第03話 氷層一枚の平和

 床上三十センチほどにある、低い窓枠に片肘を乗せて、カズミは、小さな窓から外を見ている。


 須黒美里先生の暮らす、一戸建てばかりの中にぽつり建っているマンション、その四階部屋からの眺めだ。


 窓ガラスは閉まっているが、どこからか、雀の鳴き声が聞こえる。


「平和だよな」


 ぼそ、としたカズミの呟きに、なんとなくアサキも外を見る。

 床に直接腰を下ろしているが、窓がとにかく低いので、眼下、地上がよく見える。


 道路を挟んだ向こう側に、庭付き一軒家がある。

 縁側で、おばあちゃんと、近所の老人だろうか、が会話をしている。

 門からは、おそらく、そのおばあちゃんの孫と思われる小学生の男の子が、ランドセルを背負って入って、元気よくただいまの声。


 アサキも、カズミの真似ではないが、ぽそり小さな声を出した。


「平和だよね」


 ただし、かりそめの。


 いま、目に見えているものは、日常だ。

 自分にとっても。

 おそらく、他の誰にとっても。

 ずっと続く、ゆったりとした、生活、時間の流れ。


 突然それが失われる、など考えもしない。

 遠い遠い先には、くるべき時がくると分かってはいても。


 こんな時の流れを、人は平和に感じる。

 幸せに思う。

 普通の、人たちにとっては。


 でも、ここにいる、わたしたちは、そうでないことを知っている。

 かりそめ、氷層一枚であることを知っている。


 どうすれば、いいのだろうか。

 わたしたちは。


 そんなことを考えながら、アサキは向き直り、部屋の中へと視線を戻した。

 話し合いのため、訪れている、須黒先生の部屋へと。


 この部屋にいるのは、須黒先生と、アサキ、明木治奈、昭刃和美、万延子、嘉嶋祥子。

 教師と、中学生が五人。


 生徒が先生を慕って遊びにきた。

 そんな、平和な日常の中での、この光景であったならば、どんなによかっただろう。


 世の終焉を掛けた戦いが行われている。

 そんなことを知らずに、生きていくことが出来たなら、どんなによかっただろう。


「……でも、ならさあ、忘れてもいいってんなら、辞める機会なんかいくらでもあったろ?」


 カズミが、祥子へと問う。

 話しの途中でなんとなく「平和だなあ」などと呟いて、会話が止まっていたのを、自分で再開させた。


「ああ、うん。きみたちと仲よくなったことで、ウメは、別の方法で雲音を助けようと考え直したらしく、ぼくも、これで身を引けるなと思った。……でも、難しいね。ウメが、きみたちを好きなように、ぼくにもウメがかけがえのない存在だったから。だから、気になっちゃって」

「気付いたら時間ばかりが、というわけじゃの。……ところで、うちは話に聞いただけじゃけど、東京でウメちゃんと戦ったという、あれはどがいな話になっとるん?」


 治奈が尋ねる。

 リヒト関東支部に、行方不明だった応芽が現れて、アサキ用に作られた特製のクラフトを奪い、変身し、アサキと戦った時の話だ。


「単に『ウメがリヒトに敵対したと判断した』と、伝えてあるよ。実際、魔道着を奪ったわけだしね」


 さらりと祥子は答える。


 アサキはなんとなく、その、真紅のリストフォンを、ポケットから取り出してみせた。

 自分用に与えられたものなのに、アサキは、これを着けたことがまだ一回もないのである。


 これを着けて、真紅の魔道着を着た応芽と戦った。

 そのことが、少なからず影響しているのだろう。

 何故着けないのかについて。

 自分のことながら、自分でも心理がよく分からないのだが。


 応芽は力を求めて、真紅の魔道着を着た。

 力の暴走により、応芽は、自分の作り出した妹の幻影に殺された。

 そうなるのが怖いというよりは、

 そこまでの力を求めることへの拒絶感、が強いのかと思う。

 自分でも、心理がよく分からないのだが。


 などとアサキが胸に思っている間に、祥子の話は進んで、


「ただ、なんだ、最初っからぼくは、疑惑の目で見られているところもあってね。ウメと同じチームだったから。……今回、それに乗っかってというか開き直って、特使を立候補してしまったよ」


