第02話 嘉嶋祥子

 応芽は、目の前に立つ大柄な魔法使いを睨みながら、ぎりっと歯を軋らせた。


しま……しよう


 軋らせ方、歯が折れるくらいだったが、ふと我に戻ったか、目付きはそのままで、口元だけが笑みの形に釣り上がった。


 ふん。

 冷静になろうと、あえて鼻で笑ったのだろうか。

 表情をすべてニュートラルに戻した応芽は、小さくため息を吐いた。


 斧へと触れ合っていた刃を引くと、すっかりぼさぼさになった前髪を、かき上げた。


「ちゃんと、余興になるんやろな。りようどうさきに代わって、お前がやるんは別に構へんけど。ちゃんと、余興になるんやろな!」


 だっ、応芽は力強く、地を蹴っていた。

 幾多の、自らの残像を掻き分け、瞬時にして嘉嶋祥子へ迫ると、その頭上へと、微塵の躊躇すらもなく、剣を打ち下ろしていた。


 ぎんっ

 研がれた金属のぶつかり合う、鈍くもあり鋭くもある独特な音が上がった。


 応芽が放った一撃を、大柄な魔法使いが、その身に相応しい巨大な斧で受け止めたのである。


 押し合い競り合い、になるより前に、祥子が力任せに、斧を真横へ振った。


 とっ、と小さく跳ね、応芽は地につま先を着く。


 二人の距離が空いた、その瞬間には、祥子の方から詰めていた。

 巨大で、柄がなく刃だけ、という奇妙な形状の斧。刃身には、拳大の穴が二つ空いており、その一つに指を掛けて軸とし、くるり回して応芽の頭部へと振り下ろした。


 応芽は、剣を斜めに構えて、巨大斧を剣のひらで滑らせ、いなす。

 同時に、右足で前蹴りを放っていた。


 がきっ

 祥子の、胸の装甲が蹴り砕かれていた。


 後方へ吹っ飛ばされた祥子だが、とんと地に足を着くと、安堵のため息。さしたるダメージを受けた様子もなく、巨大斧を構え直した。

 蹴り足インパクトの瞬間に、自らも後ろへ跳んで、威力を殺していたのである。


 だが、戦力差は絶対。

 そう思っているのか、応芽の顔にはなんの驚きも焦りもない。

 にやにやと笑みを浮かべたまま、地を蹴り、離れた分を一瞬で詰めていた。


 祥子は、刃身に空いた穴を軸に、くるり斧を横に回転させ、迎え撃つが、


 応芽は、楽々と見切り、軽く跳躍してかわすと、水平になった巨大斧の刃身へと、両足で着地した。

 ぶん。

 応芽の足が、唸る。

 巨大斧に乗ったまま、祥子へと蹴りを見舞ったのである。

 モーションこそ小さいが、空気をも焦がす、凄まじい勢いの蹴りである。


 とはいえ、祥子に受けねばならぬ義理もなく、身を後ろにそらせて、間一髪、かわしていた。


 宙でトンボを切って着地した応芽は、すぐさま祥子へと身体を突っ込ませ、剣を振るう。


 のらりくらり、祥子は持ち前の戦闘センスでかわし続ける。

 だが、ただかわしているというだけ。

 状況の優劣に、揺るぎはなかった。


 応芽 ≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫ 祥子。

 やはり、魔道着の差が圧倒的なのであろう。


 応芽も、手加減を自覚しているようで、どれだけ剣をかわされようとも、余裕の笑みを浮かべ続けている。


「さっきのは感謝しとるで、祥子。つい我を忘れて、令堂を消し炭にしてしまうとこやったからな。でもな、そこまででええわ、お前の役割は。……いま逃げ出すんなら、追わんよ」

