第02話 わたしは、ちょっと機嫌が悪いんだ

 我孫子市地区。

 淡く夕陽の差し込む住宅街の道を、りようどうさきが一人で歩いている。


 中学校の制服姿であるが、通学途中ではない。

 ぐち校長の告別式に参列した、その帰りだ。


 太陽はまだ沈んでいない。

 だが、アサキは表情は、どんより沈み切っていた。


 葬儀の帰りに明るい顔もないが、そういうことではなく、式場での、自分の行動を後悔しているのだ。

 だれとくゆうの姿を見て、怒りのあまり取り乱してしまったことを。


 今回は一般葬であり、メンシュヴェルトやリヒトと関係のない人の方が遥かに多い。そんな場所だというのに、我を忘れて、大きな声で叫び、糾弾してしまったのだ。


 反省している。

 無関係の人々を、無駄に騒がせてしまったことを。


 それだけでなく、至垂の持つ野望を阻止するためにも、冷静でなければならないというのに。


 至垂の持つ野望。

 オルトヴァイスタを作り出し、「絶対世界ヴアールハイト」への扉を開くこと。

 そこで、神の力を手に入れること。


 人間の身であることを鑑みない、傲慢な考えだ。

 絶対に、阻止しなければならない。

 阻止し、彼がこれまでなにをしてきたかを、すべて暴く。

 その上で、罪に対して相応の償いをさせたい。


 そのためには、冷静に物事を判断出来ないといけない。

 誰が味方か、誰が敵か、分からない。ある意味で四面楚歌の、絶対的不利。

 アサキたちが置かれているのは、そういう状況であるのだから。


 ただ泣き叫ぶだけなら、いつでも出来る。

 現在はまだ、その時じゃない。


 だから、あの自分の取ってしまった態度は、反省しないと。

 冷静にならないと。


 そう分かっている。

 理屈では。


 でも。

 そこまで大人になんか、なれないよ。


 悲しいことに耐えて、責めるべき悪の前でへらへら笑っているだなんて、出来るはずないよ。


 お前がやらなきゃ、とか、カズミちゃんも治奈ちゃんも、いうけど……

 魔力量がどうとか、みんな、やたらわたしを持ち上げるけど、そんなの知らないよ。

 わたしはまだ、十四年しか生きていないんだ。


 そんなことを思いながら、暗い顔で自宅への道を歩くアサキであるが、


 その目が、すっと細くなった。

 鋭い視線を、左右に走らせていた。


 背後、いや周囲に、微かな気配を感じたのだ。

 味方ではないどころか、どちらかといえば敵対的な気配を。


 四……五人。

 間違いない。五人だ。


 全員、魔法使いマギマイスター。魔道着を着て、武器を持っている。


 など、肌に感じる微かな気配から探っていると、突然、ひんやりとした霧が周囲に発生していた。

 あっという間に、数メートル先も見渡せないほどになっていた。


 横に二人……

 後ろには、三人か……


 と、霧の運んでくる気配に神経を集中させながらも、アサキは、過去のことを思い出していた。


 以前にも、同じようなことがあった。

 その時は夜だったが、やはりこうして一人でいるところへ、目くらましの霧の中、数人の魔法使いに襲われたのだ。


 また、リヒトの魔法使い?

 わたしの精神を追い込むため?

 絶望へと近付けるため?

 ……なにが、楽しいの?

 こんなことをして、なにが楽しいの?

 命令だから?


 でも……

 でも、

 わたしは……


 手を握る。

 念じる。


 晴れていた。

 霧が、跡形もなく、吹き飛んでいた。

 アサキの非詠唱魔法が、隠れ身魔法の効果を、一瞬にして打ち消したのである。


 淡い陽光の差し込む住宅地。

 見たこともない、五人の魔法使いマギマイスターが立っていた。


 魔道着は、赤や青の装飾があるが、ほぼ全身真っ白。

 五人とも、同じデザイン。


 それが、白日のもとに晒されていた。


 彼女たちは、驚き、呻き声を上げた。

 かと思うと、一斉に、姿が風に溶け消えていた。

 だが、薄っすらと、見えている。

 何枚もの透明シートを重ねた、その向こう側に、薄っすらと、ぐにゃぐにゃと、五人の姿が見えている。

 異空側。

 魔法を無効化され、姿を晒されて、慌てて身を次元境界の向こうへと隠したのだ。


 アサキは、小さなため息を吐いた。

 右腕を前へ伸ばし、横へ払い、次元のカーテンを開いた。


 一歩、前へ出ると、青い空はオレンジの空。

 チョークで描いた絵みたいな、白い道路。

 どよどよ漂う、瘴気。

 鼻孔を突く悪臭。


 アサキもまた、謎の五人を追って異空へと入ったのだ。

 クラフトも持っていないのに、自分の魔力、魔法だけで。


 以前、よろずのぶにいわれて試してみた時は、相当な疲労を感じて倒れそうになった。

 それは、慣れていなかっただけだったのか、それとも自分が成長したのか、いざ自分の意思でやってみたら、拍子抜けするくらい簡単だった。

 特に、魔力を吸い上げられた感覚もない。


 異空内、前方に視線を向ける。

 ぐにゃり歪んで色調の反転している住宅の間を、走って逃げている五人の後ろ姿が見える。


 アサキは、静かな足取りで、彼女たちの逃げる跡を追い始める。


 奇妙な光景が、展開されることになった。

 相手は、泳ぎ飛び跳ねるかのごとく、全力必死で走っている。

 対してアサキは、ゆっくり静かに歩いている。

 だというのに、両者の距離が、少しずつ縮まっているのだから。


 アサキが魔法で、空間を捻じ曲げているためだ。


 速いは遅くなり、遅いは速くなり。

 走りながら時折振り返る白い魔道着たちの顔が、振り返る度に、より青ざめたものになっていた。


 ゆっくり歩いているのに、あれよあれよと距離を詰めてくる赤毛の少女の姿に、彼女たちは、一斉に足を止めた。

 横並びで、赤毛の少女へと向き合い、それぞれに武器を取り出して、構えた。


 逃げ切れない。

 そう判断し、開き直ったのだろう。

 人数は有利であるし、さすがに負けることはないだろう。という過信も、あったかも知れない。


 ただし、彼女たちの表情に、余裕は微塵も感じられなかった。

 以前にアサキを襲った魔法使いたちは、人数差に勝利を疑わず、あっさり返り討ちにあった。

 そうしたところを聞かされて、戒めているのだろう。


 でも……


 アサキは歩を踏み、足を止めた五人へと近付いていく。


 関係ない。

 相手が油断してようとも。

 警戒してようとも。


「わたしは、ちょっと機嫌が悪いんだ」


 一歩、一歩、ゆっくり、足を踏み出しながら、毅然と不満がない混ぜになった顔を、白い魔道着の魔法使いたちへと向けた。

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