第05話 解決の条件

「でもりようちゃんの、ご両親の記憶、戻らないままでもいいの? 研究員だった頃にだって、きっと大切にしたいことがあったと思うよ」

「はい。いつかは、戻してあげたい。……でもそれは、すべてが解決してからです」


 そういいながら、アサキはふと思っていた。

 ヴァイスタに殺され掛けた少女の記憶を、魔法で抹消することに、どうしてああも嫌悪や躊躇を持っていたのか。


 自分がこうして、大切な記憶を失っていたからなのだ。

 巻き込んで、家族以上に大切な人たちの記憶をも、失わせたままにしているからなのだ。


 でも、自分は思い出してしまったけど、やはり修一くんと直美さんには、まだ、思い出させたくない。

 だって、そうなったらきっと、二人はわたしたちの戦いに踏み込んでくる。協力しようとする。

 生命の危機に身を晒すことにもなる。

 だから、まだ……


「すべてが解決、といっても大きく三つあるよね。解決というか、わたしたちが辿り着く果ての、最悪ではない結末が三パターンというか」


 延子は、青白ストライプの大きなオシャレメガネをおでこに掛けながら、もう片方の手で指三本を立てた。


「一つは、だれが現実を思い知ること。妙な野心は捨てて、リヒトはヴァイスタと戦うだけの組織であると認識をあらためること。分離独立自体が、設立者の個人的な見解からきているのだったら、メンシュベルトに戻るのが理想かもね」


 一つ指を折り、続ける。


「もう一つは、だれが降板し、権力を失うこと。重役会議で社長が解任される、とかドラマであるじゃない?」

「仕組み上は可能だね。所長は幹部会議で選ばれるのだから」


 と説明する祥子の顔には、可能性など微塵も感じている様子はなかったが。

 だれの性格や、野望を知っていれば、そうもなるのだろう。


「残る一つは、だれが真の『新しい世界ヌーベルヴァーグ』へ本当に行ってしまって、それが悪くなくまとまった場合。……力は得られたが、僅かなものであったとか。望むようなものとは違っていた、またはそんなもの存在しないことを知るか」


 延子は、巨大メガネを外して放り上げると、ピーナッツを口で受ける技のごとく器用に受け止め装着した。

 人差し指で、おでこに上げると、


「いずれにしてもね、だれがどう動くのかにすべてかかってくるよね。だって、様々な件の発端がすべて、彼個人の暴走から始まっているんだもの。一度もお目にかかったことないわたしがいうのも、なんだけど」

「真の、『新しい世界』。所長は『絶対世界ヴアールハイト』って呼んでいたけど、そこ、どんなところなんだろう。あるのかな、本当に、そんな世界が」


 アサキは、体育座りになると、自分の膝に顎を埋めた。


「さあ」


 反応したのは、紅茶のカップを片付けようと立ち上がった須黒先生である。


「神の世界、ということらしいけど、そもそも神とはなんなのかが分かっていないのだから。また、本当にそこで神の力を得られるのもかも。それはそうよね。だって、まだ誰もそこへ行ったことないのだもの。軌道と重力の計算で、もう一つ惑星があるはず、といっているのと同じこと」

「ヴァイスタが扉へ辿り着くと、『新しい世界』が発動してすべては消滅するんじゃろ? ほじゃけど、オルトヴァイスタならば、真の『新しい世界』である『絶対世界』への扉が開かれる。しかしそがいな確証などないし、それもやはり、一つ間違えば……消滅」


 治奈が、薄ら寒そうに、両腕で自分の身体を抱いた。


 ここに集まった中で、肉親や親族の一番多いのが治奈である。

 家庭には父、母、妹がおり、出身地である広島にも親戚がたくさんいる。


 本当の家族が多いことが幸せに直結するとは限らない、とはいえ、世界の消滅を人一倍不安に思うのも当然だろう。


「すべては嘘、または間違いで、なんにも起こらない、かも知れないわね。または、調べたことに間違いはなくとも、それでもすべて滅びるのかも知れない。……たとえば、仮に神がいるとして、人類ごときが神の地を土足で踏むわけだから、それを激怒されるかも知れない」

