第07話 こんな日がずっと続くと思っていたんだ

 六畳間と繋がった狭いキッチンで、一人のエプロン姿の青年が、フライパンを持ち、木べらを振り回している。


「♪ヘーイライリーシェクナフォー」


 あきともなりがご機嫌そうに、なんだかよく分からない歌を口ずさみながら、料理中。コンロにかけたフライパンの表面を、ガシャガシャ勢いよくかき回している。


「兄貴! 友達連れてきたからさあ、ご飯一人分追加ね!」

「ん?」


 智成は横を向き、首を伸ばし、玄関、妹の声が聞こえた方を確認した。


「おーっ、アサキちゃんじゃないか」

「どうもお久し振りです。すみません、こんな時間に」


 カズミの後ろに立つ、学校制服姿のアサキが、申し訳なさそうに頭を下げた。


「告別式だったんでしょ? 大変だったね。またカズミに、勉強教えてくれにきたの? きったねえ部屋だけど、つうかきったねえ部屋だから、遠慮なくくつろいでてよ。あと二十分くらいで、ご飯が出来るからさあ」

「い、いえっ、そんな、わたしすぐ帰りますからっ」


 引っ張られて上がってしまっただけで、本当にご飯なんか頂けないよ。

 なんていえばいいだろう。


 どう早く帰るかを思案していると、サンダル脱いで先に上がったカズミが、笑いながら胸を突いてきた。


「まあ、せっかくなんだしさ、食ってけよ。間違いなくまずいだろうけど。……兄貴の作るクソまずいメシが、兄貴が下手なのか、あたしの舌が上品過ぎるからなのか、論争に決着をつけたかったんだよ」

