第03話 それでも消えずに残るほどの愛情を

「フミ……」


 壁に背を預けて座り、とろんと重たいまぶたを落とし掛けていたあきらはるであったが、


「お姉ちゃん!」


 そう呼び掛けられる声に、


「……フミ!」


 不意に目がぱっと大きく開いていた。

 信じられないといった表情を浮かべるも一瞬、ふらつく身体を頑張って、壁に手をつけ立ち上がった。

 疲労と大量出血、さらには切断され掛けた足は応急処置であるため、色々身体がままならず、がくり膝を崩してしまう。それでも踏ん張り、生まれたての子鹿よりもぶるぶると激しく足を震わせながら、妹へと向かって歩き出した。


「お姉ちゃん!」


 ふみも、あまやすと繋いでいた手を離すと、姉へと走り出し、胸の中へと飛び込んだ。


 二人は、抱き付き合った。

 強く、抱き締め合った。

 温もりを、確かめ合った。


「無事じゃった、生きておった……し、信じておったけと、ほじゃけど……ほじゃけど」


 姉は、ぼろぼろと涙をこぼしながら、ぐずぐずのみっともない笑顔を、妹の頬へと擦り付けた。


 妹も、嬉しそうな、泣き出しそうな、くすくったそうな、ちょっと恥ずかしそうな顔で、笑い、身をよじった。


「あのね、白衣の人たちに目隠しされてね、注射だから苦しまないよおとか甘やかす声でいわれて、なんか分からないけどあたし殺されちゃうの? って思って泣いていたら、あのお姉ちゃんたちが助けてくれたんだ」


 史奈が手のひらで差す、あのお姉ちゃんたち。

 我孫子市天王台第二中の魔法使い、あま姉妹である。


「ほうか。ほうか。よかったのう。無事で、よかったのう。……ありがとうな、あきさん、やすさん。本当に、ありがとうな。生命の恩人じゃ」


 ぼろぼろ涙をこぼし鼻水垂らして泣いているみっともない顔を、天野姉妹へと向けた。


「あたしにも、妹がいるからな」


 明子は、照れたように鼻の頭を掻いた。


「じゃあ、じゃあ、あたしにもお姉ちゃんがいるからっ」


 保子も、真似して鼻を掻く。


「意味が分かんないよそれ」

「だったら、お姉ちゃんの最初の言葉こそじゃないかあ。あたしらは最初から、いつも二人で戦っているのに」

「まあ、そうだな」


 そんな姉妹の他愛ないやりとりに、治奈は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を、さらにぐしゃぐしゃに歪めた。

 えくっ、としゃくり上げると、鼻をすすった。

 足りず、もう一回すすった。


 まだ、全身が震えている。

 特に膝が、遠目からでも分かるほどに震えている。

 大量出血のため、ちょっと前までほとんど意識を失っていたくらいなのだから当然ではあるが、だけど、いま身体が震えているのはそのためだけではなかった。


 いっく、

 また、しゃくり上げた。


「お姉ちゃんも、マギなんとかってほう使つかい、なんだね」


 抱き合いながらも、史奈が少し顔を離して、姉の着ている紫色の魔道着をまじまじと見ている。


 魔法使いマギマイスターのこと、きっと天野姉妹が、史奈を助け出してここへ連れてくる間に、簡単に説明したのだろう。


 どうせ後で、前後の記憶を消すからだ。


 先に記憶を消してしまうと、状況が分からず混乱している中を連れ回さなければならないわけで、さりとて眠らせて運ぶのも大変だからだ。


「ほうよ。お姉ちゃんは、ほう使つかいじゃ。魔法で、フミを悪党から取り返しにきたんじゃ。大切な……大切な、妹、家族を」


 疲労で立っているのもやっとであるというのに、さらに力強く、ぎゅっと妹の身体を抱き締める。

 記憶を、消してしまうからこそ。

 愛情を再認識したこの瞬間を、切り取られてしまうからこそ。

 それでも消えずに残るほどの愛情を、無意識下に、その肌に、植え付けておきたいのだろう。


「フミ……お姉ちゃんは、フミのことが大好きじゃ。本当に、無事でいてくれてよかった」


 恥ずかしい言葉を、いっておきたいのだろう。


 だけど身体は生身、限界があった。

 妹が助かり、ここに仲間もいることで、安心したのか、不意にぐらり崩れて、再び床に倒れてしまった。


「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」


 史奈が、追い掛けて床に膝をつく。

 不安な顔で、呼び掛け、腕をさすった。


「寝かせておいてあげて、フミちゃん」


 アサキが、白シーツのだれとくゆうと剣先を突き合わせたまま、ちらり視線を横に動かした。


「お姉ちゃんね、頑張って疲れちゃったんだよ」


 優しげな笑みを浮かべると、すぐに視線を戻した。顔を厳しい表情へと戻した。


 反対に、リヒト所長の顔に笑みが浮かんでいた。


「家族劇場は終わった? いやあ、しかし驚いたねえ。助け出されていたとは、よもやよもや。まあ、どーでもいいけど」


 笑んだ口元から、えひひっ、と下品な声が漏れた。


「ほんと間一髪だったよ。お前、最低だよな。こんな幼い子を、平気で殺そうとしてたんだからな」


 天野明子、ムカムカを抑えられない、いまにも唾を吐き捨てそうな顔だ。


 その言葉を受けて、隣にいる妹の保子が、プンプン顔で腕を振り上げた。


「そうだぞお。仮に、例え、もしも、やってることが実は立派だとしても、愛情なくやり遂げることなんて三流にも出来る。愛情抱いてやり遂げるのが一流なんだよ! お前は悪いことしてるくせに、やり口も三流なんだよ!」

「なにその妙な台詞? 誰の受け売り?」

「あたしがいま考えた」


 えへんと胸を張る保子である。


「我孫子市の女子中学生は、能天気なのが多いな」


 リヒト所長は、白シーツに身を纏ったまま、小馬鹿にするように鼻で笑った。


「そんなことはない」


 アサキは否定する。


 わたしは、彼女たちのこの明るさ、前向きさに、何度も助けられたのだから。


 この姉妹も、ここへ向かう途中、きっとフミちゃんに楽しい話をいっぱい聞かせて、安心させていたんじゃないかな。

 凄いよな、この二人は。

 第二中のエースで、他校から引き抜きの声が絶えないという話。だというのに、まったく驕ることなく、誰にでも分け隔てなく、いつも明るくて、優しくて。

 フミちゃんの件、わたしはずっと不安でたまらなかったけど、こうして何事もなく救出してしまうし。


 不安でたまらない、といっても、治奈ちゃんの方が、もっとずっと、気が狂いそうなくらいだっただろうな。


 本当に、よかった。

 に、無事に助け出すことが出来て。

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