「それはどうも」


 祥子は淡々飄々とした態度で、巨大な斧をくるくる回転させて、これが返答だといわんばかりに、応芽へと振り下ろした。


 特に意表を突いた攻撃でもなく、いとも簡単に受け止められていたが。


 ぎり、ぎり

 刃を合わせての、押し合いに入ったが、真紅の魔道着、応芽はさして力を込めているように見えないのに、少しずつ、祥子の大柄な身体を、後退させていく。


「さすがは、新ピカの魔道着だねえ」


 祥子は、必死に踏ん張りながらも、のんびりとした口調で、唇を歪めた。


「なあに負けを認めず強がっとんのや。戦っとるんは、魔道着やないで。令堂専用を、しっかり使いこなしとるんは、この応芽様やで」

「それが?」

「やれんのか、自分に」

「はは。興味もないや」

「まあええわ。いつも上から目線で、ムカついとったけど、その減らず口も、今日で最後やからなあ!」


 応芽は、力強く踏み込みながら、斜め下から大振りで、斧を跳ね上げた。


 いなそうとする祥子だが、いなし切れず吹き飛ばされて、建物の壁に背中を強打。

 重たい音がして、砕けた壁の中に、祥子の大きな身体がめり込んでいた。

 すぐ抜け出し、地に足を着くと、


「いてて……」


 痛みに顔をしかめながら、額の汗を拭い、そのまま銀黒の髪の毛を掻き上げた。


「なんやあ、へっぴりやなあ。こないだみたく、怪我で瀕死のあたしに切り掛かって、悦に入っとるのが、関の山や、な!」


 な、で地を蹴った応芽は、滑り飛びながら、内側から剣を払った。


 間一髪、斧で一撃を受け止める祥子。


 だが、応芽は構わずそのまま、二撃、三撃、四撃、五撃。

 勢い、苛烈になっていた。

 応芽の、攻撃が。


 祥子は、斧使いや立ち位置の妙で、なんとかかわし続ける。

 かわし続けながらタイミングを計り、剣を屈んで頭上へやり過ごしながら、応芽の懐へと、潜り込んだ。

 潜り込んだ瞬間、


 ぶん


 祥子の手のひらから、青白い光弾が生じ、応芽の顔へと唸りを上げる。


 十センチにも満たない超至近距離からの攻撃であったというのに、応芽は、慌てることなく手の甲で払い除けていた。

 と、払ったその瞬間に、応芽の顔が爆発した。


 連続して、二発目が放たれていたのだ。

 前弾に隠れるように、少しだけ小さな光弾が。


 ぐうと、怒りに呻き、のけぞる応芽であるが、すぐさま姿勢を直した彼女の顔はもう、笑っていた。


「倍返しや!」


 叫びながら剣を、くるくる回して真上へ放り投げると、祥子を真似して、手のひらから薄青いエネルギー弾を発射した。

 右手から、左手から、連射、連射、雨あられである。


 祥子は、巨大な斧のひらを盾にして、上半身を守る。が、すべてを防ぎ切ることは出来ず、時おり腕や足に当たって、ぐっ、と苦痛の呻きを漏らした。


 それた光弾は、祥子の背後、建物の壁に当たり、子供が作った砂の城よりもろく、削られ、崩れていく。


 まだ終わらない。

 鼻歌でもうたっていそうな、楽しげな顔で、応芽は光弾を発射し続ける。


「倍どころか千倍やな」

「どうかな」


 絶え間なく襲いくる攻撃を耐え続けながら、祥子は、薄い笑みを浮かべた。


 まるで折れていない。という、それが事実なのか見せかけなのかは分からないが、いずれにせよ小癪な態度に、応芽は舌打ちすると、光弾を放つペースを上げた。


 じりじりと、祥子の大きな身体が、後退する。

 押され、よろけ、いつの間にか、壁に押し付けられていた。


 と、雨あられの流星群が不意にやんだ。

 それは単に、次の攻撃の始まりであった。

 高く放り投げておいた剣を、受けた応芽が、地を蹴って、壁際の祥子へと、飛び込んだのである。


 横薙の一閃、を身を低くしてぎりぎりかわす祥子であるが、その顎を、応芽が蹴り上げていた。


 ガツ、

 と嫌な音がするが、祥子は堪え、斜め上へと跳んで、蹴りの勢いを殺しつつ逃げた。


 勢いを殺した、といっても、意識をなんとか保てるほどには、という程度だろう。

 蹴られた激痛に、クールな顔が歪んでいる。

 意識が飛ばないよう、わざと痛みを感じる蹴られ方をしたのかも知れないが。


 応芽も、軽く膝を曲げて跳び、祥子を追う。

 貫き串刺しはりつけに、という渾身の突きを放つが、コンマ数秒の差で避けられていた。


 祥子は、壁を蹴って、なんとかその突きから逃がれたのであるが、応芽の攻撃は執拗だった。着地したと同時に、そこを狙って、頭上から剣を振りかぶって、落ちてきたのである。

 落ちざま放たれる、上段の一撃を、祥子は、巨大斧で受け止めて、その勢いを借りて後ろへ跳んだ。


 追い、迫る応芽の、剣が突き出される。


 祥子は、跳ぶ方向を変えて逃れようと、つま先で地を蹴った。

 と、その瞬間、

 うくっ、という呻き声と共に、顔が苦痛に歪んでいた。

 咄嗟に反対の足で、地を蹴ろうとするが、結局バランスを崩して転んでしまう。


「足い痛めたんかあ? ははっ、ざまあないで!」


 応芽は、薄い笑みを浮かべながら祥子へ近寄ると、太ももを蹴飛ばした。


 堪え、転がった斧を掴んで、起き上がろうとする祥子であるが、同じところを再び蹴られると、そのまま動けなくなってしまった。


「元チームメイトや。手足をぶったぎるくらいで、堪忍したるわ。せやから、もうあたしの前に、そのムカつく面あ見せんな。……まずは、腕や!」


 祥子の腕へと、振りかぶった剣を、


 打ち下ろした。

 受け止められていた。


 二本の、ナイフに。

 目の前に立つアサキの、クロスさせた、二本のナイフに。


 中学の、制服姿のアサキ。

 先ほどの戦闘で、変身が解除された、生身の状態。

 魔道着による魔力制御を一切受けていない、そんな、生身の状態。

 だというのに、応芽のエンチャントされた剣を、受け止めていた。

 かろうじて、ではあるが。


 がくり、剣の重みに膝が崩れた。

 崩れながら、なんとか堪え、はあはあ、辛そうに息を切らせながら、背後に横たわっている祥子へと、ちらり視線を向けた。


「さっき、助けて、貰った分は、返、す」


 肩で大きく呼吸しながら、それだけいうと、応芽の方へと向き直った。


「期待、してるよ、令堂さん。そのた、めに、回復までの時間、稼ぎ、したんだ、から」


 祥子の声。

 アサキの背後で、まだ苦しそうに息を切らせながら、上体を起こすと、唇を小さく歪めて、薄い笑みを作った。


 応芽はそんな二人を見て、ふんと鼻を鳴らした。


「また、選手交代か」

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