第01話 なにも知らず、死んでいくことが出来ていたならば

 いまの、ヴァイスちゃんの話って……

 ま、まさか……

 いや、でも、そんなことが……


 ごくり、

 アサキは、唾を飲み込んだ。


 目の前にいるはるとカズミは、口半開きの狐につままれた顔をしている。二人は、お互いの表情に気が付くと、咳払いしたり頭を掻いたりして、決まりの悪さをごまかした。


 治奈はもう一度咳払いすると、涼やかな笑みを浮かべ立っているヴァイスへと顔を向けた。


「遠い遠い話、って語り出しじゃったけど……」


 受け取り方、というか、受け取った自分の気持ちをまだ決めかねているというのか、確かめるかの如くおずおずとした態度で震える声を発した。


「その割に、しっかり令和も出てきたけどな」


 カズミが、ははっとつまらなそうに笑う。

 茶化しただけ。

 だけどそれは、内面を気取られぬための健気な努力でもあったのだろう。

 緊張の面持ちを隠しようがないくらいに、彼女の顔は青ざめ、身体を微かに震わせていたのである。


「SF映画のストーリーかと思ったけえね」

「だな。未来の作り話なんかして、あたしらになんか関係あんのかよ? お前がその、遠い未来から、時を越えてきたとでもいうつもりかよ!」


 食って掛かるカズミ。

 青ざめた顔で。

 微かに震える、身体で。


「いえ、未来のお話ではありません」


 白衣装の少女、ヴァイスは、首を小さく横に振った。


 決定的であった。

 その言葉と、態度は。

 真実かはともかく、なにをいおうとしているかにおいては。


 青ざめ悲壮感を漂わせ始めていた治奈とカズミの顔が、もう完全に蒼白といってよいほどになっていた。

 鏡がないからアサキには分からないが、おそらくアサキ自身も同様なのだろう。


 当たり前だ。

 誰だって、そうなるに決まっている。

 だって……

 戦って、絶望して、身体を粉々に破壊されて、わたしたち、

 死ぬのだなと思ったら、生きていて、

 でもそこは奇妙な、暗い、遥か遠い未来のような世界で、でも、そこは未来ではなくて……


 未来では、なくて……


「ほ、ほじゃけどっ! そそ、そうじゃとしたらっ!」


 治奈のひっくり返った大声に邪魔されて、アサキは心の呟きをやめ、視線をヴァイスへと向けた。


 白い衣装、ブロンド髪の、幼い外観の、でも妙に大人びた落ち着きのある少女であるヴァイスは、小さく口を開いた。


「はい。わたしが語ったのは、遥か遠い、過去の話ですから。あなたたちにとってイメージすることも難しいような、気の遠くなるほどの」


 淡々とした、ヴァイスの口調。


 その言葉に、アサキはぶるりと身震いした。

 頭が、ほとんど真っ白な状態になっていた。

 ほとんど、なにも考えられない状態になっていた。

 残った僅かな思考も、ぐるぐる無意味に揺れ回るばかり。

 語られている最中に、じわじわと湧き上がる想像こそあったが、だからといって微塵もショックのやわらぐものではなかった。


 なにが、なんなのか。

 まったくわけが分からないよ。

 いや、いっていることは、分かるよ。

 でも、信じられない。

 いま彼女が語っていた仮想世界、それがわたしたちのいた世界だったなんて。

 信じられるはずが、ないじゃないか。

 でも……

 でも、


「もしもそれが本当のことだというのなら、今というのは……現在、というのは……」


 ふーっ、と息を吐き感情を乱さないようにしながら、でも震える身体に心が乱れていること丸分かりな状態で、アサキは小さく口を開き、尋ねた。


 いい終えるより前に、返答された。


「あなたたちがこれまで『自分たちが生きている現在と認識していた時代』から、1800億年後です」


 聞くだけで身も心も粉々に砕けそうな言葉を、こともなげに、ブロンド髪の少女は吐くのだ。


 わたしたちの、認識していた現在。

 宇宙が誕生し、確か、92億年後に地球が作られて、さらに46億年後の世界。

 その、はずだったのに……


「じゃあ……じゃあ、本当の、地球は……」

「星の寿命って、どれくらいか知ってますか?」


 ヴァイスは、ほとんど感情も表情もない、大人びた、落ち着いた顔を、アサキへと向けた。


 その問い自体が、答えなのだろう。

 つまり、地球はもうこの宇宙に存在していない。


