第05話 それでも信じることしか
落ちている。
風を切り、地へと速度を上げながら。
焦げて破れたところ、切り裂かれたところ、魔道着のいたるところから、どろどろと瘴気を吹き出しながら。
意識なく、引力に身を委ねて、落ちている。
冷たく激しい風の中に、
「いま行く!」
真っ逆さま、天を蹴り、蹴り、蹴り、追い掛ける。
仲間、大切な友達を。
学校の制服姿で、必死に、追い掛け、追い付き、追い越した。
すぐさま、くるり身体を前転させて、天地に対し体勢を正常に直すと、風を切って落下してくる応芽の身体を、両手で受け止めた。
ぶづっ
「うぁっ!」
降下しながら受け止めたものの、速度を相殺し切れなかった。
ぐうん、と下に持っていかれるのを、堪えようとした瞬間、腕が引きちぎられそうになり、思わず悲鳴を上げた。
赤毛をばさばさなびかせながら、激痛に顔を醜く歪て、ぎりぎりと歯軋りをしながらも、応芽の身体は手放さない。
手放せるはずがない。
眼下に、地上がどんどん大きくなる。
懸命に落下速度を落とそうとするが、そうするほど腕を、全身を、激痛が突き抜ける。
アサキは、複数の呪文を、同時に唱えることが出来る。だが現在、そのすべての魔力を、空中制御系にのみ集中させている。
だから、応芽を抱きかかえるのは、自分の体力のみだ。
落とすまい、と必死に抱きかかえ、抱き締めるが、これまでずっと生身のままで戦わされており、過剰酷使に、もう肉体は限界だった。
限界だったが、
「絶対に、離さないっ!」
疲労に意識が朦朧としながらも、腕に力を込め続け、心の中で呪文を唱え続けた。
どうっ!
重く激しい衝撃が、身体と意識を、吹き飛ばし掛けた。
地面に落ちて、背を思い切り打ち付けたのだ。
透明な巨人の手にもぎ取られ、応芽の身体は、アサキから引き剥がされて、宙に浮いた。
再び地に落ち、小さくバウンドした。
応芽の身体からは、変わらずしゅうしゅうと、黒い光の霧が体内から噴き出している。
変身が解除されて、私服姿に戻っていた。
ボロボロになった、真紅の魔道着から。
完全に意識を失っているのか、浅く胸を上下させているのみで、それ以上まるで動く様子がない。
墜落時のクッションになったアサキは、激痛を堪えながら、頭を振って、朦朧とした意識を吹き飛ばすと、素早く上体を起こした。
はあはあ、息を切らせながら、
「ウメちゃん、しっかり!」
両手で地を引っ掻いて、応芽へと這い寄った。
両膝を地に着いて、前のめり、身体を覆いかぶせ、横たわる応芽へと手を翳した。
翳した両手が、ぼおっと青白く光る。
「い、いま治すからっ」
苦しそうな顔で、必死に治癒のエネルギーを送る。
呼吸の整わない状態で、如何ほどの効果があるのか。
でも、でも、待ってなどいられない。
早く、少しでも、治さないと。
ウメちゃん。
ウメちゃん!
心の中で、泣きそうな声を出しながら。
手を翳し続ける。
応芽の身体あちらこちら、特に剣で貫かれた胸から大量に、しゅうしゅうと黒紫の煙が上がっている。
体内に溜め込めなくなった膨大な魔力が、様々な負の感情と融合し、焼け焦げて吹き出しているのだ。
地面に、小さな影。
気付いたアサキは、治療の手を翳しながら、そっと顔を上げた。
十メートルほどの高さに、魔道着姿の少女が、ゆらゆらと浮いている。
応芽とまるで同じ顔をした、魔法使いが、なんの表情を浮かべることもなく。ただ空気の流れに揺れている。
同じ、顔。
雲音、ちゃん?
