、すっと横へ動く。


「悪魔のくせに、なにが『絶対世界ヴアールハイト』だ!」


 第二中魔法使いのほうらいこよみが、左右に持った三日月刀を怒鳴りながら振り上げ、至垂へと飛び込んでいた。


 アサキの懇願により見守るしかなかった彼女たちであったが、人質たる令堂夫妻は既にこの世におらず。

 いち早く呆然から脱した宝来暦が、憤慨心をたぎらせて、


「ライヒトスタアク!」


 呪文詠唱、武器をエンチャントで青白く輝かせながら、跳躍した。


「カスが」


 白銀の魔法使い至垂は、ふんと鼻を鳴らしながら、胸の高さでパチンと指を鳴らした。


 宝来暦の頭部が、消えていた。

 空中、跳躍しいままさに至垂へと飛び掛からんとしていた、宝来暦の、頭部が。


 正確には、消えたわけでは、なかった。

 空間から、白く太い粘液に光る腕が現れて、がっしり彼女の頭部を両手で掴んだのである。


 硬い物と、柔らかい物が、同時に、一瞬にして、ぺしゃんこに潰される。

 そんな音が部屋中に反響すると、もう宝来暦の身体は、ぴくりとも動かなくなっていた。

 白く巨大な手に頭部を潰されて、だらり吊るされたまま、ぴくりとも。


 白い腕だけではない。

 ぼおっと浮き上がるように、全身が現れていた。

 真っ白で、粘液質な皮膚、二メートルは優に超える、巨体。

 頭部は、鼻が僅か隆起しているだけの、のっぺらぼう。

 ヴァイスタであった。

 異空側から現界へと出現しながら、宝来暦の頭部を一瞬にして握り潰したのである。


 宝来暦の身体は、まだ巨大に手に掴まれ吊るされ、ぶらぶら揺れている。


 掴んでいるヴァイスタの、なにもなかったはずの顔面が、縦に大きく裂けた。

 ピラニアにも似た、鋭く細かな無数の歯が裂け目から覗く。


 ヴァイスタは、潰されて脳漿にまみれた宝来暦の、頭部を……もはや原型を留めぬ、赤黒い肉と骨の塊を……顔を近付けて、無造作に放り入れた。その、鋭い歯の無数に生えた、裂け目の中へと。


 がつり

 ごつり

 がり


 骨を砕くのみで、ほとんど咀嚼せず。

 宝来暦の頭部が、そして身体が、どんどん消えていく。


 ここでようやく周囲がざわついたこと。それは、誰も責めることは出来ないだろう。

 百戦錬磨の魔法使いであろうと、まさか警告も気配もなにもなく突然ヴァイスタが出るなど思うはずもない。

 しかも、あまりの凄惨な出来事に元より呆然自失であったこのタイミングで出現しても、すぐに気付けるはずがない。


 ただ彼女たちのほとんどは、呆然自失であったがため救われたのであるが。

 どういうことかというと……


「てめえさえ、倒せばあ!」


 元々の気の強さから他の者ほどには我を忘れていなかった広作班サブリーダーのこんりゆうたけが、その性格がため次の犠牲になったのである。


 すぐに我を取り戻し、ヴァイスタを避けつつ雄叫び張り上げながら至垂へと回り込む彼女。左腕の盾で身を守りながら右手に剣を構えるという広作班の戦闘スタイルで、身を突っ込ませた。

 そして、


 頭部を、巨大な手に掴まれていた。


 別のヴァイスタである。

 宝来暦を捕食しているヴァイスタとは反対の方向から、白く巨大な、粘液にまみれた腕が伸びて、その両手の中に建笠武瑠の頭部はしっかりと包まれていたのである。


「いやだ、死にたく……」


 巨大な手の中から、くぐもった叫び声が聞こえてきたが、それはすぐ、骨を砕く音に取って代わった。

 広作班サブリーダー建笠武瑠の身体は、巨大な手に掴まれ吊るされたまま、動かなくなった。


 その、白く巨大な手が、別の色に染まっていく。

 指の間から滲み出る、赤と、灰色に。


 広作班リーダー寿ばるは、くっと呻きながら白銀の魔法使いを睨み付けた。


 部下であるというだけでなく、積み上げてきた情もあったのだろう。

 だが、仁礼寿春は、呻き睨んだのみで、動かなかった。

 動けなかったのである。

 彼女だけでなく、他の魔法使いたちも。


 魔力の目で冷静に見れば分かることだが、ここ現界の薄皮一枚向こう側に、おびただしい数のヴァイスタがいるためだ。

 肩を付け合い、うごめいている。

 次元の壁の、どこが濃いか薄いか。また突然に突き出された手に掴まれ潰されるかも知れず、迂闊に動けるはずもなかった。


 がつり、ごつり、

 二体のヴァイスタが、荒い咀嚼と嚥下を続けている。


 それを見ながら至垂は、満足げな笑みを浮かべ、小さく口を開いた。

 

「ある程度はね、操作可能なんだよね」


 ヴァイスタのことをいっているのだろう。


「しかし、ままならなかった。ここまでやれるのに、肝心なところがままならなかった! でも、もう不要なんだよ! ヴァイスタがどうのと、どうでもいいことになったんだ! 遥か優れ超越した力を、わたしは手に入れるのだから!」


 壁側へと、振り向いた。

 磔にしたアサキへと、なあ令堂くん、とでもいいたげな、優越感と嘲笑とに歪み歪んだ顔で。


「あひっ」


 その優越感と嘲笑は、悲鳴とも呻きともいえない裏返った声と共に、飲まれて消えた。

 いま至垂徳柳の顔に浮かんでいるのは、他でもない恐怖の表情であった。


 睨んでいるのである。

 アサキが、獣のように唸っているのである。

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