第04話 いい子だね

「ねえりようちゃん、小さい頃にリヒトにいたって話は本当なの?」


 よろずのぶが、トレードマークである青白ストライプの巨大メガネをおでこから外して、指を引っ掛けてくるくる回している。


「おい」


 唐突な話の転換と、その内容の不謹慎さに、カズミがぎろりと睨み付けた。

 内容の不謹慎というより、のほほんとした態度で尋ねるには不謹慎といおうか。


「あ、いや、ほら、話題を変えようと思ってさ」


 延子は、両手のひらを、ひらひら振った。


「戻った記憶が正しいのなら、本当です」


 赤毛の少女、アサキのまぶたは真っ赤に腫れている。

 ほんの少し前まで、大声を上げて泣いていたのだ。


 まだひりひりと痛むまぶたを、ハンカチで押さえて涙を拭いながら、アサキは語る。


 実の親に、酷い虐待を受けていた。

 親の知り合いである、令堂しゆういちすぐ夫妻が、見かねて自分の身を保護した。

 返せ返さない、と大人たちが揉めている間に、実の両親は事故で死んでしまった。

 そのまま、令堂家の養女になった。


 と、ずっと思っていたのだが、でも、違っていた。


「それは、偽の記憶だった。わたしは、実験で酷いことをされる辛さに耐えられず、幼いながらも本能的に、魔法で自分の記憶を書き換えていたんだ」


 思い出した記憶が、正しいならば。

 令堂修一たちは、実は、元リヒトの研究員。


 リヒトは、以前より生物実験に力を注いでいた。

 だれとくゆうが副所長になってから、ぐんと度合いが増した。


 そのような状況下で、アサキは連日、拷問にも等しい人体実験を受け続けていた。

 人格、魂を持つ者に対し、いつまでも続く大人の仕打ち。


 令堂夫妻は働いているうち嫌気が差し、二人で決起。

 幼いアサキを連れて、研究所から逃亡した。


 だれは、すぐさま数人の魔法使いマギマイスターたちを追手として差し向けた。


 魔法による追跡術に、逃げ切れるはずもない。

 三人は、すぐ捕らえられた。


 抵抗力を削ぐめの麻酔魔法をかけられそうになるが、そこで幼いアサキが、本能的に非詠唱魔法を発動。自分自身も含めて、その場にいる全員の記憶を書き換えて、その場を逃れた。