でも、何故、ウメちゃんを刺した。
謎の魔法使いを睨み掛けるアサキであるが、恨みの感情では治癒の効果が半減する。もどかしい気持ちだったが、視線を落とし、応芽の治療に専念する。
だけど、これはどうしたことか。
邪念を払い、すべての魔力を治療のために集中させているというのに、応芽の胸に大きく開いた傷口が、まったく小さくならない。
いつまでも、しゅうしゅうと黒紫の煙を吹き上げているだけだ。
「アサキ!」
カズミの声だ。
変身の解けた中学校の制服姿で、息せき切って走ってくる。
銀黒大柄、
「な、なにが、どうなってんだよ! ウメは……つうか、なんなんだよ、あれは!」
空に浮いている魔法使いを、カズミは指さした。
この状況に対し、すっかり混乱しているようである。
それも当然だろう。
カズミの立場からすれば。
戦いを見上げていたら、遥か上空からアサキたちが墜落。
急いで駆け付けてみれば、応芽は半死半生。
死闘を演じていたアサキが、懸命に治療を施している。
ここまでならば、まだ分からなくもないだろうが、
応芽の身体からは、得体の知れない煙が噴き出して、
さらには、空中に浮いている、謎の魔法使い。
しかもそれは、応芽と同じ顔をしている。
ともなれば。
「アサキ! なあ、なにが起きてんのか、教えてくれよ!」
カズミの怒鳴り声。
アサキは、顔を上げた。
泣きそうな顔、いや、泣いている。
涙を、ボロボロとこぼして。
そんな、弱々しい泣き顔を、アサキはカズミへと向けた。
「傷が……ウメちゃんの傷が、塞がらないんだ」
横たわっている応芽。
その胸に、青く輝くアサキの両手が、翳されている。
胸の傷口からは、しゅうしゅうと音を立てて、黒紫の煙が噴き出している。
カズミは、応芽を睨む目付きで見下ろしながら、拳をぎゅっと握ると、
「あたしの魔力も使え」
中腰になり、開いた手のひらを、アサキの肩に置いた。
「こいつにゃ、聞きたいことがある。償ってもらわなきゃならないことがある。まだ、思い切りひっぱたいてもいないし……死んで欲しく、ないんだよ!」
肩へ手を置いたまま、悔しそうに顔を歪めて、踵を地に踏み落とした。
「あき……ば……か?」
弱々しく、かすれた声に、カズミ、アサキ、祥子の三人は、視線を落とした。
応芽の顔を見た。
「ウメ……」
「昭刃、の声やな。目が、見えないんや。……ザマア、ないやろ? あかんこと、したからなあ。令堂と戦うやなんて。ははっ、自業自得や」
「喋らないで!」
手を翳しながら、アサキが泣き顔を険しくさせて、声を荒らげた。
また、やわらかく、弱々しい表情に戻ると、
「分かっているよ。仕方のないことだったんだろうな、って」
「令堂……あたしホンマ、あかんことした、から、せやから、雲音が、いてもたってもおられず、叱りに、きて、くれた。魂、滅んで、なんか、おらんかった」
視点の定まっていない目を薄く開けて、見えないけど空中に浮かんでいるはずの、魔法使いを見上げながら、応芽は微笑んだ。
「安心して、死ねるわ。行き先は、地獄かも、知れへんけど、まあええわ」
ごぼ
微笑む応芽の口から、大量の血が溢れた。
頬を伝って、地を真っ赤に染めた。
「ダメだよ、そんなこといっちゃ! 治すから、わたし必ず治すから! だ、だからっ!」
ぼろぼろ、ぼろぼろ、涙をこぼしながら、アサキは、胸に手を翳し続ける。
噴き上がる黒紫の煙が、アサキの手を避け、指の間をすり抜けて、立ち上り続けている。
しゅうしゅう、しゅうしゅう、煙が上る。アサキの思いを、あざ笑うかのように。
それでもアサキは、信じ続け、念じ続けることしか出来なかった。
と、その時である。
足音が、新たな人物の登場を告げたのは。
「慶賀応芽を泳がせておいたら、こんなことになるとはね。世の中、生きていれば面白いことが起こるものだ」
グレーのスーツを着た、大柄な男性。
リヒト所長、
数人の部下と一緒だ。
その声に、応芽は、ぐったりしたまま首を横に向け、視点定まらぬ目をグレースーツの男へと向け、にんまりとした笑みを浮かべた。
「せやろ。雲音は、死んでなんかおらんかった。魂、砕けてなんか、おらんかった。
この言葉を喋るだけで、どれほど体力を消耗したのか。
応芽は腕を広げ、大の字になって、瀕死の犬のように、はひいはひいと呼吸荒く、胸を膨らませた。
でも、その顔は、とても満足げであった。
しばらく、その様子を見下ろしていた、リヒト所長であったが、やがて、ゆっくりと口を開いた。
「あの……いいかな、ただ疑問に感じたので尋ねる、というだけなのだけど。本当に、あれが自分の妹だと、慶賀雲音だと思っているのかい?」
グレースーツの男は、小さく首を上げて、空にゆらゆら揺れている魔法使いを、見上げた。
アサキたちも、つられて、見上げる。
応芽と瓜二つの顔の、少女を。
すっかりボサボサの汚れた髪になっている応芽と違い、整髪料でおでこにピッタリ撫で付けている、綺麗な髪の毛。
その顔には、なんの表情も浮かんではいない。
薄黄色の魔道着に、身を包んでいる。
応芽と同じ顔だが、着ている魔道着は違う。そして、応芽本人はここにいる。
と、なれば普通に考えて、話に聞いていた双子の妹、雲音、ということになるのだろうが……
しかし、それを否定しているとも捉えられる、至垂徳柳の言葉。
「なにを……ゆうとんのや」
はあはあ、息を切らせながら、
しゅうしゅう、胸から煙を吹き上げながら、応芽が鼻で笑った。
至垂徳柳の、次の言葉は早かった。
それを受けた、応芽の表情が変わるのも。
「無自覚無責任、不感、欺瞞、きみのそれは演技なのかな? と、聞いている」
「え……」
ぴくり、と、応芽の身体が震えていた。
身動き取れず、横たわったままで。
数秒前と、完全に表情が一変していた。
菩薩の境地、というほどではないにしても、このまま死んでも構わないというやすらかな表情が一変して、不安、猜疑、畏怖、怒り、慚愧、これでもかとばかり負の感情が混ぜ込まれた顔になっていた。
「まさか。まさか、そんな!」
視力を失っている目を、かっと見開くと、この世を未来永劫呪うかのような、凄まじい雄叫びを張り上げた。
息も絶え絶えの、どこにそんな力が残っているのか。
じゅわあああっ
その叫びに呼応して、胸から立ち上っていた黒紫の煙が、勢いよく、間欠泉の勢いで噴き上がった。
どろどろと、狂気の粘度を帯びた、ドス黒い煙が。
応芽は、声にならない声を、叫び続けていた。
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