第06話 ここでもか

 窓の外には、我孫子ののどかな風景。

 なんの変哲もない、住宅地の町並み。


 また、話の切れ間に、カズミがぼーっと外を見ているのである。

 ふーっと長いため息を吐くと、頬杖を突き、小さく口を開いた。


「なんにも見えちゃいない、この目に映るる物は、前っからなんにも変わっちゃいない。だというのに、話のスケールだけが、やたら大きなことになっちまったな」


 苦笑した。


「そうだね」


 アサキが小さく頷く。


「目の前の現実が……ヴァイスタなんてのが、この世にいることが、むしろ不思議な気持ちになってきたよ。何度も何度も、何度も戦っていて、これこそがあたしたちにとっては日常のはずなのに」

「そうだね」


 本来は、ヴァイスタがいることがわたしたちの日常。

 カズミちゃんの、いう通りだ。

 普通の人々の日常を守るために、わたしたちは、わたしたちの日常を戦うのだ。

 いつか日常を交差させる、つまりヴァイスタなど生まれない、絶望する魂など生まれない、そんな世界を作るために。


「まだ、信じらんねえよ。あたしたちの目の前でさ、あんなことがあったというのに。……魔法使いマギマイスターが、ヴァイスタになるだなんてさ。……まだ、本当なのかなって思うよ。まあ、本当なんだろうな」


 カズミが寂しげに笑う。


 あんなこと、というのはおおとりせいのことだ。

 大鳥正香が、自分が親を殺したことを思い出し、絶望からヴァイスタへと変じた。

 親友である平家成葉を食い殺し、自身も昇天、つまり消滅させられた。

 カズミや応芽、残った魔法使いたちの手によって。


「残念だけど、本当のことだわね。魔法使いがというよりも、そういう適正を持つ少女はほとんどが魔法使いにスカウトされているということなんだけど」


 という須黒先生へと、カズミは、眉間にシワを寄せた難しそうな表情を向ける。


「そう考えりゃあ、理屈は分かりますけどね。でもそもそもの、魔力の高え奴がヴァイスタになるっつーのが、まだ信じがたいというか」


 むー、と唸りながら腕を組んだ。


「でも、事実よ。ぐち校長がね、最近色々と調べていて、分かっていたことなの。……といってもわたしは半信半疑だったけど、大鳥さんの件で確信を持てたわ」

「あの、そがいな調査結果とかって、うちら下っ端は普通に見られんのですか? あと、科学班の分析データとか」


 治奈が尋ねる。


「公開に問題ないものも多いから、興味あるならあとでリンクを送るわね」

「是非、お願いします」

「科学班個別記録の、大半は閲覧出来るんだけど、一部のデータと、結局なにがどうなのかという総括文献については、厳重にロックされているのよね」

「そりゃまあ、常識的に、全部が見せられる情報でないのは分かります」


 すべてを公開している研究施設など、あるはずがない。


「うん。……それでも色々と、情報入手を試みていたようなのね。最近の、樋口校長は。リヒトの動きについて、不信感を持っていたから。実はメンシュベルト自体も懐柔されていないかとか、かなり慎重になりながらも、クラッキングまがいの危ないこともしてたみたい」

「え、え、大丈夫なんじゃろか、校長、そがいなことしてて」

「もう大鳥さんのような犠牲者は出したくないんでしょうね。自分のところから、一人の死亡者もいなかったのが、校長の自慢だったのに。三人も、立て続いちゃったから。……あ、それでね、そこから、かーなーり重要なことが、一つ分かったのだけど」


 須黒先生は、聞く者に覚悟を求めてひと呼吸を置くと、また、口を開いた。


「結界の、ことなんだけど。その目的は、ヴァイスタの侵入を防ぐことにはなく、むしろ、閉じ込めて行動範囲を限定させるためなの」


 ええっ!

 驚いたのは全員である。


 「新しい世界」が訪れるのを阻止するために。

 ヴァイスタが「中央」にある「扉」へ、行かれないようにするために。

 と、作ったのが魔法力場、いわゆる結界である。


 魔法使いたちは、雑学講義の中、結界についてそう聞かされている。

 根底から覆ったわけで、驚くのも当然だろう。


「あ、そ、そういえば、ウメちゃんもおんなじこといっていたよ。ヴァイスタは扉を目指しているわけではない、とか」

「いうの遅えええええ!」


 カズミ思わずアサキの頭を拳でボッカン。


「いたっ!」

「百万年と四日、いうのが遅いよ! それで、誰かまた、余計な犠牲者が出るかも知れねえんだろ!」


 ぎゅいいいいい、と両耳引っ張る。


「いたっ、いたい、ご、ごめん。最近、色々とあったからっ」

「まあまあ、キバちゃん」


 と、なだめながら、万延子、


「つまり、状況としては、こういうことなのかな。結界の中、という限定空間にヴァイスタは存在しているため、魔法使いとの接触確率つまり戦闘が増える。つまり魔法使いが成長する。つまり、超ヴァイスタになる素質を持つ者の器がさらに磨かれる。それが『絶対世界ヴアールハイト』への扉を開く鍵になる」