 それから、令堂夫妻とアサキとの、三人暮らしが始まったのである。


 思い出した記憶に間違いがないなら、これがアサキの身に起きた真実である。


「え、じゃあ令ちゃんの義理のご両親は、本当は夫婦じゃないってこと?」


 延子が尋ねる。


「いえ。研究者同士で結婚したばかりだったようです」


 記憶のスクリーンに映る映像や、思い出す会話の内容からして、それは間違いのないことだろう。


 そうした事実までをも、魔法で捻じ曲げてはいなかったことに、アサキとしてはホッと安堵するところだ。


「でも、よく追われるのが、そこまでで済んだものよね。だって、一瞬をやり過ごしたというだけで、追っ手の魔法使いたちだってすぐに記憶を戻されているでしょうに」


 首を傾げ不思議がっているのは、須黒先生だ。


 記憶錯綜の魔法が強固であったにしても、そうと分かっているなら解除などわけはないはずだ。リヒトの技術を持ってすれば。

 素材と共に逃亡した令堂夫妻の罪のみならず、この一件は、素材のポテンシャルが類まれな優秀さであることが証明されたわけで、なのに何故放っておくのか。


 と、そうした疑問であろう。


「とはいうものの、あの所長の性格を考えれば、不思議というわけでもないのか」

「そうですね」


 小さく頷くアサキ。


 リヒト支部での、だれの言動を見聞きして、痛感したこと。

 彼は、なにか起きないように先回りするタイプではなく、むしろ放っておいて、偶発的に起きたことを利用する。


 生じた不都合などは、どうとでも握り潰せるから、と開き直って、起きたことをとにかく徹底的に利用する。


 そういう性格であることが、少ない言葉のやりとりの中で充分過ぎるほどに理解出来た。


 令堂修一と直美が記憶を無くしたというのなら、そのまま令堂和咲と暮らさせるのも面白い。

 とでも思ったのだろう。


 単なる実験素体に対して、同情心を抱くような、令堂夫妻の良心、正義心。

 だれにとっては虫酸が走ることかも知れないが、とにかくそんな夫婦に愛されて幸せに育つことで、なにかが起きた際の絶望が大きくなる。


 だから、放っておいたのだろう。

 アサキは、そう思っている。


 でも、そうは行くものか。

 あなたの思う通りになんか、なってたまるか。


 アサキは、そう胸に強く唱えながら、拳をぎゅっと握った。


 正香ちゃんも、成葉ちゃんも、ウメちゃんも、ヴァイスタから世界を守る魔法使いマギマイスターとして戦い、生きて、死んだんだ。

 あなたの踏み台にされるために、辛い思いをして頑張ったわけではない。


すぐさんたちの記憶も戻して、協力して貰のはどうじゃろ」


 治奈が指立て提案するが、アサキは、ゆっくり首を横に振った。


「義理とはいえ、わたしのことを家族と思ってくれている。そんな、二人と家族でいられたことの思い出を、大切にしたいから。……ごめんね、個人的な感情からで」

「ほじゃけど、経緯を考えれば記憶が戻ろうとも家族じゃろ?」

「うん。でも、ならなおのこと。巻き込みたく、ないんだ」

「そうか。確かに、リヒト研究員としての記憶がないことで、これまで無事だったわけじゃからの」

「そう。この重みは、わたしだけが背負えばいいことなんだ。いや……違うな、背負ってくれたからこそ、修一くんたちは連れて逃げようとしてくれた。……わたしには、それだけで感謝するに充分なんだよ」


 アサキが寂しそうな幸せそうな、複雑な笑みを浮かべていると、テーブルの反対でふーっと小さなため息ひとつ。


「いい子だね、りようちゃんは」


 万延子が、青白ストライプの巨大メガネをおでこから外して、リムロックに人差し指を掛け、くるくると回している。


「自分がいかに汚れている人間か、思い知らされるよ」

「びっくり箱とかな」


 カズミが頬杖を突きながら、間髪入れず突っ込んだ。


「だ、だからあれはっ。……はいはい、そこも含めて心が汚れてますよ、わたしは」


 以前、交代休のお礼に、と延子は、第三中へお土産を渡したことがある。

 ザーヴェラーとの死闘の後だ。


 きっと食べ物、と我先に破いて開けたカズミが、びよよーんと飛び出したボクシンググローブに、打ちのめされて倒れて頭を打って、気絶してしまった。

 自分たちはザーヴェラーに殺され掛けたというのに、貰ったお土産がパンチに気絶という踏んだり蹴ったりに、カズミはずっと根に持っているのである。


 延子からすれば、土壇場で渡すのやめて、きちんとしたお土産を買い直そうと思っていたのに、勝手に奪い取って勝手に開けたんじゃないか、ということなのだが。


「カズミちゃんには悪いけど、それわたしには楽しい思い出だ」


 アサキは、くすりと笑った。

 その後にまた合宿をやって、それもまた最高に楽しかった。


 そこからは、辛く悲しいことしかなく、だからなおのこと、そう思ってしまうのかも知れない。


 正香、成葉が死に、応芽とも戦うことになり、その応芽も死んだ。


 そして、リヒトの所長であるだれとくゆうは、自ら化けの皮が剥がして、アサキへの宣戦布告とも取れる言動を取り。

 メンシュヴェルト上層への連絡も取れず、疑心暗鬼の中、現在に至っている。


 楽しいことなど、一つもない。

 仮にあっても、楽しめるはずがない。

 だからアサキには、例えザーヴェラーに殺され掛けたことであろうとも、みんなが揃って、みんなで一つを向いて頑張っていた頃の記憶が、とても懐かしく、大切なものなのだ。

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