 特使などと慣れない言葉と、考え事しながらだったので、「へえ」と上の空な感じに聞いていたアサキであったが、すぐに、目が点になっていた。


「え、ど、ど、それ、ど、どういう、こと?」


 慌ててアサキしどろもどろ。

 カズミたちも、みなやっぱり、面くらっている様子である。


「その特使って、ウメちゃんがやっていたことじゃろ? ……メンシュベルトの魔法使いとして参加しつつ、スパイ活動を行う。そがいなこと、ここで宣言してしまったら、成り立たんじゃろ」


 面くらいながら、治奈が疑問の言葉を発し、軽く頭を掻いた。


「いいよ、ぼくスパイ活動なんかしないから。だれのスカタンに話したら、『慶賀応芽の考えていたことは、だいたい分かっていた。任務早々にして、派遣先の子たちに愛着を持ってしまったことも。その上で、これはこれで利用が出来る、と放っておいたのだが、それらをそのまま継ぐならば、特使になってもよい』ってさ」

「要は、偶発的に起こるオルトヴァイスタ絡みの情報を、リヒトに報告しさえすれば、メンシュベルトに加わって魔法使いをやっていて構わない、ということ?」


 万延子が、真顔で小さく首を傾げた。

 おでこに青白ストライプの巨大なメガネなのが、ふざけているようにしか見えないが。


「はああああ? 随分と自信のある奴だな。だれって男は」


 カズミ、呆れ顔である。


「そうだよね。やりたい放題にさせるなんて」


 アサキが同調する。


 オルトヴァイスタ化の計画を、暴露したことだってそうだ。

 順調に乗り始めたからって、わざわざ教えてどうするのだろう。


「その上をいっているつもりなんだろうよ。しだれえーっとか、とくゆううう、っとか、妙ちくりんな名前のくせしやがって」


 カズミは胡座をかいたまま、またごろりん床に転がって、身体を揺すった。


「ねえ、アキバちゃん、短パンで胡座全開だから、アングル的に隙間からパンツがチラチラ見えてんだけど」


 青白巨大メガネかけて、嬉しそうにじーっと覗き込んでいる万延子である。


「バカ! 見んな! いえよ、もう!」

「いったじゃないか。惜しいと思いつつ」


 じめじめした雰囲気を、少しでもやわらげようとしているのだろう。延子は。唯一の三年生として。


「ねえ、祥子さん、特使の話は、もう決まりなの?」


 アサキの問いに、祥子はすぐ、小さく頷いた。


「まだ正式じゃないけど、リヒト側としては問題なさそう。……ウメの派遣期間がまだまだ残っているのに、派遣先というか元というかが、本人を含めて激減してしまったから、メンシュベルトの管理部には、歓迎なんじゃないかな」

「あたしと治奈とおもらし女の、三人だけになっちまったからな」

「そうだね」


 アサキは、少し寂しそうな微笑を浮かべた。


「突っ込めよ!」


 カズミの拳が、アサキの頭上からゴッツン!


「いたっ! あ、ご、ごめん。もう一回いって。今度はちゃんと突っ込むから」


 そうだよな。

 せっかくカズミちゃんが、場を和まそうとしてくれているんだから。

 わたしも、寂しがってばかりいられない。


「ほら早く。誰がおもらし女だあ、って突っ込みいれるから」


 まあ実際の話、二回ほど、やらかしちゃってますけど。

 そう自分の胸に、笑ってごまかしながら、アサキはカズミにリクエスト。


 以前のような、楽しかった日々を。


「いいよ別に、もう。つい殴っちゃって、こっちこそごめん。すっかり、しめっぽくなっちまってたからさ。……さっきの話、たった三人っつっても、アサキだけでも千人力だけどな。その真っ赤なクラフトの、魔道着さえあれば、きっと」