「そんなリスクを背負ってまで、そんな得体の知れねえとこへ行けたとして、そんでなにがどうなるってんだよ!」


 カズミが声を荒らげた。


 友を何人も失った辛さと、友を信頼出来なかった罪悪感とで、気持ちに余裕がないのだろうな。

 と、アサキは思った。

 でも、そんな世界だけど、いや、そんな世界だからこそ……


「ウメは、行きたがっていた」


 アサキの考えていることを、実際に口に出したのは祥子だった。


 そう。

 ウメちゃんは、「絶対世界」へと行きたがっていた。

 ただ、雲音ちゃんの魂を取り戻すために。

 そのための、力を得るために。

 行きたかったけど、でも、行けなかった。


「ウメちゃんの、最後のお願い。覚えてる?」


 アサキは不意に、カズミに振った。


「ああ、忘れるわけねえだろ」


 小さく頷いた。


「雲音ちゃんのことを、頼むっていっていたよね」

「いってたな。てめえが死に掛けてるって時によ」


 カズミは、ずっと鼻をすすった。


「つまりそのお願いとは、神の力をだれより先に手に入れろ、ってこと? まあ、そんなものがあるとして」


 延子が尋ねる。


「分かりません。でも、リヒトのような無茶をしなくても、運命ならばいつか道は開くと思うんです。人類がいつかそこへ行けることが運命ならば。……強引なことをしても、それこそ雲音ちゃんが喜ばないですよ。……だからまずは、リヒトの野望をこそ、阻止しないといけないんだ」


 アサキは、ぎゅっと強く拳を握った。


「リヒトというか、だれとくゆうの野望だね」


 祥子が訂正する。

 リヒトの者である彼女としては、リヒトつまり悪である、と決め付けて欲しくないのだろう。


「そうだね。ごめん」

「いいよ。……あいつとしては、もう隠れて事を運ぶ必要もなくなったし、急ピッチで事が進展するかも知れないね。のんびりやってる間に、自分の寿命がきちゃあ仕方ないし。永遠の生命が手に入っても容姿はそのままかもと思えば、若いうちに神の力を手に入れたいだろうし。まあ、そんな俗物でもないだろうけど、彼は」

「神の国に行けば神になれるなんて、思い上がりもはなはだしいよ。さっきの話のように、神の逆鱗に触れて、この世界が滅ぼされちゃうよ」


 万延子が、青白ストライプの巨大メガネを外して、くるくる回して遊んでいる。


「もしも誰かが行くのなら、それは、令堂さんのような者であって欲しいよね。ヴァイスタにならず、人間として、誰かが行くのなら」


 祥子がぼそりと、しかしはっきりと、呟いた。


「え、わたしなんか、そんな資格ない」


 行けば、世界が滅びてしまうかも知れないのに。

 能力も目的もないわたしなんかが、そんな。

 それこそその興味本位に、神の怒りが落ちるだろう。


「でも、強い力を正しく使うことが出来る」

「褒めてくれるのは嬉しいけど、でも、そもそもわたし、力なんかいらないんだよ」


 みんなと、普通に生きていきたいだけなんだ。

 この世界で。


 だから、守るために戦ってきたんだ。


 これまでは、ヴァイスタを滅ぼすために。

 単なる悪意のエネルギーが結集した怪物、そう思っていたから。躊躇いなく。


 ヴァイスタとは、魔法使いマギマイスターが変じる存在であると分かってからは、是非なく戦いつつも、いつかそうした存在など生まれない、そんな、悪意のない世界を目指すために。


 でも、

 でも、さっきもいったけど。

 ならばこそ、だれ所長の暴走をこそ、止めないとならないんだ。

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