第08話 責任

 そう、甘いことばかりを考えていて、すぐに捕まえなかったからだ。


 最初は、だれ所長が男性であると思っていたから、つまり魔力を持たない非戦闘員が相手だから戦えないと思っていた。身辺警護の魔法使いだけ、倒せばよいと思っていた。

 それにしたって、いい訳にはならないけど。

 とにかく、女性であると、わたしと同じキマイラであると、分かったのならば、こうなることだって想像は出来たはずだ。


 そこで冷静な対処をしなかったから、ここまで事態が長引いてしまっている。

 全部、わたしのせいだ。

 だから、こうして一人で戦うのが、せめてもの罪滅ぼしだ。

 どのみち、まともにやり合えるのは、わたししかいないのだから。


「ま、そうやってきみが剣を握るしかないよね。魔法が使えるとはいえたかが人間ごときでは、わたしにとって無人も同然だからね」


 白銀の魔法使い至垂が、アサキへと同情の苦笑を向けた。


「わたしも人間です。ただ生まれ方が違うだけだ」


 こんなことをここで主張して、なにがどうなるものでもないことは分かっている。

 でも、いわずにいられなかった。


 だからあなたも人間でしょう。など訴えようというつもりはない。

 人間かどうかは、心、魂で決まるものだと思うから。


「へーえ」


 至垂の嘲笑。


 こういう人なんだ。

 仮に本当の人間であるとしても、でも、人間ではない。

 心に訴えるなどしなくてよかった。

 そんなことよりも……


 アサキは、剣を両手で持ち、正面に構えた。


 いま果たすべきことを、果たすために。


「ようやく本気で、わたしを倒しにくるつもりになったかい?」


 白銀の魔法使いが問いに、赤毛の少女は無言であったが、やがて、おもむろに口を開いた。


「あなたを倒したから平和な日々がやってくる、とは思わない。だけど、そうしなかったら、始まらない。それこそ、歪んだ野心にこの世が絶望に包まれる。そう分かったから」


 あなたとの、短い問答で、もう充分過ぎるほどに。


「ならば、わたしの歪んだ野心とやらを、その清らかなる信念で見事砕いてみたまえ。……まあ確かにね、単純な戦闘力ならば、初期ロットに近いわたしなどよりも、きみの方が、遥か上のはずだ。……でもね」


