第06話 人間を、なんだと思っている

 地に横たわったまま、ぶるぶると、身体を震わせている。

 体内の血液を、すべて失ったかのような、青ざめた、白い顔で。

 慶賀応芽は、輝きを失った、濁り乾いた目を見開いて、身体を震わせている。


 信じたくないという思い、ああやっぱりという諦めの気持ち。

 そんな、二つの気持ちが交錯しているように、アサキには、思えていた。


 じゅわじゅわと噴き出す瘴気に、肌が焼け焦げそうになるが、それでもアサキは、横たわる応芽の身体に手を翳し、治療を続けていた。

 だって、それしか今の自分に出来ることがないから。


 考えるのは後。

 治療が先決だ。

 

 と、胸に唱えた瞬間、その胸が、どきりと跳ね上がっていた。


 応芽の、濁った両目から、どろり、血が黒い涙になって、両の耳を伝って地を濡らしたのである。


「ウメちゃん!」


 不安げに応芽の顔を覗き込んだアサキは、続いて、軽く顔を上げ、この状況をもたらす言葉を吐いただれとくゆうを、上目遣いに睨み付けた。


 アサキのすぐ後ろに立っているカズミも、やはり同じように思ったか、彼を睨んでいる。


 その隣にいる銀黒の少女、祥子は、前方を見つめているだけで顔からは感情が読めない。ただ、ざりざりと踵を地に擦りつけている仕草が、すべてを語っていたが。


 彼女たちから放たれる負の視線を、むしろ心地よさげに受けながら、だれとくゆうは、一歩前に出る。

 地に横たわり震えている慶賀応芽を、ほぼ垂直に見下ろした。


「推測を話そう。とはいえ、状況やこれまでの調査から考えて、ほぼ間違いないこととは思うがね」


 もったい付けた前置きをし、少し間を空けると、彼はまた口を開いた。


「慶賀応芽、きみは、妹であるみちくものヴァイスタ化を阻止するために魂を砕いた。だが、それは間違いで、魂は砕けてなどいなかった。自分に乗り移って、常に共にあった」


 ここで言葉を切る。


 応芽は、苦しそうな表情、焦点の定まらぬどころか濁りに濁った目で、自分の足元に立っているリヒト所長を、睨み付ける目付きで、見上げている。


 声は出ずとも状況は理解しているようだね。とでもいいたげに、だれとくゆうは唇の端を釣り上げる。


「そう、思い込んでいた。何故? それは、無意識の中で、罪悪感から逃れるため。魂を消滅させ、輪廻の対象から永久に外してしまったことの。そして、様々な都合のよい行ないを、すべて妹のせいにするために」

「二重人格だとでもいうのか? そんな様子はなかったぜ」


 カズミが横槍を入れる。


「それとは違うね。魂の生存を無意識に信じる思いが、心理に多大な影響を与えた、というだけ」


 その通りならば、その通りなのだろう。

 そう思えばこそ、妹を蘇らせるために、応芽は苦悩苦闘していたのだから。


「偉そうによ。で、ウメの生真面目さというか、お人好しの気持ちで、今度はアサキへの罪悪感が膨らんだ。無意識下で信じている、妹の魂が現れて、悪いお姉ちゃんをお仕置きした、ってことか?」

「そうだね。今度は、令堂さんを滅ぼさねばならない、ということから逃げたんだ。心の弱さが、そうせねばならぬことに耐えられず、自分で幻影を作り出して、自分を殺したんだ」

「ウメちゃんは弱くない!」


 アサキは、声を荒らげて、だれとくゆうへときつい目を向けた。


 そよ風ほどのことも起こらなかったが。

 グレーのスーツ、だれとくゆうはなんともない顔で、また口を開く。


「令堂和咲、きみも色々と知ってしまっただろうし……他の者たちにしても、必要なら記憶も記録も、いくらでも塗り潰せるから、気にせずこのまま、話を続けてしまうけど……」


 ちらり、アサキたちを見る。

 不安、恐れ、怒り、などがない混ぜになった、少なくとも好意など微塵もない、そんなアサキとカズミの視線、表情。

 むしろ心地よさげに受け止めながら、


「わたしは、完全な『新しい世界ヌーベルヴアーグ』、つまり『絶対世界ヴアールハイト』へ行くことに対して、なんでもしようとする人間だ。でもそれは、この世の理を解明し、しいてはヴァイスタなど存在しない世界を作ることにも繋がる。悪いことでは、決してないはずだ」

「こうなることが分かっていて、家族のために苦悩していた女の子を笑って見ていた人が、なにをいって……」


 アサキの侮蔑の視線、言葉。

 すぐグレースーツに掻き消されてしまう。


「だからあ、いまいった通りなんだってば。大義では、わたしのしていることが正しいの。小義を気にしていたら、そりゃあ色々とあるさ。歴史上の、世の中を変えた戦だって、それで死んでいった者たちはたくさんいるんだ。それでもカエサルは偉人だろう? ナポレオンは偉人だろう?」


