第04話 薄くも甘くも、夢でもない

 刃を振り、打ち合わせ、押し合い、弾き合い、唸り、歯を軋らせ、睨み合う。


 りようどうさきと、みちおう


 片方は、魔道着を着ておらず、生身のままであるが、繰り広げられているのは、完全に魔法使い同士の、いや、それを遥かに上回る次元の戦いであった。


「ハナから覚めとるわ! つうか、お前らと一緒におった時こそが、薄甘い夢を見とったんや!」


 応芽が、拳を頬に叩き込まれたことで激高し、右腕の痛み痺れも忘れて盲滅法に洋剣を振り回していたが、すべての攻撃を冷静に対処されると、癇癪起こした子供みたいに声を裏返して怒鳴った。


 目を、覚ましてくれなかった……

 向き合うアサキは、少し悲しく虚しい気持ちになったが、すぐに首を小さく横に振り、応芽の言葉を否定する。


「薄くも甘くも、夢でもない。健気に掴み続けていた、現実だ」


 制服のスカートが、掴まれ引っ張られているかのように、バタバタザバザバと音を立てて、強風になびいている。


「つべこべ、じゃかあしいわあ!」


 応芽は、小癪なことばかりをいう赤毛へと詰め寄りながら、剣を突き出した。


 アサキの胸が、貫かれていた。

 柄まで、ずぶり、突き刺さっていた。


 という残像か幻想に、瞬き、応芽は舌打ちする。

 赤毛が、瞬間的に、背後へ回り込んだのだ。


「舐めんな!」


 激高。くるり振り向きながら、剣を叩き下ろした。


 アサキが、二本のナイフを横から叩き付け、太刀筋をそらしつつ、その勢いを利用して距離を取った。


 ここは東京。

 青い空の下。

 高層ビルすらもすべて眼下の、地から遥かな上空で、二人は戦っている。


 真紅の魔道着。

 応芽の持つのは、洋剣。


 中学校の制服姿。

 アサキは、左右の手にそれぞれ、ナイフを持って。


 空中。

 上から、下から、横から後ろから、乱れ吹く、氷のように冷たい強風の中を。


 まるで瞬間移動、残像消えぬうち、あちらこちらで武器をぶつけ合う。


 時折、動きを止めては、睨みながら、ぜいはあ肩を上下させるが、呼吸の整わないうちに、どちらかが攻撃を仕掛け、また空中での打ち合いが始まる。


 停止しては目から、動いては刃から、常に火花を散らしながら、彼女たちは戦い続けていた。


 先ほどまでは、アサキが圧倒していた。

 だがまた、応芽が押し返していた。

 形成逆転というほどではなく、あくまで押しているのは、アサキであるが。


 戦い始めの頃と比べて、の優越で考えれば、完全に立場逆転であった。


 いまや応芽の方こそが、気迫でアサキに食らいついて、なんとか互角の勝負に持っていっている。

 と、このような状況であるのだから。


 妹のために、アサキをオルトヴァイスタ化へ導く、という大きな目的がある。

 自分は特殊な魔道着を着ており、相手は並どころかそもそも魔道着を着ていない。という、崩壊一歩手前ではあるが自尊心からの憤慨心がある。

 応芽としては、状況不利になろうとも、絶対に負けられないと気迫燃やすのも当然だろう。


「くそっ、実はポンコツなんやないかあ? この魔道着!」


 こうも押され続けていれば、真紅の魔道着への疑念も沸くだろう。

 対するアサキがなにかしら魔道着を着ているならいざ知らず、単なる中学の制服姿とあっては。


「なら、もうやめようよ。そんな物があるから、戦わないといけないんだ」


 向き合いながら、アサキは悲しげな顔を応芽へ向けた。


 強力な魔道着と聞いて、ウメちゃんは、取り憑かれてしまった。

 世界を守るための力は必要だけど、過ぎたる力なんか、持ってなんの意味があるのか。


「関係ないわ! そしたらいくらでも違う方法で、お前をヴァイスタにしてやるだけや!」


 自分の着ている真紅の魔道着へと、恨めしそうな視線を向けていた応芽は、顔を上げると、小癪なことばかりをいっているアサキへ、ピシッと指を差した。


 少しの沈黙の後、アサキは、眼光しっかり受け止めながら、口を開く。


「わたしは、ならないよ。この世界を、守り続けるから。守るべきこの世界がある限り、絶望はしないから。だから、ならないよ」

「ははっ、随分と饒舌になってきたやないか!」


 作った笑みを浮かべて、応芽は体当たり、がちりぶつかると、また剣とナイフの押し合いが始まった。

 押し合い、といっても、一方的に応芽がガツガツと、ガムシャラに当たっているだけであるが。


「やめよう。いまのウメちゃんは、わたしには勝てないよ」

「その姿でなにをゆうとんじゃ!」


