第05話 無理ゲーだ
凍り付いていた。
部屋の空気が。
絶対零度にまで、凍っていた。
目の前で起きていることが、信じられずに。
見た通りと分かっていても、信じられずに。
みな、青ざめた表情のまま、薄く口を開いたまま、がちがちに凍ってしまっている。
「
一人、
血の海の中に手を着いて。
その、着いた手の、すぐ先に、
うつ伏せに、
我孫子第二中の魔法使い、
彼女は倒れたまま、ぴくりとも動かなかった。
さもあろう。
首の後ろが、ざっくり骨ごと、切り裂かれているのだから。
どろどろと黒い血が流れて、今なお床の海を広げているのだから。
どう都合よく考えようとも、生きているはずはなかった。
間近にいて最初に気付き声を掛けた宝来暦以外は、誰も、この現実に入ることが出来ていなかった。
ただ青ざめた顔で、身体をぶるぶると震わせているだけだった。
血の海の中に、大柄な女子が立っている。
それは、これまでここにはいなかった、あらたな魔法使いであった。
「
ぼさぼさと爆発した、完全白髪の少女であった。
彼女の左手には細剣が握られており、その先端は、血に濡れている。
今ここでなにが起きたのか、何故、延元享子が首を切られて死んでいるのか、理由はもう、明らかであった。
「享子ちゃん、享子ちゃん!」
必死に呼び掛ける宝来暦の目には、すぐそばに立っているあらたな魔法使いの姿は、まったく入っていないようであるが。
その必死に呼び掛けは、生き返ってくれという願いであるか。
死んでなんかいない、そう信じ込みたいのか。
宝来暦は何度も、何度も、必死な、泣き出しそうな表情で、友の名を呼び掛け続けている。
他の魔法使いたちは現状認識が出来ずに、ただ青ざめた顔で震えているだけであったが、誰かが奇声を張り上げ空気を切り裂いたことで、一転、一気に騒然となっていた。
嘘だ、と叫ぶ者、
慟哭の声であったり、
ひざまずいて、床を叩き付ける者。
延元享子とあまり接点のなかったカズミも、目の前の光景にすっかり呆然として、口半開きで視線を震わせている。
そんな中で、
「お前なんかが出る幕じゃない! 邪魔すんなよ!」
「いやあ、お前ら二人が抜け駆けしたんじゃないかあ」
リヒトの魔法使い二人は、まるで平然とした態度で、言い争いをしていた。
敵だから、ではなく、そもそも最初から人間の生死についてなんとも思っていない。そんな神経など母の胎内に忘れている。そうとしか考えられない、二人の態度であった。
「だからあ、そんないわれ方をされる筋合いはないんだけどねえ」
背後から延元享子を殺した、ぼさぼさ白髪の魔法使いは、苦笑しながら、髪の毛を掻き上げた。
そして、カズミたちメンシュヴェルトの魔法使いたちへと向き直った。
「わたしの名前は、
「なにが遊びだあ!」
硬い物が砕かれ割れる音。
床に、なにかが落ちていた。
それは、人の、腕であった。
剣を掴り締めた、弘中化皆の腕であった。
次の瞬間、同じ音がして、また一本の腕が落ちた。
「うああああああっ!」
弘中化皆の、絶叫が響いた。
激痛、驚き、恐怖、屈辱、焦り、など合わさったグシャリと歪んだ顔。
左右の肩から先が、完全になくなっていた。
切断面からは、どくどくと、血が流れている。
白髪の魔法使い昌房泰瑠は、鼻歌交じりでも不思議のない楽しげな表情で、さらに細剣の刃を振るった。
弘中化皆の右ももと左もも、その上で腰が横にずれた。
人物を書いた紙を破いたかのように、弘中化皆の胴体がズルリずれて、重たい音を立て床へと落ちた。
落ちた胴体の上に、遅れて左右の足が倒れて重なった。
「ふむ」
自分の剣技の冴えにだか、切り刻んだ相手を満足げに見下ろす白髪の魔法使い、
「遊びとはいえ……」
微笑みながら、いや、その笑みが、不意に変化していた。
「人前で、そんな肉豚のような姿っ! 失礼だろおおおおお!」
自分でやっておきながら、その姿に怒りを爆発させたのである。
その姿に、剣を振り上げたのである。
四肢を切断されたまま床に崩れている弘中化皆の目が、かっと見開かれた。
それは、呪詛の言葉を吐こうとしたのか。
仲間への応援の言葉を吐こうとしたのか。
開いた口から呻き声が上がったその瞬間、その開いた口の中へと、突き出された細剣が刺さり、首の後ろへと突き抜けていた。
「よおし、これで二匹目っと」
真っ白髪の魔法使い
「やめろっていってるだろ! 勝手なことすんな! こいつらは、あたしの獲物なんだから。横取りすんな!」
黒スカートの魔法使い康永保江は、舌打ちしながら白髪頭の魔法使いの胸を乱暴に押した。
「だって焦れったくてえ。だいたいさあ、じわじわいたぶんのが、最強の証明になると思ってんの?