 言葉を遮って、自分の価値観に酔っているだれとくゆうへと、アサキはただ侮蔑の視線を向け続けた。


「メンシュヴェルトに、慶賀応芽を送り込んだのは、良質の魔法使いを素体に真のヴァイスタを造り出すため。特Aの令堂和咲と、その他クラスAの魔法使いをね」

オルトヴァイスタに関する情報を集めつつ、あわよくばあたしたち、特にアサキを超ヴァイスタにしてしまえ。ってことか」


 カズミは、拳を握りながら、ぎちぎちっと歯を軋らせた。


 リヒト所長は、返事をする代わりに、小さく唇を釣り上げた。


「でも慶賀応芽は、令堂和咲たちに触れているうち、好きになってしまった。彼女らと一緒にいることが、心地よくなってしまったんだ」

「こんな、甘ちゃんたち、だ、誰が、嫌いに、なれるんや」


 震える、応芽の声。


 アサキの治癒魔法もむなしく、胸からどろどろと煙を吐き出している。

 視点定まらぬ、そもそも濁りきって、まるで見えていないであろう目。

 リヒト所長への恨みというよりは、アサキたちとの思い出に浸っているのだろうか、とてもやわらかな顔になっていた。


「その甘ちゃん以上に甘い、必要時にすら冷酷になれないクズには、狙った魔法使いをヴァイスタにしようなど出来るはずはなかった。最初から、分かっていたことだがね。だからこそ、特使として選んだんだ」


 ふっ、とリヒト所長は鼻で笑った。


「甘いことが……冷たくなれないことが、どうしてクズなんだ」


 アサキの、低く押し殺した声。

 彼女にしては珍しい、凄みのある、少し乱暴な言葉遣いであった。

 それだけ、頭にきていたのである。


「だってそうだろう。知っていて就いた任務であり、自分の家族の生命が懸かった問題でもある。だというのに、与えられたことをまっとうできないどころか、しようともしない」

「だからって……だからって、そんないい方をしなくても!」

「アサキ、どっちがクズか問答してたって仕方ねえよ」


 カズミが話に割って入った。


「一つ、教えて欲しいんだけど……あたしたちの仲間、おおとりせいがヴァイスタになったのは……へいなるが、はらわた食われて殺されることになったのは……」


 カズミは視線を落とし、ぜいはあ息を切らせている瀕死の応芽を見た。


「わたしが直に見たわけじゃないけど、本人の報告や、クラフトに記録された活動レポートによると、慶賀応芽は、必死に阻止しようとしていたらしいね。大好きな仲間である、大鳥正香のヴァイスタ化を」


 だれとくゆうの言葉に、手で口を抑えて、がくり膝が崩れそうになるカズミであったが、感情の乱れをどうにか堪えると、


「でも、さっきはこいつ……オルトヴァイスタにするために、アサキを魔道着を奪っていたよな」

「でも、無意識にブレーキを掛けたママゴトみたいな戦い方で、生身の令堂和咲に負けただろう?」

「そんなの、アサキが桁外れに強かっただけじゃねえかよ」

「昭刃和美、信じたいのだね。慶賀応芽のことを」

「え、ちが……ああ、そうだよ! 悪いか!」

「信じていいよ。慶賀応芽は、きみたちの、信頼のおける仲間だ。わたしにとっては、抱く願望の大きさに対して、能力どころか信念すらも中途半端な、蔑むべき存在だけどね」

「そんないい方をしないで!」


 アサキが激高し、声を裏返し怒鳴っていた。


 いわれた当人は、不謹慎を恐縮するどころか、むしろ心地よさげな笑みを浮かべていたが。


「こうした状況になることは、想定の範囲というより、すべてにおいて予想の通りだった。慶賀応芽ごときには、令堂和咲たちを超ヴァイスタにすることなど、最初から不可能だった。でも、そんなことはそもそも不要だった。だって今回の実験計画は、慶賀応芽自身を絶望に追い込んで、ヴァイスタ化させることだったのだからね」


 リヒト所長は、言葉を切ると、楽しげな顔で視線を動かして、魔法使いたちの表情を確認した。


「酷い……」


 アサキは、震える声でいうと、地面を殴り付けた。


「く……くもは……」


 応芽が、地に横たわりながら、手を上げ、伸ばした。

 空中にゆらゆら揺れている、慶賀雲音の、幻影へと向けて。


 目が見えないどころか、既に意識も朦朧としているようである。

 夢と現実が、ごっちゃになっているかも知れない。


「存在するはずがないだろう。きみが魂を消滅させたんだから。都合のよいことが起こるのは、むしろ魔法ではないよ」


 夢の中にまで踏み入り、微かな希望を打ち砕こうとする、だれとくゆうの残酷な言葉であった。


「ああ、うあっ……」


 応芽の胸の傷口から噴出する、黒紫の煙、その勢いが激しくなった。

 まるで、高圧掛けられた蒸気である。


「雲音……」


 視点の定まらない応芽の目から、また、どろりどろり黒い涙が流れて、こぼれ落ちた。


「もちろん、令堂和咲がオルトヴァイスタになるのが理想だし、最終的にそうであるべきだ。だけど、まだ我々には、意図的なヴァイスタ化の実績がない。道は一歩一歩コツコツ。まずは慶賀応芽からってわけだな」

「てめえ、自分がなにをいっているのか、分かってんのか」


 カズミが、だんと強く地面を踏み付けた。


「わたしほど、発言に気を付けている者はいないよ。……さて、この後どうなる、か。慶賀応芽の無意識が信じていた、妹の魂の生存、それが完全に絶望へと変わったわけだが。どのようなヴァイスタが誕生するのかな。……もしも失敗作だったならば、すぐに昇天させる。念のため、魔法使いをもう何人か呼んでおけ」


 グレーのスーツ、リヒト所長は、数人の部下へと命令した。


「そうは、させない」


 アサキが立ち上がっていた。

 リヒト所長、だれとくゆうを、睨み付けていた


「ウメちゃんを……人間を、なんだと思っているんだ」

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