 応芽は、怒鳴りながら、弾き飛ばそうと、ぐうっと剣の柄を押し出した。


 アサキは、軽くいなして、ぐるり背後へと回り込んだ。

 同時に、どんと背を強く押して、少し距離を取った。


 バカにするでもなく、真摯な、悲しげな表情を、応芽へと向ける。


「本当に、こんなことが、雲音ちゃんのためになるのかな?」

「そう思わなきゃあかんやろ! これが、あたしの人生なんや!」


 突き出される、応芽の剣先。


 アサキは二本のナイフで、剣と絡め取りつつ、横へ流し、攻撃をそらせながら、


「ウメちゃんは、ウメちゃんでしょう!」


 怒鳴った。


「そうや。自分の人生をぶっ壊してでも、楽しげに笑いながら、お前を絶望に追い込もうとしとる、それが慶賀応芽様や! あたしは、こんな程度なんだよ!」

「いい加減にしないと……もう一度、殴る!」

「好きなだけ殴るとええわ! でもなあ、あたしは……お前なんかに、負けるわけにはいかへんのやああああ!」


 この戦いが始まって、お互いに何度も声を荒らげたが、これは何度目の絶叫だろうか。


 明らかに、先ほどまでのものとは異質だった。


 気迫。

 怨念。

 情念。

 執念。

 悲哀。

 必死。

 悲痛。

 焦燥。

 憤怒。

 それらの思いが混ざり合い、爆音じみた叫び声が、口から吹き出されていた。


 彼女の妹、慶賀雲音。

 おそらくすべては、そこに起因する感情なのだろう。


 魔力を持つ者以外には、ただ叫んでいるだけに見えるだろう。

 アサキには、気脈から発せられる感情の昂ぶり、噴き上がる魔力の光が、はっきりと見えていた。

 応芽の魔法エネルギーが、上空を吹き荒れている強風と融合して、さながら八ツ又の龍といった具合に、ごうんごうんうねっていた。


「これは……」


 アサキが、その眩しさに目を細めた、その瞬間である。


 応芽が、爆発した。

 体内のエネルギーを溜め込み切れず、すべて逆流して一気に吹き出したのだ。


 轟音、豪炎と共に、アサキの身体は堪らず吹き飛ばされていた。

 呻き声を上げながら、足元の空気を蹴ってブレーキを掛け、その場に踏みとどまると、はあはあ、息を切らせながら、細めた目を開いた。


 真紅の魔道着、応芽が、空中に立ち尽くしている。

 ごんごんと、眩しい光の粒子を噴き出しながら。

 顔を落とし、不思議な、信じられないといった、表情で。


「いままで、自分にリミッターを掛けとったっちゅうことか。……負けられへん気持ちが、すべてぶっ飛ばしたちゅうことか……」


 しばらく、自分の両手や、真紅の魔道着、ごんごん噴き出す魔力の粒子を眺めていた応芽であるが、やがて、嬉しそうに微笑んだ。

 顔を、上げた。


「えろうたいしたもんやなあ、この魔道着は。……さっきは、思い切りコケにしてもうたけど。なんや、ええ気持ちや。……ええ気持ちや! 力が、身体ん中から、いくらでもみなぎってくるでえ!」


 どん!

 収まり切らない膨大なエネルギーが、また、噴き上がり、爆音を上げた。

 応芽の背中、両肩。

 真紅の魔道着から、ゆらゆら揺れる、巨大な炎。

 微笑む彼女の表情とあいまって、それは、まるで悪魔の翼であった。


「行くでえ!」


 嬉しそうに叫びながら、軽やかに宙を蹴った。

 悪魔の翼を得た応芽は、自らの残像を砕きながら、超速でアサキへと突っ込んで、そのまま突き抜けていた。


「うあ!」


 どう、と跳ね上がるアサキの身体を、今度は戻りつつの追撃が、再び跳ね上げた。


 ブレーキを掛けた応芽は、腕を組んで、楽しげな顔。

 激痛に顔を歪めているアサキを見ながら、ゆっくりと、口を開いた。


「圧倒的やなあ、この力。こら病み付きになるで。さあて、どうやって令堂和咲に絶望を与えたるかあ。どうやってオルトヴァイスタに仕上げるかあ。……まあ、まずは手足を全部ぶったぎってからやな。それから、ゆうーっくりと考えることにするわ」


 満足気な笑みを浮かべながら、応芽は、アサキを見つめている。

 悪魔の翼に、身体をボロボロにされ、苦痛を堪えている、アサキを。


 アサキは、痛みを押し殺しながら、嫌らしい視線を真っ向から受け止め、疑問の言葉を発した。


「ねえ、ウメちゃん……こうして、強くなって、どんどん壊れていっちゃうなら、それは、本当に、強さ、なのかな」

「うん、まあ本当の強さやないんやろな。つうか、お前の求めとるスポーツマンシップ選手宣誓みたいな強さなんて、どーでもええねん! あたしはただ、雲音を助けたいだけやゆうとるやろ。記憶力がないんか?」

