第13話 薄もや晴れて

「本当に、修一、くん、たち、直美……」


 ほとんど、呼吸も出来ていないのだろう。

 アサキの声、かすかすと、ほとんどが雑音で、まともに言葉になっていなかった。


 片目が剣に刺され潰されており、残る片目は開いてはいるが、もうほとんど、輝きはなかった。


「ああ、もう少しわたしの気が済んだらね。必ず助けるよ。必ず。約束するとも」


 アサキは、朦朧とする意識の中、至垂の声を聞いた。

 信じた。

 人間性をではなく、状況を。

 だって、この人が恨みに思うのは、思う通りに動かなかったわたしであって、修一くんたちじゃないんだから。


「絶対、ですよ」


 だから赤毛の少女から発せられるこの言葉は、至垂の言葉を疑うものでは、決してなかった。


 死に瀕してなお、ひたすらに純だったのである。


「いつか……世界が平和に、なったなら……どこ、か、連れて行って、貰うんだ。おと、さん、おかあさん、一緒、に、遊び、に行く、だ、いっぱい、わがままを、いう、んだ。おとうとか、いもうと、と、遊ぶ、んだ……」


 ほとんど雑音といった、アサキの声。


 だけど、


「ああ、ああ、そうだな」


 修一には、はっきりと、聞こえているようだった。


「どこへでも、連れて行ってあげるから……」


 直美にも、はっきりと、聞こえているようだった。


「だから、いまは……もう戦えないなら、みんなに戦って貰え。意地を張るな。お前が死ぬこたねえんだよ。広作班の方が正しいぞ」

「そうよアサキちゃん。カズミちゃんたちも! 仲間でしょ!」


 その言葉に、カズミはぐっと息を飲んだ。


「分かっているよ! でも、おじさんおばさんも大事だし。あたし、本当の親どころか、義理の親もいないから。で、でも、それ以上に、アサキの思いを無駄にしたくなくて、と、というか自分で決断の責任を取るのが怖くて、だから……」


 戦いにぜいはあ息を切らせながらも、悲しげに、苛立たしげに、不安げに、カズミは床を踏み鳴らした。


「ごめ、ん……あ、がとう……ぜん、ぶ、わたし、の、わがまま……ご、めん」


 アサキの、ざりざりと濁った、しんと静かでなければ聞こえない、か細い言葉。


 それを吹き飛ばしたのは、至垂の笑い声だった。

 大笑、爆笑というのか、しんとした部屋の中、それは凄まじい、壁が揺れているのではないかというほどの、大きな笑い声が響いた。

 いつまで続くのか。

 湧き上がった気持ちを、一気に出し切ろうかというほどの。

 本来は怒るべきを、思わず呆けて見入ってしまうほどの。

 常軌を逸脱した、笑い声であった。


 やがて、ようやくその笑いが収まった。

 部屋に、静けさが戻った。


 戻っただけなのに、より静か。

 そんな中、白銀の魔法使い至垂は、ふうっと短いため息を吐いた。


 すっきりとした顔になっていた。

 真顔であるが、笑顔にも似た、憑き物が削ぎ落ちたような顔。


 壁に貼り付けられた、みるも無残な姿のアサキを見つめていたが、やがて、その顔に、苦笑に似た表情が浮かんでいた。


「負けたよ。令堂くん。……強いんだな、きみは。義父母への気持ちが本物ということか」


 また、短いため息を吐いた。


 アサキは、半ば朦朧とした意識の中、驚きに、わずか目を見開いていた。潰されず残った片目だけであるが。

 このような言葉を聞くなど、このような態度を取られるなど、思いもしなかったから。


 白銀色の魔法使いは、さらに続ける。


「すまなかったね。自分が、愚かに思えてきたよ。義理の両親を思う強い気持ち、わたしにここまでされても、抵抗しないんだからな。命乞いせず、義父母を守り続けようとするんだからな。なにがあっても決して絶望しない強さ。一体、どこからくるのかな」

「が……ぐ」


 うっすらと残った意識の中で、アサキは口を開こうとする。

 喉の中が血の塊で、むせるばかりで全然言葉が出ない。

 だらりと、口を血が伝うばかりだ。


「いまさら許されないだろうが、罪を、償うよ。きみのご両親も、すぐに解放するよ」

「ほ、ほん、とう、で……」


 かふっ、とむせて血が飛んだ。


 白銀の魔法使いは、にっこり笑った。


 変えた、ということだろうか。

 アサキの、まっすぐな気持ちが。

 ひたむきな気持ちが。

 リヒト所長の、歪んだ魂を。


「ほ、ほ、ほんとう、に」


 アサキは、残った片目を細めた。

 そこからは、ボロボロと涙が溢れ落ちていた。


「んなわけないだろお! ばああああか!」


 白銀の魔法使いの、高く上げた手の指が、ぱちんと鳴らされた。


 薄靄の結界の中。

 おぼろげに見える、ぐにゃり歪んで、浮かんでいる、二人から、


 ちゅん!

 なにか粒子が噴き出す音がして、その首が、落ちていた。


 落ち、転がると、さあっと一瞬にして結界による薄靄が晴れていた。


 そこには、二つの身体が、倒れていた。


 男女、二人の身体が、折り重なるように。


 さらには、身体から少し離れて、ごろりと転がっている、二つの……

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