片やイライラ、片や涼しげ。
ただ、涼しげといっても、当て付けの態度であろう。
よく見ずとも二人の間には、双方向の火花が飛び散っているからだ。
喧嘩中でも乗ずる隙などまるで感じさせない、自信に溢れた威圧のオーラを放つ二人の姿に、
「ど、どうしようスギちゃんっ!
狼狽え、青ざめた顔で、リストフォンの向こうにいるはずのスギちゃん、我孫子第二中魔法使い部の顧問である
眼鏡の若い教師、杉崎真一先生の、上半身映像である。
「覚悟はしていたはずだろう? それともきみらは、遊び気分でそこへ乗り込んだのか?」
辛そうに、悔しそうに、身体を、表情を震わせながらも、あえて突き放す杉崎先生の冷たい声、言葉であった。
「どういうこと?」
カズミが、骨折治療の激痛に耐えながら、尋ねた。
ぽっきり折れた左腕へと、青白く輝く手のひらを翳して治療してくれている、万延子へと。
延子は顔を軽く上げて、ちらりカズミを見た。
「あとがあったら詳しく話すけど、フミちゃん救出は、ことを急ぐきっかけ。どのみち、ここへは乗り込むつもりだったんだよ。……だから最悪、死も覚悟していたってこと」
だから仲間の死にも心は痛まない。というわけでは、なさそうだが。
表情こそ乱れていないが、目は涙に潤んでおり、いまにもこぼれそうであったからだ。
万延子も、
空間投影の杉崎先生も。
仲間の死を、必死に堪えている。
「あとがあったらっ、て……じゃあ、いまは聞かねえ」
聞いたらそれが、冥土の土産になっちまうからな。
絶対に勝利して、生き残って、その詳しい話とやらを、聞かせてもらおうじゃねえか。
と、そんなカズミの心理であろうか。
だが現在、どう楽観的に考えようとも、精神論で乗り越えられそうな状況ではなかった。
当たり前だ。
一人で九人を相手に圧倒出来る、人間の姿をした化け物が、二匹に増えてしまったのだから。
しかもこちらは二人が殺されて、残るは七人。
しかも全員、怪我が酷くまともに動ける状態にない。
控え目にいって、万に一つの勝ちもない絶体絶命の状況であった。
だけど、
第二中リーダー、万延子は、そのような中で、いや、そのような中であるからこそか、
微笑を、浮かべていた。
仲間の死に、赤く充血した目に涙をたっぷりと溜めながら。
「キバちゃん、ごめん、折れた骨はなんとか繋げたから、あとは自分で治して。それと、これ、預かっといてくんない?」
そういうと、おでこから巨大なメガネを外した。
彼女のトレードマークともいえる、白と水色の太いストライプが入ったオシャレメガネを。
「しくよろーっす」
と軽い調子でいいながら、カズミの膝の上へと置いた。
「え、ちょっと、お前、なにをする気だ……」
カズミの質問に延子は答えず、ゆっくり立ち上がって、
「キバちゃん、歌、上手なんだってね。じゃあ今度さあ、うちのみんなとカラオケにでも行こうよ。わたしたちもみんな、上手いよお」
ニコリと、かわいらしい笑みを浮かべたのである。
カズミは、そう微笑まれて、なんにも出来なかった。
それ以上、言葉を掛けることも。
毅然とした顔でリヒトの魔法使い二人へと歩いていく、彼女の背中を、震える瞳で見つめることしか、出来なかった。
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