「雲音ちゃんをどんなに大切に思っているか、それなりには、理解出来るつもりだよ」

「ほざけや。お前なんかに、分かるわけないやろ。義理の親どころか……」


 新たな力を得た興奮に、ぺらぺら舌を動かしていた応芽であったが、自分のその言葉につっかかって、不意に口を閉ざした。


「どころか、なに?」


 アサキが聞き逃さず、食い付いた。


「なんでもないわ」

「まだ思い出し切れていないんだけど、さっきのことで、わたしの記憶は嘘で包まれていることは分かった。ウメちゃんは、もっとたくさんのことを知っているんだよね。わたしが辛くなるような……でも、いうのを躊躇ってくれた。やっぱり、優しいんだよ。ウメちゃんは」


 アサキは、警戒は怠らず、でも、少し表情を緩めた。


「アホ抜かせや! 全部を思い出させようとしたんやけど、お前がアホやから、中途半端だっただけやろ」

「でも、いまの無意識の行動は、やっぱり優しいウメちゃんだよ」

「はあ? 決め付けも、たいがいにしとけ。……そうや、お前を追い込む、ええことを思い付いたで。その義理の親を、ぶっ殺したったら、さすがに心が粉々になるやろなあ」

「そんな、心にもないことを、いわないで」

「百パーセント本音でゆうとるわ」

「信じない。でも、冗談でも、いっていいことと悪いことがあるよ。……血は繋がってないけど、わたしだってしゆういちくんとすぐさんのことを、本当の両親以上に大切に思っている。ウメちゃんが雲音ちゃんを思う気持ちに、負けてないよ」

「ああそうなん? ほな、強い方が勝って、お前は守りたい者を守り、あたしは手に入れたい力を手に入れる。分かりやすくてええね。ほな遠慮なく……ぶっ潰させて貰うで! 令堂和咲!」


 どおおおん!

 さらに巨大に、魔法力の粒子が作る翼が膨れ上がった。

 体内に、真紅の魔道着に、おさまり切らない、応芽の力、魔法力が。 どるどると、噴き出している。

 巨大な翼というだけでなく、うねうねと無数の、光の蛇が、身体を這い回り、包み込んでいる。


「お互い、もう飽きたやろ? しまいにしようや」


 噴き出す莫大な魔力エネルギー。

 自分自身から放出した、エネルギーの中心で、応芽は、右手の剣を強く握った。


「是非も、ないのか……」


 アサキは、悲しい表情を浮かべると、きっと睨む目付きを応芽へ向け、二本のナイフを胸の前で構えた。


「ええヴァイスタに、なるとええよ」


 にたり。

 応芽が頬を、唇を、釣り上げた、その時であった。


 どん!

 真紅の魔道着が、爆発したのは。


 大きくはないが、低く重たく空気を震わせる爆音。

 魔道着は破れに破れ、胸や肩の装甲もすべて弾け飛んでいた。

 あちこちの破れ目から、光の粒子と煙が混ざって、蒸気のごとく、噴き出している。


「ウメちゃん! 大丈夫?」


 アサキが心配そうな顔で叫び、近寄ろうとする。

 内部からの魔法力の爆発に、すっかり姿ボロボロになって、煙を噴き出している応芽へと。


 意識朦朧とした表情の応芽。

 がくん、と重力に引かれ、身体が落ちそうになるが、かっと目を見開くと、右手の剣を伸ばし、


「敵やで!」


 近付こうとするアサキの鼻先へと、突き付け、牽制した。


「でも、でもっ、魔道着が……」

「まだまだ。これからや」


 身体のあちこちを焦がしながら、ぎりり、錆びたブリキ人形のぎこちなさで、右手の剣を構えた。

 はあはあ、息を切らせながら、強気な笑みを浮かべた。


 誰が、想像出来ただろう。

 次の瞬間に、彼女の身に起きたことを。


 応芽のまぶたが、驚愕に、大きく見開かれていた。

 向き合う、アサキの顔も同様であった。


「なんや……」


 応芽は、ゆっくりと、首を、下に向けた。


 剣が、突き出ていた。

 自分の胸元から、血に濡れた、剣先が。


 背後から突き刺され、そのまま貫かれたのだ。


 血に染まった剣先が、引かれ、すうっと音もなく、応芽の中へと消えていく。


 ごぶ、と、血が溢れて流れた。

 応芽の、口から。

 真紅の魔道着と、同じくらい赤い、血が。


 瞳、身体を、ふるふると震わせながら、ゆっくりと、振り向いた。


 再び、その目が見開かれていた。

 先ほど以上の驚愕が、その青ざめた顔に浮かんでいた。


 振り向くと目の前には、応芽と同じ顔をした、薄黄色の魔道着を着た、魔法使いが、無表情で、剣を片手に、空中に立っていたのである。


「なんで……雲音が、どうして……ここに……生きて……」


 驚愕の次は、困惑であった。


 何故、雲音がいるのか。

 奇跡的に魂が蘇ったのだとして、何故、姉を殺そうとするのか。

 何故……


「なんかの、間違いやろ。雲音が、そんなことするはずあらへん。あのな、お姉ちゃんな、頑張ったんやで。雲音と、また……雲音と」


 ふっ

 応芽の意識が、落ちた。

 白目をむいて、がくり身体の力が抜けると、浮力を失い、遥か眼下、吸い込まれるかのように、落ちていった。

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