 と、指差したのは、アサキが握りしめている、真っ赤なリストフォンだ。


 恵まれているどころではない膨大な魔法力を、より生かせるように、特殊開発されたクラフト、及び魔道着。

 まだ、アサキ自身は着たことはない。


 それを着て超パワーを発揮した応芽に対して、変身すらせず生身の姿で勝利したアサキである。

 千人力も、あながち間違いではないだろう。

 応芽が本気ではなかったとか、アサキ用にカスタマイズされたものだからだ、とか要因は色々あるにせよ。


「着たくない」


 アサキは、ぼそり口を開くと、自分の握りしめているリストフォンから僅かに視線をそらした。


「そういうと思った。あたしには、その気持ちは、理解出来ねえけど」

「ごめん」

「なんであやまんだよバカ。お守り代わりに持っとけよ。どうせ誰かにあげたところで、そんじょそこらの魔法使いにゃ使えねえ代物なんだから」


 カズミは、アサキの肩を軽く叩いた。


「ミッチーが、その魔道着を奪って着たのって、なにかが仕掛けられていないかとか、そういうのを確かめるつもりもあったんじゃないかな」


 万延子が、青白ストライプの大きなメガネを、おでこから外して、放り上げると、おっとっとといいながら、手を使わず器用におでこで受けた。


 なお、ミッチーとは、彼女が慶賀応芽を呼ぶ時の名である。

 呼んでももう突っ込み拒絶をする本人はおらず、なんとも寂しいものであるが。


「なにかとは?」


 須黒先生が尋ねる。


「え? ええっと、た、例えばあ、りようちゃんをヴァイスタにしちゃうビームがビリバリ出るとか」


 令ちゃん、アサキのことである。


「え、でも、ウメはアサキを半殺しにすることでヴァイスタにしようとしてたんだろ。逆に、アサキがボコボコにしちゃったけど」

「適当にいったことに、そんな食い付かないでよ、キバちゃん」

「誰がキバちゃんだよ」


 あキということか。


 そんなやり合いをしている横で、アサキが、


「本気じゃなかったよ、ウメちゃん。いや、本気ではあったんだけど、非情には徹っしきれてなくて、刃を合わせるたび、拳を合わせるたび、なんていうのかな、心からの、優しさが伝わってきて。雲音ちゃんを救いたい必死さが伝わってきて……」


 応芽のことを思い出して、アサキは、喋りながらすっかり涙目になってしまっていた。


「ウメ、幼い頃から口はやたら悪かったけど、本当に純真で、優しかったからね。……多分ね、リヒト支部で起こした件は、具体的どうとかではなく、きっかけ、なにかが変わることを期待していたんだと思うよ」


 としみじみ顔の祥子へと、


「なにかとは?」


 青白ストライプの三年生が、食い付いた。

 先ほど自分が食い付かれしどろもどろになっていたので、仲間が欲しいのだろう。


「例えば……そうだな、オルトヴァイスタなんかにしなくたって、ピンチに陥ったりようどうさんが、能力覚醒。さらに、その新クラフトと新魔道着でパワーアップ。超魔法で、雲音を復活させることが出来るかも知れない。または、その超絶パワーで『絶対世界ヴアールハイト』への道が、あっさり開けるかも知れない、とか」

「戦いの中、なんらかのアクシデントで、令ちゃんがオルトヴァイスタになるかも知れない。けど、あえて自分がそうしたわけじゃないから、罪の意識もやわらぐ。ミッチーは、そういう思考回路で自分を納得させなきゃ令ちゃんと向き合えない……というくらいに、きみたちへの情が沸いていたってことだね。心から、第三中の一員だったんだよ」


 延子は、青白ストライプの巨大メガネを、またふざけて掛けた。


「ぼくもそう思うね。だから、りようどうさんへの殺意が、中途半端だったんだ。ウメは、最後の最後まで、きみたちのことが大好きだったんだよ。妹の魂と、天秤にかけられないくら……」


 祥子の言葉を、うっ、という呻き声が遮った。


 さらにまた、うっ、呻く声、鼻をすする音。


 アサキである。

 大粒の涙をぼろぼろこぼし、泣いていたのである。


「わ、わたし、ダメだ……ま、まだ……ウメちゃん……」


 ぼろぼろ。

 ぼろぼろ。


 顔をみっともなく、ぐちゃぐちゃに歪めて。

 目をこすっても、拭っても、次から涙がこぼれて落ちる。


 嗚咽はやがて、号泣へと変わり、

 みなの同情共感の視線と表情に囲まれて、赤毛の少女は、いつまでも泣き続けていた。

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