「そうね」


 須黒先生は小さく頷いた。


 カズミが、引っ張るのやめたけどまだアサキの耳たぶ掴んだまま、


「でもよ、そのための結界という説を信じるなら、だれのクソ野郎だけでなく、リヒトだけでなく……先に生まれていた組織ギルドであるメンシュベルト自体が、既にそのような考えを持っていた、ということにならねえか?」


 カズミは床に胡座をかいたまま、苦虫を噛み潰したような渋い表情を作った。


「それもウメちゃんがいってた」

「だからお前はあああ!」


 ぎゅいいいいい


「いたたたたた!」

「そういうことになるんだけど、でもね、それだけじゃないのよ」

「なんですかあ? もう驚きゃしませんよ」


 もう苦虫でお腹がいっぱい、といった顔で、カズミは耳に小指を突っ込んで掻いている。もう片方の手は、アサキの耳たぶぎゅいいいい。


「結界には、ヴァイスタを作る役割もあるらしいってこと」

「はああああああああああああ?」


 結局驚いて、顎が床に突き刺さった。


「嘘、じゃろ……」


 治奈が、目を見開いて、身体をぶるぶるっと震わせた。


「本当、なんですか? それは」


 万延子の問いに、須黒先生は小さく頷いた。


「魔法能力適正者が、絶望によってヴァイスタ化する、という話を、さっきしていたけれど、そのヴァイスタ化を促進する力場が、結界空間内には生成されているらしいの」


 しん、と静かになっていた。

 元から静かではあったが、空気の質が、完全に変わってしまっていた。

 須黒美里の、言葉によって。


 カズミが先ほど半ば冗談っぽくいっていた、黒幕はメンシュベルトではないか、という言葉が現実味を帯びることになったのだから。


 みな、あぜんとして、無言のまま。


 どれくらい経っただろうか。


「リヒト内でも、噂話に出たことはあるよ」


 祥子がぼそり。


「結界の目的について。……リヒトにとってライバルだから、メンシュベルトを悪くいうような説が出るのも当然と思って、特に気にせずにいたけど」

「結界が破られたって話は聞いたことないのに、なんだっていつもいつも結界の中に出るのかなあ、とはいわれていたけど、そういうことだったんだ」


 万延子は、おでこの青白ストライプメガネを、ずらして頭頂まで上げると、またずらしておでこに戻した。行動にまるで意味はなく、それだけ動揺しているのだろう。飄々淡々と見えていても。


「本当に、さっき話した通りだったわけか。結界内にヴァイスタがどんどん生まれる。だから魔法使いわたしたちは戦う。成長する。それにより、より強いヴァイスタが生まれる」


 またメガネを頭頂までずり上げている延子を、鬱陶しいと思ったか、別の理由か、隣のカズミが面白くなさそうに舌打ちした。


「そうして、魔法使いあたしらを進化させることで、『偶発の連続』がいずれ結果を導くことを、じとっと辛気臭い部屋で、笑って待っているわけだ。安物のスーツ着た、変な名前のクソ野郎が」


 ダン。

 激しく、テーブルを叩いた。

 なんとなく視界に入った、隣にいる万延子の、頭頂に掛かっている青白ストライプの巨大メガネへと、素早く両手を伸ばすと、


「メガネすんならきちんとしろお!」


 ずり下げて、普通の眼鏡の掛け方にしてしまう。

 完全なオシャレ用の眼鏡なので、では違和感半端なく、むしろふざけているように見えてしまうのだが。


「これはこれで、きちんなんだよ」


 とメガネをずり上げる延子に、


「だったらそんなの捨てちまえ!」


 暴論をいうカズミ。


 二人のやりとりを尻目に、銀黒髪の少女、祥子が両手の指を組みながらぼそり。


「こないだ、ウメにね、お前がザーヴェラーを呼んだんだろ、とかいわれたんだ。……確かに、リヒトはそういう研究もしているらしいんだよね。誘導が出来れば戦闘殲滅が優位に立てる、というのが表向きの理由なんだけど」

オルトヴァイスタに導かれ、無数のヴァイスタという川の流れに乗って『絶対世界ヴアールハイト』へと運ばれる。といわれておるんじゃろ? 裏向きとしては、そのための研究じゃろか?」


 治奈が腕を組みながら、小さく首を傾げた。


「どうであれ、そういう技術があんなら、誰かへ仕向けることも出来るわけだ。だれのクソ野郎なら、やりかねねえな」


 真面目なのか、ふざけているのか、

 カズミが、奪い取った巨大メガネを自分の顔に装着して、不快げに言葉吐き捨てた。


 と、その時であった。


 ブーーーーーーーーーーーーーーー

 全員のリストフォンが、激しく震えたのは。


 それぞれ、慌てて左腕を上げ、自分の画面を確認すると、


 emergencyエマージエンシー


 黒背景に、赤い文字。

 ヴァイスタ出現の警報である。


 自動で画面が地図表示に切り替わる。


 切り替わった瞬間、全員の顔が、青ざめていた。


「ここだ……」


 アサキの震える声。

 黄色のマーカーポイントが、現在彼女たちがいる、この地点を示していたのである。


 どおん。

 突然、床が、突き上げられているかのように、ぐらぐらと激しく揺れた。

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