 仮に、存在しているとしても、それは自分たちの知る地球ではない。

 少女のいっていることを、事実であるとするならば。


 だって、わたしたちの知る、わたしたちが守ろうとした地球は、コンピュータが作り出した単なる仮想世界だったのだから。


「なんなんだよ、それ! 無茶苦茶なことばかりいいやがって!」


 カズミが、両手で髪の毛をばりばり掻きむしりながら、声を荒らげた。


「ここはどこか、という先ほどあなたが発した問いに答えたものです。あなたたちの世界での語彙を借りるなら、ここは『絶対世界ヴアールハイト』であるということです」


 その言葉。「絶対世界」という言葉に、アサキの身は凍り付いていた。


 だって、見も知らないその世界のために、これまでどれほどのことがあったというのか。

 ヴァイスタという怪物と戦い続け、

 わたしの仲間であり親友の、正香せいかちゃんや、成葉なるはちゃんが死んだ。

 ウメちゃんも、妹の雲音くもねちゃんを助けるために、その「絶対世界」を目指し、死んだ。

 だれリヒト所長が「絶対世界」への道を開こうとするのを阻止しようと、よろずさんたちたくさんの魔法使いマギマイスターが死んだ。

 わたしの両親、修一しゆういちくん、直美すぐみさんまでが、人質に取られて、そして……

 生き死にだけじゃない。

 攻防の過程で、わたしは自分が人間じゃないことを知った。

 それでも人間であるとして、戦い続けた。

 みんなと暮らす世界を守るために。

 戦った。

 でも、その世界が、作り物だっただなんて……

 わたしたちの存在が、思いが、単なるデータだったなんて……

 そして、現実の世界は、こんなことになっているだなんて……


「仮想世界に対しての、現実世界……つまりは『絶対世界』ということじゃな。ここは」


 治奈の、いまにも泣き出しそうな顔、ため息混じりの声。

 嘘であって欲しい。

 夢であって欲しい。

 とでも、いいたげな。


 でも、

 アサキは思う。


 ほぼ、間違いのないことなんだろうな。

 ここまでこの少女が、ヴァイスちゃんが、語ったことは。

 ここが、現実の世界だということは。


 ヴァイスちゃんが嘘を付いているとは、わたしには思えない。

 そもそも、なんの意味がある?

 嘘など付いてなんの得がある?


 わたしも、至垂所長との戦いの中で、デジタルの世界が崩壊し掛けた様を目撃している。あの時は、さっぱりなんだか分からなかったけど、そういうことだったんだ。


 この世界のこの周辺、奇妙な造りの建物は小さな町を作れるほどに広大な規模だ。

 にも関わらず、数人の少女たち以外は誰もいない。

 もしも遥か未来というのが嘘で、わたしたちは、わたしたちの世界、わたしたちの時代に生きているのだとしたら、こんな不自然な話はない。

 こんな大掛かりなドッキリを、誰がなんのためにする必要がある?


 だからきっと、正しいんだ。

 ヴァイスちゃんのいっていることは。


 嫌だけど……

 わたしたちが生きていた世界が、コンピュータの中だったなんて、既に本当の地球はない、宇宙も終わり掛けているだなんて、嫌だけど……


 はあはあ、

 アサキの息が、荒くなっていた。

 ここには、そもそも酸素などないというのに。

 つまり、呼吸などしていないのに。

 どういう仕組みなのかは分からないが、とにかく心が疲弊して、視界もぐるぐる回って、呼吸荒く倒れそうになっていた。


 改めて、壁に助けを求め寄り掛かると、涙目を袖で拭った。

 はっ、とため息を吐いた。

 それでショックが微塵も薄らいだわけではなかったけれど。

 まだ、心臓がドキドキしている。

 酸素のない世界で、なんのために存在する心臓なのかは、分からないけど。


 視界が回って、考えもぐるぐるして、なにもかも、定まらない。

 考えられない。

 だって、なにを思えばいい?

 こんな、状況で。


 なにも知らず、死んでいくことが出来ていたら、どんなによかっただろう。

 仮想世界の住民であったまま、仮想世界の中で、平和に生きて、死んでいくことが出来ていたら。


 そもそも、何故わたしたち?

 何故、わたしたち三人が、こんな目に遭わなければならない?

 何故……

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