 白銀の魔道着を着た巨体が、そよ風に揺らめいた。

 と見えた瞬間、迫っていた。

 予備動作もなにもなく、アサキへと迫り、アサキへと長剣を突き出していた。


 突き出す剣の動きにアサキが反応し、防御体勢を取ろうと身構えた瞬間、白銀の魔法使いは口からなにかを吹き出した。


 濃い紫色のそれは、霧状に四散した。


 驚きつつもアサキは、瞬時に身を引きながら顔をそむける。

 不気味な飛沫が顔面へと浴びせられるのを、ぎりぎりでかわした。

 かに、見えたが……


 苦痛に歪む、アサキの顔。

 驚き、動揺した表情で、左手でそっと右目を押さえた。


「目が……」


 なにかが付着したようで、右目に激痛が走る。


 自浄作用に任せようと、そえた手を離し、至垂へと警戒なく身構える。

 右目から、じゅわり溢れた涙がどろりとこぼれた。


 涙で曇るのとは関係なく、右の視界がかすんでしまっている。

 霧状の液体は、毒成分だったのだろう。

 かわしたつもりだったが、かわしきれなかったのだ。


「でも……」


 負けるわけにはいかない。

 きっ、と残る左目に強い眼光を走らせて、正面を、白銀の魔道着を、それを着る至垂徳柳を睨んだ。


「どうだ!」


 喜悦の笑みを浮かべながら、白銀の魔法使い至垂が飛び込んで、長剣を打ち下ろす。

 身構えるアサキの剣へと、ガンと叩き付ける。


 ぐっ、

 と呻きながら、受け止めるアサキであるが、男性顔負けの凄まじい筋肉量にぐいぐいと押し込まれる。

 重みに、膝が震える。

 勢いに、腕が痺れる。


「戦いへの慣れや年季、そしてなによりも、目的を果たす覚悟が違う!」

「羞恥の麻痺していることを覚悟とはいわない!」


 アサキは怒鳴り声で自らを奮い立たせると、渾身の力を腕に込めて剣を振り上げた。

 長剣を大きく弾き上げ、跳ね返していた。

 自らの小柄な身を踏み込ませて、返す切っ先の一振り、そして二振り。


「覚悟とは、乗り越える心の強さだ!」


 三振り、四振り。

 勢いで、至垂を後退させる。


「ならば止めてみろ」


 剣で受け流しつつ後退しながらも、余裕の笑みを、白銀の魔法使いは浮かべている。


 だが、

 笑みそのものは、同じであるはずなのに……


 赤毛の少女に打ち込まれるたび、至垂の、笑みの内面にある質が、変化していく。

 笑みの形状は同じでも、厚みが、どんどん薄くなっていく。

 実質の余裕が、どんどん失われていく。


 見る者たちがそのように感じるほどに、振るうアサキの剣撃が、白銀の魔法使いをじりじりと追い詰めていた。

 完全に、アサキが押し込む展開になっていた。

 片目を負傷しているというのに、いや既に、その目も治癒していた。

 戦いながら、非詠唱魔法を使っていたのだ。


「やっちまえアサキ!」


 声援を送るのは、カズミの大声。


 アサキは、正面の至垂へと眼球そらさず集中しつつ、横目に映っているぼやけた映像に少しだけ意識を向けた。カズミへと。

 既にカズミは、壁の中から引き出して貰って、はるともどもこうさくはんの者たちの治療を受けているようである。


 無事でよかった。


 と、まずはほっと一息のアサキである。


 後顧の憂いというほどではないが、この一安心に一気に攻めてかたをつけてやる、と勢いを上げようとするアサキであったが、ここで予期せぬことが起きた。

 積もる疲労に目がくらみ、足をふらつかせてしまったのだ。


 その隙を、至垂徳柳ほどの者が見逃すはずもなく。

 アサキの剣は下から叩かれて、くるくる回りながら跳ね上がっていた。


 瞬間に勝負は決した。仕留めるだけだ。

 とばかりに白銀の魔法使い至垂は、飛び込みながら斜め上から長剣をアサキの身体へと叩き付ける。

 喜悦の笑みを浮かべながら。

 だが、ぴくり痙攣し、その笑みは一瞬にして一転、驚きに目を見開いていた。


 至垂の一撃を、振るう剣の切っ先を、赤毛の少女は、素手で、二本の指で、つまんで受け止めていたのである。

 受け止めつつ、赤毛の少女はもう動いていた。

 左足を軸に、身体を回転させた。


 至近距離、見えないところからのハイキックに、至垂徳柳の顔面が、ぐしゃりと歪み、潰れていた。


「ぐぁ!」


 ついに、演技ですらも笑みを浮かべていることが出来なくなったか。壁に背中を叩き付けられた白銀の魔法使い至垂の、苦痛に歪んだ顔と、悲鳴。


 アサキの攻撃は、まだ終わらない。

 跳ね上げられていた自分の剣が、天井から落ちてくるのを掴み、握ると、壁へと、白銀の魔法使いへと、床を蹴った。


「はああ!」


 気合を込めた剣の一閃。

 目の前の壁が、爆音を立て四散した。

 至垂を狙った一撃であったが、既にそこに彼女の姿はなかった。彼女は舌打ちしつつ、ぎりぎりでかわしていたのである。


 そのアサキの大振りを隙と見たか、至垂は奇声を張り上げながら身体ごと剣を突き出した。


 その行動は想定内だ。

 アサキの左拳が輝くと、その輝きが瞬時にして薄い円形に広がった。

 五芒星魔法陣による、魔法の盾である。

 その盾で、至垂の渾身の突きを受け止めていた。


 受け止め、押し返しながら体勢を整えて、アサキは反撃へと転じる。

 振って、突いて、払って。剣を両手に握り直して、さらに踏み込み、さらに攻勢を強めていく。


 白銀の魔法使いは、なんとか剣で防いではいるが、自分より遥かに小柄な少女の勢いを止められず、じりじりと後ろへ下がっていく。

 先ほども見られた光景であるがその時の至垂は半ば演出的、現在の彼女至垂にはそうした余裕は微塵も感じられなかった。


「バカな」


 無意識にだか、漏れる至垂の声。


 これまでは本心を顔に出さず、笑みの中にすべてを隠していた。

 立て続く驚きと屈辱の連続に、そうした感情からの表情を上手く隠すことが出来なくなっていた。


 それもまた演技であるかも知れないが、でも、どのみちアサキに、そのような穿った思考をする余裕はなかった。

 相対的に圧倒していようとも、自身の肉体ももう限界近くにまで疲労をしており、余裕など持ちようがなかったのである。


 魔法が使えるのに、何故このように死に物狂いの肉弾戦をするかというと、魔法使いマギマイスターにおける基本戦闘法が武器や素手での白兵戦であるためだ。

 ヴァイスタやザーヴェラー相手に、遠隔魔法は通じない。そのため、破壊の魔力を直接叩き込んで、直接粉砕する必要があるためだ。


 もしも、魔法使い同士の戦いを想定しての訓練も行なっていたとしたら、また違った戦い方になっていたのかも知れない。

 だが二人とも通例に漏れず、魔法の使い方としては肉体能力アップとエンチャント程度。

 戦い方としては、剣と剣とのぶつけ合いである。


 ただし、その次元が普通とはまるで違っていたが。


 戦いとは相対的であり、見た目には、ただ二人が剣を振り合っているだけ。だが、ここにいる全員には、その凄まじさ、レベルの違いが理解出来ているはずである。

 みな魔法使いである以上は、魔力の目というが優れており、目を凝らすことで魔力の爆発を見ることが出来るからだ。

 見ずとも、ここにいるほぼ全員が、至垂へと挑んで瞬きする間もなく返り討ちに遭っているわけで、その至垂と対等以上に戦うアサキの、その戦いが次元を超えたものでないはずがなかった。


 速度は、魔力の目でなければとても追えないものであり、力強さは、打ち合うたび足元の床に亀裂が走る。


 純然たる剣技のみであれば、優る者など一般人の中にも腐るほどいるだろう。

 だが、魔力により身体能力の基礎値が桁違いに跳ね上がっている二人には、もう剣技の冴えなどなんの意味もないことだった。


 そんな、異次元の戦いにおいて、現在、アサキが圧倒している。

 攻め続けている。


「すげえな」


 青い魔道着の魔法使い、カズミがぼそり呟いた。


 もうなにも、出来ることがない。


 他の者たちも、ただただ口を半開きにして見つめるだけであった。

 異次元レベルの、戦いを。

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