「カズミちゃん、それは酷いよお。毎日料理しているんだから上手なんじゃない?」


 靴を脱ぎ、部屋に上がりながら、ボロカスいわれている智成を擁護するアサキであったが、しかしその擁護の言は不要であった。


「お前の方が下手くそなくせに『兄貴よりマシ』とかいってる時点で、お前の舌か頭がバカなだけと気付けやバカ! バカ妹! バカ女! バカズミ!」

「な、なんだとお」


 ぐぬぬっ、噴火しそうな真っ赤な顔で、怒りを堪えているカズミを、まあまあと両手のひらを向けてなだめるアサキ。


 と、その時である。

 玄関のドアが開いて、


「あっ、アサキじゃん」


 カズミの弟である昭刃かけるが、バットとグローブを持ち、泥だらけの服で入ってきた。


「あ、駆くん。お邪魔してます。なんか、ごめんね、ご飯時なのに」


 えへへと愛想笑いをするアサキ。

 駆は言葉を返すわけでなく、最初に名を呼んだきり無言で靴を脱いで部屋に上がると、無言のままアサキへと近寄り、ぴたり正面から密着するように立った。


 ん? と、アサキは、頭半分ほどの高さを見下ろしながら、顔に疑問符を浮かべた。


 突然、制服のスカートが、イエローストーン国立公園の間欠泉が吹き上がるごとき勢いで、めくり上げられていた。


「わああああああああ!」


 逆さに大爆発しているスカートを、腕を振り回し、慌てて撫で下ろそうとして、ぷちりホックが外れて、ずるり斜めに、膝まで落ちてしまった。

 下着丸出し状態になってしまったアサキは、顔を赤毛髪より真っ赤ににしながら、涙目でスカートを引き上げた。


 駆は澄ました表情を一変させて、泣き顔のアサキを指差しながらわはははははと笑うと、素早く踵を返し、隣の部屋へと逃げ込もうとする。


 だがしかし、


「お前はああああああああああ!」


 カズミが、逃げようとする弟の肩を、しっかりがっしり掴んでいた。

 痛がり身をよじる弟であるが、構わず両手で肩を掴み、と、素早く腰を落として腕を回した。


「くらえジャーマン!」


 屈み、腰に腕を回した瞬間、身体を後ろに反らせた。


 宙に舞い上がる弟、駆の身体。

 そのまま遠心力で、床に叩き付けられていた。


「うがっ!」


 ウシガエルを潰した悲鳴。

 を、掻き消しながら、さらにカズミは叫ぶ。


「からのお!」


 もぞもぞ体制を変えた。


「必殺、地獄車!」


 引き寄せて、床に両肩を押さえ付けると、抱き込み自分が円の中心になるように丸まり、前へと回り始めた。

 デニムのミニスカートがまくれて、履いてないのも一緒のパンツ丸見え状態であるが、まるで気にせずに。


 床の上を、ごとごとごとごと車輪が進む。


「いっ、で、だっ、ががっ」


 頭を打ち付けられる都度、痛みと衝撃に駆の呻き声が上がる。


 ゴトゴトゴトゴト。

 まさに地獄車である。


 恐怖の車輪が、壁まで行ってぶつかったところで、ようやく技を解除したカズミ。

 立ち上がると、まくれたスカートを両手で下ろしながら会心の笑みを浮かべた。きれいに技が決まったことによる笑みであろうか。


「ううーっ、車先生……」


 駆は、わけの分からないことをいいながら、ぐでーっと一直線に動かなくなってしまった。


「正義は勝つ! つうか冬なのに汗かいたあ」


 部屋の大きなガラス窓を開けると、どっこいしょういちいいながら、縁側に腰を下ろした。


「ねえカズミちゃん、駆くんほっといていいのお?」


 死んだように動かない駆が、気になって仕方ないアサキなのである。


「いーーんです。こないだも、あたしのとろなまプリン勝手に食いやがったから、おんなじ技を掛けてやったよ。今日の方が上手く回ったあ」


 思い出して、あははっと楽しげに笑った。


「兄弟だよなあ」


 アサキも縁側、カズミの隣に腰を下ろした。


「なにがよ」

「わたしたちが初めて会った時のこと覚えてない? わたしカズミちゃんに、さっきの駆くんみたいなことされたんですけど」


 何色だーっなどと叫びながら、不意打ち豪快にめくり上げられたのだ。

 学校の廊下で、男子だっていたのに。


「記憶にねえな。治奈か成葉だろ」

「えーっ」


 不満顔を浮かべるアサキ。

 あの二人がそんなことするはずないのに。


「ういー」


 呻き声に、ちらり後ろを振り返ると、まだ駆がぐったりしている。

 だいぶ回復したようではあるが。


「いいのかなあ」


 ちょっと気まずそうに、外へと向き直った。

 縁側からの眺めを。


 真正面は、ここと同じような造りである隣家の、勝手口側が見えているのみ。眺めもなにも、眺めはこの隣家に完全に塞がれているといってよい。

 左横を向くと、先ほど歩いていた道路。

 右側には普通の一軒家があり、ブロック塀で、しっかり隔てられている。ブロック塀の下には、たらいや脚立、ホースなど、雑多な物が置かれている。


「うち、なーんもないだろ? 寄ってけ、とかいっといてなんだけどさ」


 ふふっ、とカズミは恥ずかしそうに笑った。


「そんなことはない。すべてが、あると思うな。ここには」


 本心をいった。

 それは、ここにくるたびに思っていたことだ。


 両親はいない、ということだけど、でも、血の繋がった兄弟がいるし。最高に、仲がよさそうだし。

 それ以上、なにを望む?


 自分も、義理の父母との絆は確かであり、負けていないとは思うが。でも、それはそれ。やっぱり、肉親の温かな仲を見せられると、羨ましくなる。

 是非ないことではあるが。


 そんなことを考えながら、意味なく視線を泳がせていると、奥の物置場に自転車が立て掛けられているのに気付いた。


 スポーツ仕様ではない、いわゆるママチャリだ。


「なんだか、懐かく感じちゃうな」


 自転車のデザインが、古臭いということではない。

 数カ月前のこと、第三中の魔法使いとして新加入したみちおうの歓迎会を開いたのだが、食品買い出し運搬担当であるカズミが漕いでいたのが、この自転車なのだ。


 確か、降りて押した方がよっぽど楽に思える急坂を、物凄いパワーで漕いで漕いで上り切っちゃったんだよな。

 その後の歓迎会も、楽しかったな。

 ウメちゃんとはるちゃんとで、お好み焼き勝負になったんだ。

 治奈ちゃんが負けてしまって。

 その敵討ちをしようとしたお父さんまで負けて、二人して放心状態になっちゃって。

 それほど前のことでもないのに。

 なにもかも、懐かしいな。


 平穏な日々。

 日常が。


 魔道着を着てヴァイスタと戦う、ということが既に異常なのだけど、でも、わたしにとっては日常になっていた。


 いつか、取り戻せるのだろうか。

 わたしの日常を。

 本来あるべき、いや、わたしが望む、日常を。


 つまらないことで喧嘩したり、お腹を押さえて笑い合える日々が。

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