第03話 結界の中に

 どう、

 弾き飛ばされたこんりゆうが壁に背を打ち付け、鈍い音が立った。


「ごめんなさい!」


 アサキは、もどかしげな涙目で、済まなそうに頭を下げた。


「くそ……やりやがったな……」


 痛みを堪えながら広作班サブリーダーの建笠は、自分の肩を回して無事であることを確認すると、アサキの顔を睨み付けた。


 睨まれてアサキは、


「本当に、申し訳ありません! で、でも、あと、少しだけ待って下さい! 時間を下さい!」


 もう一度、赤毛の頭を下げた。


「分かった」


 口を挟んだのは、広作班リーダーの寿ばるである。


「最後に必ずだれを捕らえているならば、少し待とう。……きみの両親が人質に取られているかも知れないから、ということだけど、ならばきみもいざという時の覚悟は決めて貰わないと困るがね」


 仁礼寿春の、冷たい声。

 右腕を落とされて、盾の装着された左腕で剣を握っている。

 迷いのない顔である。至垂だけでなくアサキすらも任務のためならば一刀に切り捨てても不思議のない、冷静な顔だ。

 でも、


「はい、ありがとうございます」


 時間を貰えたのである。

 赤毛の少女は礼をいうと、また頭を下げた。


「あーあ、外野がうるさいなあ」


 白銀の魔法使い至垂は、わざとらしく両耳を手で塞ぎながら、奥へ奥へと歩いていく。


 アサキが、少し後を付いていく。

 歩きながら、アサキは考える。

 先ほど、この人は劣勢になって逃げようとしていたけど、その時も迷わずこの先へと走ろうとしていた。もっと手薄な出入り口があったのに関わらず。

 つまり、この向こうに修一くんと直美さんがいる、ということなのだろうか。


 でも、本当に、人質に取られていたら……

 どう助ければ、いいんだろう。


 フミちゃんの時は、動くにおいて悩みはなかった。

 わたしたちは隠密に行動しようとしていたし、別働隊であま姉妹も動いてくれていたから。

 結局気付かれていたとはいえ。


 修一くんたちに対しては、そうはいかない。

 ここにいるのが本当ならば、こちらがおかしな動きをした瞬間に、きっと……


 でも、なにがどうであっても、二人は絶対に助けないと。

 元リヒトの職員とはいえ、いまはまったく関係ないのだから。

 仮に現在もリヒトだとしても、ただの技術員が人質だなんて、おかしな話。

 さらには、直美さんにのお腹には赤ちゃんがいるのだから。

 二人の、いや、三人の生命。必ず、絶対に、助けないと。


りようどう夫妻には久し振りに、ここへきて貰ってね。きみの魔法で忘却させられていた記憶を、取り戻させて、そしてまずは、労をねぎらったよ。十年にも渡る家庭でのモニターテストをお疲れさん、って。でも彼らは、とてもワインで乾杯したいという気分じゃなかったようで、残念だったがね」

「そんな話はどうでも……」


 本当は、どうでもよくもない。

 でも、ある程度の想像は出来るし、なによりの優先事項は二人の無事を確かめること。

 あまり不快になる、気の滅入るだけの言葉は、聞きたくなかった。


 でもリヒト所長は、構わず続ける。


「ところが困った。ああ、なんたることだ。彼らに経緯を簡単に話した上で、リヒトへの復帰と、最終段階にきている実験への協力を要請したところ、『断る』とか、『あの子は普通の女の子だ』、とか。冗談なのか本気なのか、まあえらい剣幕でね。たぶん冗談だったのかな。だって、きみのことを普通の女の子とかいってるんだ……」

「早く二人に会わせて下さい!」


 至垂の話していることは、修一たち二人のこと。

 しかし、いま優先すべきではない内容だ。

 もちろん、焦らすためにあえてそうしているのであろう。


「冗談が引くに引けず意固地になってたんだろうけど、まあ無理強いも悪いし、他の方法で協力を仰ぐしかないのかなあって」

「どこにいるんですか!」


 のらりくらりに、アサキは思わず怒鳴り声を張り上げていた。


 その顔を、振り向いた至垂がぽっかり口を開いた不思議そうな表情で見下ろしていた。


「……きみ、意外に視力が悪いの?」


 軽口なのかは分からない。


 分からないが、アサキはその言葉にぞくり戦慄を走らせ全身を激しく震わせた。


 そして、見たのである。

 いや、気付いたという方が正しいだろうか。


 それはいつからであったのか。

 目の前に、薄靄が掛かっている。

 どう見てもそれは薄靄で、向こうの壁もはっきり見えるほど。であるというのに、まるで綿菓子をそこに浮かべたかのように、靄の中心部だけが、よく見えない。


 よく見えないが、空中に、二つの人影が漂っているのが分かる。

 浮かんでいるのか、吊るされているのか、それとも映像であるのか、はたまた幽霊か。

 と、肉眼で捉えた部分においてはそうした形容描写になるが、魔力の目が使えるアサキには、それがなんであるのか目を凝らすまでもなくはっきりと分かっていた。

 結界のため魔力の目を通してもぐにゃりぐにゃりと歪んではいるが、誰であるのか、はっきりと見えていた。


 ならばどうして気付かなかったのかは、疲労による注意散漫と、まさかという思いがあったからに他ならない。


 結界により捻じ曲げられた空間。

 その中に押し込められて、まるで空中に浮かんでいるように見える、二人の男女。


「う……」


 靄の中から呻き声。

 ぐにゃりと歪んで見える二人の、男性の方。

 意識が朦朧としているようである。


 二人が誰であるか、アサキにはその声を聞くまでもなかった。


しゆういちくん、すぐさん!」


 結界による薄靄の中に浮かび、ぐにゃり歪んだ姿を晒しているのは、アサキの義父母。

 かつてリヒトの科学者としてここにいたこともある、令堂修一と、令堂直美であった。

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